■ ジャーナリズム精神を失った大手メディア    吉田  健正

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NHK解説委員 島田敏男様

拝啓
  あなたが投稿した3月31日付のNHK解説委員室ブログ「時論公論:展望開けぬ普
天間基地移設」<http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/42054.html>につい
て、お尋ねします。
 
  この中で、あなたはキャンプ・シュワブ陸上案、ホワイトビーチ埋め立て案、
徳之島案……を「絵に描いた餅」と皮肉った後で、混乱の原因を、選挙前に普天
間基地移設先の再検討を約束したものの、「実際に政権を担当してみて、今の東
アジア情勢のもとでは日本の安全保障にとって沖縄のアメリカ軍の役割がいかに
大きいかに気づき、結論を先送り」した鳩山総理に求めました。

当初から在沖米軍の重要性を認識して、普天間基地の沖縄県内移設を盛り込ん
だ日米合意にしたがっておればよかったものを、とおっしゃりたかったのです
ね。普天間基地移設問題に象徴される「沖縄問題」の根源をつくった自民党政
権の責任には一切触れることなく。過去65年間、米軍基地に苦しめられた沖縄
県民や、普天間基地の移設はゴメンだという本土各地の人々に配慮することな
く。これらの人々の願い、要求の打開を米国に要請・要求することもなく。

 その見解を補強するかのように、あなたは、「沖縄に駐留する海兵隊は日米同
盟にとって極めて重要だ」というゲーツ国防長官や「現在の日米合意の案が望ま
しいという立場は変わっていない」と「強調」するクリントン国務長官の言葉を
紹介しました。「移設問題で迷走している(鳩山政権の)姿に、オバマ政権も不
安を抱いていると言わざるをえません」という言葉からは、あなたが米国の代弁
者であるかのように受け取れます。

 3月26日付の「おはようコラム 『"普天間移設"波高し』でも、あなたは、普天
間基地移設問題について鳩山政権がとる道として、「まず鳩山総理と関係閣僚で
考え方をまとめて意思決定する」「社民党と国民新党から同意を取り付ける」と
書いた後、「その上で沖縄の人たちに、頭を下げてお願いすべきはお願いする」
と提言しました。何のことはない。沖縄の人たちがいかに普天間基地の県内移設
に反対しようと、「県民よ、日本の安全と繁栄のため、引き続き犠牲になってく
れ」、ということではありませんか。

 昨年の衆議院議員選挙で普天間基地の県内移設に反対する候補者が全員当選し、
今年1月には名護市で辺野古への移設に反対する市長が誕生し、2月には県議会
が超党派で県内移設に反対する意見書を採択し、4月には県知事や沖縄県市町村
会会長、県議会会長、宜野湾市長、名護市長、うるま市長らが出席して県内移設
に反対し普天間基地の閉鎖撤去を求める沖縄を挙げての県民大会が開かれました。

視聴料でまかなわれ、日本国民を代表するはずの公営放送局である日本放送協
会NHKの島田さん。あなたが、小泉政権とブッシュ政権が作成し、米国政府が支
持する普天間基地移設に関する「現行案」の履行を鳩山政権に迫り、それに反対
する沖縄の明確な民意を無視・否定する理由を、ぜひお聞かせ下さい。県民大会
の抗議と要求、その夜90分にわたって「NHK教育」で放映された「普天間基地
問題・沖縄から本土への問いかけ 全国を奔走する元沖縄県知事・大田昌秀」で
「本土は日本の安全と安心を訴えながら、米軍基地は沖縄におく。なぜなのか」
と訴え続ける大田氏の声をどう受け止めましたか。

 「日米同盟」や普天間基地移設問題に関する「読売新聞」や「産経新聞」(最
近は「朝日新聞」と「毎日新聞」も追随)の偏向した報道や論説には日本のジャ
ーナリズムの危機を覚えるが、同じように沖縄の民意やNHK教育の番組とも大き
く隔たる島田NHK解説委員の「解説」には、日本本土と沖縄の「温度差」を超え
た不気味ささえ感じる。

同様の手紙は、その場その場の「政局」にばかり気をとられてそれを知ったか
ぶりで説明し、普天間基地移設問題の原因を鳩山政権の迷走のセイだと矮小化
して、沖縄の「抑止力」を強調する一方で、これまでの沖縄の米軍基地負担の
歴史や基地反対にまったく触れることのない朝日放送「スーパーモーニング」
の政治コメンテーター・三反園などにもぶつけたい。 

