【コラム】槿と桜(113)

キャッシュレス社会・韓国

延 恩株

 つい最近、銀行に行った際、買い物は現金ではなくカード支払いが便利で、安全だと宣伝している映像広告が目にとまりました。日本ではカード支払いがまだ浸透していないことは、日常の買い物で私自身、現金払いをしていますし、カード払いをしている人の割合がまだ少ないのでわかります。
 一方、韓国は世界でもっともカード支払いが進んでいると言われています。昨年夏のこと、コロナ禍で4年間ほど韓国に戻っていなかった私は久しぶりに帰国しました。ところが空港から出たとたんに現金が使えないことに戸惑い、韓国はこの4年間でキャッシュレス化がさらに進んでいることに気づかされました。

 韓国でのキャッシュレス化は95%を超えていると言われていて、それだけカード利用ができる店や機関、組織が非常に多いということになります。スーパーマーケットや個人商店、コンビニエンスストア、デパートなどでの買い物はもちろんのこと、タクシー、電車・バスなどの乗り物、病院、銀行、公共機関への支払い、それに食事も、ありとあらゆるところで現金なしで行動することができます。
 韓国では、年商が約240万円以上(月商にすれば20万円ほど)ある小売業はカード支払いを導入することが義務づけられていますから、ほとんどの商店でカード支払いができるわけです。ただし、店舗を持たない屋台や露天での商売、ごく小規模の商店、さらに地方にある商店などではカード支払いができない場合もあります。

 韓国でこれほどキャッシュレス化が進んだ経緯ですが、1997年7月にタイの通貨バーツの為替相場が暴落して、マレーシア、韓国、インドネシアなどアジア各国の通貨にも影響が広がりました。その結果、景気が一気に悪化してタイ、韓国はIMF(International Monetary Fund、国際通貨基金)の管理下に置かれてしまいました。それだけ国際収支が悪化してしまったわけです。
 韓国では当時、金泳三(김영삼 キム・ヨンサム)第14代大統領によってグローバル経済に対応させるとして経済の世界化が推進されていました。しかし、強引な金融の自由化、市場開放、合理化を実行していたため、為替相場暴落によって経済成長率はマイナスに落ち込み、失業率も9%近くになって経済危機に直面してしまいました。

 1997年12月の大統領選挙で当選した金大中(김대중 キム・デジュン)第15代大統領は翌1998年からその処理に当たらざるを得なくなりました。結局、IMFの求める緊縮財政、規制緩和、公共事業削減などを行うことを条件に融資を受けて経済立て直し政策を進めました。
 韓国のキャッシュレス化はこの時の経済危機をきっかけとして政府主導で始められたのでした。いわば国の経済を立て直さなければならず、追いつめられて進められた一つの政策だったのです。そのためこのキャッシュレス化推進の目的は、はっきりしていました。目的は以下の2点でした。

●「個人消費を増やすこと」→ たとえ手持ちの現金がなくても物品の購入ができますし、銀行が身近になくても、またあったとしてもわざわざ預金を下ろしに行く手間も省けます。
●「脱税を防止すること」→ 物品購入などの記録がすべて残りますし、お金の動きも追跡、把握できます。

 上記の「個人消費を増やすこと」、「脱税を防止すること」は政府の経済運営を良好にするための政策ですから、国民の立場からすれば余計な政策ともなり得ます。そこで韓国政府は、このキャッシュレス化を推進するため、国民がカード支払方式に変えると〝得になる〟と思える政策を打ち出しました。それが次の3政策でした。

●所得控除政策→ カード支払い額が年収の4分の1を超えた分(たとえば年収が600万円であれば150万円を超えた金額)に対して、その20%(たとえば超えた金額が40万円であれば40万円×0,2=8万円)が約30万円を上限に所得から控除する制度です。
 年収の4分の1を超えることが条件ですが、現金支払いよりカード支払いの方が税金が少なくなるというのは国民からすれば魅力を感じるに違いありません。なお現在は控除率は20%から15%に引き下げられています。

