【オルタの視点】
いま、「Jアラート」が鳴らす警鐘とは何なのか
「北朝鮮の脅威に対し、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を私は全身全霊を傾け、突破していく」
テレビの政見放送から流れてくる安倍晋三首相の有権者への「呼びかけ」である。
一方、街角でマイクを向けられた有権者たる「国民」は、「北朝鮮? 怖いですねぇー」「何するかわからないですねー、あの国は・・・」と語る。
その間を「取り持つ」メディアは、「北朝鮮がミサイルを発射するたびに多くの国民が恐怖を覚え、北朝鮮への反発を高める」と伝える。
断わっておくが、この「メディア」は安倍首相の「応援団」と目される側のメディアではない。安倍首相からは「蛇蝎のごとく」嫌われている、とされるメディアである。
「国家のことば」が意識されないまま「メディア」に浸透し、「暮らし」の中に氾濫する。そして国民の間に「ある空気」を醸し出す。現在の「ニッポン社会」とそこでの「メディアの風景」と言うべきであろう。
編集部から、「Jアラート」にかかわって考えるところを書くようにとの要請を受けた。私が放送メディアに身を置いていたことが、その背景にあるのだろう。なんといっても「ミサイル発射」のたびに普段の番組をぶった切って「緊急報道」に切り替え、「北朝鮮の脅威と挑発」について、これでもかこれでもかと伝えるのはテレビ放送だからである。
放送メディアに身を置いたことのあるあなたは、いったいどう考えるのかと問われているのだと受けとめざるをえない。メディアの現在とわれわれのあり方をしっかり見つめてみる責任が、私にはある。それが、身の程をわきまえず、ここに筆を執った理由である。
結論から言えば、北朝鮮のミサイル発射、そして核実験のたびに繰り返される、否、正確に言うならば、増幅の度を加えながら繰り返される「北朝鮮の脅威と挑発」報道は、「朝鮮半島問題」そのものと並ぶ、もう一つの「危機的病弊」として向き合わなければならない、それがいまの私の問題意識である。
9月15日早朝、北朝鮮が発射した弾道ミサイルが「日本上空」を飛び越えたとして、テレビのワイドニュースは(その後の通常番組も「ブッ飛ばし」て)「Jアラート」一色となった。
この日朝、テレビが北朝鮮のミサイル発射について伝え始めたのは午前7時を少し過ぎたころだったと記憶する。
「北朝鮮からミサイル発射の模様」という速報とともに「政府は、人工衛星を通じて自治体などに緊急に情報を伝えるJアラート=全国瞬時警報システムで、午前7時ちょうど北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県を対象に『北朝鮮からミサイルが発射された模様です。建物の中、または地下に避難して下さい』と伝えました。日本の上空を通過したり万が一国内に落下したりする場合、発射からおよそ10分かかるとみられますが、現時点で日本の上空を通過するかどうかなどの発表はありません」と伝えられた。
同時に画面には「Jアラート」の「国民保護に関する情報」が映し出された。そこには「ミサイル通過。ミサイル通過。先ほどのミサイルは北海道から太平洋に通過した模様です。不審なものを発見した場合は、決して近寄らず、警察や消防などに連絡して下さい」と表示されていた。
その後、奥尻島をはじめ各地からの中継レポートがあり、安全確認のため東北・上越・北陸・山形・秋田の各新幹線が運転見合わせという情報や「羽田空港を離発着する飛行機の運航にミサイル発射による影響は確認されていませんが、情報を収集している最中だということです」などと、交通機関への「影響」が伝えられた。
7時半ごろになって「政府は、北朝鮮から発射されたミサイルが15日午前7時4分ごろ、日本の領域に侵入し、午前7時6分ごろ、領域から出て、午前7時16分ごろ、襟裳岬の東、およそ2,000キロに落下したと発表しました。政府は、弾道ミサイルの発射の情報に関連して、エムネット=緊急情報ネットワークシステムで新たに情報を発信し、『北朝鮮から発射されたミサイルが午前7時16分ごろ、襟裳岬の東、およそ2,000キロに着水した模様です』と伝えました」というコメントに変わった。
また、北海道や都内の街中を行き交う市民の「怖いですね、でもどうしていいかわからない・・・」「どこに逃げたらいいのかわからないので家族で風呂場にこもっていた」といった「生の声」が伝えられた。
笑ってはならない! ミサイルは、すでに「襟裳岬の東、およそ2,000キロに着水した」のである。新幹線が止まるのも、風呂場に逃げ込んで難を避けるのも、すべては「後の祭り」。いや、そのころは、はるか上空、無数に飛ぶ人工衛星などより、より高く、大気圏外の宇宙を飛んでいたかもしれない危険な事態??・・・。
笑えない、「笑い話」である。
