【コラム】
1960年に青春だった!(20)

そのときを〈待つ〉ということ

鈴木 康之

 ボクは元コピーライターです。昔の仕事の一例をご覧いただけたら幸いです。
 1985年のある朝、日経など一般紙にどっかーんと掲載された広告です。

画像の説明

この土の中に、新菌Ⓚは潜んでいた。
広島県安芸郡熊野町萩原四二二九。

気の遠くなるような釣り師の話を聞きました。
…昭和44年、若い研究員が、新しい抗生物質
のための新菌Ⓚを探せ、と命じられた。協和
発酵ではふだんから社員たちが各地の土を集
めている。それを毎日、少しずつ水に溶かし、
その水を皿なん枚もの培地に塗っておく。数
日すると微生物は、数ミリのニキビのように
育って現れる。一つ一つ針先で釣り上げ。顕
微鏡で調べる。週二千、月八千、年十万。ど
れもこれも既知菌である。助手の女性と二人
で四年間続けた。そのうち、いちいち釣り上
げなくても、皿のニキビを見て鑑別できるよ
うになった。…ある朝、皿の隅にたった一つ、
ちょっと気になるニキビがあった。これを釣
り上げ、新菌か否か、かんじんのⓀか否かの
検索が、日曜もなく続けられた。…1年半後、
すっかり髭づらになった釣り師の顔にやっと
釣果の笑みがもれた。…それからまた薬効と
安全性研究の歳月が流れ、アミノグリコシド
系抗生物質Ⓚが世に出た。昭和60年。…TVの
2時間ドラマにしたいような話です。(C記)

 1979年、当時の協和発酵、現・協和キリンが企業広告キャンペーンを始めることになりました。そのクリエイティブがボクにまかされました。日経など一般紙の全ページに出向しようという大きな計画。
 ふだんはあまり広告をしない、わかりにくい会社です、難題でした。

 テーマは同社独自の「バイオテクノロジー(発酵技術)」。この言葉はまだ新聞記事でも用語解説が添えられるほど認知度の低い時代でした。認知度が低いということは同社が先取りできるという理屈でもあり、シリーズのキーワードとしてうってつけである、というのが広告マンの発想です。

 ボクの頭には理系のリの字もなし。バイオテクノロジーなんていわれると霞がかかります。ではキャンペーンの担当者としてダメかというとさにあらず、うってつけなのだ、そう考えるのがボクのセオリーでした。
 なぜかというと、先端技術の研究者の話を高度な理解力のある者が聞いてわかったとして、それをそのままを広告にしても、一般紙の読者には通じません。ボク程度の耳が話として聞けて、なおかつ、こいつは面白いと思う話でないと、一般読者が読んでくれません。フィルターとしてわれこそは最適任。

 カギは研究者や経営者への取材でした。忙しい中を予定してもらった1時間や2時間が過ぎても、ボクがわかった顔をしない。時間延長か来週出直しです。それでもダメな場合は業後に駅前の居酒屋に席を移して酒の力を借りました。
 研究者の口はより滑らかになり、聞き手の口はよりしつっこくなる。お酌を重ねながら、ボクは研究者たちの口から面白い話が洩れ出してくるのをひたすら「待つ」のでした。

 こうして、同社の開発ストーリーでそれらしい広告がたくさんできました。それと並行して製品開発に至らないままの話でも何本もできました。
 企業広告とはふつう達成した事業の自慢話です。未達の話じゃいかんという考えが正論なのですが、いやいや未達ながら、長い年月と巨きな開発費と人的資源を投入し続ける事実は、ステークホルダーにはもちろんのこと、一般紙読者にとっても興味深い企業情報なのではないか。

 ボクは広報部長や歴代社長に「御社は待つ会社です。待てる会社です」とヨイショしたものでした。彼らは待つことに実感のある研究畑出身者たちでした。ですから未達の話をコーポレート・コミュニケーションにおいてひけ晒すのをゴーさせてくれた英知と判断力に敬意を表しました。

 1年に、多い年で4回の割の出稿でした。ですから想起率を高めるために毎回まったく同じレイアウト・フォーマット、つまり建てつけの広告にして、四半世紀繰り返し続けました。

