【オルタの視点】

アメリカはどこへ行く?---トランプ勝利の後にくるもの

武田 尚子


 2016年11月8日の総選挙の結末はヒラリー支持か否かにかかわりなく、アメリカ人の大半を驚倒させた。
 選挙戦がたけなわになった7月ごろから、既報の、トランプの言行の逸脱ぶりはかなり広くメディア一般に取り上げられていた。とりわけ私の住むアメリカ北東部はリベラル色が濃く、トランプのどぎつい反ヒラリー宣伝にもかかわらず、彼の大統領としての資格の有無さえもはや話題にしないほど、ヒラリーの勝利が予想されていたのである。
 中でもトランプの連邦税(ほぼ916万ドル)の未払い(または不払い)はこれまでの大統領候補のただ一人にも見られなかった事実であり、これが共和党の大統領候補の指名を妨げなかったことに驚かされるのである。

 しかしこれだけではない。トランプは実は過去30年間に3,500件という“津波のごとき”(NYタイムズ)訴訟問題を抱えてきたと言われ、それらは契約問題から不動産取引、いやがらせ、差別問題など、多岐にわたっている。
 トランプが金を作るための方法には不動産業のビジネスだけではない、様々なやり方がある。税金の不払い同様有名になったやり口の一つに、トランプ大学がある。これは、トランプに匹敵する億万長者になれる方法を教えますと銘打ったインチキ大学であり、金や太鼓で広告したプロフェッサー予定の専門家はあらわれず、金の苦労からの脱出を夢見て応募した学生たちは、ぎっしりと並べられた講義のコースにうるさく勧誘され、その一つ一つに高額の授業料を払わされる仕組なのである。さすがにこの問題が大統領出馬に幸運を与えるとは考えられないからだろう、これはつい最近、トランプが260万ドルをおそらく抗議した人たちに支払って一応落着した。

 ただこれだけの事実から見ても、トランプの政治家としての資格はいざ知らず、彼がいくら国の政治に没頭しようとしても、ほとんど間断なく、彼自身の訴訟問題に忙殺されるだろうということがわかる。NYタイムズにもはっきりと報告された、彼の不動産建設に携わった企業や、その労働者たちへの金の未払いや不払いは言うまでもない。自分はこの道の天才と言にいふらした彼のビジネスの内実には、新しい事業を起こすたびに生まれた巨額の負債を18年間は認められている連邦税の不払いで埋めるというのが常套手段になっていたのである。
 新しい事業投資を起こしては失敗したトランプは「私ほど、アメリカの税金制度の詳細を熟知するものはいない」と豪語し、事業投資の赤字を税金不払いで埋めれば、赤字は抑えられると得意であった。これは一種の救済保険のようなものとして、政府が企画したのかもしれないが(これはまったく素人である筆者の考えに過ぎない)トランプのような「天才ビジネスマン」が、これを頻繁に利用して利益を得ることなど、この法案の立案者には考えられなかったのかもしれない。

 事業に関することだけではなく、総選挙のほぼ3週間前には、トランプに性的な嫌がらせを受けたという主張をした少なくとも11人の女性が現れたが、トランプは彼女らを、逆に訴えてやると脅している。これもトランプの窮地を逃れるいつもの手段であるが、必ずしも成功するとは限らない。トランプは「自分はスターだから、女たちは、人妻であろうが何であろうが、何をされてもついてくる」と言い放っている。このトランプに大統領を心から望むアメリカ人がいるのが不思議なようだが、苦しい生活に夢をあたえる彼の言葉を信じ、移民などはアメリカ人の職を奪う大敵だから、メキシコが何と言おうと、国境に壁を作って彼らの侵入を防ぐべきというトランプに支持者は共鳴する。「俺だけにやれることだ。移民は入国させない。不法滞在移民は自国に戻らせれば職は十分ある。
 [腐りきった]ヒラリーについては「ヒラリーを投獄しろ」「ヒラリーは牢屋にいくのだ、さあどうぞ」と彼は限りなく反復する、いま彼の問題にしているのは、国務長官であったヒラリーが、1台のコンピューターで公的な問題と私的な問題を場合に応じて扱ってきた『罪』を責めているのである。それは確かに間違いであり、ヒラリーはその非を認めた。そして司法部はすでに審議を済ませ、その内容には政治的な意図も、損害を与えるような事実も皆無であることを明らかにし、その点ではヒラリーはすでに潔白を証明されていた。

