【オルタの視点】

インドはいま —国民の期待裏切るモディ政権—

佐藤 宏


◆◆ 注目集まるインド

 世界経済の牽引役となってきた中国の経済成長が鈍化するなか、世界第二位の人口大国インドの存在に注目が集まっている。2015年度の同国のGDP成長率は7.5%と中国の6.9%を上回った。国際通貨基金などは、暗雲の立ちこめる世界経済にあって、インドは「輝くスポット」だと賞賛している。一昨年2014年春の総選挙で圧勝し発足したインド人民党(BJP)のナレンドラ・モディ政権はこうした国際的な評価に乗りながら、国内では強権的な政治をすすめている。日本の安倍政権もインド市場への進出と対中国の連携を求めてモディ政権との関係を深めている。インドでは今何が起きているのか。「輝くスポット」の実態を探ってみる。

◆◆ モディ政権登場の背景

 モディ首相は1950年生まれ。ヒンドゥー至上主義団体である民族奉仕団に参加し、同団中核幹部として頭角を現すと、2001年には西部グジャラート州の州首相に就任した。2002年2月に、9.11同時多発テロに乗じた反イスラム教徒暴動が同州で発生すると、彼は多数派ヒンドゥー教徒の暴走を放置してイスラム教徒の被害を拡大した。暴動では千人以上のイスラム教徒が虐殺され、少なくとも10万人が暴行や放火で家を追われた。この暴動は、イスラム教徒をおびえさせ委縮させる一方で、州内の多数派であるヒンドゥー教徒の支持をモディ州政権のもとに集中させるという政治的な効果をもった。

 こうして暴動と同年末の州議会選挙で政治的地盤を確実にした後は、内外の大企業誘致のための農地収用を強権的に進めるなど、上意下達の政権運営で成長至上主義の政治をおしすすめた。グジャラート州はもともとインドの工業先進州であったが、財界はモディ政権下のグジャラートを、企業の投資環境が良好な、経済成長のモデル州としていっそう高く評価するようになった。

 いっぽう2003年頃から始まったインド経済の高成長は2008年の世界不況で頓挫した。数年間続いた9%台の経済成長率は2012年度には5%台にまで落ち込んだ。2004年から政権にあった国民会議派の連合政権が、汚職腐敗や政策決定の遅滞で混迷に陥るなか、2014年の総選挙をまえに、インド財界は会議派を見限ってBJPの首相候補となったモディに大々的に肩入れした。

 この選挙では、潤沢な企業献金にものをいわせたキャンペーンが、北部インドを中心に選挙民の期待を巻き起こし、BJPは1989年以来絶えて久しい連邦下院での単独過半数を獲得した。この大勝は小選挙区制にも支えられたもので、同党の得票率は31%にすぎなかった。その後の約2年間、モディ首相はどのような政治を行ってきたのだろうか。

◆◆ モディ政治の特徴、その1 —ヒンドゥー至上主義—

 モディ政治の第一の特徴はヒンドゥー至上主義である。1947年の独立時に、英領インド東部(現在のバングラデシュ)と北西部(現在のパキスタン)のイスラム教徒多数地域がパキスタン国家として分離したことから、独立後のインド国内には、イスラム教徒への反感を煽るヒンドゥー至上主義団体が国民の間に一定の支持をえてきた。その代表格が「文化団体」を標榜する民族奉仕団である。インド語名の頭文字をとって略称RSSという。RSSの目標は独立後のインドを多数派中心の「ヒンドゥー国家」として純化することであり、マイノリティのイスラム教徒やキリスト教徒らを迫害してきた(下表参照)。こうした活動を支える政治的後ろ盾としてRSSが育ててきた政党が、今日のBJPである。

(表)インドの宗教別人口(2011年センサスから)
  http://www.alter-magazine.jp/backno/image/148_01-8-01.jpg

 モディの勝利はRSSの活動にまたとない機会を提供した。政権発足直後からRSSとその支持者らは、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の交際や通婚に反対し、「マイノリティに対してヒンドゥー教徒への改宗を迫り」、はてはヒンドゥー教徒が神聖視する牛の屠殺と牛肉食の禁止を叫んで、各地でイスラム教徒やキリスト教徒を攻撃し、宗教暴動を誘発した。モディ首相はこうした末端の暴力的な反マイノリティ活動を表立って批判せず、事実上容認してきたのだった。

◆◆ モディ政治の特徴、その2 —成長第一主義—

 第二の特徴はグジャラート州首相時代と同様の成長第一主義である。中央の政権を握ったBJPはグジャラート州の政策をモデルに、土地収用手続きの簡素化、労働者や労働組合の権利を制限する労働法の改正などの「改革」を、中央政府、州政府一体で推し進めてきた。インドの29州のうち、デリーからムンバイにいたるインドの先進工業州は、現在そのすべてがBJPの州政権下にあり、「改革」の先導役となっている。そのうちのひとつ、首都デリーに隣接し、マルティ(スズキ)、ホンダなど日系企業の集中するハリヤナ州では、労働争議に警察が即時出動できるよう、工業団地に警察署を付設することまで考えはじめた。

 成長第一主義の最大の犠牲は農業部門である。経済成長への農業の貢献度が低下するなかで、依然として人口の7割を占める農村人口への対策は軽視されている(下図参照)。

(図)インド経済に占める農業の比重(2015−16年度エコノミック・サーベイ他)
  http://www.alter-magazine.jp/backno/image/148_01-8-02.jpg

 モディ政権は発足後早々と、農民からの土地収用手続きを簡素化する法案を提出したが、農民の強い反発をひきおこした。また農村の貧困層向けの雇用創出事業の規模も縮小された。西部、南部の比較的先進的な農業地帯でも、干ばつや異常気象、さらには農産物価格の下落で、破産においこまれた農民の自殺がとどまるところを知らない。