画像の説明
ものはためしに点を1万個かいてみた。
1立方ミリに培養できる動物細胞の数。

1辺1ミリの立方体の中に1万個。協和発酵
ではこんな密度で動物の細胞を培養できると
ころまできたんだそうです。植物の場合なら
比較的易しくて、山ユリの球根を米粒ほどの
切片から丸々と育てる大量培養をすでに実用
化しています。細胞培養といえば、インター
フェロンや成長ホルモンのような貴重な成分
を作りだすものですが、われわれ動物の細胞
は植物の細胞より高等で、生体外での培養は
きわめて困難だ、と聞いていました。それが、
先ごろ米国で全身やけどの少年が残った皮膚
を次々に培養、移植していって助かったとい
う新聞記事もありました。未来の医学がすぐ
そこまで来たな、そんな気配がしませんか。
協和発酵の場合は、得意の培養技術で研究が
進んでいる。有用な物質を作りだす動物細胞
をばらばらにして培養、しかも無血清培地の
ような簡単な条件で大量培養、医薬品生産へ
の応用など、実用化にあと一歩。ものが医薬
品だけにあと一歩のところへきてからが長い。
慎重な協和発酵時間が続いています。(C記)

 ボクの座右に関西の碩学・鷲田清一さんの哲学エッセイ集『「待つ」ということ』があります。20年ほど前からその場その時、ボクのやわな思考構築に筋金を張ってくれる書です。

 鷲田先生いわく──待たずに待つこと。…(略)…これはある断念と引き換えにかろうじて手に入れる〈待つ〉である。とりあえずいまはあきらめる、もう期待しない、じりじり心待ちにすることはしない、……ここでなおじたばたしたりしたら、事態はきっと余計に拗れるから。
 ひょっとたら、「育児」というのはそういういとなみなのかもしれない。ひたすら待たずに待つこと、待っているということも忘れて待つこと、いつかわかってくれるということも願わずに待つこと、いつか待たれていたと気づかれることも期待せずに待つこと……。

画像の説明
おいっ、いつまでも寝ていないで、起きて
顔みせろよ。待っている人がいるんだから。

大量の菌株が研究所の引き出しの中で眠って
います。協和発酵の社員が出張や家族旅行の
さい採取してきた土の中からより出した菌株、
これが現在1万5千種類。これに研究員が手
仕事で根気よく作ってきた変異株が数万株も
あります。洒落て「キン庫」と呼んでいるよ
うに一朝一夕には揃えられない画像の説明。普段は
眠りを貪って場所をとるだけのただの画像の説明
にすぎませんが、このうちの一つがある朝、
研究員の培養皿の中で有能菌として目ざめ、
顔を現したとなると一騒動。バイオインダス
トリーではカビがペニシリンを作り出したよ
うに菌が生産工場の働きをするわけで、です
から、新菌出現は工場が一つ建ったも同然な
のです。こんな可能性を秘めた菌株を何万種
も備えている…といえば未来はバラ色ですが、
これが千三つどころか万に一つあるかどうか。
相手が生き物だからコンピュータでは扱いに
くい。研究員の、気の遠くなるような手仕事
が頼りです。みんなが成果を待っているのに、
バイオはじつにじれったい仕事です。(C記)

 鷲田先生いわく──「おまえがそこにいることには意味がある」と呼びかけられているという思いに賭けようとするとき、〈待つ〉ひとは「信仰」と壁一枚隔てたところにまで運ばれている。「きっと神さんが見たはる……」。

 ごらんのようにこの広告シリーズは始める前に定めたとおり毎回同じデザイン・フォーマットです。ふつう新聞全ページの広告ではボディコピーのブロックは上か下か左か右かの端に置かれます。
 でもこの場合はいちばんだいじなのは聞いてきた「土産話」です。読んでくださいといわんばかりに、これを読者の目の前、紙面のど真ん中に置きました。
 そしてお気づきでしょうか、紙面全体の図柄は模様です、包装紙なんです。開けて広げた中に長方形の箱、そこにだいじな「土産話」を収めてあります。

画像の説明
30年前Cにめぐりあえてほんとによかった。
30年間C以上のものに会えない。くやしい。

初めはAでした。ある博士から預かった微生
物がつくる抗ガン物質Aの量産。試験管では
できるのに培養槽ではうまくいかない。実験
千回を超え1年が過ぎる頃、Aより抗ガン性
の強いCが見つかった。そして、抗ガン剤C
の発売、昭和34年のことでした。以来30年間、
多くの先生方の研究でガン治療に用いられ、
ニーズは増える一方。欧米など世界88ヵ国へ
も。医療品のライフサイクルは10年前後とい
う常識を破るロングラン製品になってしまい
ました。30年前の1年間の労力や費用はたい
へんなものでしたが、いまにして思えば天然
の傑作といわれるCのような化合物にわずか
1年で出会えたことは、協和発酵だけでなく
国内外の医学界にとっても、大きなラックで
あったと思います。国内外でC関連の抗ガン
物質に挑んできた研究者は数千人。これまで
に作られた合成物も数千余。しかし、30年を
経て、いまだCを超えるものが現れません。
願わくはCを超えるガン治療薬。協和発酵の
目標は、協和発酵のCを無用にする日です。