 にもかかわらず、際限もなくヒラリーを投獄せよと叫ぶトランプに、職を失った多数の支持者は奮い立ち、「俺に投票せよ。必ず職を戻してやる」「俺だけにできることだ」と繰り返す彼の言葉に、夢を見た。トランプのそれまでの異常な金銭欲が築いた、金ぴかのトランプ・タワー、世界中に散らばるトランプ・ゴルフコース、贅沢ないくつかのトランプ・ホテル、トランプの名を大きく冠した自家用飛行機など、普通でない彼の金満家ぶりが、グローバリゼーションとテクノロジーの発達のために旧来の職を失った多くの白人労働者にはまぶしく、トランプの実力を信じさせたであろうことは容易に考えられる。

 しかしこれには別の重要問題も付随していた。それはすでに司法部で白と認めた候補者を、選挙の直前(7-9日前)になって、再審理するなどと言えば、候補者の得票が影響を受けるのは明らかであることから、政府ではこの微妙な時期に、再審議などは認めないことが慣例になっていたのである。にもかかわらず司法長官のコーメイ氏は共和党の側近さえ疑問視したにもかかわらずあえてそれをやってのけた。そして総選挙では彼と共和党の望む通りの結果が出た。ヒラリーが落ち、トランプが登ったのは、明らかにトランプを勝たせたい司法長官の意図通りであった。

 さて、今回の選挙には、さらに重大な問題のあることが囁かれてはいたが、確固とした証拠の出るまでは噂にとどまっていた。それは新年を迎えた今、知らぬ人とてない、ロシアによるアメリカ人のコンピューターハッキングの問題である。
 いつも慎重なオバマは、ハッキングのあることを知らされてもすぐには腰を上げず、慎重に慎重を重ねて、その事実を突き止めた。そして12月末、ロシアへの制裁とスパイと信じられるロシア外交官の即時帰国を実行させた。

 なんという番狂わせ! ヒラリーを支持した民主党側だけではない、共和党の中にも、この結果に驚き、トランプは大統領に値しないと頭を抱える人は少なからずいたし、今も存在するのである。民主党を中心に、真剣な反省が始まった。ここまでは読者もご存知のことだが、旅行のためにオルタ前号での報告をミスした筆者が、あえて簡単に記させていただいた。

 さて、選挙の結果に最大のショックを受けたのは、ヒラリーを始め、彼女の必勝を信じていた民主党支持者であった。メディアの大半がヒラリーの勝利を確信し、その彼女の当選の確率は80%を越えると報じていたのである。それと同時に、トランプの具体的な政策が明らかになりつつある今、政権の奪回を願う共和党の複雑な勝利感は別としても、選挙期間中は明らかでなかったトランプ大統領下のアメリカの将来への庶民の不安が、日ごとに増しつつあるように見える。

 本稿の目的は、トランプの政策を追うことで、アメリカの変化の現実に目を据え、彼の人格と政策をできるだけ深く理解し消化して来るべき未来に備え、アメリカと世界の可能な限り健全な将来のために、一人一人の庶民が真剣な対応を考えるための一助となることである。

