【メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち】

(11)サングルポットとカッドゥルパイの冒険⑥

サングルポット、森のダンスパーティでボウボウドレスの花の少女と出会う

高沢 英子;

 ――本題に入る前に、この作品の成り立ちの背景について少し説明しておくことをお許しいただきたいと思います。――

 1918年、第一次世界大戦が終わりました。連合国軍の兵士として戦ったオーストラリアの若者たちが戦場から続々と帰ってきました。同じ時期、霧の都ロンドンで体調を崩していたメイは、迎えに来た母セシルを説得、強い絆で結ばれていた親友D・レンをともなって太陽の降り注ぐオーストラリア、パースの両親のもとに帰ります。
 当時のオーストラリアの若い女性たちのほとんどは、互いに気に入った若者たちと結ばれ、幸福な結婚生活を送ることを夢見ていた、と伝記作者ウォルシュ夫人は書いています。しかし、ロンドンで、すでにブルーストッキング運動の余波の洗礼を受けていた彼女たちの自立の志は固く、メイはパースの両親の家を離れ、シドニーでイラストレーターの仕事を見つけ、レンと共に暮らし働く生活を選びます。そして、いくつかの試行錯誤を乗り越え、1917年、遂にライフワークとなるガムナッツベイビーの物語を紡ぎ出し、市場に出すことに成功しました。
 では、前号の続きをお読みください。

 あそび好きのクジャク鳩夫人は、抱えてしまった二匹のトカゲの赤ちゃんから解放されて、しあわせいっぱい、いそいそ飛んでいってしまい、世話好きで威勢のいいトカゲおじさんは、なんとかなるさ、と二匹のトカゲ赤ちゃんを背に乗せて奥さんのもとにかえることになりました。

 「やれやれ、さあ、これからどうしたものか」とサングルポット、「さしあたり、なーんにもすることない」とカッドゥルパイ、二人そろってため息をついていたんですが「まあいいさ!」と、薄いカーテンみたいに光を透かして特有の香りをただよわせているボローニャ(※樟脳の原料の植物)の森へとわけ入り、まもなく眠りに落ちてしまいました。

 やがて二人はたのしい楽の音で目がさめました。すぐ近くでバンドが演奏をやっているのです。鳥がさえずり、カエルの群れがコロコロ鳴き、蝉、コオロギ、ハチたちに、小川のせせらぎが調子をあわせ、陽気なハーモニーを奏でているのでした。これはジャズでしょうか、サングルポットもカッドゥルパイもうずうずしてきました。たのしげな声も聞こえてきます。

 「あの声はどこから?」「この壁のなかだよ」とカッドゥルパイ。「ここに割れ目がある、見てみよう」かれらがのぞいてみると、おおぜいのナッツたちが、色さまざまなどんぐりの帽子をかぶって、ピカピカした葉っぱのスカートや、黄や緑のきれいな腰みのをまとい、おしゃれをして、夢中になってダンスパーティをしているところでした。まるで、てんやわんやの大さわぎですが、サングルポットとカッドゥルパイは、自分たちのすぐそばで、みすぼらしいちっぽけな花がひとりぼっちで座っているのを見ました。彼女のドレスは破れてきたなく汚れていていかにも悲しそうです。誰も彼女とダンスをしようとしていません。

 「ぼく、なかに入って彼女にダンスを申し込もう」とサングルポットがいい、こっそり割れ目からなかに滑り込んで、その小さな花に、一緒に踊ろうよ、とダンスを申し込みました。その花はとても喜びましたが、サングルポットはじつは踊れないんです。ちいちゃな花も踊れません。みんなに、もみくちゃにされてうろうろしていると、そばに来ただれかが云うのが聞こえました「なんだこいつら、汚い服と裸のままで。外に放り出しちまえ」

 サングルポットはちいさな花が可哀想でたまらなくなって「裸でごめんね。でも僕が住んでたところでは、だれも服なんか着てなかったんだよ」とあやまると「いいのよ、そんなこと。おめかしして不親切なナッツなんかより、裸ん坊で親切なナッツのほうがずっといいわ」「でも、ぼくも服が欲しいなあ」ぼろをまとった花は「私の叔父さんのお店は安い服を売ってるの。行ってみる?」といい「うん」という話になるのですが、サングルポットは外で待っているカッドゥルパイのことを、すっかり忘れてしまっていました。さあ、これからかれらはどうなるのでしょう。

 ――字を覚える前に絵をかいていたというメイ・ギブスですが、本来、植物学者でも生物学者でもなく、彼女が描くガムナッツの森の生きものたちが、いささか生き物本来の生態に反する行動に出ても仕方ないと思います。でもそれはヨーロッパのかずかずのフェアリーテールより、ずっと新鮮なものでした。オーストラリアに住む独特の生きものたちは、コアラにしても、カンガルーやワラビー、ポッツサム、爬虫類のトカゲ、オウムやペリカンなどの鳥類も、だいたいがのんびりやさんです。

 温暖な気象と、長年共存して来た人間たち、先住民族のアボリジナルたちの、どちらかというと、さほど過激ではなく穏やかで、自然を魅惑的に捉える想像力に富んだ生きざまと共存して培われたのかもしれません。たとえギブスがこれらの先住民族に関心と理解を持っていたとは言えないにしても、興味深い世界に変わりはありません。           

 (エッセイスト)

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