 この研究者は科学者らしく物語をクールに縷縷と語ってくれました。時系列的によく整理してくれていて取材者にとってはありがたことでしたが、ボディコピーの枠に収まりきるか、難儀だと覚悟しました。

 彼はひととおり語ると、うつむいて長く沈黙しました。どうなさったのかなと窺うボクに「口惜しいですねえ」と吐いて、暗い顔をしたままでした。
 沈黙は30年間もの未達をなぞっているかのようでした。それは、待って、待って、待ち疲れた人の顔でした。

 彼の背の重苦しさが取材者の背にものり、デスクに戻ってコピーを書くだんになっても、研究者の忸怩たる思いの重さに悩まされました。
 そこで、包装紙には彼の30年間をなるべく重く感じさせないようにマンガで表わすことにしました。

 鷲田先生いわく──「あんたはもういんものと思てる」と言うのも、「あのひとは死んでしもたと思うことにする」と思い定めるのも、「あんた」への期待をきっぱり棄て去るということである。本人にとってはそれはもう最後のあきらめかもしれないけれども、しかし、こうしたいくつかのコンテクトの削除によって、〈わたし〉がはまり込んできた事態の布置そのものが、知らず知らず、微妙に変わりゆきもする。つまり、別な状況が生まれることがかろうじてありうる。

 さて、もう一人忘れられない研究者がいます。「カビ博士」と呼ばれる人でした。スケッチを見せながら「コイツは」とか、ときには「彼女はですね」と呼ぶのです。カビひとりひとりへの彼の愛情を感じました。
 ボクは嬉しくなり、取材中にノートにこの回のヘッドラインを書いてしまいました。

画像の説明
カビ彦、カビ子、カビ太郎、カビ美、カビ輔、
カビ恵、カビ衛門、カビ代、カビ也、カビ乃。

カビを集め、可愛がっている研究者が一人、
協和発酵にいます。もう12年間カビ一筋です。
カビを採取して、顕微鏡で覗き、スケッチし
名前をつけ、分類して、保存。もう1万株を
超えました。彼が発見した新種も15種。彼の
名前を織り込んで命名しました。歴史に残る
名誉です。しかし、彼の研究がほんとうに報
われるのは、保存したカビの中からなにかが
開発された時です。概して嫌われ者のこの菌
類、じつは有用・無用が紙一重です。過去に
ペニシリンのような薬や、ジベレリンなどの
植物ホルモンを生んだように、未知の大きな
力を持っています。この世に6万種ともそれ
以上ともいわれるバイオ資源。ある菌が必要
になってもすぐには探し出せません。だから、
彼は企業の中にいながら成果を急がないこん
な仕事を続けているわけです。まだまだ続く
でしょう。まずは世界一ぶ厚い『カビの戸籍
簿』をつくることが目標です。それよりも、
カビ彦かカビ子の力で、なにか人類を救う新
しい医薬品誕生のほうが先だといいのですが。

 鷲田先生いわく──死の訪れを静かに待つひと、恋文の返事をじりじりと待つひと、…(略)…刑期明けを指折り数えて待つ囚人、一年間一日も欠かさず張り込みをした刑事、ウエイター、棋士、釣り師といった文字どおり〈待つ〉を仕事にしているひと、…(略)…待ちこがれ、待ちかまえ、待ちわび、待ち遠しくて、待ち伏せ、待ちかね、待ちあぐね、…(略)…〈待つ〉のその時間に発酵した何か、ついに待ちぼうけををくらうだけに終わっても、それによって待ちびとは、〈意味〉を超えた場所に出る、その可能性にふれたはずだ。

 カビ博士には、この世を生きるとは、なにごとにつけ真摯に〈待つ〉ことだという知恵がそなわっているに違いありません。

 濃霧たちこめる波止場、大ぜいの学童たちといっしょに不定期便の出航を待つ引率者を想います。

 (元コピーライター)
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