 民主党の、総選挙後の反省の第一は、リベラルな同志と想定されていた「大学歴のない」「白人労働者」の大多数が、選挙ではトランプ支持に回った衝撃をふりかえることであった。こんな筈ではなかったというのが、ヒラリー支持者の実感だったに違いない。
 ではなぜ、彼ら白人労働者はトランプ支持に回ったのだろう? この層の労働者を失った事実は、民主党には耐え難いものではあった。しかし民主党が見落としていた重大な事実があるように思える。それは、大学歴のない白人労働者の苦境の実態がいかに深刻なものであるかを把握し損ねていたことではないだろうか。
 グローバリゼーションと、働く人たちの福祉のためにできるだけの尽力をしてきて、選挙でも彼らの味方であることを訴え続けたのはトランプや共和党ではなく民主党であった。オバマは8年間の大統領在任期間に実に多くの功績を残している。この選挙では、彼が現大統領としてヒラリー・クリントンこそ、今のアメリカでもっとも大統領にふさわしい経験と実力を持つ人であることを是認し支援することをはっきりと表明した。ヒラリーと指名を争った民主党のエース、バーニー・サンダースも、キャンペーンの後半ではヒラリー支持を明らかにし、黒人を含む彼の熱烈な支持者たちに『ヒラリーに投票しないことは、トランプを大統領にすることになる』と訴え、必ず投票に出かける必要を説いていたのである。

 その上ヒラリーは、アメリカ史上初めての女性大統領候補の出現に歓喜する多数の女性ボランチアの働きにも、これまで総選挙の投票をしたことのなかった潜在的的な女性支持者にも恵まれていた。「力を合わせて勝ち抜こう」というビラを持って戸別訪問する有志にもこと欠かなかった。さらにこれまでの大統領選挙のキャンペーンで経験を積んだ有能な作戦家にも助けられていたのである。
 しかし、この選挙戦ではこの優位が勝利につながらなかった。いや、一般投票
 では、250万から300万票の差でトランプを大きく引き離していたというのに、彼女は全米で270票が必要であるエレクトラル・カレッジ投票で、トランプに敗れた。エレクトラル・カレッジについては、後述する。

 ではこの予想に反した顛末はどうして起こったのだろう。

 まず第一に、ヒラリーに投票しなかった顕著なグループがある。それは「大学歴のない白人労働者」とメディアの表現した人たち、高度な技術的な職も持たなければ、官庁や企業ほかの事務系の職場で、サラリーを約束されて長期間に役職の階段を登って行く平均的なサラリーマンの望みを持つわけでもない。それはグローバリゼーションの煽りをもろに受けて、長年、あるいは生涯にわたってくり返してきた製造関係の仕事を、後進国あるいは新来の移民に奪われたと信じ、楽でない生活をつづけることがさらに困難になった人たちなのである。中国や東南アジアの国が貿易で仕事を奪ったというより、グローバリゼーションがもの作りを他国に移したことと、高度化するテクノロジーの作業のために、職を失った人たちなのである。

 そして忘れてはならないのは、この人たちこそ、トランプの『アメリカを再び偉大な国にしよう』という呼びかけに心から反応した事実である。グローバリゼーション以前には、製造関係の職がいくつもあり、金持ちにはなれなくとも、家族を養ってゆくことができた。そしてその仕事はいつでも見つけられた。ところが、グローバリゼーションは仕事そのものを他国に移してしまったのだから、ほかにこれという技術のない労働者には逃げ道がない。彼らの多くは、父や祖父の代から、コツコツと一日中手を働かせて、きまりの仕事をこなしてきたのである。あの頃はよかった、というのが彼らの実感に違いない。彼らは、変化する経済、変化する社会に乗り遅れたのである。

 その彼らの悩みに、かくも頼もしく答えてくれるトランプを、どうして信じないで居られるだろう。「トランプさん、あなたの言う通りだ、俺たちも昔はよかったのだ。あの頃を戻してくれ」と彼らは痛烈に叫びながら、トランプに投票した。「トランプさんの善意を信じたすべての者が素晴らしい報いを得たように、俺たちもあやからせてくれ。トランプさんは大学までこしらえたではないか。いけいけ! 俺たちはついて行くぞ!」

