【アフリカ大湖地域の雑草たち】(32)

コンゴの2023年選挙

大賀 敏子

I 歴史的選挙 

 当たり前ではない
 
 先稿(『アフリカ大湖地域の雑草たち(31)』(オルタ広場2023年11月号)で言及したが、コンゴ民主共和国は、先般(2023年12月20日投票)大統領選挙を実施し、フェリックス・チセケディが再選された。他の立候補者たちは、違反があったとして再選挙を主張しているものの、裁判所(Constitutional Court)が確認した(2024年1月9日)ことで、この結果は制度上確定した(本稿は、1月10日時点での情報)。

 発表によるとチセケディの得票率は73パーセントで、次いで、Moïse Katumbi元カタンガ州知事、Martin Fayulu元石油会社社長が、それぞれ、18パーセント、4.9パーセントだった。2018年ノーベル平和賞受賞として知名度の高いDenis Mukwege医師の得票率は1パーセントに及ばなかった。
 さまざまな意味で歴史的選挙だ。大統領選と同時に、国会・州議会・市町村協議会それぞれで選挙が行われたが、市町村レベルは現行憲法(2006年憲法)下で初めて、在外コンゴ人に投票権があったのも初めてとのことである。
 予定どおりに選挙が行われたという意味でも歴史的だ。前回2018年12月の大統領選挙は2年遅れた。
 選挙というものは、「できて当たり前」ではけっしてない。
 
 史上初、史上初
 
 再選されたチセケディ大統領は、2019年1月に就任した。その前任のジョゼフ・カビラ大統領就任は2001年1月だが、これは在職中に暗殺されたローラン・カビラ(ジョゼフの父)を後継したものだ。2006年の選挙でジョゼフが信任されたとき、彼はコンゴ史上初めて選挙で決められた大統領となった。このとき根拠となった2006年憲法は、複数政党制を再導入したものだ。再導入というのは、1960年の独立時、ルムンバが首相に選出されたのは複数政党制だったためだ。ジョゼフは2011年に再選された。
 ローラン・カビラの政権掌握は、1997年5月、近隣国の軍事支援を受けて首都キンシャサを制圧し、大統領就任を宣言したものだ。同時に追放されたのが、コンゴ動乱を戦い抜いて30年超君臨した、あの有名なモブツだ。
 かくて、5年前のチセケディ就任は、コンゴ史上初の、選挙による政権交代だった。もっとも結果をめぐっておおいにもめた。投票前も後も、水面下の調整がいかに難しかったか、想像に難くない。
 
 (註1)モブツ政権後のコンゴ政治略歴
 1997年5月 ローラン・カビラが首都制圧・大統領就任、モブツ国外逃亡、ザイールからコンゴ民主共和国へ国名変更
 2001年1月 ローラン・カビラ大統領暗殺、息子のジョゼフ・カビラが後継
 2002年 プレトリア和平合意、2003年暫定政権成立
 2005月12月 憲法草案に対する国民投票、2006年2月新憲法公布
 2006年 大統領選挙、2006年12月ジョゼフ・カビラ大統領就任
 2011年12月 大統領選挙、ジョセフ・カビラ大統領再選
 2018年12月 大統領選挙、2019年1月チセケディ大統領就任
 
II ロジ問題
 
 シナリオ
 
 コンゴは広い(234.5万平方キロメートル)。アフリカ大陸ではアルジェリアに次いで2番め、西ヨーロッパ全体とほぼ同じ面積だ。国内に1時間の時差がある。
 シナリオはこうだった。全土26州に住む有権者数は4400万人で、各自事前登録(2022年12月から2023年4月、新たに導入されたバイオメトリックス登録)し、顔写真付きの有権者カードを発行される。投票所はおよそ75000ヶ所で、それぞれ有権者リストを作成する。投票日には、投票所ごとの有権者リストと、各自所持する有権者カードとが照合され、一致した者だけが投票できる。投票結果は首都でとりまとめ、発表される。
 このプロセスを取り仕切るのが、CENI(Independent National Electoral Commission)、日本でいう選管だ。
 なお、推定総人口は概ね1億人(外務省コンゴ民主共和国基礎データでは9901万人(2022年、世銀))であり、有権者はこの約半分でしかない。若い国である。
 