 農業不振のいっぽうで、製造業の雇用も増えないため、繁栄しているIT産業などに必要な技能をもたない青年層は職につけない。政府や公共企業も1990年代から一貫して雇用者数を減らしてきたために、この部門でも参入競争がいちだんと激化している。最近では、中・上位カーストに属する農民層の子弟が、従来は低カーストの人々だけに提供されてきた公的雇用の優遇割当(インドではリザベーションと呼ばれる)制度の適用を求める激しい運動をくりひろげている。皮肉にもモディ首相のお膝元であったグジャラート州がこうした運動に先鞭を付けたのであった。経済成長の「モデル州」は雇用創出の「モデル州」ではなかった。青年層の雇用問題はモディ政権のアキレス腱というべきであろう。

◆◆ モディ政治の特徴、その3 —首相府の集権政治—

 モディ首相は、経済政策だけでなく、グジャラート州首相時代の政治手法までそっくり中央政治にもち込んだ。政策決定の中枢となっている首相府には、州首相時代に重用した官僚や技術者をそのまま横滑りさせた。省庁幹部の任命には、首相の意向が強く反映されるようになり、行政の指揮系統を無視して首相府がしばしば部局の運営に直接口をはさんでいる。

 また州首相時代と同じように、ツイッターなどによる発信にはたいへん熱心ないっぽうで、記者会見や議会などでの公式の説明手続きは極力省いている。国営ラジオ放送では、1カ月に一度の「首相講話」番組が設けられた。土地収用手続きの簡素化法案などは、農民の強い反対にあって撤回せざるをえなかったが、その決定は議会ではなく、この「首相講話」で国民に知らされた。為政者に都合のよい一方通行的な情報発信は議会の形骸化につながっている。

◆◆ 親密度を深める日印両政権

 また、ひんぱんな外国訪問もモディ政権の重要な特徴であった。外国投資を呼び寄せ、インドの「大国化」をアピールするためである。就任後1年間で19カ国を訪れ、合計55日間を費やした。周辺諸国に限らず、ヨーロッパ、南北アメリカ、日中韓などの東アジア諸国など、アフリカ以外の全大陸に足を伸ばした。

 日本の安倍政権もインド市場への進出と対中国政策での同調をもとめてモディ政権と親密な関係を作り上げている。2014年9月にはモディ首相が来日し、翌年12月には安倍首相が訪印した。この訪印では原子力協力協定について原則合意に達し、NPT非参加国のインドに原発を売り込むという、核廃絶とは相容れない政策を公然と推進した。またアーメダバード・ムンバイ間の高速鉄道(新幹線)導入も合意された。中国を意識した軍事面での連携も目立つ。安倍訪印時には、印米間の海洋演習への日本の参加が合意され、インドの兵器市場参入につながる日印防衛装備品・技術移転協定が締結された。いっぽうモディ首相からは安倍内閣の安保法制への賛意が表明されている。

◆◆ 陰りはじめた「モディ人気」

 モディ政権下でのヒンドゥー至上主義の跳梁や雇用創出の失敗、そして集権主義的な政治手法に対する不満はさまざまな形で表面化しつつある。

 第一はBJPに対抗する野党の反撃、さらには野党間の選挙協力の動きである。モディ政権発足直後の2014年に実施された4州の州議会選挙では、BJPはモディ人気のもとに連戦連勝の勢いであった。しかし、翌2015年2月に行われたデリーの州議会選挙では前々年に結成された新党、庶民党が圧勝した。また10月のビハール州議会選挙では、主要野党が選挙協力をおこなってBJP連合を破った。2016年には、ケーララ、西ベンガルというインド共産党(マルクス主義)など左翼政党が強い州での議会選挙結果が注目される。

 第二は農村部でのモディ政権への反発である。とくに土地収用法改正案の挫折はモディ政権への痛手となった。インドの農業は2年続きの干ばつに見舞われており、農業、農村部を軽視するモディ政権への不満がうっせきしている。あるBJPの与党州で、本年2月にモディ首相直々の出席のもと20万人からなる農民集会が開かれたが、この種の集会で恒例となった「モディ、モディ」のかけ声は聞かれず、政権を賛美するスローガンへの唱和を求められた会場は静まりかえってしまった。

 そして第三に、モディ政権と知識人や学生との溝も広がり始めている。モディ政権は発足以来、環境や人権NGOを敵視してその活動を妨害してきた。国際NGOグリーン・ピースはインド国内での活動停止に追い込まれた。さらに高等教育機関や政府系研究機関の人事にもさかんに介入して、BJPやRSS寄りの人物を要職につけている。首都にある名門のジャワハルラール・ネルー大学(略称JNU)では、RSS系の学生団体が大学自治会役員や学生団体の言動を監視し、彼らによる「でっちあげ」の通報を根拠に、反国家「煽動罪」で学生が検挙されるという危険な動きも表面化している。この事件をきっかけに、モディ政権とRSSは公立大学での国旗掲揚義務化や、「母なるインドに勝利あれ」という愛国主義スローガンの国民への押し付けを強めている。JNUをはじめとする全国各地の大学では、教師・学生一体となった人権と大学自治擁護の運動が続けられている。

 「モディ人気」の陰りにあせるかのように、政権による民主主義への攻撃は、ますますあからさまになっている。

 (筆者は南アジア研究者・元アジア経済研究所研究員)

※(本記事は日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会機関紙『アジア・アフリカ・ラテンアメリカ』2016年4月1日号掲載の文章に加筆したものである。転載を快諾された同紙編集局に深謝します —佐藤宏)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