【メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち】

(17)サングルポットとカッドゥルパイの冒険⑫

高沢 英子


 1905年、オーストラリア、パースの町に戻ったメイ。イラストレーターとしての幸運な人生をスタートさせたかにみえましたが、1901年に連邦政府としてイギリスの植民地としての自治権はいちおう認められていたものの、第一次大戦後の1926年まで、正当な独立国とみなされていなかったオーストラリアのパースは、いわば英国植民地の一都市に過ぎず、描くことに本格的な訓練を積んでいなくても、ある程度才能のある書き手の描くイギリス風の小さな妖精たちや魔女のお話のほうが、一般受けして、人気があり、メイの主たるモチベーションのブッシュの森の物語の意図を真に理解してくれる出版業者はほとんどありません。
 共に語る友もなく、孤独なこころを抱え、30歳を超えても結婚にはまったく興味を示さず、イラストやスケッチに夢中なメイに、母のセシーリアは気を揉んでいましたが、かつてロンドンの芸術学校で知り合い周囲の反対を押し切って結婚した両親は、メイの才能を信じ、彼女の気持ちも理解はしていたようです。

 こうしてメイが目指したのは、再びイギリス、ロンドンの出版社で認められることでした。ブッシュの森の特異な生きものたちの生態を描いたた物語は、ロンドンでは受け入れてもらえるかもと期待し、母のセシーリアに付き添われ、1909年の秋、再びロンドンを目指します。
 11月、春先の明るい陽射しのなかで、眼がさめるばかりに美しい薄紫のジャカランダの花が咲き乱れる、気候温暖な空気の澄んだオーストラリアをあとに、二人は船出しましたが、到着したのは、冷たい霧がたちこめ、陽射しのまるででない真冬のロンドン。

 イギリスにいる親族たちは彼女たちを温かく迎え、その年のクリスマスや新年の休暇は、子ども達をスケッチしたりして楽しく過ごしたのですが、イギリスの出版界もすんなり彼女の意図を受け入れてくれず、誰もオーストラリアの話だの奇妙な生き物たちの生態に興味を持とうとしないのが実情でした。3年間、メイはロンドンの片隅のアパートでひとり暮らしを続けながら、さまざまの工夫を凝らしてイラストと物語創作を試みたようです。

 やがて、メイは当時のイギリスで高まっていた女性に参政権を要求して立ちあがった若き急進的指導者、シスリー・ハミルトンを知り、女権運動のグループに近づく機会をもちました。後年彼女は回想で、小さなクイーンズホールで論戦があった時、満員の会場で、すぐ傍に高名な作家ジョージ・バーナード・ショウが坐って論戦に聴き入っているのを見つけスケッチした、と語っています。
 そしてこれを機会に彼女は生涯の親友、レン・ヒームズと識り合います。レンは熱心な女権運動家で、当時ロンドンの電話局で交換手として働いていました。二人は忽ち意気投合しました。誠実で実際的なレンは、仕事を始めると食事も碌に取らず不眠不休で頑張るメイを、助けたのです。

 1913年、メイはレンを伴ってオーストラリアへ帰り、再び活動を始めることになります。但しパースではなくシドニーで、レンと共に自立して暮らす決意を固めたのです。こうして生まれたガムナッツ物語。続きを読んでみます。

 画像の説明

 ショウを見たい一心で、ロープを伝って下りてきたほぐれ花をみて、サングルポットとカッドゥルパイは、びっくりしました。けれども、彼女の懸命の願いを聞いて、よきブッシュマナーを心得ていたサングルポットは言ったのです。「もちろんさ。君に僕の席はゆずってあげるよ。ぼくは出て行くよ」
 「ノー。ぼくがゆずるよ」とカッドゥルパイもいいました。
 「ノー。ぼくが出て行くさ」サングルポットは言うなり、ロープをよじ登り始めました。カッドゥルパイは「いや、ぼくが・・・」と彼のあとを追いました。

 結局、二人ともどんどん登りつめて「ぼくが行く」「いやぼくだ」と言ってる間も、お客はみんな映画に夢中で、笑ったり叫んだりしていて、彼らのことは見向きもしませんでした。
 小さなほぐれ花は、上を見上げ、二人が屋根の上に登ったのを見て、一瞬、自分も、あとを追いたい、と思ったんですが、やっぱり怖くてできませんでした。

 そのとき、劇場の暗がりのなかで、彼女は、バンクシャーの気味の悪い目が、彼女をじっと見ているのに気が付きました。と思うと、とつぜん、何かが彼女に突進してきて、足を掴み、座席からいきなり持ち上げると、人々の頭を超えて、電光石火の速さで、映画館から飛び出したんです。その早さといったら、とてもお話しできないくらいでしたよ。

