【オルタの視点】

おかしな「北朝鮮報道」がつくられるメカニズム

橘 宗


 軍事パレードや、女性アナウンサーが読みあげるニュースの過度な抑揚などが象徴的に、日本人に認識されている「北朝鮮」という国の「実像」。しかし彼の国について私たちはどれだけ正確な知識を持つ事が可能なのか。少なくとも日本のテレビ報道において、北朝鮮に対して行われる「取材」には、「3つの困難」がつきまとう。

 その3つとは、①裏取りができない、②「顔」が見えない、③文化の違い、である。順に述べていきたい。

 まず①については、仮に現在の中国で天安門事件に匹敵する民主化運動が起きたと想像してみたい。例えば他国の報道機関による第一報があった時、日本の報道現場はどう動くか。第一に自社の北京特派員に連絡を取り、そうした事実が確認できるか、確認できるならば当局による公式発表があるか、なければ公式発表以外の情報源が何かを問いただす。さらに政府高官へつながる中国国内の人脈を洗い、中国政府の公的な見解、認識を探る。また民主化運動を主導する人物への接触を試みる。そして在北京の日本大使館や日本企業の従業員等に、街のようすを聞く…。

◆◆ 「負け」が常態化している

 これを北朝鮮に置き換えてみると、日本の報道機関は、上記のいずれの方法もとることができない。できることは、朝鮮中央テレビなど北朝鮮メディアの報道、アメリカ政府やシンクタンクの発表、韓国政府や軍、聯合ニュースなどソウル発の発表、平壌に支局を置くAP通信など「西側諸国」の報道機関が発する情報、中朝国境付近で暗躍するブローカーの伝聞など、細い糸をたぐり寄せるのみで、いずれも独自取材ではなく、自社で裏が取れていない「引用」である。引用であるがゆえに必ず「○○によると~」という注釈をつけねばならず、報道機関としては「負け」であり、しかも負けが常態化しているのが、現在の「北朝鮮報道」なのである。

 そうした中で最近、日本テレビが独自取材に基づく放送をしていた。2016年4月、韓国国家情報院による発表で、中国の北朝鮮レストランから12人のウェイトレスが集団脱北したとのニュースを記憶している方も少なくないと思うが、この事案は実は「脱北」ではなく、韓国側による「誘拐」だったのではないかと疑義を呈する内容で、平壌にてその「誘拐」を免れた3人の元ウェイトレスにインタビューし、12人の家族たちに独自取材しているのである(日本テレビ「news every.」2016年9月29日放送)。内容もさる事ながら、こうした取材を「北朝鮮当局が許可」し、さらにこのVTRが北朝鮮系のサイト「uriminzokkiri」に掲載されている事から(画像参照)、北朝鮮が韓国側による「誘拐」説に、自信を持っていると推測できる点も大きい。今回の事案が特別なのかもしれないが、やはり人的・時間的コストが高くとも、独自取材によって得られるものは大きいと感じる。

画像の説明
  朝鮮レストランから12人が誘拐された疑惑について、日本テレビの取材に応じる元従業員ら。

 ②については、①と関連するが、基本的にどの日本メディアも北朝鮮の政府高官とのパイプがないため、政治・軍事・人事に関するニュースは、原則すべて引用である。取材相手の「顔」が見えず、その引用情報が正しいかどうかは、報じている当人たちも、実はあずかり知らぬところなのである。例えば北朝鮮人民軍の崔龍海(チェ・リョンへ)氏はこれまで何度も失脚、あるいは粛清されたという情報が流れているが、幾度となく「復活」している。

 また「顔」が見えないのは、北朝鮮の一般国民についても同様で、ほとんどの日本人は彼の国に友人や知人、仕事相手など「顔」の見える関係を持たないため、「架空の国」のような捉え方でしか見る事ができない。よって例えば「ニューヨーク空爆」や「北京空爆」、「ソウル空爆」という言葉が物騒で残酷で正義に反すると感じられても、「平壌空爆」については違和感がなく、遠い国の出来事とすら感知できてしまうのである。筆者はこの5年間で複数回の訪朝経験があり、友人とも仕事仲間ともいうべき人々の顔が浮かぶが、国交がなく日本政府が渡航自粛を勧告している現在、そのような日本人はほとんどいないのが実状だ。

◆◆ 理解を妨げるハードル

 ③は、多くの日本人には抜け落ちていると思われる視点である。これは元新聞記者で、雑誌『朝鮮学校のある風景』を編集する在日コリアンへの取材時に聞いた話であるが、朝鮮中央テレビの映像に違和感を持つ、いわば「コメディ化」して伝わるのは、そもそも表現方法が異なり、それを日本のメディアが誇張している場合もあるが、「文化の違い」も大きいのだと言う。例えば今年8月末に起きた北朝鮮北東部での洪水被害と復興を報じる番組では、軍人が被災地で楽器を演奏する場面が頻繁に映し出される(画像参照)。これは一般の日本人からすれば、「なにを呑気な…」「不謹慎だ」などと、反感に似た印象しか抱かないだろうが、北朝鮮では歌ったり音楽を奏でるのはごく日常的で、それを被災地で行う事も(被災直後はともかく)自然な事だそうだ。つまり伝え手と受け手に意図・悪意がなくとも「北朝鮮=異常な国」と映る落とし穴があり、それらを乗り越えて「分かり合う」までには、さらにいくつものハードルがあると言う。

画像の説明
  洪水被害をうけた地域で楽器を演奏する軍人たち(朝鮮中央テレビ・2016年10月16日)。

 このように「北朝鮮報道」には、通常の報道と異なる素地があるため、そのまま鵜呑みにすれば、潜在的に彼の国を「ワケのわからぬ異常な国」と考えるようになる。また多くの日本人、そして日本政府でさえも、北朝鮮の発表はほとんどが虚偽であると認識している節がある。しかしそのような態度で臨めば、国と国との関係は悪化する一方で、冷静で平和的な対話など望むべくもない。その事が何をもたらすか、日朝平壌宣言以降、14年間の両国関係を振り返れば明白である。最後に、30年以上にわたり朝鮮半島情勢を分析してきた元公安調査庁調査第2部長の坂井隆氏の言葉を引用して、この稿を閉じたい。

 「私たちが考える北朝鮮は実際のあの国ではなく、自分の頭にある一つのモデル(仮説)にすぎない。北朝鮮に関して絶対正確な情報を持つ人などいないのです」「(外側からは)自由にいろんなことが言えてしまう。常に、危うい仮説の上に立ってやっているんだという自覚が欠かせない」(朝日新聞2016年4月26日紙面より)。

 (民放キー局、報道局勤務)

※初出は『週刊金曜日』1110号(2016年10月28日)。


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