 そして、ここに記述するさえ胸の痛むことだが、彼らは間もなく裏切られるのである。甘い言葉で誘われた白人労働者群は、トランプに裏切られるのである。
 この裏切りは、主要な会社内の地位はすべて企業に関係のある、労働関係者を忌避する役員たちの陣立てをみればすぐわかる。今日現在アメリカ市民にとって最も重要なニュースは、国民健康保険オバマケアの熱烈な反対者であり、同時にメディケアの私有化を提唱するトム・プライスを、健康と人間関係の福祉担当の長官としてトランプが選んだことである。この選択の意味するところは、おそらく、オバマの遺産の中でも最大といえるアメリカで初めての国民健康保険、オバマケアは、トランプ政権のもとでは生き延びられないだろうということである。そして、最大の損失を被るのは、まさにトランプを最も熱烈に支持した人たちであろう。共和党は6年をついやして、オバマケアを凌ぐもっと優れた健康保険を作ると言ってはきたが、それは実現していない。

 現実のアメリカでいま健康保険を作るとしたら、オバマケアのようにならざるを得ない。なぜなら、既に病気の症状を持つアメリカ人に健康保険を持たせようとするなら、保険の値段を安くするために政府からの補助金が必要になるからだ。オバマケアに代わる保険は、現在のオバマケアは越えられないし、それを避けようとするなら、本当に保険の必要な何百万もの人間から、健康保険を取り上げるほかない。

 したがって、ごく最近報道されたように、トム・プライス氏をトランプが選んだことは、トランプ政府は何百万ものアメリカ人が保険を失うことをすでに計画し受け入れていることを意味しているのであり、もっと痛烈なことは、その、保険を失う何百万人こそ、トランプを大統領に押し上げようとした彼の熱烈な支持者だったことなのである。そしてトランプの公式な政策が明らかになりつつある今、それが事実であることが証明された。

 では彼らはなぜトランプを支持したのだろう。キャンペーンの間じゅう、メディアは政策についてはほとんど報告しなかったために、支持者は自分たちが保険を失うとは考えてもいなかったのかもしれない。あるいは彼らは、トランプはオバマケアより良い保険とさし替えるというトランプの言葉を無邪気に信じたのかもしれない。

 理由がなんであれ、彼らは残酷な真実を知らされることになる。共和党が現在のメディケア~オバマケアを終結させるよう推し進めれば、事態はさらに悪化することになる。その計画はトランプがそんなことはしないと言っていても、現実にすすめられている。

 ついでに言えば、トランプは、過去2-30年の間に失われた仕事をアメリカに取り戻すと言ってはいるが、彼にはそんなことはできない。かつての彼らの職が失われたのは輸入品のためではなく、主としてより生産性の高い品物を生み出そうとするテクノロジーの変化のもたらしたものであり、グローバルな競争の中で、取り戻すことはできないのである。だから共和党が一旦現在のオバマケアという安全ネットを除去したら、労働者の受ける傷を埋め合わす方法はない。

 政治的な逆転劇というか、購買者の後悔が大波のように押し寄せて状況を変える、といったことは起きないのだろうか? いや、ひょっとしたらあるかもしれないと、この稿が多くを負っているタイムズの論説員であり、ノーベル賞経済学者のスタグマン氏は言う。民主党はトランプの、労働者階級に対する裏切りを、間断なく攻撃すべきである。しかし我々はトランプが、彼の労働者階級への裏切りの範囲を曖昧なものにしてしまうテクニックに熟考を与えるべきでもあると。

