【コラム】海外論潮短評(110)

スローフードの国ブラジル
―ジャンクフード(有害加工食品)産業に対する闘い

初岡 昌一郎


 アメリカのリベラル派週刊誌として長い歴史を持つ『ネーション』8月22日号が、健康問題として今や世界的な課題となっている肥満との闘いでその先頭を行くブラジルの状況についてのレポートを掲載している。オリンピックに沸いた国において行われている、それ以上に将来にとって重要な持続的な努力について、以下に要点を紹介する。

 筆者は、アメリカのフリーランス・ジャーナリスト、ブリジット・フーバー。彼女は主として健康と環境に関する科学的なレポートをニューヨーク・タイムス、AP通信などにしばしば寄稿し、公共放送番組の制作にも関わっている。

◆◆ 肥満と健康被害をもたらすジャンクフード

 カルロス・モンテイロは大学卒業後、1970年代にサンパウロ州の貧しい農村で小児科医として仕事に就いた。彼の患者たちは飢えており、無気力で、痩せこけ、発育不良だった。今や彼は、緑豊かなガーデンに囲まれたサンパウロ大学で、公衆衛生学部教授として栄養失調ではなく肥満の問題に取り組んでいる。ブラジル人も他のラテンアメリカ人と同様、この問題に悩まされている。

 1970年代中頃のブラジルでは、男性の僅か3%、女性は8%未満が肥満であった。ところが今日、成人の約18%が肥満、半数以上が体重オーバーである。これにより食事に関連する糖尿病や癌が増加した。ブラジル人の食事の変化を研究してきたモンテイロによると、自宅の台所で調理される家庭料理から「過剰に処理された食品」へとブラジル人の食生活が次第に転換してきた。後者には化学保存料、人工調味料、安価な添加物がふんだんに入っているのだが、調理を必要としない手軽さから普及している。インスタントラーメン、ソーダ類、加工肉製品等々が、豆、米、キャッサバなどの主食や生鮮食品に取って代わった。

 「地産食料システムが超国家的企業に支配される食料システムに取って代わられている」(モンテイロ)。食事の劣化は健康被害にとどまらず、環境、地方経済、豊かな食の伝統を害っている。これは生産者と消費者に対する深刻な挑戦だ。

 過去30年以上にわたり多国籍の巨大食品企業がラテンアメリカで精力的に市場を拡大してきた。最低賃金の大幅引き上げや現金給付などの貧困対策や経済的繁栄によって拡大された消費市場が、市場開放政策に乗ずる多国籍企業に利用されている。過剰に加工された食品や炭酸飲料の販売は、アメリカや他の富裕国で頭打ちになるにつれ、米州地域が主要な市場としてターゲットになった。2000年から2013年の間にソーダ類の販売が域内で倍加し、過剰加工食品の消費は約50%増えた。その間、アメリカとカナダでの販売は僅か2.3%増加しただけである。

◆◆ ルーラ前大統領(労働党)改革による福祉の成果が危機に

 ブラジルは双頭の怪物のようだ。一方では政府が工業型農業に巨額の投資をして、ブラジルが牛肉と大豆の政界最大級の輸出国(そして農薬の最大級の利用国)となるのを促進した。他方でこの十数年間にわたりブラジル人の食料の70%を供給している家族農家に補助金を与え、貧困と栄養不足の解消に見るべき成果を上げてきた。2014年に国連はブラジルをその「ハンガーマップ」(飢餓国リスト)から外した。飢餓と貧困の根絶を政策の中心に置いた前大統領ルーラ(労働党)の功績である。

 この政権は憲法に食料の権利を含め、学校給食計画を改革・拡大、地元の農家を振興した。2014年に保健省が新しくガイドラインを発表、健康的な食事を提唱した。このガイドラインは伝統的な栄養科学の枠を超えて、食事を社会的文化的およびエコロジカルな側面から把握している。また、料理と食事を共有する喜びを重視し、食事と環境の関連性を強調している。

