【コラム】フォーカス:インド・南アジア(3)

インドの本田現地子会社での労働争議(2)

福永 正明


 [第1回]インドの日系自動車工場における過酷な労働状況、現地日系企業・警察・州政府が一体となった労働組合潰しなど、「陰」の部分は伝えられていない。本連載の第1回の2016年3月号より、インドのインターネットでの情報発信マガジン Countercurrents.org に2016年3月6日付けで掲載された「インド労働者連帯センター(Workers Solidarity Center)」による、本田技研工業株式会社が100%出資する二輪車生産・販売現地法人のホンダモーターサイクル・アンド・スクーターインディア・プライベート・リミテッド(HMSI)の労働争議について紹介している。本号では過酷なシフト制、労働組合結成への会社側の攻撃、そして逮捕と拘留、ながびく裁判と労働運動の連帯強化などについて紹介する。

◆◆ <一>

 HMSI第二工場の勤務シフトと休憩は、非常に過酷である。24時間操業のため、4シフト体制がとられており、Aシフト(午前6時から午後2時半)、B1シフト(午後2時半から午後11時)、B2シフト(午後3時20分から24時)、Cシフト(午後11時から午前6時)である。生産の主要シフトは、A、B1、B2が担当する。各シフトでは昼食休憩30分、10分間の小休憩2回が認められているが、勤務時間には含まれない。また定められた就業時間の終了後、残業命令に従わなくてはならない。

 工場ではロボット技術、過酷で単調な肉体労働を組み合わせ、1日に5千台の自動二輪車が生産されている。雇用契約に多くの差異がある労働者たちだが、同一の生産ラインにて過酷な条件のもと働く。秒単位で定められた部品組み立ては、非常に過酷な労働条件であり、337人の労働者がエンジンの生産ラインで「18秒」での作業を強いられている。またフレームの生産ラインでは、600人の労働者が「20秒」に定められた作業マニュアルに従う。厳しい作業時間だけでなく、2人の労働者が作業するべきところ1人しか配置されていないラインもある。もし1人の労働者が、トイレに行き、あるいは、水を1杯飲んだ時には、他の労働者たちが遅れを取り戻すために作業を早めなくてはならない。

 こうした過酷な労働に対して、賃金体系はきわめて低い。社員は約2万ルピー、「訓練生・カジュアルスタッフ」、契約工は1万−1万2000ルピーである(1ルピーは約2円)。この賃金には報奨金も含まれるが、実際にこれらの金額を手にすることは難しい。例えば、労働者が2日間の病欠を取得した時には、4000ルピーが月額賃金から差し引かれる。

 管理職は、日常的に労働者に対する侮辱的な言動を行う。時には、労働者への暴行もあり、本年2月16日の大規模な労働者の反発を引き起こした。それは、ある労働者が病気のため「4日連続の残業命令」を拒否したところ、職長が同労働者の襟をつかんで引き回すという暴行が発端であった。
 また作業中のケガなどにおいても、会社側は工場内での治療のみ認め、労働災害として認めたり賠償などを行うことはない。

 工場への通勤についても、労働者側からの再三の要求にもかかわらず、会社側は何らの便宜も提供していない。このため労働者たちは、民間の小型バスに乗車するしか手段はなく、それは収容乗車人員10人のところに25人も乗ることとなる。そしてこのような危険な通勤にもかかわらず労働者が遅刻した際には、厳しく叱責され賃金カットに直面することとなる。

◆◆ <二>

 このような劣悪な労働環境に対して、労働者たちは2015年8月6日に「労働組合結成届」を州労働局へ提出した。この届には、277名の正社員が署名し、さらに他の「訓練生・カジュアルスタッフ」、契約工たちも全面支援した。
 これに対して会社側は、提出された署名のうち21名は「ニセ署名」であると批判した。だが、批判された労働者たち全員が労働局と裁判所に対して、「労働組合の結成に賛成する」との宣誓書類を提出した。さらに、「労働組合結成」の手順に誤り、あるいは、規則違反があるとして反論、労働者たちの「組合結成」を徹底的に妨害し続けた。ついに会社側は、県民事裁判所において高額の「会社御用達」の反民衆弁護士たちを雇い「結成停止」処分も獲得した。
 こうした攻撃に対して労働者たちは、2015年12月14日に「団体要求書」を労働局と会社に提出した。この要求について労働局は、「12月から2月までのうち4日を交渉日」として指定した。だが、会社側は一度も交渉の場には現れなかった。インドの労働法で認められている「団体交渉」を拒否し、憲法に明記された人としての権利を踏みにじる行為を会社側は続けた。

 会社は、労働者に最も重要なある「雇用」めがけて攻撃を繰り返した。「組合結成」が告知された直後から、すなわち2015年9月から2016年2月までの間、組合結成に熱心で積極的であった800人の契約工たちが契約打ち切りとなった。これら契約工は、正式契約書もなく働いていた人びとであり、会社から最も搾取され、そして最初に切り捨てられたのである。
 契約打ち切りとならなくとも、多くの契約工たちが「白紙」への署名を求められ、それは「契約終了承諾書」として後に使われたのであった。
 労働運動指導者への攻撃も激しく、労働組合委員長に予定されたナレーシュ・クマール氏は、ビハール州の系列工場へ配置転換が命じられた。そしてナレーシュ氏と組合幹部3人らがこれらの異動を拒否した時、会社はこれら4人全員を「解雇」した。その他の組合幹部たちも「警告書」が送付され、さらに「契約打ち切り」の脅しが続いた。会社は、これらの処分が「適正な手続きによる行為」であると主張している。