 最近、インデアナ州のキャリア社が、仕事の一部を外地に出さないでアメリカ内に止める決断をしたことは鳴り物入りで報告された。トランプはそれを実現させるという意味のことを約束していたのである。しかし彼はキャリア社に対して敢然と立ち上がってそれを要求したのではなく、賄賂を使ったのではないかと、上記スタグマン氏は言う。キャリア社がこの件で実行した程度の妥協をトランプが1週間に一度するとしよう。オバマ大統領が車産業の緊急救済で救った職の数を実現するには10年かかるだろう。西暦2000年以来の失われた製造職の総体を取り戻すとしたら、トランプなら1世紀もかかるだろう。そして労働者たちが、自ら地歩を失いつつあると自覚し始めたら、トランプ追随者は権威主義の政府がよくやるやり方で、仕事の能率の上下などは問題にせず、他の方法に訴えるだろう。つまり「出ていって敵を見つける」だろう。

 ここで、エレクトラル・カレッジについて簡単に説明しておきたい。今年の選挙ではアメリカの大統領が一般投票の結果でなく、アメリカ憲法の一つの数奇な規則によって選ばれた。過去ほぼ20年間に2度目のことであり、大統領候補アル・ゴアがブッシュに敗れたのが、本年のヒラリー敗北と同じく、エレクトラル・カレッジの敗北によるものだった。アメリカ憲法によると、大統領は市民による直接の投票~一般投票でなく、各州であらかじめ選ばれた選挙人の投票数によって選ばれることになっている。これが即ち、選挙のたびに一般投票と比較されるエレクトラル・カレッジの票である。そしてほとんどの州が、自州で勝利した候補者にすべての選挙人票を与えるのである。そしてどこかの州で、エレクトラル・カレッジによる勝利候補者の、全米での積算得票が270票になった瞬間、どの党のどの候補が大統領になるかが決定される。

 これは一般投票の数に関係なく、国全体で270の選挙人票の過半数を得た候補者が大統領選の勝利者になれることを意味している。ヒラリーはほぼ300万票の一般人による投票を、トランプを大きく引き離して一般投票では勝ったが、選挙人による投票数、つまりエレクトラル・カレッジの得票ではトランプに劣ったために、大統領になれなかった。これは合衆国憲法の草案者たちが、人口の多い市街では、一般投票では大統領選の勝利者が出やすく、投票者の少ない田舎では勝利者が出にくいために、平均化を狙った結果だと言われている。
 エレクトラル・カレッジの投票数で一般投票に劣ったために最近の大統領を失格したのはブッシュと争ったアル・ゴアであった。いうまでもなく、投票者の少ない地方の選挙では、富裕な共和党支持者の多いことを忘れてはならない。いつかこのシステムが改善されることを願って、何度か試みもあったが、今のところ、この一般国民の支持を最大に享受した候補者が失格することもあるという、一種奇妙なシステムが働いているのである。

 さらに追加したいのは、このエレクトラル・カレッジのシステムと、グローバル経済のもとで、主として旧来の製造職の単純労働を失った白人労働者の強力なトランプ支援だけではない他の要素が、ヒラリー落選に大きく関わっていることが、日を追って明らかになってきた。その一つは、司法省長官であるジェイムズ・コーメイ氏が、総選挙の1週間前になって、ヒラリー・クリントンのEメール問題をさらに審議する必要があると言い出したことである。

 それはヒラリーが国務長官として公式に使用するコンピューターで、私用の連絡も行ったという問題であった。すでに審理され、便宜上とはいえそのことになんら政治的な意図もなく、なんらの不都合も起こらなかったために、すでにヒラリーの潔白が証明済みの問題であった。にもかかわらず、司法長官は、総選挙の1週間前になってそれを再び審議する必要があると言い出した。
 わずか1週間前にそんなことをすれば、候補者選びに影響を与えるのはわかりきっている。したがって、政府は、そんな微妙な時期に問題を蒸し返したりしないのが通例になっていた。ところが、コーメイ氏の決断で、「ヒラリーのEメール問題」というのが改めて表面に出されると、メディアは飛びついて「ヒラリーのEメール、Eメール」と、まるでヒラリーの新しい悪行がみつかったかのように、またもや騒ぎ立てたのである。これはヒラリー敗北の別の要因になった。

