まだ小さい日印関係           松田 健

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 2006年3月のオルタにインドの現状について書かせていただきました。
  それから1年半が過ぎましたインドに、日本政府も日本企業もさらに注目して
いるが、新規に日本企業が続々と進出しているという状況にはまだほど遠い。
  これまでにインドに進出した日本企業は約400社だが、この数にはインド各地
の日系の事業所がだぶって数えられており、新聞社や銀行の事務所も含んだ数で、
日本のインド進出の企業数は実際には300社程度。製造業に限れば、このまた一
部に過ぎず、しかも製造業のメインは自動車関連業界。
  中国に投資が集中しすぎたリスク分散といった観点からチャイナ+1(チャイ
ナプラスワン)が求められるようになってきた。そして新たな進出先としてイン
ドに目を向けるところも出てきたが、実際にはその回避先にベトナムやタイが選
ばれたケースが多い。

 これを裏付けるのは2006年度の日本の対インド投資は、新規については前年比
で減少したこと。だが同年度にもインドにすでに投資している日本企業がインド
での再投資、拡張投資については前年を大きく上回っている。このことは、イン
ドの投資環境の良さは日本ではまだほとんど知られていないが、すでにインドに
投資して操業している日本企業では、インド市場の将来性を大きく評価し、自信
をもって追加投資を行なっていることを意味する。
 
これまでに中国での日系企業はプロジェクト数で2万を超える。インドは外資
に流通業を解禁していないが、それでも、中国にも進出している米国のウオルマ
ートはすでにインドにも合弁進出したが、同じように中国には進出している日本
の流通大手のインド進出の動きはまったく見えない。
  韓国のインドでの存在感が日本以上で、1兆円を超える製鉄所プロジェクトも
ある。企業の現地化の面でも韓国企業が日本企業のお手本的な存在になっている。
インドに進出している韓国企業にはインド事情に精通した専門スタッフが育って
おり、インド人好みのデザインや機能をもつ製品をインドで開発、価格面でもイ
ンド人が納得する安さでシェアを広げている。

 日本企業が進出をためらっているのは中国やタイなどに比べて見劣りするイン
ドのインフラ欠如。それに加え、インドの各都市部での土地高騰でデリーの近郊
の工場用地の土地代が東京の住宅地より高くなっているなど、想定外のコスト高、
また、すでに発生している労働者不足などを知ってインド投資を断念したところ
もある。しかし筆者が親しい日系自動車に部品を供給するインド企業では、「日本
ではインドのインフラの欠如について不満が高いことを聞いているがが、我々も、
すでに進出されている日系企業でもほとんどが大きな利益を出している」という。


◆後追いに終始する日本の外交


 1998年5月、インドが実施した核実験にクリントン政権(当時)は経済制裁を
決め、日本はこの米国の経済制裁に同調、90年代に入って伸び始めていた日印経
済関係を膠着させてしまった。日本はインドとの経済関係改善でも米国の後追に
終始した。クリントンはインド制裁から2年も過ぎない2000年3月、米国大統領
として22年ぶりでインドを訪問し経済関係を強化した。これは現職の米大統領の
外国訪問としては異例の1週間近いものとなった。これに刺激されたかのように、
その5か月後に日本の森首相(当時)らの官民インド経済ミッションが2000年8
月に訪印している。
 
1972年、ニクソン元米国大統領が日本への事前通告なしで中国を初訪問。これ
に驚いた田中角栄首相(当時)も中国に行って周恩来首相らと交渉、結果的には
米国より先に国交回復にこぎつけた。それから30年以上が過ぎたが、重要なイン
ドに対して他国に先駆ける外交ができない。
  05年4月の中国の温家宝首相のインド訪問で、長くインドと紛争していたシッ
キム州をインド領であることを再確認、マンモハン・シン首相と、中国とインド
の『戦略的パートナーシップ』を構築する共同声明を出した。翌06年1月31日、
米国ブッシュ大統領の一般教書演説でもインドが重視され、中国を意識、しかし
先の中印声明と同じ『戦略的パートナーシップ』を打ち出した。08年から日本が
援助するデリー・ムンバイ間産業大動脈(DMIC)プロジェクトが始まるが、
これも『戦略的パートナーシップ』。06年12月のマンモハン・シン首相の訪日時、
両国首脳で決めた『日印戦略的グローバル・パートナーシップ』の一貫としてデ
リーとムンバイ間に産業大動脈を造ることになり、07年8月の安倍晋三前首相の
訪印でそのプロジェクトへの日本の援助も確認された。


◆両国ともに不足する専門家


 日本よりも韓国や中国がインドでのプレゼンス(存在)を高めており、「日本人
は、アジアはタイかミャンマーで終わっていると思っているのではないですか?」
と何人かのインド人から問われた。
  日本企業には中国の専門家は多いし、中国人スタッフを抱える企業も増えてい
る。しかしインドについては大企業でさえインドの専門家はほとんどいない。一
方で、韓国や中国企業は将来のインドビジネスを背負う若手人材を数百単位の数
で養成している。しかし日本は大手家電の某役員ですら、「北米、中国、ベトナム
と力を入れなくてはならない国がインド以外にも多数あり、インドに投入する人
材がいない」と諦め顔。
 
韓国や台湾には日本について深い知識をもつ人が多数いても、インドと日本に
は相手国を知りつくしたような専門家が極めて少ない。日本のほとんどの大手新
聞社、通信社はニューデリーに支局を出したが、インドの新聞社は日本に支局は
ゼロ。もっともインドの大手新聞は欧米にも支局は出していないようだが。しか
しインドの新聞社は欧米のニュースのコメントはたくさん載せているが、先日の
安倍晋三首相のインドから日本に帰国直後の首相離職についてコメント記事を書
けたインドの新聞記者は1人もいなかったという。
 
筆者もインドの不勉強がひどいままこんな記事を今書いているが、ただニュー
スを書くだけでなく、深くインドについてコメントできる記者が日本に何人いる
だろう?日本も同じインドを旅すると、日本がインドから歴史的に受け入れてき
た多大な文化的影響を再認識できる。明治時代、インドを訪問し、アジアはひと
つで始まる『東洋の理想』を、英語で書いて英国で刊行した岡倉天心のような人
物は今の日本にいない
  インド投資を増やすためには、インド通の若手人材を早急に育成することが不
可欠。それをしなければ、韓国、中国などに決定的に負ける。インドのインフラ
整備の援助に力を入れるよりも、日本人の若手のインド通の人材育成こそ重要な
気がする。
                 (筆者はアジア・ジャーナリスト)

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