【オルタの視点】

アメリカ大統領予備選挙
〜アイオワからニューハンプシャーへ

武田 尚子


 2月1日、アイオワのコーカス(党員集会)が終わった。
 コーカスとプライマリーは、総選挙に先立って、選挙権を持つ市民の全てに、民主主義のもとで選挙が持つ個人と国家への重要性に覚醒を促し、集会の開かれる諸所のコミュニティを中心に、有権者一人一人に、彼らの人生の希望を実現する助けになると信じられる立候補者を選ばせる、重要な機会である。

 コーカスでは、候補者選びが党員のオープンな合意で求められ、一人一人の候補者に対してあげられた手の数で決められることが多いという。しかしプライマリーはごく普通の選挙のように、各支持者の望む候補者に投票することで決められる。予備選挙にコーカスかプライマリーのいずれを選ぶかは、関係各党の決断による。

 アイオワは全米最初の予備選挙の行われる州であり、ここでの投票結果が、のちの総選挙の動向を象徴的に知らせる重要な要素だと思われているので、候補者はもとより、メディアも有権者も、アイオワに一目も二目も置いている。共和党と民主党にとっても、アイオワでの好成績は総選挙の好成績を予告する最初の吉兆と受け取られがちなのも無理はないだろう。

 2月1日の民主党のコーカスを始めとして、2月8日にはニューハンプシャーのプライマリーが続く。さらにサウスキャロライナのコーカス、ネヴァダのコーカス、と、選挙戦は全米をつつみこんでゆく。まず、この初期の選挙戦に出場する両党の大統領指名候補は次の通りである。

●民主党の候補者

ヒラリー・クリントン 国務長官 
バーニー・サンダース 米国上院議員
マーチン・オマリー  オハイオ州知事(02/01 撤退表明)

●共和党の候補者

ジェブ・ブッシュ   元フロリダ州知事
ベン・カーソン    元神経外科医
テッド・クルーズ   米国上院議員
ジョン・ケーシック  オハイオ州知事
マルコ・ルビオ    元米国上院議員
ドナルド・トランプ  大型不動産業者
マイク・ハッカビー  元アーカンソー知事(02/01 撤退表明)
ランド・ポール    米国上院議員(02/03 撤退表明)
リック・サントラム  元米国上院議員(02/03 撤退表明)
カーリー・フィオリーナ 元ヒューリットパッカードのCEO(02/10 撤退表明)
クリス・クリスティ  現ニュージャージー州知事(02/10 撤退表明)
ジム・ギルモア    元ヴァージニア知事(02/12 撤退表明)

 今年の予備選挙は普通の選挙年に見られない国民の関心をそそっているとよく言われる。なぜだろう? イスラム国のテロが世界に恐怖をまき、中東の戦火に追われた数知れぬ避難民が、ヨーロッパにもカナダにも、アメリカにも救いを求めてやってくる。避難民を満載した小さな船が転覆し、いずれの岸に着くこともできないまま、泡沫の中に消えてゆく。

 普通なら誰しも持っていたはずのヒューマニズムが、次第に自己保存の欲望に変わって彼らのことは忘れようとし、実際、煩瑣な日常の中に忘れてゆく。私もトランプのアイデアをテレビでときどき視聴するようになった。長らくこうした難民に手を広げて門戸を開いていたドイツも、心の広いメルケル首相の意思を通すことができなくなってしまった。アメリカ内でも大きな議論があり、避難民の中にテロリストが混っている可能性があるから絶対に難民を入れるなという議論が横行している。そしてその確率はごく低いとはいえ、決して根も葉もない恐怖とは言えないのである。アメリカはどう対処すべきだろう?