 なお、上記の県民大会には、沖縄の長年にわたる過重な基地負担より「日米同
盟」を重視してきた「三大紙」やNHKを含む主要テレビ局が沖縄に記者やカメラ
マンを送り、「沖縄の声」を大々的に報じた。ただ、その一方で、多くの主要メ
ディアは、「普天間基地を閉鎖して一日も早く危険を除去してくれ」「米軍基地
を沖縄だけに押し付けるな」という県民要求の焦点を、鳩山首相バッシングにず
らした。「産経新聞」は「大会の過熱ぶりが全国に誤ったメッセージを送り、同
飛行場の移設はおろか、日米両政府間で約束された嘉手納以南の基地返還構想も
頓挫(とんざ)するのでは…と懸念する声も出た」と妙なことを書いた。
 
27日の社説では、「沖縄や鹿児島県徳之島で大規模反対集会が開かれ、関係自
治体や住民との関係が悪化したのも、首相の決断の遅れが原因だ。岡田克也外相
や北沢俊美防衛相は、県外への分散移転案の難しさや対米協議の厳しさを理解し
ているはずだ。職を賭して現行案などへの回帰を首相に促すべきだ。現状では、
27日に来日するキャンベル米国務次官補との協議でも、進展は望めまい」と、県
民大会ではっきり表明された沖縄の民意をあざわらうかのごとく主張した。
 
さすがに変化も見られた。昨年11月21日の社説で、移設をめぐる日米交渉につ
いて「日本の安全保障の柱である同盟を支える基本的な信頼関係が損なわれては
困る」と述べた「朝日新聞」は、今回は、「全国民が受益し、沖縄県だけが負担
する。まぎれもない落差への憤りが、沖縄の人々を大会へと突き動かした」と論
じた。

しかし、まだ鳩山政権に対して注文をつけるだけで、「まぎれもない落差
への憤り」を解消するための「朝日新聞」としての具体的な解決策は示さなかっ
た。真に県民の声を受け止めたのなら、「東京新聞」の社説のように、「鳩山内
閣は、大会を過重な基地負担に苦しむ県民の悲痛な叫びと受け止め、『最低でも
県外』の公約実現を決断すべきだ」と踏み込んだ主張をすべきだっただろう。「
朝日」も、「沖縄本島の北端に辺戸(へど)岬はある。

 3年前に他界した沖縄の作家船越義彰(ぎしょう)さんが、「辺戸岬にて」と
いう詩を書いたのは54年前のことだ。米軍占領下の沖縄では「島ぐるみ闘争」
と呼ばれる反基地運動がうねっていた▼だが声は届かない。〈ニッポンの島影は
手をのばせば届くところに浮かびながら/実に遠い手ごたえのない位置で無表情
だ/画然と断ち切られた境界、海にも断層があるのか。/北緯二八度線を超えて
去来する風と雲の自由に/島は羨望(せんぼう)の眼をあげる〉」という書き出
しで始まる5月3日の「天声人語」のように、沖縄県民の立場に寄り添って、沖縄
の米軍基地の歴史に終止符を打つべきだ、と要求すべきではなかったか。


■「温度差」を超える不気味さ


  話を「日米同盟」に戻して、「毎日新聞」の布施広・専門論説委員が「反射鏡」
に書いた「寝ても覚めても日米同盟の危うさ」(4月18日)を検証してみよう。
布施氏はまず、ワシントンでオバマ大統領と10分ほどしか会えなかった鳩山首
相を「最大の敗者」と皮肉り、「ユキオ、米国の盟友だろう? 米軍の核の傘の
下で(防衛費を)何十億ドルも節約したんだろう?」と書いた米紙「ワシントン
・ポスト」のコラムと、普天間基地移設問題で鳩山政権に(日米合意通りの)県
内移設を迫る日本の政治家とそれを「補強」(布施)する報道機関を批判する琉
球新報編集局長のコラムを紹介する。

 その上で、「海外移設こそ勝利という主張を実現するのは難しいと私は思う。
政治家と新聞・テレビがこぞって海外移設を主張し、米政府に譲歩を迫るような
事態は考えにくい。元ワシントン特派員として率直な意見を述べれば、日本の多
くのメディアは、時の内閣より日米同盟(日米関係)の権威を重く見る価値観を
持っていると思うからだ」という論を展開する。

