【コラム】
海外論潮短評(126)

ナショナリズム ― この厄介なるもの

初岡 昌一郎


 ロンドンの代表的な知識人向け週刊誌『エコノミスト』昨年12月23日付けクリスマス特集号は、例年のように広い分野を対象にした特別記事・論文を特集している。その中から、「ナショナリズム」と題する論文を取り上げ、要点を圧縮して紹介する。この原文は評判の高い同誌「ブリーフィング」解説欄の倍に当たる分量で、読み応えのあるものだ。

 原文には「ウラジミールの選択」という副題がついているが、特にロシアを対象にしたものではなく、ナショナリズムが自国の繁栄よりも他国の凋落を望むマイナス思考に陥りがちなことを風刺する寓話のことである。ナショナリズムが先進国と開発途上国の両世界に蔓延し、東西南北の多くの国におけるその隆盛ぶりを指摘、その非理性的な言動が世界平和を脅かす危険を警告している。

◆◆ ナショナリズムが徐々に薄れると期待するのはナイーブな思考

 世界を見渡すと、ナショナリズムが勃興している。だが、その出現形態は同一ではない。あるところでは、自決権を要求する民族国家の新たな創出追求の形をとっている。スペインのカタロニア、イラクのクルディスタン、イギリスのスコットランド、ナイジェリアのビアフラがそれにあたる。

 それよりも多いのが、ポピュリスト的反動的な右翼ナショナリズムである。ドイツ連邦議会で94議席を獲得した「ドイツのためのオルタナティブ」、フランス大統領選で3分の1の得票をした国民戦線のマリー・ルペン、最近ポーランドで政権についた右派政党、同じく政権についているハンガリア・オーストリア・チェコのナショナリストたちがいる。EU離脱国民投票後に右派が勢いづくイギリス、平和主義を放棄しつつある日本、ヒンズー排他主義優勢のインド、大国の栄光を夢見る中国、好戦性を隠さないロシアの現政権。ナショナリズムの興隆は例示にいとまがない。

 なかでも、もっとも刮目すべきものがアメリカのナショナリズムへの転換である。アメリカは、国民と憲法を除き、すべての統治者からの独立を宣言した最初の国家であった。自ら普遍主義を体現することを任じ、世界の諸国がこれを見習うべきと自負してきた。ところが今やアメリカ・ファーストを呼号し、自国優先主義をとる大統領の登場により、アメリカは世界をリードするのではなく、世界から取り残されつつある。

◆◆ 平時は影を潜め、危機の時代に姿を現すナショナリズム

 国家はナショナリズムによって創出されたものではなく、ナショナリズムが発生するよりもはるか以前から存在した。しかし、ナショナリズムによって国家が生まれた国もある。それらには、植民地から独立を獲得して形成された、第2次世界大戦後のアジア、アフリカ諸国の例が挙げられる。ナショナリズムはユダヤ人を迫害するとともに、抑圧された民族を解放した。

 19世紀には、オーストリア・ハンガリー帝国の枠組みの下で、リベラル派と急進派が民族解放運動を促進した。第1次世界大戦後、アメリカ大統領ウィルソンが民族自決を提唱し、旧帝国解体の結果、多数の新国家が陽の目を見た。いったん欧州が民族自決権を容認すると、アジア・アフリカの人々が自らの民族解放運動を始めるのは時間の問題であった。欧州列強が植民地を維持しえたのは、その帝国の隷属民を人間としての権利を持たない蛮人と見做したからであった。だが、ヨーロッパ人の主張は自らに跳ね返り、その矛盾の重圧に下に帝国は崩壊した。

 第2次大戦以後、新しいインターナショナリズムが生まれた。コスモポリタンは国連の誕生に歓喜した。多くの運動、特にマルクス主義が民族国家を超克しようとした。だが、いずれも成功を収めなかった。

 ナショナリズムを収束させようとする最も意欲的な試みが欧州連合(EU)であった。それが成功を収めると、EU加盟国間の戦争は考えられなくなった。しかし、統合のパイオニアたちが希望したようには、国民国家が消えさって行かなかった。各国政府が依然としてブリュッセルを支配しており、国家機関は解体不可能である。報道機関や官僚制などの制度も容易に改変できない。どこでも誰もが権力を手放そうとしない

 帝国が崩壊するにつれ、ウィルソン流の民族自決の原則が世界中に広がり、定着していった。国家が至上の主権を持ち、その欲するままに行動しうるという思想が、国連、国際金融機関、国際法全体に刷り込まれている。すべての国際関係がそこから出発している。このように国際秩序の骨格の一部となっているナショナリズムは、普段は姿を表に見せないが、今日のような危機になると前面に立ち現れる。

◆◆ 先進国社会の不安と展望の欠落が、幻想的ナルシズムの温床

 共産主義が崩壊した時、リベラリズムだけが残された啓蒙主義の遺産ではなかった。ナショナリズムは、フランシス・フクヤマが予測したように徐々に薄れてゆかなかった。自由、友愛、平等のフランス革命の叫びを、19世紀のドイツ人がフランスによる欧州征服のカモフラージュと受け取ったと同じように、西側による普遍的価値の推進を支配の転覆をはかる策略とロシア人は受け取った。