 左派が「貧困に対するクーデタ」と呼んでいるルセフ大統領(労働党)罷免の動きが、これまでの社会政策を逆転させる懸念を生んでいる。大統領代行のテメル(注:その後国会によって大統領に就任)はすでに気になる動きを始めている。農地改革と家族農業を推進してきた農業開発省を廃止、その機能を他の省に分散させた。農務大臣には、現代の奴隷制と言われていた農業労働に対する規制を緩和しようとする「大豆成金」が任命された。これまでのところ、約1,400万家庭にキャシュを毎月給付している「ボルサ・ファミリア」福祉制度は維持されているが、その役割を再検討し、給付条件の厳格化により10%の削減を目指す声が閣内から出ている。減税を公約するテメル大統領に福祉の充実・継続は期待できない。

◆◆ 地産地消から大企業に支配された食料供給システムに

 ネッスルは個別訪問販売のために10年前からセールスウーマンを増員した。今や全国で6,000人を雇用し、ヨーグルト、キャンディ、インスタント麺などを低所得家庭に売り込んでいる。競争相手のフランス食品企業「ダノン」も負けてはいない。いくつかの国では禁止されている、子供騙しの景品付き販売も盛んに行っている。ネッスルはアマゾン地方にも進出、船上スーパーマーケットを始めたが、これはジャンクフ―ド船と呼ばれている。こうした訪問販売は「ネッスルが直接お届け」のキャッチフレーズで宣伝されており、主たるターゲットは女性と子どもである。

 モンテイロの分析によると、1987年から2003年の食料にたいする家計支出に不思議な点
が見られる。肥満の原因とされる砂糖と大豆油消費が大幅に低下している。そのデータによると、豆、米、ミルク、卵、小麦粉とその加工品の消費も減っている。栄養学者のダイエットの勧めに良く適合しているようにみえるが、真相は違う。ソーセージなどの加工肉や加工乳飲料の消費はほぼ倍増している。ソーダ飲料も倍増、菓子パンやクッキーなども大幅に増えた。

 炭水化物、脂肪、蛋白質などという、栄養学の伝統的な区分は肥満問題の分析には通用しなくなっている。もっと有意義な視点は、食品がどのように作られているかということにある。最も深刻な問題は、新鮮な食品や手作り料理が廃れる傾向にあり、パームオイル、コーンシロップ、人工香料、防腐剤など健康に害がある工業的製品がふんだんに消費されていることだ。このような過剰加工食品を「食品専門家」たちが推奨し、企業が大規模な宣伝費を使って売りまくっている。これがオーバーイーティングにつながる。

 加工製品に焦点を当てることは、社会的な規範や環境基準の問題を含めることにならざるを得ない。多くの加工食品は歩きながらも、またスナックとして食べられている。これらの加工食品企業は、家族的独立農民の生産品を使わず、トウモロコシや小麦、大豆などの主要原料を工業的な大規模生産者から調達する。両者の発展は密接な相互関連性を持っている。

◆◆ ブラジルの学校給食は世界のモデルに

 ブラジルで正しい将来方向を目指しているのが学校給食だ。飢餓と貧困に取り組むブラジルの政策的中心に学校給食があり、これは世界に対するモデルとなる。生徒は健康な食事をとれ、貧困に脅かされている農民は給食事業の巨大かつ持続的な市場へのアクセスを得ている。

 ブラジルの法律は、保育園から成人教育にいたるあらゆる公立教育施設の幼児、生徒、学生に最低一日一回の無料給食を提供すること、そして学校給食の79%以上の基礎材料は自然食材を用い、加工食品を最小化することを定めている。ルーラ政権(労働党)は食肉の質を高めることに努力し、奴隷の子孫である土着農民家族の生産物を優先的に購入し、農業改革を促進するために連邦予算を支出した。

 過去10年間に力を増した安全食品運動がその法律の制定を後押しした。今日でも市民参加がカギだ。両親、生徒、政府代表からなる協議会が学校給食プログラムをモニターすることが法律で決められている。その役割は安全な給食を提供し、資金が適切に支出されることを監視することである。

 ブラジルの学校給食プログラムの原則の多くは、本物の食材の地産地消、食事の文化的重要性、個人農家支援に重点をおいている。ブラジルは世界最上の栄養ガイドラインを持っていると評価が高い。その指針は過度に加工された食品を避けるように勧め、これらの食品がいかに身体、社会生活、そして環境に有害化を詳細に説明している。強力な食品業界の政治的影響力から見て、これは勇気のある政策である。