 労働者の集会は何度も、「地域のボス」の配下にいるならず者たちに襲われた。その「地域のボス」とは工場へ日用品などを納入する業者、修理会社、議員たちであり、多額の裏金を手にして、労働組合潰しを続けた。また警察や治安当局も、労働者やその家族への脅し、尾行などを続け、組合を弾圧した。

◆◆ <三>

 HMSI工場側は、労働者たちに「時間外での無給残業」を強いていた。各シフトの終了時での強制残業が続いた。こうした残業が必要であるのは、増産だけでなく、労働組合結成に対抗した会社による800人の大量解雇が理由であった。

 2016年2月16日、労働者たちの怒りが爆発した。塗装部門のAシフトが終了する午後2時半、「無給残業」を拒否した1人の契約工に対して、「上級監督エンジニア」が暴力や侮辱発言などを繰り返した。その様子は、100人の労働者が一斉に目撃していた。
 実際、この契約工は病気であり、だが連続3日間も残業を繰り返していた。そうした事情を知る監督は、さらに残業を強要した。これに契約工が抗議すると、「上級監督エンジニア」はその胸ぐらをつかみ、喉を押さえ、そして平手打ちした。

 こうした上級監督エンジニア」の行為は、日常的に行われていた。しかし2月16日午後、労働者たちは平和的に団結して厳しく抗議した。さまざまな部門の約2000人の労働者たちが一同に集まり、生産を停止し、「上級監督エンジニア」の不法行為に対する処置を会社に対して要求した。そして同時に、解雇された労働者たちの復職、契約工たちの再契約も要求した。これらの集会は、きわめて平和的に行われ、労働者たちは職場放棄しつつも、整然としていたHMSI会社側は、労働者たちの要求に応ずることなく、大量の警備員を並べた。そして工場への門を閉鎖し、勤務終了のAシフトの労働者たちを工場外へ出さないようにし、続いて勤務する予定のBシフトの労働者たちを門で足止めした。
 地区担当行政官が労使間の仲介のために、門外にいる労働者のうち組合幹部たち5人を工場内に呼び入れ、工場内で会社との交渉となった。しかし午後4時には、工場内に入った5人らとの連絡も途絶し、工場敷地内での抗議集会に参加していた労働者は1700人を超えた。

 そしてHMSIは同日午後7時ころに工場敷地内へ警官隊を導入、催涙ガス弾、さらには実包銃弾も発砲し、労働者たちを襲撃した。ラージャスターン州警察の警官隊が労働者たちに「こん棒での殴打(ラチチャージ)」を続けた。深夜まで警官隊による制圧は続き、60−70人の労働者たちが負傷し、こうした暴行には地域ボスの手下たちや警備隊員たちも加わっていた。また工場の門外に集まり座り込んでいた労働者たちも、警官隊による暴行を受けた。
 同日夜から翌日朝まで、警官隊は組合幹部や集会で発言した主要リーダーたちの捜索を続け、次々と逮捕した。翌17日から3日間、警察による捜索、暴行、逮捕が続き、数百人が拘束され、後に釈放された。
 HMSIは、「労働者たちが機械を破壊した」とし、「最小限の警察力が行使された」と説明する。だが、重篤な負傷した労働者は非常に多く、現場は血の塊で赤く染まったとされる。 
 この衝突では、労働者44名が殺人未遂罪も含めた数多くの重罪容疑により起訴となり、他の42人の労働者は強盗・暴行などにより起訴された。労使間の交渉に努力した組合幹部5人は、2月16日の交渉中に拘束され、23日まで警察署で拘禁となり(この期間、非常に悪質な虐待や拷問が行われたという)、24日からは拘置所に移された。

◆◆ <まとめ>

 労働者の正当なる要求は、本田現地法人、警察、行政などの連携により握りつぶされようとしている。
 2月中旬の労働争議以後、周辺工場地域には治安部隊が駐屯し、徹底的な弾圧を進める。会社側は、地方州で特別採用した労働者たちを用いて工場稼働を強行している。しかし、2000人以上の労働者たちが工場の職に復帰できない。
 こうしたHMSI工場における労働者たちの戦いは周辺工場へ波及し、多くの労働者たちが「連帯」を表明し、3000人を超えるHMSI労働者たちの集会も開催された。そしてHMSI系の各地工場の労働者たちの連携から、「闘争委員会」が結成され、労働運動の全国組織幹部も参加した大争議となっている。
 インド駐在の日本メディア、さらにインド関係の日系企業からは、これら「労働争議」については何の報道もない。スズキの子会社も大きな争議を抱えており、逮捕された労働組合幹部たちは2年以上も獄中にあり釈放も認められていない。

 原発輸出を進める安倍政権に対して、インド現地の反原発運動では厳しい抗議の声が上がっている。それは、「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを経験した日本が、どうしてインドに原発を売るのか!」という叫びであった。さらにいま、労働者たちの「我々を奴隷のように扱い、金儲けがしたいのか!」と訴えられている。
 一般に「日印は仏教を通じて友好関係にある」と語られている。しかし、インドの大地で強くたくましく生きる人びとは、日本の私たちに鋭い視線、「あなたたちは、それで満足ですか!」との問いを投げかけている。

 (筆者は岐阜女子大学南アジア研究センター長補佐)


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