 オバマ大統領は1年以内に退陣する。共和党のえげつない宣伝にもかかわらず、非常に功績のあった大統領だが、彼らにいじめられ続けているオバマ氏は、フランクリン・ルーズベルト大統領のように、3期留任なぞ絶対にできないだろう。危機感を抱いて暮らしている人も少なくはないだろう。はっきりとはしないが、どこか心を不穏にさせるアメリカの日常ではある。そんな時、はるか遠い未来に思えていた11月の総選挙が、意外に早くやってくることにちょっと驚いたのは私だけだろうか。

 ドナルド・トランプの名が、やたらに登場するようになったのは、こんな時だった。トランプの名はもちろんよく知っていたし、NYウエストサイドの、彼の名を冠したアパートビルに友人を訪ねたこともあったから、そのアパートの見かけの贅沢さと、細部の手抜きと見えるものをありありと見てしまっていた。したがって、彼に尊敬を捧げることはせず、金作りに邁進した人だということだけ承知していたのである。

 彼の声を聞き、彼の姿をテレビで見ても、私のトランプ観は変わらなかった。そして、私も関心を抱いているアメリカの選挙に、彼が大統領候補として加わっているのを知った時には、本当に驚いた。一体、大統領候補になりたいといえば、すんなり「ではやってごらんなさい」と言ってくれるのがアメリカという国なのだろうか。

 そんなに軽く扱うには、大統領職とは、あまりに由々しい仕事ではないか。候補者になるための資格検査のようなことはしないのだろうか。もちろん資格検査はある。例えばオバマが大統領になった時問題になった、彼が本当にアメリカで生まれたのかどうか、母親はアメリカ人なのか、たとえ父親がアフリカ人であろうとも。

 トランプは資産家には違いないから、金で票を買えば、本当に大統領になってしまうこともありうるだろう。そんな時も、アメリカは何も言えないのだろうか? アメリカの自由とはそんなことなのだろうか。

 しかし、言うまでもなく票は金で堂々と買えるのである。その後、時々見るテレビのニュースかなにかで、トランプがキャンペーンの緒戦に、自分のスピーチに多くを動員したいために、1票50ドルで、何百人かの聴衆をトランプ支持に集めたという話を聞いた。やれやれ。ご苦労なことだとは思ったが、こんな直接な形でなくとも、すべての候補は自分に投票してくれる人を得るために、巨額の金を使っているではないか。このエッセーの最初に掲げた候補者たちの金の使い方を見たら、一人に50ドルなど、ママゴトに過ぎない。例えばジェブ・ブッシュは、アイオワで一人の有権者につき5200ドル以上を費やしたが、コーカスの投票では6位に終わった。

 まるで金で票を買えない見本のような話になってしまったが、これはよほどの例外であろう。坊ちゃん育ちと、成功したビジネスマンの違いだけだろうか。

 トランプはしばらく、ありきたりの政治家にない大げさで品の悪い自己宣伝で人をも自分をも楽しませたら、選挙からはあっさり足を抜くつもりなのだと思っていた、ところがそうはならなかった。それどころか、後述するように、その後の選挙キャンペーンで、彼は次々とトップを得ているのである。

 トランプがなぜ、これほどの人気を得て、ストローポールと呼ばれる試験投票では健闘を続けているかについては諸説がある。
 支持者は大体、大学歴のない、労働階級の人が多いという。彼のビジネスの成功が、ハッタリの多い表現であってさえ全体として事実に裏付けられていること、金や職の苦労からの脱出を求める人々には、なんでも持ってこい、俺が解決してやる、といった権威主義が、非常にありがたく思われること、自分以外の金を使わないで選挙戦をたたかう実力への屈服などが最大の要素であるらしい。さらに彼の言葉は誰の頭にも入りやすい単純なものであることなどがないまぜになって、トランプ礼賛群を構成していると見る識者は多いようだ。
 そこには何の魔術もないが、そのこと自体が牽引力の一部なのだろう。しかも彼には一定の自戒律があって、例えばアルコールは一滴も飲まない、タバコは吸わないをずっと通していると語っている。手の届きそうもない成功者であるが、ひょっとすると手が届くかもしれないと思わせるのではないだろうか。