 大前提がない
 
 選挙には平和が大前提だが、必ずしもこれが全土で確保されているとは言えない。たとえば、外務省が日本人のための安全情報で赤く塗りつぶしているエリアだ(地図参照)。「他国軍の侵入や難民の流入による治安悪化に加え、反政府武装勢力による地元住民の虐殺や誘拐等の発生が報告されています。同地域への渡航はどのような目的であれ止めてください。また、既に滞在されている方は直ちに退避してください」とある。該当州の選挙は公式に延期、議席は保留とされた。影響を受けた有権者は150~170万人と推定される(Africa Centre for Strategic Studies, 2024, “Elections in the Democratic Republic of the Congo: A Persistent Crisis of Legitimacy”, by Paul Nantulya, 4 January 2024)。
 さらに、投票日12月20日にかぎり、24時間、陸と空の国境が閉鎖された(ただし定期国際便は通常運行)。これも隣国との緊張関係のためだ(Daily Nation, 2023, “DR Congo shuts borders on election day amid rigging claims”, 20 December 2023)。
画像の説明 
外務省「コンゴ民主共和国の危険情報」

 シナリオどおりではなく
 
 こうして迎えた投票日だが、シナリオどおりには必ずしもいかなかった。CENIは投票日中に、翌21日まで投票を延長すると公式に発表した。準備が間に合わなかったためだ。一部ではさらに数日も投票が続いた。遅れどころか、投票所が開かなかった場所もある。選挙機材の不具合・故障、有権者リストや投票用紙の紛失なども報告された。
 ロジの問題は以前から懸念されていた。たとえば、選挙戦開始目前(10月31日)、現職を除いた大統領候補者6人が連名で緊急声明を出した。有権者リストを早急に公表せよ、有権者カードが判読不能、どこに投票所があるのか不明、といった趣旨だ(Reuters, 2023, “Congo presidential candidates call for urgent measures to ‘save’ election”, 31 October 2023)。
 投票後は、内外から公正性について調査すべきだとの声明が出された。在コンゴ・アメリカ大使館の声明(2024年1月1日)、選挙を「巨大で組織化された無秩序」と描写したキンシャサのカトリック大司教(Catholic Archbishop of Kinshasa, Cardinal Fridolin Ambongo)(2023年12月24日)は、それぞれ国外、国内の代表例だ。
 
III 国際協力
 
 選挙監視
 
 有権者、候補者、CENIのほかに重要なアクターがいる。選挙監視員だ。海外からは、アフリカ連合、国連のほか、アメリカのNGOであるカーター・センターなどが監視に当たった。
 普通なら熱心に参加するのに、今次見当たらなかったのが欧州連合(EU)と東アフリカ共同体(EAC)だ。どちらもCENIの承認(accreditation)が下りなかった。つまり、「頼まれなかったので監視できません」。しかしこれは表向きの説明にすぎない(The Reuters, 2023 “EU cancels Congo election observation mission”, 30 November 2023; The Washington Post, 2023, “Congo's elections face enormous logistical problems sparking concerns about the vote's credibility”, 18 December 2023; Daily Nation, 2023, “Why EAC won’t send observers to DR Congo’s elections”, 19 December 2023)。
 EUは、「不可抗力のため」首都の技術者数名を除き、フィールド監視員の撤退やむなしと声明を出したが、これは11月30日のことだ。EACの不参加発表は12月18日だ。それぞれ投票日の20日前、2日前で、いわばドタキャンだ。
 