 そいつは、片方の手で彼女の口をおさえていましたから、彼女は、叫び声をあげることもできませんでした。そして、ものすごいスピードで、ほぐれ花は運ばれたのですが、気がつくと、それと一緒に、あとからついてくる者たちの叫びや、騒がしい音を耳にします。「とまれ!おまえら!とまれ!」とかれらがさけび、みんなで険しい丘につきました。
 「その子を下ろしなさい!」と蛇夫人の声、
 「厭だ!」と叫ぶバンクシャー。

 そのとき、とつぜんかれらはみんな、深い穴にすべり落ちました。そして、転がり転がり底までおちて、ハアハア喘ぎました。
 「OK。到着したよ。ありがとさん」と息をととのえるがはやいか、蛇夫人はいいました。
 「この子を縛っておきな。それからなにか飲み物をとりにおいで」
 ほぐれ花は動くことさえできないでじっと横たわって冷たくなっていました。

 「この子はほっとけばいいよ。死んでるから」とバンクシャー。「でもそれじゃなんかトラブルにならないかい」と別の声。
 蛇夫人はプッと噴き出して「この子は、ただのちっぽけな宿無しだよ。だれが心配するのさ」
 そういいながら邪悪なバンクシャー達と連れ立って出て行きました。

 午後遅く、サングルポットとカッドゥルパイとトカゲおじさんは、道端でアカシアのガムを噛みながら休んでいました。
 「君たちどうやって屋根からここへきたんだい?」とトカゲおじさんが聞きました。
 サングルポットがいきさつを話しました。
 「なんてこった!」トカゲおじさんは叫びました。
 「彼女はあいつらの悪だくみを知って君らを助けたんだ」
 「かわいそうなしんせつなちいさいほぐれ花」とサングルポット、
 「ぼくら、彼女をみつけられたらなあ」

 そのとき道ををひょろひょろ通りかかった浮浪者をみて、カッドゥルパイは言いました。
 「かれに訊いてみようよ。彼女を見かけなかったかどうか」
 浮浪者はもじゃもじゃの髭をしごきながら、もぐもぐこたえました
 「ああ、そうじゃなあ、あっしは、やな感じのやつらが、そのう、女の子を連れてー、走ってくのを見たさ。えー、そいつらは、あっちの方角へ行ったよ。ユーカリ宿へ行こう、とか言ってるのがきこえたよなあ」
 「ユーカリ宿だって」とトカゲおじさんは叫んで跳びあがると「じゃあいそいでそこへ行こう」

 かれらが走って行ってしまうと、浮浪者はあたまを振って大笑いしました。それから蛇夫人のところへ行ってそのことを話しました。
 「あんたはいいひとだ!」と蛇夫人。
 ほぐれ花はしずかに横たわったまま、彼らの会話をみんな聞いていました。
 「この子をどうするかね」とバンクシャー達は訊いています。
 「できるだけ遠い地下のほら穴へ運んで行って投げ込んでおいで。この娘は、どうせ死んでるか、もうすぐ死ぬだろうからね」と蛇夫人
 「よしきた」と悪い奴らはみんな答えました。そして小さなほぐれ花を抱えあげ、出発です。

 ほぐれはなは死んだふりをしてされるままになっていました。悪い奴らはほら穴に彼女を投げ込むと帰って行きました。
 かれらの足音が遠ざかってからも、ほぐれ花は怖ろしくて、横たわったままじっとしていました。するとすぐ近くで軽やかな音が聞こえてきました。そしてほら穴の暗い明かりのなかで彼女は土くれと石ころが動くのを見ました。それから手がにょっきり現れもう一方の手も見えたと思うと、顔と大きな二つの眼が覗いたのです。

 「おまえさんは誰だい?」とその顔が聞きました。
 「あたしはユーカリの小さなほぐれ花なの、どうかわたしを殺さないで、どうか・・・」
 「おまえさんは蛇ばあさんの友だちかい?」
 「ノー。あたしあのひと嫌いよ」いつだって正直なほぐれ花は言いました。その顔はそれを聞くと
 「わたしも大嫌いさ」といい、石や土くれを持ち上げてどけ姿を現わし彼女の前に立ちました。
 それは大きなカエルでした。とても痩せていて青ざめて弱そうに見えました。
 ―さあ、これからかれらはどうするのでしょう?―

 (エッセイスト)

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