 アイオワでは結局、バーニー・サンダースとの対決で、ヒラリー・クリントンが0.3ポイントの僅差で上位に立ったが、事実上は互角だとバーニーはいっている。さらにGOP側ではテッド・クルーズが自信満々のトランプを破って一位になり、トランプに痛撃を与えた。

 さてここに登場したクルーズを簡単に紹介しておこう。彼はプリンストン大学とハーバードの大学院で法律を学んだ。大学時代から弁論に優れ、全米学生弁論大会の勝利をえたこともあり、共和党では最も有能な弁論者と見られている。カナダ生まれで、アメリカ人の母親とキューバ移民の父親を持つ。
 その彼が大統領選に立候補した時、トランプはアメリカの憲法に照らして、クルーズには大統領の資格がないという問題を提起した。クルーズの母親はアメリカ人であるが、キューバ生まれの父親は近年までキューバとアメリカの二重国籍を持っていた。トランプはそれを調べ上げて、この共和党内のライバル、クルーズが、憲法の求める『自然にアメリカに生まれた』わけではないことは大統領資格に疑問をもたせるといい出したのである。これはかなり面倒な問題になりそうだった。ハーバード大学の法学教授もはっきりした結論を出さなかった。長く大きな論争が続くことも予想されないではない。面倒な問題である。

 しかし、時あたかも、イスラム国「アイシス」の襲撃で140人が落命したパリの国連会議での事件が起こり、この問題からメディアが遠ざかったのは、クルーズにとっての幸運だった。これは『誕生問題』として、アメリカの政治家の背後関係を調べる時、よく登場する。オバマも母親はアメリカ人だが、留学生として来米した父親はアフリカ人だったことが保守党の「オバマぎらい」の根底にあるように。

 さてここでクルーズについて調べてみると、その報道がほとんど彼を否定的に見ていることに驚かされる。彼の「人となり」に対する嫌悪感に根ざしたものが大半なのである。今は詳細を避けるが、一言でいうなら、クルーズは嘘つきで、自分の益にならないことには決して手を出さない。まことに「いけ好かない」と言われるタイプの一人らしい。

 たまたま昨夜(2月16日)見たテレビニュースに、クルーズの推薦する牧師が出てきた。これはエバンジェリカルの多いサウスキャロライナの話であり、ここでのティーパーティの聴衆を中心に、集会場が提供されていた。

 舞台では牧師らしい中年の紳士が、聖書を持つ腕を高く振り上げ「同性愛者は死刑に処すべきだ」と叫んでいる!! 「聖書に記されたこの真理を伝えることが罪になるなら、私は喜んで裁きを受けよう」とも言い、非常に大きな拍手に迎えられた。その牧師を紹介し擁護したのが、舞台脇に座っていたテッド・クルーズであった。牧師は「同性愛者は死すべきだ」を何度も繰り返す。リベラルな東北部に慣れている私には、信じられない光景であった。

 アイオワ一位の勝利を収めたクルーズに「大統領としてアメリカを代表させたいのか」というのは、クルーズとトランプの両方に当てはまる疑問である。共和党は全体として決してトランプに傾倒しているわけではなく、彼の人気を利用して総選挙に勝ち、政権を取り戻したいだけなのだが、ここに来てかなりのジレンマに陥った。トランプの影響力を持ちかつ立派な政治家ならいうことはないが、現実のトランプでは困るのである。トランプが二位になったアイオワの成績は、共和党にも、民主党にも、多くのアメリカ人にも、彼に勝利を与えなかったアイオワの良識を賞賛する気持にさせたのではないかと思う。

 さてアイオワのコーカスでは、民主党側は最終的な投票結果のチェックで、0.3ポイントの差でヒラリー・クリントンがバーニー・サンダースを抑えたことがはっきりした。
 GOP側は大方の予想に反して、クルーズがトランプに勝つという意外な出来事でアイオワ戦は終わった。トランプの落ち込みぶりは非常なものであった。

 ここで舞台は、ニューハンプシャーに移り、さらにサウスキャロライナ、ネヴァダへと移動する。その後にも11月8日の総選挙をめざしてプライマリーやコーカスは続けられる。

