■海外論潮短評(8) 

イスラム抜きで       初岡 昌一郎 

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  アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・ポリシー』2008年1/2月号は、か
なり挑発的なタイトルの論文を掲載している。筆者のグラハム・E・フラーは、
カナダ・バンクーバーのサイモン・フレーザ大学歴史学準教授だが、かつてはア
メリカCIA長期戦略予測担当の専門家であった。
  以前にも紹介したように、伝統と権威のあり『フォーリン・アフェアーズ』誌
がオーソドックスで、代表的な論者に執筆させているのに対し、それよりも後発
の『フォーリン・ポリシー』誌は、同じ隔月間専門誌ながら、よりリベラルで斬
新な切り口の論文や記事で構成されている。
  ちなみに、この論文が発表された同誌最新号には、他にもいくつか興味深い論
文と記事が載っている。そのひとつは、フランスとドイツの教科書が市場経済、
特にアメリカ型グローバル資本主義を厳しく批判しているのを紹介した「ヨーロ
ッパの失敗思想」である。その他にも「アメリカは何をなすべきか」という特集
がある。アメリカの国際関係がめちゃくちゃとなっている現状を改善するために、
次期大統領が何をなすべきかについて、12人の論客による提言を集録しており、
関心を惹く。
「イスラム抜きの世界」の論旨は、以下のようなものである。


◇紛争の元凶視されるイスラム


  広汎な国際的紛争の原因の背後に、イスラムという宗教があると見られること
が多い。自爆テロ、自動車爆破、軍事占領、抵抗闘争、暴動、ジハード(聖戦)、
ゲリラ戦、ビデオによる脅迫、そして極めつけは9/11。
これらが何故行われたかについて、簡便かつインスタント的分析の説明が“イス
ラム”である。一部のネオコン的論者によれば、「イスラム・ファシズム」が第
三次世界大戦を企てているという。
  しかし、本当にイスラムが、テロ、戦争、高揚する反米主義など、今日の世界
の主要な国際的トラブルの元凶なのだろうか。イスラムが存在しなければ、現代
の国際秩序は根本的に異なるものになっていたのだろうか。そして、われわれが
直面している紛争の多くは生じていなかったのであろうか。


◇歴史的経験からの想像


  中東全域で歴史の初期からイスラムが、その信徒たちの文化的基準と政治性向
を形成して来たたと、よくみられてきた。
  人種的にみると、イスラムを抜きにみてもこの地域は複雑で対立が残る。中東
の支配的民族集団は、アラブ、ペルシャ、トルコ、クルド、ユダヤであり、そし
てベルベルとパシュトゥンを含められよう。彼らが、依然としていまもこの地域
の政治を左右している。
  イスラム登場のはるか以前から、ペルシャ帝国はアテネの門前にせまっていた
し、アナトリア高原の居住民にとって不断のライバルであった。セム系諸民族は、
チグリス・ユーフラテスの豊かな三日月地帯をめぐってペルシャと抗争を続けて
きた。
  多様なアラブ系諸部族とトレーダーが他の中東地域に移民し、勢力を拡大した
のも、イスラム登場以前からでのことであった。
  13世紀には、非イスラムのモンゴル人が中央アジアと中東の大半を占領し、
破壊した。その後、トルコ人がアナトリアを征服し、バルカンを抑えてウィーン
にまで押し寄せた。
  これらの戦いは権力、領土、影響力、通商をめぐるもので、イスラム登場のは
るか昔から始まっていたし、イスラムと関係なく行なわれてきた。
  宗教的要因を全く排除することは恣意的にすぎるだろう。仮にイスラムが存在
しなかったとすれば、中東ではキリスト教が支配的であったと思われる。一部の
ゾロアスター教徒や少数のユダヤ教徒を除くと、他に主要な宗教は存在していな
かった。
  この地域で仮にキリスト教が支配的であったとしても、西欧との調和が保たれ
たとは考えられない。膨張しつつあった中世ヨーロッパが、経済的地政的足場を
求めて中東に進出するのを断念したとは考えられない。十字軍は、つまるところ、
政治的経済的社会的ニーズによって始められた冒険であって、キリスト教は都合
のよい旗印にすぎなかった。
  「ヨーロッパ的価値観を土着民に」との言葉が理由付けに用いられたが、主た
る目的は富の獲得と西欧勢力の植民地拠点を確保することにあった。キリスト教
徒であったと仮定しても、中東の諸民族がこのようなヨーロッパ人を歓迎したと
は考えられない。