 「元ワシントン特派員(注・布施氏は98-02年ワシントン特派員、北米総局長
として9・11同時多発テロなどを取材し、主に米国の外交・国防政策を担当した、
という)として率直な意見を言えば、「時の内閣より日米同盟(日米関係)の
権威を重く見る価値観を持っていると思う」の部分を読み返して欲しい。

なぜ国民(時代)の選択で政権が変わっても、日本の「時の内閣」よりメディ
アが日米同盟を重視するのか、布施氏は説明していない。日米同盟を重視する
から、「知日派」という米国の専門家を頻繁に登場させて日本政府攻撃をさせ
る一方で、本土の都道府県が「総論賛成、各論反対」と「日米同盟」を支持し
つつその負担を沖縄に押し付ける構造には言及しないとすれば、まさに思考停
止そのものではないか。

 布施氏は「最近は『日本は米国の忍耐に甘えている』という論調も見られる。
これが『米国の代理人』的な印象を生むのかもしれないが、一つの内閣の方針を
超えた長期的視野から日本の針路を考えること自体は、むしろメディアの使命と
いえよう」とも書くが、「米国の代理人として日本の針路を考えるのが、メディ
アの使命」とも読める。
 
  布施氏は、おそらく論説室に引きこもって、「日米同盟」という言葉を含む記
事を毎日新聞のデータベースで検索する。すると、湾岸戦争発生時の91年の29件
が、93年にはいったん7件に減ったものの、「新たに日米防衛協力の指針ができ
た97年は170件」、「米同時多発テロが起きた02年は約230件、「(米国が)イラ
ク戦争に突入した03年は360件」に激増、政権交代があった2009年には370件を記
録したという。この増加について、布施氏は「日米の『安保』より強い結びつき
を示す『同盟』という言葉が多用され、ここ数年は『寝ても覚めても日米同盟』
と形容したくなる状況がある」と解説する。
 
  まるで分かっていない。増加の要因は「日米防衛協力の指針」、「同時多発テ
ロ」「イラク戦争」「政権交代」であり、その言葉は、小泉やブッシュといった
日米首脳の口からでたのを引用しただけであるはずだのに、そのことを検証する
ことなく、「日米同盟の権威」とやらを絶対視する。

「日米同盟」というものが、21世紀の今日、日本や日本国民、近隣諸国にとっ
てどういう意味をもつのかについての検証はなく、米国の一方的な旧来の安全
保障論や抑止力論に立っていることは透けて見えても、世界の現状や将来に対
する独自の分析はない。21世紀に入った今日、日本、日本国民にとって「日米
同盟」とは何なのか、それを堅持することにどのようなメリットがあるのか、
きちんと説明して欲しい。布施氏も、NHKの島田解説委員と同じく、沖縄に米
軍基地を押し付けてきた自由党政権を問題視することはない。

 なぜ米国政府の肩をもって、日米同盟の履行だけを求め続けるのか。5月4日の
鳩山首相の沖縄訪問と「県内移設」発言は、沖縄県民の失望と怒りを駆り立てた
一方で、多くの国民に沖縄の過剰基地負担に支えられた安保の実態を知らせ、安
保が日本(国民)を守るためだったら国民全員がその代償を払うべきではないか
という疑問を広めるという効果をもたらした。

残念ながら、その効果は一時的なものに終るだろう。メディアは深追いせず、
普天間基地を運営する米国に危険の早急な軽減と除去を求めることもしない、
多くの国民も沖縄の米軍基地に関しては思考停止→健忘症の気があるからだ。


■「関係筋」って誰?


  社説・論説が「読売化」「産経化」するのは勝手だが、記事まで偏向してはジ
ャーナリズムの死滅である。
 
読売新聞の4月18日の「ヨミウリ・オンライン」が、「ワシントンで12日夜
(日本時間13日午前)に行われた鳩山首相とオバマ米大統領との非公式会談で、
沖縄の米軍普天間飛行場移設問題をめぐって首相が『5月末決着』への協力を
大統領に求めたのに対し、大統領が『きちんと最後まで実現できるのか』と強い
疑念を示していたことがわかった。 複数の関係筋が17日、明らかにした。大
統領は問題が進展していない現状にも不満を表明し、米政府がオバマ大統領以下、
鳩山首相に対して深い不信感を抱いている様子が浮き彫りとなった」、と伝え
た。
 