 選挙監視の根拠
 
 選挙は一義的には国政のことがらだ。であるのに、なぜ外国がしゃしゃり出てくるのか。それは、公正で自由な選挙について、国際的な共通理解があるためだ。
 一つは、1945年国連憲章の第1条第2項「人民の同権と自決の原則(principle of equal rights and self-determination of peoples)」、もう一つは、1948年世界人権宣言の第21条第3項にある、統治権力の基礎は人々の意思で、それは選挙で表明されなければならぬという原則だ。さらに、これらの原則を大きく前進させたのが、1960年、世界を覆った脱植民地の潮流のさなかに採択された「植民地と人民に独立を付与する宣言」(1960年12月14日総会決議1514(XV))だ。
 これらの原則を、より具体的な行動指針の形に示したのが、2005年「Declaration of Principles for International Election Observation and the Code of Conduct for International Election Observers」だ。アフリカ連合、欧州委員会、国連事務局など22機関が支持(endorse)している(2005年12月27日)。
 
 アフリカ連合
 
 アフリカには各国が互いに選挙を監視しあう仕組みがある。その中心はアフリカ連合、および、その前身のアフリカ統一機構だ。ランドマークは、1989年のナミビア国民投票、1994年南ア選挙で、前者は南ア支配からの解放と独立、後者は初の非白人政権成立をもたらした。
 1960年「アフリカの年」前後から、大陸の東西で旧英仏領諸国が順に独立を果たし、旧ポルトガル領諸国がこれに続いた。こうしたなか、南部アフリカの解放は愁眉の課題であった。1984年アフリカ統一機構が採択した宣言(1984年11月15日アジスアベバで採択)に、南アとナミビアの解放なしにアフリカ全体の解放はないと特記されているのはこのためだ(パラ7)。
 つまり、20世紀後半以降のアフリカにとって、民主主義は脱植民地と自由獲得の具体的な結晶であり、選挙監視はこれを確保するための仕組みである。外国人が、金も出せば口も出すと、上から目線で監視しにくる、というものではけっしてない。
 これらの取り組みは、2002年「ダーバン宣言(Declaration on the Principles Governing Democratic Election in Africa)」に結実した。
 
 日本政府の200万ドル
 
 今次選挙への国連関与の中心は、キンシャサに事務所を置く国連開発計画(UNDP)だ。このUNDPに対し、日本政府は200万ドルの支援をした(既存の活動(選挙サイクル支援プロジェクト(PACE)2023-2024)の一環)。
 「大統領選挙等のために能力強化支援及び機材供与(車両、IT機器、広報・啓発資料等)等を行うことにより、特に紛争の影響を受ける同国東部地域において、平和的かつ包括的な選挙の実施を支援し、もって同国の民主化支援を通じた平和と安定に寄与するもの」(2023年4月25日、選挙支援計画に関する書簡の交換)とのことだ。
 参考までに、アメリカ政府の選挙のための追加支援は300万ドルである(USAID Press Release, “The United States Provides Additional Assistance for Election Observation in the Democratic Republic of the Congo” Wednesday, July 6, 2022)。
 
 国連PKOも手助け
 
 さらに国連PKO(コンゴ安定化ミッション(United Nations Organization Stabilization Mission in the Democratic Republic of Congo (MONUSCO)))は、コンゴ政府の依頼を受けて、物資や人員の輸送など、通常の活動範囲を超えて、選挙のロジに手を貸した。なお、MONUSCO(前身のMONUCは1999年開始)は、直近の安保理決議に基づき撤退計画が進行中である(Resolution 2717 (2023) 19 December 2023)。
 余談であるが、国連ミッションが物資や人員の輸送などに手を貸したとさらりと書いた。しかし、63年前の1960年、現職の首相であったルムンバが依頼し、中立原則を盾に、国連軍はホスト国の指示で動くわけではないと、ときの国連事務局職員が拒絶したのが、まさにこれだったのではないか。ルムンバが知ったら、どんな感想を持っただろうか。
 
