■【オルタのこだま】
 ≪原発ゼロを目指して≫     梶 光雄

オルタ101号~近藤昭一・阿部知子対談を読んで


「オルタ」101号を興味深く読ませていただきました。拝読しての感想を次に
メモしました。変な奴と思われる部分があると思いますが、技術で飯を食ってきた
人間の、どうしても一言申し上げたいことがあるとご理解下さい。

 羽原・近藤・阿部「原発ゼロを目指して」を拝読して、どうもしっくり来ない
ところがあります。いろいろ引っかかる点を繰り返し思い返していましたが、口
から出放題のコケ徳利で、蟠るものを吐き出してみました。吐き出したいものは
3つあります。私自身は新聞社→製造メーカ→大学教師と職業を点々とした理系
の人間です。

 第1は、国会、東電、独立調査委員会などの報告書は勿論、羽原・近藤・阿部
3氏の対談を拝読しても、底流として、山下清流の表現をすれば「兵隊の位、兵
科の差」の意識が存在し、それに則った行動、発言、思考が目につき過ぎるとい
うことです。

「東電会長、菅氏批判 国会事故調 トップの責任認めず」5/15
「東電の真意「全員撤退」海江田氏、国会事故調で証言」5/18
「情報発信国民とずれ 国会事故調 枝野氏、反省の弁」5/28
「菅氏 国に責任、おわび 国会原発事故調 個別には反論」5/29

 いずれをとっても、やるべき立場(自分達で作ったルール上で)の人間がやる
ことをしっかりやっていない、の主張ばかりしている腹立たしさです。

 第2は、福島原発に関わった政治家・行政の幹部・東電の幹部は、人間の作っ
た社会のルールから隔絶した「神的存在」として、人間の英知をもってしても全
く抵抗し難い「物理法則」に対する畏敬・畏怖の感情をもたないのだろうか? 
「そのような人間にリーダ顔をされて取り仕切られることに恐怖を感じる」、と
表現できるでしょうか。

 理系の高等教育を受けた人間は、数学・物理学あるいは化学を学ぶうちに自然
に「神的存在としての自然法則」が何者にも最優先するものであることを頭に刷
り込まれます。 福島原発事故で、国のリーダ(官邸・東電)の中で、原子炉の
暴走は「自然法則」の冷厳な進行であると意識できたのは、菅総理だけだったの
ではないでしょうか。

 まともな情報が上がってこない状況で、責任者が「自然法則」進行の現場を見
るということが最重要優先事項です。何を置いても現場を見て、が理学・工学屋
の信条です。 彼の視察とそれに続く行動が、文系の人間には狂気と思われる行
動を伴なっていたかもしれないが、危うく事故を、一時的かもしれないが冷温状
態の現況に止め得たように思えてならないのです。

 企業で社長が視察にくれば先ず応接室に通して担当者を呼びつけます。東電は
国難時でも「兵隊の位」にこだわったのでしょう。

 東電の勝俣恒久会長は参考人として国会の事故調査委員会で証言した際、「事
故対応の責任者は社長、現場の最高指揮官は発電所所長」と言い、「菅氏らの福
島原発の吉田所長に直接指示したことを、時間をとられたということは芳しくな
い」と批判をのべているが、誰が総理に所長を伺候するよう命じたのでしょう。
これでは普通の企業の社長を工場に迎える感覚での応対で、事故の重大さへの認
識が全くない。

 第3は、介在者が理解できない内容の情報は、正しく伝達できない、というこ
とです。海江田経産相が、現場は「情報伝達ゲーム」のようであったと証言して
いるが、当事者の質が大事で、内容を理解できない人間が1人、間に介在すれば、
伝達されたものは情報ではあり得ないのです。

 昔、東海村でウランの臨界事故を起した際、NHKの三宅アナウンサーの深夜
臨時放送で事故が報道された。聞いている間に臨界事故であることは推察できま
したが、事実関係の判然としない放送が続いたことがあります。今回の枝野官房
長官の発表も、肝心の原子炉がどうなっているか、判然としない放送が続きまし
た。核反応を理解できる官房長官なら、もう少しメリハリの聞いた発表ができた
のではと思う。

 否、3月11日の東電福島の操作室にテレビを入れて雰囲気を中継すれば、視
聴者はそのレベルに応じて事態を官邸以上に正確に理解したのにと思うのです。
国・国会の要請にも抗して、何とかして当日のビデオを隠したい東電幹部のド厚
かましさも判ったのですが。

 とにかく(原理・動作も理解できない)閣僚が原子力発電の「安全」を保証す
るというような発言は間違っています。

 安全を保証できるのは、装置の製造・運用者だけで、それも災害リスクを伴う
安全を保証できるだけです。政府はメリットを国民に提供すると共に、リスクを
前提に「安心」を担保するのが仕事と考えます。

 原発で言えば、最悪の場合、汚染地域を棄てて移住し、別の場所に新しい町を
起こすることも含めて国民に安心を保証し、実践することだと思います。
             (筆者は理系・大学教師)

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