記事はあたかも取材を重ねたかのように情報源を「複数の関係筋」としている
が、それがオバマ大統領の側近なのか、日本のメディアにたびたび登場する例の
「知日派」たちなのか、米国の報道機関なのか、会談を盗聴したスパイなのか、
会話内容の口外を禁じられている通訳なのか、あるいは下記の「米政府」という
言葉が示すように大統領・国務長官・国防長官を含むのか、明らかにしていない。

 ご丁寧にも、「オバマ大統領は(11月の首脳会談で)あなたは『私を信じて
ほしい(トラスト・ミー)』と言った。しかし、何も進んでいないではないか」
と不満を表明。さらに、『きちんと最後まで実現できるのか(Can you follow t
hrough?)』と、日本政府の対応に強い疑念を示したという」という「尾ひれ」
までついている。大統領が首脳会談でこういう言葉を使うだろうか。

大統領の言葉を拡大して、「米政府がオバマ大統領以下、鳩山首相に対して深
い不信感を抱いている様子が浮き彫りに……」と書いているところに、記者の
意図が露見しいる。
 
この記事は、言葉を少し変えながらいくつかの新聞やブログに転載された。こ
れは、記者クラブ方式の会見で、記者クラブ流に誰かが「匿名」を条件に話した
のを、どこかの通信社かグループ代表が流したものを、各社があたかも自社取材
したように見せかけるために若干表現を変えて剽窃報道した可能性がある。読売
の朝刊記事には「ワシントン=小川聡」という発信者名が記されているが、やは
り情報源は明らかでない。
 
警察情報、検察情報、外務省情報、防衛省情報などと同じく、捏造・創作(で
っち上げ)記事の可能性さえある。普天間基地の移設先が、情報源が示されない
まま、メディアでは点々とするのも、こうした無責任報道の表れだろう。記者が
根拠のはっきりしない記事を書き、編集部の上司(デスク)がそのまま掲載を認
め、整理部もストップをかけなかったとすれば、メディアとして許すまじき組織
的かつ意図的な情報歪曲の疑いがある。
 
社説やコラムならまだしも、最近はこのように一般記事で記者(編集局)の作
為が露骨に見える例が多い。鳩山首相を揶揄したり、彼の揚げ足取りをする記事
が好例だが、在沖米海兵隊のグアム移転にからむグアム米軍統合基地計画につい
ても、2011会計年度における予算計上に何の根拠もなく疑問符をつけたり、統合
計画の全容を説明することなくグアム住民の不安だけ取り上げるのは、公正とは
言えまい。日本の防衛省が、グアムでの予算執行状況を公表しているのに、それ
も報道しない。
 
日本の大手マスコミは、国民の視点に立って「真実を追究」し、「権力を監
視」するという、ジャーナリズムの理念・使命をすっかり忘れてしまったよう
である。日本が、その「同盟国」と仰ぐ米国とともに国際的孤立を深めている
のと同様に、日本のメディアも、民主主義国のメディアとしては国際的な信用
を失っている。テレビは一部の例外はあるものの、報道番組や討論番組を含め
て話題も担当者の表情も口調もますます「エンタメ」化の傾向を強めているの
で、ここではジャーナリズムには含めない。メディアの質低下がこのまま続け
ば、国民の知る権利、日本の民主主義にも絶大な影響を与えかねない。太平洋
戦争前と戦時中のメディアが軍国主義に加担したように。
 
最近のマスコミについては記者のジャーナリズム精神欠落と不勉強(「質問し
ない・できない」「表面的なことばかりにこだわり、本質を衝かない」など)い
ろいろな批判が出ている。


■閉鎖性が育てる偏向報道


  第一の問題は、言語矛盾のようだが、国民の知る権利を確保し国民の視野を広
げるはずのマスコミの「閉鎖性」にある。よく指摘される記者クラブが依存して
きた情報源との癒着、その癒着が生んだ発表ジャーナリズム、検察庁などの情報
源との上下関係(従わなかった場合の出入り差し止め)、内規(違反者は仲間は
ずれ)、記者と情報源の匿名性などだけではない。記者や論説委員は、記者クラ
ブや論説委員室で、何を読み、何を見るか。