そして7時半過ぎ「菅官房長官が記者会見を開き、北朝鮮の弾道ミサイル発射による被害は確認されていないとしたうえで、北朝鮮による度を超した挑発行動は断じて容認できないとして厳重に抗議し、最も強い言葉で非難したことを明らかにしました」と報じた。
その後さらに、岩手県葛巻町では「午前7時50分現在、町内の小中学校すべてにあたる8校で児童や生徒に対し、安全が確認されるまでは登校せず、自宅に待機するよう指示している」という情報なども伝えられた。
滑稽に過ぎるので、これ以上の「再現」はやめなければならないが、さらにこの時、ちょうどインド訪問から帰国した安倍首相夫妻の羽田到着が中継で映し出され、その後およそ30分、首相が官邸に戻ったところで「囲み」の記者会見が中継で伝えられた。
安倍首相は「先般の国連決議で示された国際社会の一致した平和的解決への強い意志を踏みにじり、北朝鮮が再びこのような暴挙を行ったことは断じて容認できない。国連安全保障理事会に対して、緊急会合の開催を要請する。世界の平和を脅かす北朝鮮の危険な挑発行為に対して、国際社会で団結し、一致して、明確なメッセージを発しなければならない。いまこそ国際社会の団結が求められている。先般の制裁決議を完全に履行しなければならないことが改めて明らかになった」と述べるとともに、「北朝鮮が、この道をさらに進めば、明るい未来はないということを理解させなければならない。今回も、日本政府はミサイル発射直後からミサイルの動きを完全に把握しており、万全の態勢をとっていた。引き続き、強固な日米同盟のもと、緊張感を持って、国民の安全・安心の確保に万全を期していく」と語った。
なんとも「時宜」にかなった帰国ではあった。
安倍首相の会見直後、「北挑戦ミサイル、ハワイ沖の宮古水産高校の船無事確認」というニュースが出稿され、Web でも公開されたときは、一瞬何のことかわからなかった。「挑戦」の二文字をじっと見つめているうち報じる側の「混乱ぶり」も垣間見えて、ナルホド、北朝鮮にとってミサイル発射はたしかに「挑戦」には違いないと、ひとりごちたものだ。
それにしても「北朝鮮のミサイルが、わが国の領域に侵入した・・・」というコメントには驚いた。「わが国の上空を通過」も同様だが、ジャーナリズムの言語として看過できない根深い問題を内包していると言わざるをえない。
言うまでもなく、大気圏外を飛ぶミサイルに「わが国の領域に侵入」などと言ってはばからない政府や、それをそのまま報じるメディア、さらにその報道に身を委ね「風呂場にこもった」人々、ミサイルがはるか彼方の太平洋上に到達したその後に「安全が確認できるまで登校せず、自宅待機」など、など・・・。もはや滑稽を通り越して正気を逸しているというほかあるまい。
ジャーナリストが、メディアが、このJアラート「狂騒曲」はいったいなんだろうか、と疑問を抱くことがないとしたら、それこそ「わが国の危機」ではないのか。
核・原子力専門誌である『the Bulletin of the Atomic Scientists』編集長ジョン・マックリンは、ロイターが伝えた論考の中で、「明らかに、北朝鮮の核爆弾と弾道ミサイル実験は重要な出来事であり、ニュースメディアが報道しなければならない国際ニュースだ。しかし世界のメディアによるその『危機』の伝え方は、実際に危機を拡大する要因となっていて、それゆえ判断の誤りや戦争の可能性を生じさせているのだ。(中略)もし、もっと多くのジャーナリストが正恩氏とトランプ大統領のマリオネット(人形劇)を取るに足らないものと扱い始めれば、北朝鮮問題の状況は、一種の長い骨の折れる外交交渉に移行し始めるかもしれない。これなら、受け入れ可能な解決策につながる。(中略)ジャーナリストが米国と北朝鮮の指導者に、責任感のある振る舞いをさせることはできない。しかし、北朝鮮の『危機』が実際には朝鮮半島の膠着状態にすぎず、大言壮語にあふれたマリオネットが、プロの外交交渉とは比べものにならない稚拙な代替手段にすぎないということを、メディアは読者や視聴者に理解してもらう手助けはできるのだ」と述べている。
これを「正気」と言うべきだろう。
ここでは、現在われわれが直面する「朝鮮半島危機」そのものを解析、考察することが与えられた命題ではないので踏み込むことは控えるとしても、少なくとも、メディアはこれぐらいの問題意識と視界でものを考えて報じるのが最低限の責任と言うべきだろう。
ここは厳しく問われてしかるべきだ。
同時に、われわれのメディアとの向き合い方もまた鋭く問われる問題だと言える。
「現代では、成功した政治家とは、疑似イベントを作り出す新聞やそのほかの手段を最も巧みに利用する人を意味する」