 その指針の基本的なコンセプトは食事を楽しみと捉えている点にある。料理と食事は家族や友人とともに楽しむ時間であって、生活上の負担ではない。毎日タンパクや脂肪を何グラム/カロリーを摂取すべきかを処方する、不毛のダイエット法に従わず、伝統的な手作り料理法に基づくメニューを具体的に推奨している。これは、馴染みがなく、うまくもないダイエットフードの対極に立つ考え方である。

◆◆ 食料と料理の伝統擁護と食料政策改革で後れを取り、逆行する先進国

 ブラジルとアメリカのガイドラインの大きな差は、持続可能性の観点から生れている。ブラジルのガイドラインは、健康な食事を「社会的環境的に持続可能な食料システムから提供されるもの」と定義している。持続可能なシステムにとっての柱である家族農業が大規模単品種の工業的生産に取って代わられる、という危険を警告している。

 他方、アメリカのガイドラインは持続可能性を考慮に入れていない。ガイドラインを作成した農務省と厚生省は食肉性に関して環境の持続可能性を勧告していたが、強力な食肉関連産業のキャンペーンとロビー活動によって持続可能性についての言及は最終的には文章から消えてしまった。

 ラテンアメリカにおける食料政策を巡る闘いは続き、世界的に影響を与えるだろう。メキシコにおけるソーダ飲料税の導入が注目を浴びており、同様な新税を多くの国で食品・環境運動形が提案している。この点ではアメリカのいくつかの都市が同じ方向を追求している。カリフォルニアのバークレー市がメキシコの経験に基づく運動の結果として、2014年にアメリカでソーダ税を導入した最初の街となった。今年6月にフィラデルフィアが続いて第二の都市となった。

 食料政策改革では、低・中所得国群がリードしている。チリ、タイ、インド、南アフリカ等が注目すべき努力を行っている。だが、先進国で見るべき成果を上げている国はあまりない。食事と料理の伝統は何百年をかけて形成されてきたが、それらは食品産業によって僅か10年間で破壊される危険に瀕している。

◆ コメント ◆

 安倍首相や閣僚たちが国会答弁などで乱発している言葉は「緊張感」と「スピード感」をもってことに当たるという姿勢である。これはまさに軍事作戦上の心理状態であるが、昨今のネットゲーム向きでもある。この言葉とその裏にある政治的な心象は、時間をかけて熟議し、歩み寄りで合意の形成に努力するという民主主義の精神とは乖離している。

 だが、この言葉を愛用している政治家たちがこの言葉通りに日常生活を送っているとは思われない。おそらくは、他人が手間暇かけた料理を「ゆっくりと」と賞味する生活を楽しんでいるだろう。でも、もし食事や料理にも「スピード感」をもってあたるとすれば、インスタント食品の多用につながらざるを得ない。

 GDPによって計測される経済成長を重視するエコノミストの立場からすれば、家族が家庭で調理する食事をすれば経済活動としてのGDP貢献度は少ないので、加工食品を多量に購入・消費することや、外食に依存するほうが成長率を高めるには好ましいとされる。健康よりも経済効果が重視される経済学的な発想が大手を振ってまかり通り、不健康な食品や食事によって肥満や健康障害と病気が広がるならば、医療保険制度の危機はますます進化するだろう。

 超過勤務を含む実労働時間の規制と削減がなされないままで、また低賃金で不公正な非正規労働が進む中で、「一億総活躍」という欺瞞的な掛け声の下で、女性の労働力を促進することは、今でさえ縮小傾向にある家庭での料理と食事を囲む一家団欒が「絶滅危惧」視されることになりかねない。

 自営的家族的な農業の衰退は、少量多品種の伝統的な食材の希少化、そして消滅危惧につながる。多様性のある、健康な食事を追求すれば、本論が指摘するように、より根本的な社会経済問題に逢着せざるを得ない。食事の質は社会・経済の質と構造的にリンクしている。TTPによる農産物市場の開放は、過剰加工食品を量産する企業には有利だが、スローフードと安全で健康な食品を求める人たちや自営農家中心の農業・畜産業に取り返しのつかない打撃をあたえる危険がある。

 (姫路獨協大学名誉教授)


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