 多くの場合、それは他社の報道である。防衛担当の記者の大半は防衛省の記者
クラブで他社の新聞・雑誌、共同通信の配信記事、テレビをみながら大半の時間
を過ごし、防衛省官僚からの情報・説明を読者・視聴者に伝えるだけだろう。イ
ンターネットの時代にあって、外国の新聞・雑誌・テレビ・ブログなどを見る人
もいるだろうが、ニューヨークでもワシントンでも日本人記者の多くは、問題意
識をもって取材にでかけるより、支社・支局にこもってその地のメディアを見る
ことが多い。

 記者クラブについては上杉隆著の『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)や『記者
クラブ崩壊――新聞・テレビとの200日戦争』(小学館)を、より多角的な視点
から見た日本のメディアについては森達也・森巣博著『ご臨終メディアーー質問
しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社)を参照していただきたい。

 情報を扱う多くの記者・論説委員たちが、ジャーナリストとしての問題意識を
もって取材(質問、事実の発掘・多面的な収集)することなしに、いわば、閉鎖
された情報環境の中で日々を過ごし、視野を狭めているのである。

 その結果、どの中央紙を見ても、記事だけでなく、論説さえも、表現も視点・
内容も似たり寄ったり、という横並びになる。これでは、メディアに「公正」な
報道や分析を期待することはできない。「トクダネ」や「調査報道」という言葉
も死語になりつつある。偏向報道が偏向報道を生む悪の連鎖だ。テレビは、チャ
ンネルを変えても似たような番組だらけで、「見栄え」ばかりが強調される地上
デジタルに変わっても、番組の内容がよくなる保証はない。その点は、こうした
中央の「風潮」にとらわれずに「地域性」を重んじる地方紙や地方テレビの方が
はるかに健全だ。

 他に情報源をもたない大半の読者・視聴者は、メディア報道に左右されやすい。
それだけに、官僚あるいは記者・編集者の意図的な情報操作でメディア報道が
なされているとすれば、それは国民主権の民主主義を破壊する反社会的な犯罪と
呼ぶべきだろう。また思考停止のまま、何の検証も根拠もなく、交渉相手の米国
政府に味方し、問題の根源を作った過去の政権の政策を吟味することもなく、単
に自国政府の現政権を敵視するならば、そして意図的にその方向に世論を誘導し
ようとすれば、それは日本・国民の国益にとってもプラスになるとは言えまい。

 近年は、かつてリベラルと言われた「朝日新聞」や「毎日新聞」、あるいは
「中立・公正」であるはずのNHKまで「読売化」あるいは「産経化」してしまい、
「日米同盟」については、あたかも自民党・自公政権下の日米関係はすべてよ
かったとするかのごとき感がある。


■無視される沖縄の声


  米国で同時多発テロが起きたとき、ときのNHKワシントン支局長・手嶋龍一
氏の「米国の代弁者」ぶりは多くの人々の記憶に残っているだろう。同時多発テ
ロからブッシュ大統領の先制攻撃論に基づくイラク攻撃まで、米国政府が発表し
たものを、米国政府の側に立ってこれでもかこれでもか、と報道し続けたのであ
る。元NHKワシントン総局長の日高義樹は、現在、ハドソン研究所首席研究員の
肩書を持っているそうだが、彼の番組や記事からは、「研究員」というより、米
国政府代弁者を通り越して、米国のネオコン(「正義は常に米国にあり」に洗脳
された反日的プロパガンディストという姿しか見えてこない。

 最近の「海兵隊グアム移転の真意」(Voice, 2010/5月号)は、日高がダグラ
ス・フェイス元国防次官とのインタービューを紹介したものだが、「今度の日米
間の紛争についてどう思いますか」という質問に始まって、「鳩山首相のやり方
はあまりに政治的で、日米の軍事的な同盟態勢に悪い影響を与えてしまうと思い
ませんか」「アメリカの軍事関係者は腹を立てているのではありませんか」「鳩
山首相のやり方は、ペンタゴンの人々に悪影響を及ぼしているのではないですか
」・・・と、米国の怒りや不満の言葉を何とか引き出そうとしている。記事の副
見出しは、「"苛立つアメリカ"はどう動く?」。

 同じ公営放送局である英国のBBCやオーストラリアのABCと違って、NHKはアメ
リカべったりの放送に終始した。NHKは、ときには独自取材に基づく、バランス
のとれた歴史観や世界観に基づく貴重な番組も提供するが、受信料不払い運動を
引き起こした女性国際戦犯法廷についての番組の改竄問題という前歴もある。沖
縄の視点で見ると、昨年12月の「日曜討論 普天間基地 日米同盟」、今年3月
の「日本の、これから いま考えよう日米同盟」はひどかった。