◇民族主義時代の中東


  中東諸国がイスラム抜きであったとすれば、より民主的なものになっていただ
ろうか。ヨーロッパにおける独裁の歴史からみて、そうは考えられない。ナチや
ファシズムがキリスト教国から生まれたのをさておいても、スペインとポルトガ
ルは1970年代半ばまで独裁国だったし、ギリシアも独裁から抜け出してまだ30
年もたっていない。ラテンアメリカは最近まで独裁国がほとんどだった。アフリ
カにおけるキリスト教国の政治も他よりましとはいえない。
  一千年以上にわたってユダヤ教徒を恥知らずに迫害し、ホロコーストを生み出
したのはヨーロッパのキリスト教国で、彼らのやり方にはアラブ諸国も顔負けだ。
  ナショナリズムはイスラム教徒が生みだしたものではない。中東世界全体にお
いて、初期の民族運動ではアラブ人キリスト教徒が主要な役割を果たした。パン
アラブ運動の旗手となったバース党のイデオロギー的創立者、ミシェル・アフラ
クは、ソルボンヌ大学で教育を受けたシリア人キリスト教徒であった。

  歴史的にみて、キリスト教世界は統一的なものではなかった。12世紀の十字
軍は遠征の大きな目的のひとつとして、東方教会の中心地コンスタンチノープル
を略奪した。これがトルコによるビザンチン帝国征服を可能にしたことを、ギリ
シア正教会は決して忘れていない。ハンチントンの『文明の衝突』は、対イスラ
ムだけではなく、キリスト教内の対立を文明の衝突にあげている。
しかし、イスラムの存在が中東や東西関係に独自のインパクトを与えたことは無
視できない。民族を越えるグローバルな宗教として、共通の思想基盤と価値観と
社会観が多様な民族を結びつけ、広範なイスラム文明観を生んでいる。イスラム
文明は、欧米にたいする抵抗の名目上、すべてのイスラム教徒にアピールする共
通の理念を提供している。
  分裂支配は帝国主義が好んで用いた歴史的手段である。この意味で、イスラム
文明が存在しなければ、欧米による中東支配はより容易であったかもしれない。


◇テロリズムとイスラム


  欧米がイスラムに当面の関心を寄せている最大理由は、テロリズムである。し
かし、このテロリズムは、2001年9月に初めて歴史的に始まったものでも、ま
たイスラム教や他の宗教上の理由によって開始されたものでもない。アルカイダ
のテロリストにとって、イスラム教は太陽を集光し火を燃え上がらせるレンズの
ようなものであった。目的と動機は政治的経済的な要因から生まれている。
  外国の強力な侵略者にたいする共通の不満を持つ弱者に向け、明確な焦点をし
ぼり点火させようとする政治行為として、テロは歴史的によく用いられてきた。
  パレスチナにおけるイギリス人にたいするユダヤ人のゲリラ活動、自爆テロの
火付け役となったスリランカ・タミール人ヒンズー教徒の“タイガー”、アテネ
のアメリカ人将校にたいする暗殺攻撃を実行したギリシア人テロリストなどが、
イスラム系テロに先行する例としてあげられる。
  ユーロポル(欧州警察機構)によると、2006年中に498件のテロ攻撃がEU
内であった。そのうち、424件は分離独立派が犯人であった。55件は極左派、
18件がその他様々なテロリストによるもの。そして、僅か1件のみがイスラム
教徒によるものであった。