 西欧的普遍主義にたいする反撃は驚くほどの成功を収めた。2002年に創設された国際刑事裁判所は、国際社会が人類に対する犯罪を取り締ますことになっているが、結果は失望視されている。ミャンマーのロヒンギャ州の少数民族への迫害に対する批判の声は大きいが、行動はほとんどない。イェーメンは無意味な内戦で引き裂かれ、飢餓と疾病が死体の山を築いているが、国際社会はほかのことで忙しく、顧みる暇がない。

 アメリカが本気で踏み込めば状況は一変するかもしれないが、かつての普遍的価値のチャンピオンは劇的な変身を遂げてしまった。ティラーソン国務長官は当惑する外交官たちに対し、自国の安全保障と経済に集中すべきで、アメリカ的価値の推進は「邪魔」と述べた。昨年9月の国連総会で、トランプ大統領は「多様な諸国が同じ文化、伝統、統治形態を共有すると期待していない。しかし、自国民の利益と他の主権国家の権利の尊重という、主権国家の二つの義務を守ることを期待する」と発言した。

 新しいナショナリズムは諸国間の相違を強調するだけではなく、自国の優位性を誇示する。自尊心と民族に対する忠誠心は隣人愛と愛他主義を発展させるのと矛盾しないはずだが、フラストレーションと社会的欠陥がナルシズム(自惚れ)を生んでいる。

◆◆ 民主主義危機の原因は規制緩和と自由化改革による社会経済格差拡大

 イギリスの歴史家、トニー・ジャッドがその死の床で書いた『荒廃する世界の中で』において、ファシズムやボルシェビズムが大衆を再びとらえる恐怖によって如何に戦後民主主義が左右されてきたかを描写している。戦後の民主主義が弱体なので、1914年から45年にかけて犯した誤りを繰り返してはならなかった。そこで参加したものすべてが経済成長の恩恵を受けられるように図り、受けられないものにはセーフティ・ネットを用意した。カール・マルクスは、労働者階級が正義を獲得するには革命が必要と説いたが、西欧社会はその代わりに福祉社会を実現した。

 このシステムにいまや亀裂が生じているというのがジャッドの指摘である。彼が批判するのは、1980年代以降の市場中心主義的規制緩和と自由化拡大による経済・社会格差の拡大である。ジャッドの遺言的な警告は「今や保障のない時代に入った。経済的不安、物理的不安、政治的不安の時代だ」

 これまで右派は、進歩によってもたらされる創造的破壊に反対してきた。それに対し、リベラル派は、寛容、教育、物質的向上によって変化に対処し、少数者の権益が支配権を手中に収めないようにしてきた。それにたいし、保守派は単一民族主義的な文化と強力な統治権力が安全を確保できると信じてきた。この派が今日のナショナリズムの根幹を形成している。

◆◆ ウラジミールの寓話 ― 自分の幸福より人の不幸を望む

 ウラジミールという農民の寓話がある。神様が彼に「なんでも望みを一つ適えてあげるよ」と告げた。ウラジミールは喜んで考え始めたが、迷いに迷った。そこで神様は条件を出し、「君の望みをかなえたら、隣人にはその倍を与える」と告げた。ウラジミールは「やった」と指をはじいて、「片目をくりぬいてください」と叫んだ。

 社会科学者は、大衆の非理性的な行動を説明するのにこの寓話を引用する。軍備に巨費を注ぎ込むナショナリスト政治家の行動も、この心理で説明できる。軍備は他国を懲罰するためのものであり、本来その資源は、学校、道路、その他の市民的サービスによりよく利用できるものなのだが。

 歴史的に見て、これまでナショナリストは自滅的な選択を繰り返してきた。ナショナリストの指導者たちは自分のプライドが傷つけられるのには敏感だが、他国もプライドを持っていることには鈍感だ。イギリスのEU脱退(ブレクジット)に賛成票を投じた、ロンドン居住者以外のイギリス人(スコットランド人と北アイルランド人は反対)は、欧州官僚、EU議会、欧州裁判所から主権を奪還した「蜂起」を気取っていた。だが、このイギリスナショナリズムはナイーブなもので、イギリス特殊性論と大英帝国気質の保護的ベールの下で、既に大国から中規模経済国に転落している21世紀の現実を彼らは理解していない。

 それよりもはるかに大きな問題は、トランプのナショナリズムが意味するものである。戦後世界において形成されてきた国際的諸制度とそれに基づく世界秩序は、諸国の自決権と共にアメリカによる積極的な支持によってスムースに運用されてきた。ナショナリズムを鼓吹することでトランプがこれを放棄しようとすることは、このシステムに取返しの効かない損害を与えるだろう。

 1914年に欧州の平和が破られたのは、ドイツの急成長がそれを抑えてきた世界システムの崩壊につながったからである。今日の平和は、アメリカが野心的に振舞う中国を如何に受容するかによって試される。「アメリカを偉大にする」ことでは、この試練の解決が容易になることはないだろう。19世紀と違い、今日の大国が核兵器を保有している現実がある。このことが、もはや軍事的解決によって実現できない、平和の維持に焦点を絞って考えることを人々に強いている。

◆ コメントにかえて ◆

 加藤宜幸さんの急逝によって、少なくとも現在の形での『オルタ』が今号で終るために、10年以上にわたって続けさせていただいたこの「海外論潮短評」も閉じることになります。これまで継続的ないし断続的に読んでいただき、批評と激励を寄せてくださった方々に感謝します。

 「ナショナリズムは悪者の最後の拠り所」という、イギリスの歴史家の言葉を想起しながら、擱筆。

 (姫路独協大学名誉教授・オルタ編集委員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