 さらに忘れてならないもう一つのヒラリー敗北の要因は、ロシアによるアメリカ人のコンピューターのハッキングである。

 共和党の今の命運は何と言ってもトランプの成功にかかっているのだから、テレビのエンターテイナーであるトランプの、リズムに乗せたヒラリー非難の語句の限りない繰り返しは、支持者には快感を覚えさせたかもしれない。「ヒラリーは腐敗している。」「腐りきったヒラリーは牢屋ゆきが当然だ。」「腐ったヒラリーを牢屋に入れろ」という語句を、朝から晩まで、金にあかせて繰り返されれば、本当にヒラリーは罪人だと思う人はいくらでも出てくるだろう。自分の罪業は全く棚に上げて、トランプはこうしたメディア広告用の文句をあかさず繰り返した。メディアプロの真髄だろう。これは意識と無意識に訴える巧妙な戦術で、たまらなくなってテレビを消す他ない悪質な騒音であった。
 民主党の側には、ここまであくどい広告はなかった。心ある人は、何よりもトランプの人格のエゴイズムと浅薄さを胸に刻んだに違いないとは思うのだが。これは正式なメディア分析では語られなかったかことかと思うが、トランプを話題にすれば必ず視聴率が上がるというメディアの姿勢は、実に大きなヒラリー落選の原因だったと思う。トランプとしては、平気で虚言を語ってこれまで多くの成功をものにしてきた自分の歴史への自信と、稀に見る自己顕示欲がなくてはやれないことだったろう。

 さて、ヒラリーの敗北の原因がいくつか出てきた。しかし実を言えば、それ以上に重大な理由のあったことが今はっきりした。それはロシアによるヒラリー排撃のコンピューターハッキングが行われていたことが明らかになったことである。
 慎重なオバマ大統領は、その情報を得てからもすぐには腰を上げず、明確な調査による結論が出るまで、沈黙を守っていた。

 キャンペーン期間中、筆者は度々、ヒラリーが候補者の人気投票でまるでトランプ同等にアメリカ人に嫌われている数字の大きさに唖然とした。ヒラリーの母親は女中をして、ヒラリーを育て上げた。ヒラリーが卒業したウエルズレイ女子大学の卒業式で、彼女が総代として別れの言葉を述べたとき、聴衆は7分半を超える拍手で熱狂した。
 彼女は働く人間の味方であり、大学時代に始めた子供達のための福祉関係の仕事を続けて、政治の世界に入っていった。トランプに匹敵する信じられないヒラリー不人気の数字は、トランプの巧妙な反ヒラリー宣伝戦なくしてはありえなかったと筆者は信じている。

 さらに筆者は、あまり問題にされていないもう一つの点を、ヒラリー敗因の最後にあげたい。それは、歴史の培った男性優位の世界観は、一朝一夕には崩せないということである。新しい年が、なるほどアメリカでは、歴史上始めて、女性の大統領を候補に挙げた。それだけでも、この大きな国にしては上出来だが、我々の女性に対する既成観念は簡単には破れない。世界のトップの位置に女性をおくことに自然な抵抗を感じる人が多くいても不思議ではない。それは男性だけではない、女性自身の多くにもまだまだ存在する自然な感情であり、我々はこの目に見えない壁を、長い間かけて崩してゆくほかないだろう。そして有能で良心的でエネルギッシュな女性が続出する時代が来ることを望みながら、この項を終えたい。

 本稿は残念ながら、12月号のオルタに間に合わず、新年を迎えることになった。総選挙以後、トランプは着々と極右の政策を実行すべき閣僚選びに奔走している。「トランプ勝利の後にくるもの」は、今月は書けなかったことをお詫びする。願わくば新しい年が、少しでもより良い世界に近づくことを熱望しながら稿を閉じさせていただく。   2016年12月30日

 (米国ニュージャージー州在住・翻訳家・オルタ編集委員)


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