●宝くじ券の取得権を与える→ カード支払いをしたとき、その金額が約1000円を超えるレシートに宝くじの抽選番号が記されていて、自動的に宝くじ券が手に入るという制度です。
 宝くじの抽選は毎月1回で、当選金は約1億8千万円と高額です。日常の買い物でカード支払いをするだけで、毎月〝わくわくドキドキ〟感が味わえることは国民をキャッシュレス化に向かわせる強力な手法だったと言えます。

●年商約240万円以上の小売店にキャッシュレス決済の対応を義務化→ 上述しましたように月商が約20万円ですから、支払う側からすればほとんどの小売店でカード支払いができるようになっています。
 ここにはカード支払いをする消費者への便宜と同時に営業者側の小さな脱税も可能な限り防ごうとする政府の意図が窺えます。

 韓国でのキャッシュレス決済では、クレジットカード利用が多く、銀行発行のクレジットカードには、Shinhan カード、Woori カード等々があり、会社発行カードには、Samsung カードや現代カード等々があります。そのほかによく利用されているのが「チェックカード」です。通常のクレジットカードは日本と同じようにカード支払いをしてから実際に口座から引きおとされるまでに期間があきますが、「チェックカード」は現金と同様に扱われるカードです。そのため、このカードでは利用するとすぐに口座から引き落とされます。乗り物にも利用できますし、ATMから現金を下ろすこともできます。

 さらに「Tマネーカード」、「ゼロペイ」などと呼ばれるものもあります。
 「Tマネーカード」は地下鉄などの鉄道や、バスなどの交通機関で使用されるもので、たとえば日本のJR東日本の Suica(スイカ)や関東地方とその近県で使える PASMO(パスモ)と似たようなカードです。日本のこうしたカードは交通機関での利用だけでなく、スーパーマーケットやコンビニエンスストアや自販機などでも利用できますが、「Tマネーカード」も同様です。

 「ゼロペイ」は、ソウル市が2018年12月に開始したQRコードを利用して決済するもので、日本の PayPay と似ています。クレジットカード決済では小売店に手数料負担がかかり、小規模店ではその負担の割合が大きいことから、決済手数料が抑えられる「ゼロペイ」が導入されました。消費者は年収の4分の1を超えた「ゼロペイ」決済額の40%が所得控除され、カード決済よりずっと控除額が高くなっています。またこの「ゼロペイ」が小商工業者を対象として、小売業者が負担することになっている利用料負担を軽くすることが目的とされています。つまりクレジットカードのように中間事業者が存在しないため、直接アプリベースで決済できるわけです。
 ただカード決済が多数を占める現状では、まだこのシステムを利用する人は少数のため政府は所得税の控除率を40%と高くして利用者の拡大を狙っていると言えるでしょう。

 なお韓国でのクレジットカードは「VISA」、「Mastercard」、「JCB」、「American Express」、「銀聯(ぎんれん)」が代表的です(日本でもおなじみのカードがほとんどですが「銀聯(ぎんれん)」は中国を基盤としたカードで日本での利用率は他のカードに比べると低いようです)。さらに上記のカードだけでなく、多くの銀行が発行するクレジットカードも利用されていますから、多種多彩なクレジットカードが使われていると言えるでしょう。

 韓国のキャッシュレス化が急激に進んだのは政府が強く主導し、国民にとって大きなメリットとなる政策を導入したからです。
 でも日本でのキャッシュレス化は韓国に比べるとはるかに進んでいません。もちろん、若い人を中心にカードやスマホ決済を積極的に行っている人も増えていますが、決して急激な増加とは言えません。
 今後、日本がキャッシュレス化を徹底させようとするならば、どこでも誰もが簡単に利用できる仕組みを作る必要があるでしょう。また、現在のようなポイント付与程度ではなく、国民にキャッシュレス化によってもたらされる大きなメリットを一時的な施策としてではなく、長期の制度として政府が打ち出さないと、韓国のようなキャッシュレス化社会にはならないと見ています。

 ただし忘れてならないことがあります。それはキャッシュレス社会は現金の持ち合わせがなくても買い物などができて便利かもしれませが、キャッシュレスの生活とは、銀行に預金があってこそ成り立つということです。

大妻女子大学教授

(2024.2.20)
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