【アフリカ大湖地域の雑草たち】(36)

キンシャサから―

大賀 敏子

 ふつうのホスピタリティ 

 定員5人のトヨタ車(RAV4)に7人が乗り込んだ。車はドアを閉め発進した。キンシャサ(コンゴ民主共和国首都)の住宅街、日が暮れ、商店の照明があたりを照らし始めたころだ。
 日本人のコンゴ(民)渡航には、事前にビザを取得する必要がある。ビザのためには、現地の人か団体か、ホストが必要だ。筆者のキンシャサ訪問が実現したのも、ホストしてくれる人がいたおかげだ。
 この日筆者はホストの自宅を訪ねた。仕事や暮らしのこと、これからの希望、国の歴史と将来など、家族と親戚たちから生の声を聞かせてもらった。マーケットで野菜とビーフを調達し、日本のカレールウをあわせ、「日本の家庭料理です」とカレーライスを作った。ルウはナイロビ訪問者のお土産で、大事にとっておいたものだ。
 始めは数人だったが、カレーができたころには10数人くらい、食事が済んだころには、さらにその2、3倍の人が集まってしまった。カレーをもらおうというのではない。あいさつに来てくれたのだ。
 冒頭の7人の内訳は、運転手、筆者、筆者のホストとその補佐の4人のほかは、“戦い”に勝ち抜いて車内スペースを確保した3人で、みな20歳前後だ。“戦い”とは、その場にいた者のうちいったい誰が、筆者をホテルまで見送るという“栄誉”にあずかるのか、だ。誰かが助手席に乗ると別の誰かが引っ張り出し、引っ張り出された人はあきらめず後部座席にいる人の膝の上に体をねじ込む、という具合だ。
 筆者の来訪が特別だったわけではない。人々は人なつっこくて、お客さんが好きで、くるくるよく笑う。そんな彼らにとっては、こうするのが普通の接客態度であり、喜びの感情表現なのだ。
 
 音楽も、サッカーも
 
 この小さなエピソードが示すように、コンゴ人は、一般に、感情表現が豊かだ。ノリが良い、と言ってもいいだろう。
 ほかにもある。たとえば、音楽だ。五線譜を読める人ばかりではないが、リズム感と音感とセンスで楽器を操る。そんなピアニスト、ギタリスト、ドラマーを、歌とダンスの人々が層をなして取り囲む。その熱気、エネルギー、強烈さ、迫力は、ケニア人から見ても桁違いで、「コンゴ人はかっこいい」と言う。
 別の例は、サッカー観戦だ。これは外務省の安全情報にあったものだ(2024年2月8日付け)。サッカーのアフリカ・ネイションズカップが開催中(場所はコートジボワール)で、この日、キンシャサ時間午後9時から、コンゴ(民)代表チームとコートジボワール代表との試合が予定されていた。これに関連し、
 「注意喚起
 試合内容や結果によっては、TVで応援していたコンゴ(民)のサポーターが突如興奮し、暴力的な行動、さらに治安当局との衝突に発展する可能性がありますので、試合中や試合後には大勢の人が集まる場所等には近づかないようにして、慎重な行動を心がけてください。
 在コンゴ民主共和国日本国大使館」
 
 力と思惑が動く舞台
 
 コンゴ民主共和国は大国だ。アフリカ大陸中央部、大陸ではアルジェリアに次いで2番目の面積(234.5万平方キロメートル)を占める。コンゴ川はアマゾン川に次いで世界第2位の流域面積で、幅は10キロを超えるところもある。ダイアモンド、金、銅、コバルト、コルタンなどの鉱物資源に加え、豊かな森林資源を持つ。推定総人口は概ね1億人で、それも圧倒的に若い(地図参照-ウィキペディアから転写)。
Congo map
 コンゴ(民)は大湖地域の核である。そして大湖地域は世界でもまれにみる、流血の一帯だ。「アフリカの年」と呼ばれる1960年からだけを見ても、60年代初頭のコンゴ動乱、60年代、70年代のルワンダとブルンジでの紛争、1978-79年のウガンダ・タンザニア戦争、1975-2002年のアンゴラ内戦、1994年のルワンダのジェノサイド、1996-1998年、1998-2003年のコンゴ戦争、など。この間、4人の国家元首と一人の国連事務総長が、いずれも現職で命を落とした。
 キンシャサはそんな国の政治的首都だ。つまり、この街こそ、大湖地域の政治と思惑と利権と資金とが動く、その舞台だ。人類史に永遠に残る、理不尽としか言いようのない紛争は、こうしているいまでも、人々に多大の犠牲を与え続けている。
 ところが来てみると、なんということはない。キンシャサは、エネルギーにあふれ、カラフルで、ごちゃごちゃして、埃っぽくて暑い、よくあるアフリカの街だった。ごちゃごちゃ具合では、だいぶ前のケニアのナイロビ、ちょっと前のタンザニアのダルエスサラームとイメージが重なる。
 戦争とか悪意と言ったものは、おそらくみなそうなのだろう。一見、平和でごく普通の街で、あたり前の都市生活という隠れ蓑をまとった誰かによって、仕組まれ、巧みにコントロールされる。
 
 夜通しリンガラ音楽
 
 5月17日(金曜日)は、国民の祝日だ。近所の集会所だろう、大音量のスピーカーから流れるリンガラ音楽に合わせ、人々の生の歌声が、前夜から始まった。東アフリカにはスワヒリ文化があるが、コンゴにはリンガラ文化がある。リンガラ音楽は、コンゴ人が生み出し、確立したジャンルだ。
 ナイロビだったら騒音被害だと問題になっていただろうが、キンシャサには規制がないのか、これを書くいま午前4時、音楽はまだ続いている。
 (キンシャサにて)
 ライター・ナイロビ在住

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 アフリカ最高峰キリマンジャロ山。頂上の万年雪の減少が懸念されている。ナイロビからキンシャサへ向かう機中で撮影。
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 キンシャサ市内のルムンバ像。その下にはルムンバの“棺”。ただし、安置されているのは、2022年ベルギーから返還された金歯のみ。遺体は1961年の暗殺直後、硫酸で消失した。
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 ルムンバ像が見下ろす“ルムンバ通り”。国際空港につながる。
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 国立博物館。コンゴ国旗の隣は支援した韓国国旗。
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 車、オートバイ、オート三輪、徒歩が混在。
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 できがったカレーライス。
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 食事中。
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 あっというまに人が集まる。それも若者が多い。

(2024.5.20)
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