IV 深く見ないとわからないこと
 
 キリスト教会
 
 外国人だけではなく、コンゴの市民団体もCENIのaccreditationを得て監視した。なかでも、キリスト教会(カトリックとプロテスタントの連合(CENCO‐ECC))だ。
 投票日直後の日曜ミサでキンシャサのカトリック大司教は、選挙は「巨大で組織化された無秩序」だったと言いながら(先述した)も、暴力を戒め、混乱を避けようと人々に呼びかけた。おおいなる無秩序だったと言いきれるのは、現に教会が監視員を全土に送ったためだ。
 選挙準備でも活躍した。事前の有権者登録では、津々浦々を知っている教会のネットワークが有効だった(The Carter Center, “Interim report, The Carter Center International Election Observation Mission, Democratic Republic of the Congo” December 5, 2023)。さらに教会は、さまざまな課題を書簡にまとめ、国際的ネットワークを通じて、アメリカ政府の注意を喚起した(Letter to Antony Blinken, Secretary of State, United States Department of States from Most Reverend David J. Malloy Bishop of Rockford Chairman, Committee on International Justice and Peace, dated 8 August 2023)。
 教会のこのような活動が、言いっぱなし、やりっぱなしにされず、わざわざ記録され、報道されるのも、無視できない影響力があることのしるしだ。
 
 神父さん、牧師さんが言うのなら
 
 アフリカの田舎町に共通する特徴は、きちんとしたインフラもクリニックも学校も銀行もなくても、宗教施設はあることだ。あたりが貧しければ貧しいほど、都市からはなれた辺境であればあるほど、人々が生活しているかぎり、信仰を説く人がひっそりと寄り添っている。
 これはどういうことか。人々は大都市の政治的指導者やノーベル平和賞受賞者のことはよくわからないかもしれないが、いつも近所にいてくれる、あの神父さん、牧師さんの言うことなら耳を傾けようかな、と感じるのではないか。
 教会は「これがなければ分裂して機能不全の国家で、唯一もっとも国中に密着した組織」だとは、とある英国紙の言葉だ(The Times, 2019 “Bishops hold key after Democratic Republic of Congo election”, 10 January 2019)。
 なお、コンゴ憲法は信仰の自由を保障しているが、推定では国民の9割強がキリスト教徒である。
 
 モザイク
 
 教会が大勢の監視員を動員したと書いたが、その数はどれほどか。24000人から60000人と、ソースにより食い違っている(前者はThe Star 2024 “How Tshisekedi won DR Congo’s chaotic elections”, 3 January 2024、後者はAfrica Centre for Strategic Studies, 2024 “Elections in the Democratic Republic of the Congo: A Persistent Crisis of Legitimacy”, by Paul Nantulya, 4 January 2024)。
 だが、教会が60000人の監視員を動員したとしても、はたして全貌をつかむことはできたのだろうか。
 先述したとおり、投票所の数はおよそ75000ヶ所である。仮に海外監視員と教会とが手分けする体制が取れ、かつ、監視員の報告はすべて信頼に足りるとしても、入手できるのは、モザイク画のような、断片的情報の寄せ集めでしかない。
 全体像を把握するのはCENIの仕事だ。発表が(もし、あるのなら)待たれる。
 
 民主主義の行方
 
 大事なことを書いてこなかった。つまり、政策の焦点は何だったのか。チセケディは在任中、初等教育無償化を実現し、さらに選挙戦中、隣国ルワンダに対し断固とした姿勢を示し、これらが当選に功奏したという。では、他の候補者らは何を公約にしたのか。
 シナリオどおりとは言えなくても、粛々と投票が行われた場所も多々あった。きちんと投票した有権者たちはどう考えているのか。冒頭に、選挙ができるのは当たり前ではないと書いたが、「やれやれ投票できて良かった」だけではけっしてないだろう。
 報道によると、投票率は43パーセント、現行憲法下では最低だった(2018年選挙は67パーセント)。そもそも開かなかった投票所もあったことを勘案すれば、投票率が低いとよく言われる日本の状況に近いかもしれない。コンゴの民主主義はどこに行くのだろう。さらに深くリサーチしている。
 
 ナイロビ在住
 
 選挙監視に関する参考文献
 United Nations, 1991 “Human rights questions, including alternative approaches for improving the effective enjoyment of human rights and fundamental freedoms; Enhancing the effectiveness of the principle of periodic and genuine elections” A/46/609 19 November 1991
 African Union Commission 2016 “Two Decades of Election Observation by the African Union: A Review” by Chika Charles Aniekwe and Samuel Mondays Atuobi

(2024.1.20)
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