 ニューハンプシャーでは再びトランプが一位を奪い返して、ご機嫌ぶりを見せた。この選挙の行くえを、一般のアメリカ人はどう見守っているのだろうか…私事だが、昨日会食したアメリカの友人の一人が、総選挙に誰を支持するかという問いを出した。夫の友人のビジネスマンが二人、法律家が一人、詩人が一人、引退した教師の女性が一人、それに私である。皆、民主党なので、頭からクリントンとサンダースのいずれに投票するかと問われた。結果は夫と私だけがサンダース、あとは皆ヒラリー・クリントン支持であった。

 予想できないことではないが、サンダースがなぜだめなのかと問いを出してみる。詩人のレネはいった。「あの人のいう、革命というものが嫌なのよ」と。「彼は自分のいう民主的社会主義革命の定義をしているでしょう。暴力なしの無血革命の定義を。ただ、彼の言う収入の平均化という理想を実現するには、少なくとも意識の革命が必要だということではないの?」というと、「それだから君はサンダースに賛成するわけ?」三人の紳士の一人が問いかけてきた。

 「そうね、それこそ革命的なことをしなくては、今の社会状態の歪みは治らないという説に賛成だから。つまり、サンダースは創造的だから。」とだけ答えた。彼らは皆ユダヤ人であり、アメリカの中産階級のインテリなのだ。サンダースは民主的社会主義革命という言葉でだいぶ損をしていると私は思った。クリントンは非常に怜悧で、基本的な原理ではサンダースに変わることがない。サンダースがいなければ必ずヒラリーに私は投票するだろう。そして彼女は膨大な経験を生かして、なかなかの政治をするに違いない。しかし今は、サンダースに投票して、彼の言う民主的社会主義革命を、少なくとも4年か、できれば8年間やってみてもらいたいというのが、私の本心である。

 ところでアイオワ戦の討議で、ライバル同士のサンダースとヒラリーが打てば響くような対話をした何分間かのあと、聴衆の一人がヒラリーに、サンダースを副大統領にしないかと問いかけたことを思い出す。ヒラリーは即坐に答えた。「私が大統領になったら、重要な問題はかならず彼と相談しますよ」「わあっ」と聴衆を沸かせた一瞬ではあった。

 アメリカの抱える様々な問題を、ヒラリーとサンダースが見事に調理してくれますようにと祈らずにいられない。この会食の直前、米国最高裁判所で最も公正で知力が高いと言われたスカリア判事が急死された。ところが憲法で保証された大統領による新判事の指名に、すでに共和党が猛烈な反対運動を開始した。

 憲法の保証する、大統領の最高裁判事の指名権に、最初に反対を申し立てたのはテッド・クルーズであった。法学の知識があり、裁判所関係の仕事をしているところから、彼は直ちに、最高裁判事の死の起こったのが選挙年であれば、必ずしも大統領は指名をしないという伝統があると訴えて、民主党大統領の最高権力の行使に反対給付を出したのである。

 彼を知る人なら、嫌がらせのテッド・クルーズにふさわしいやり方だと思うのではないだろうか。政権奪取に必死の共和党は、勿論それに乗ってオバマを妨害しようと躍起になっているが、オバマは冷静に、この職務に最もふさわしい人を私が選びますと言って、後継者選びに専念している。今のところ、ジョージ・ミッチェルという判事の名が上がっているが、テレビで紹介されたのを見た限りでは素晴らしい判事のようだ。
 憲法を無視してまで横道を通そうとする共和党と、常にインクルーシヴ(全てを含める)を訴える民主党の間には歴然と深い溝が横たわっている。そしてそれこそが、今のアメリカの最大の政治、社会問題だと思うのは決して少数の市民だけではないだろう。

 最高裁判事の指名問題は大きな論争を呼ぶに違いない。是非この後の成り行きを、アメリカ政界の、そしてアメリカ社会の分裂とともに、報告させていただくつもりである。

 (筆者は米国ニュージャージー州在住・翻訳家)


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