◇近代化否定の神話


  イスラムが近代化を嫌っているのであれば、9月11日まで何故待機していた
のであろうか。オサマ・ビンラディンはその頃、近代性について語るのではなく、
パレスチナとサウジアラビアにおけるアメリカの「ブーッ・オンサグラウンド」
(軍事介入)について非難していた。
  外国からの侵略者に抵抗する人々は、その戦いの理由を光輝にみちたものにす
るために、魅力ある結集の旗印を掲げる。正義を求める国際的階級闘争や、それ
よりも効果的なナショナリズムはいずれも好例である。宗教は至上のもので、目
的を遂行する上で最高のアピール力を持っている。宗教は人種や民族を超越して
いるとしても、特に相手側の宗教が異なっている場合、人種や民族による対立感
情を鼓舞する。

われわれは、テロリズムが弱者によって選択された手段となった時代に生きて
いる。非イスラム社会ではビンラディンが「チェゲバラの後継者」と呼ばれてい
る。それは、イスラムや中東の文化を超越する、支配的なアメリカのパワーに対
する弱者の反撃以外の何者でもないとみられているからだ。
  イスラム抜きでも問題は残り、決して平和はおとずれない。疑いなく、イスラ
ムがひとつの推進力となってはいるが、それは多重的な動機の一つの表層にすぎ
ない。イスラムを問題の根源視することは、説明を簡単でわかりやすいものには
する。世界唯一の超大国のグローバルなフットプリントを追跡するよりも、はる
かに容易であろう。イスラム抜きに考えてみても、世界の衝突と紛争、対抗関係
と危機のこのような様相は、あまり異なるものとはならないであろう。


◇コメント


  本論文のタイトルにはやや挑発的であるが、結論は妥当なものと思われる。国
際的な諸問派生の根源は、政治経済的な要因、なかでも大国と資本の対外膨張、
強者による弱者の圧迫と抑圧に求められるべきものである。宗教やイデオロギー
は、力を結集するための装置として利用されている。集光力のあるレンズで点火
するという例示は、なかなか巧みなものである。
  この論文を読みながら想起したのは、湾岸戦争直後に『エコノミスト』が掲載
した、イスラム教のイマム(導師)とキリスト教の神父による架空の対話であっ
た。
  この対話の中で、イマムは「イスラム教はキリスト教に約600年遅れて誕生
した。この時差を歴史にあてはめ、600年前のヨーロッパ・キリスト教社会をみ
てみたい」とのべている。そして自由、民主主義、女性の権利が当時のヨーロッ
パは不在であったことを指摘する。そしてかつては西欧社会も、今のイスラム社
会との質的相違のなかったことを示唆している。
  今日のイスラム社会がヨーロッパよりも600年遅れているとはいえないだろ
うが、歴史的な比較論は面白い視角である。自由や、権利についての考え方は、
宗教に固有なものではなく、社会的政治的な発展度によるものである。

ジャーナリズムにおける問題の取り扱いは歴史の観点が欠如した短期的な見方
にはしりがちで、ミクロ的な分析に陥りやすい。その意味で、本論文の論理はや
や荒削りなものであるが、ハンチントンの『文明の衝突』以降流行している議論
の死角をうまく突いている。
テレビ時代の解説は、間違っていても、簡単明瞭なものが好まれる。次のアネ
クドートは、お手軽な評論家や解説者に対する痛烈な風刺としてヨーロッパで好
まれている。
  「ある男が夜街灯の下で探し物をしていた。通りがかりの人が、親切にも一緒
に探したが見つからない。そこで男に、ここで本当になくしたのですかと聞いた。
すると男は、何処でなくしたかわかりませんが、ここだけが明るいものですから、
ここで探しています、と答えた。」
                (筆者はソーシアルアジア研究会代表)

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