これは、昭和39年に訳書が上梓された、ジャーナリストにとっての古典というべき、D.J.ブーアスティンの『幻影の時代』(原題『THE IMAGE』1962年米国刊)にある記述である。いまなお古びることのない示唆をわれわれに与えていると言わざるをえない。
この書が記された時期、時代を考えれば、ここでの「新聞」という言葉は、独り新聞にとどまらず、現在のテレビでありネットをも含むメディア全体と読み替えてしかるべきである。
「ニュースの取材からニュースの製造へ」という章から始まるこの書では、「疑似イベント―疑似事実」をキィワードに、アメリカの新聞(メディア)史上において「ニュース」がどのようにつくられてきたのかを解析していく。そのなかで「ニュースとなるような出来事を創造することにかけては、生まれながらの天才」として、マッカーシー上院議員を挙げる。あの悪名高い「赤狩り」で知られたマッカーシーである。
「たとえば午後の記者会見を発表する目的で朝の記者会見を開いた。新聞記者たちはまるでパブロフの実験の犬が、ベルの鳴るのを聞いて集まるように、マッカーシーの呼び出しに応じて集まる。するとマッカーシーは『あすの朝刊に間に合うように、きょう午後、自分は重大発表を行うつもりだ』と声明する。この記者会見は、夕刊に次のような見出しのついた記事となって現れる。『マッカーシーの新事実発表間近し』。午後になってマッカーシーは発表すべき事実があればそれを発表し、またそれがない場合でも―ない場合がしばしばあった―大して心配しなかった。そのような場合には、『まだ完全に準備ができていない』とか、『必要としている書類の一部がまだ手に入っていない』とか、『証人がつかまらない』とかいえばよいのである。すると翌日の朝刊は、そのことを『マッカーシーの発表延期、謎の証人はどこに?』」という見出しをつけて報道する。」
ブーアスティンは、ニュースに飢えた記者にとってマッカーシーは「悪魔的な魅力」と「ほとんど催眠術師といってよいほどの力」を持っていたとも述べるとともに「多くの記者がマッカーシーを憎んだが、しかしすべての記者が彼を助けた」と記している。さらに重ねて、「新聞記者は、彼らの一人が『無分別の客観性』と呼んだものの犠牲者になった」とも述べている。
すでに知られていることなので蛇足に類するが、マッカーシーが「ある」と言った「『赤色分子』のリスト」などはどこにも存在しなかった。にもかかわらず、その「空気」に乗せられ、煽られて、ハリウッドであるいは様々な場で、「赤狩り」の嵐が吹き荒れたことは記憶にとどめておいてよいだろう。
時代は進歩しているのか、それとも退行しているのか、あるいは変わらずずっと同じところで足踏みしたまま時だけが過ぎているのか。
この書が世に出た時代には、ジャーナリストであれ「一般市民」(こんなカテゴリーはないのだが)であれ、多少なりとも問題として自覚的にとらえられていたことが、いまは、ほとんど意識されないまま、唯々諾々と流されるのみで時が過ぎているという、一層深刻な事態としてとらえなければならないのではないか。
「戦後レジームからの脱却」を掲げ、「従属」の構造そのものである日米同盟基軸に依り、かえす刀で中国、韓国など近隣諸国との対立を深め、いまは北朝鮮との緊張をひたすら高めるだけの政権。さらには株高幻想だけの実体に乏しいアベノミクス・・・。
挙げればきりがないほどの矛盾に満ちた眼前の「風景」に、メディアはなすすべもなく批判の力を失っていく。
なぜこれほどまでにいとも容易く国家、国権に包摂されていくのか。
「国家のことば」がなんの躊躇いもなく受容され浸透、氾濫する現在の「メディアの風景」とその中を生きるわれわれ自身に突きつけられた、重い課題である。
時代の変化、変容の「速度」(速さと方向を併せ意味する用語として使っているのだが)を考えるなら、これからの歴史にかかわる切迫した課題として、覚悟を持って向き合う必要があるのではないか。
「Jアラート」が発する警鐘とは果たして何に対してなのか、いまこそ、地に足をつけた思考と正気を取り戻さなければならない。
「Jアラート」は、まさしく、Jアラートに狂奔、右往左往する現在のニッポン社会とわれわれのありように対する「アラート」(警鐘)として、いま日本列島に鳴り響いている。 (10月15日記)
*なお、日々目にし、耳にする「北朝鮮の挑発」という「メディアの言語」に対して、言いようのない違和感を抱いていたのだが、問題意識を同じくするジャーナリストがいることを最近知った。「騙されるな! 国難突破解散の虚実」(サンデー毎日10月22日号)で青沼陽一郎氏がきわめて的確な考察を述べておられる。ゆえに、今稿では「北朝鮮の挑発」にかかわる吟味、検証は割愛することにした。青沼氏とは面識すらないのだが、ぜひご一読をと思う。
(元NHKアナウンサー・北東アジア動態研究会代表)
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