 日曜討論の討論者は、日本国際交流センターの田中均シニア・フェロー、森元
敏・拓殖大学大学院教授、鈴木佑司・法政大学教授、藤原帰一・東京大学教授で、
「日米同盟」を押し付けられた肝心の沖縄からの代表者はなかった。「日本の、
これから」はいきなり金婚式のような「くす玉割り」と「過去半世紀にわたり
日本の安全と繁栄を支えてきた日米同盟」という趣旨の司会者の言葉で始まった。
「日本の安全と繁栄を支えてきた日米同盟」というのは読売新聞などが頻用する
言葉である。

 いや、「リベラル」と見られていた鳩山首相も、改定安保条約50周年目の今年
1月19日の談話で、「日米安保体制は、我が国の安全のみならず、アジア太平洋
地域の安定と繁栄に大きく貢献してきました。我が国が戦後今日まで、自由と民
主主義を尊重し、平和を維持し、その中で経済発展を享受できたのは、日米安保
体制があったからと言っても過言ではありません」と述べているから、「50周年
を祝して」と書いた長島防衛大臣政務官(「米軍の駐留は必要不可欠」『Voice』
2010年5月号)と同じように、NHKもまさに金婚式のつもりの番組だったのだろう。

 壇上にはなぜか中国敵視論で知られる保守言論人は招かれていたものの、これ
また沖縄からの「有識者」はいなかった。中国敵視論と言うのは、戦後一貫して
米本土から遠い中国周辺に基地を配備し、今や世界で抜きん出た軍事予算と武力
を有する米国ではなく、その脅威にいくらかでも対応すべく近年国防力を強化し
ようとしている中国を批判する見方である。

 参加者から沖縄の過重な基地負担の軽減に言及はあったが、番組が「くす玉」
に象徴されるように全般的に「日米同盟ありき」を前提にしていて、米軍基地は
なぜ沖縄に集中したまま?、なぜ本土他府県は米軍基地移設に反対?といった疑
問や、沖縄住民の声、米軍基地と米軍の軍人・軍属・家族に日本国民や在留外国
人には認めないさまざまな特権を与えている地位協定のあり方などについてのき
ちんとした議論はなかった。米軍が日本攻撃に対する抑止力になっているという
のなら、沖縄の米軍基地を政治・経済・文化・学術の中心である首都・東京に移
した方がはるかに効果的だろうが、その議論もなかった。

 NHKは今回の特集番組「普天間基地問題・沖縄から本土への問いかけ」のよう
に、さまざまな観点から取材を尽くし、視聴者に「真実」を伝えようという良心
的な番組がある一方で、おそらく沖縄基地を取材したこともない解説委員が、「
差別」を意識することもなく、偉そうに、鳩山首相に「沖縄の人たちに、頭を下
げてお願いすべきはお願いする」と提言し、討論番組で在沖基地の現状を検証す
ることなく「日米同盟」の重要性を喧伝するあり方には、ジャーナリズム精神の
欠落・歪みを感じる。


■なぜ取材・報道しない?


  NHKや主要紙を含む日本のメディアが、いかに保身的な省益優先・国益無視、
米国重視の官僚に洗脳され、思考停止に陥っているか、以上で分かっていただけ
るだろう。「村社会」に生きているメディアが、こうした症状に「病識」を持っ
ていないことが、症状を悪化させる要因になっている。メディアは、「日米同盟
」そのものだけでなく、小泉首相のように米国の「ポチ」といわれたほど親密で
従属的な対米関係を誇示して現在の対米依存(不平等)関係を築いてきた自民党
政権を検証することもしない。

メディアは昨年大きく取り上げたゲーツ国防長官の「恫喝」や鳩山政権が年末
までに普天間移設問題を(米国の意向通りに)解決しなければ日米同盟は崩壊
するといった自らの警告も検証しない。
 
  メディアの独自性欠落病の症例は、挙げればきりがない。例えば米国の公文書
館では公開されているのに、日本では政府・官僚が存在を認めない核や沖縄返還
をめぐるさまざまな「密約」の解明。民主党政権が行っている「事業仕分け」。
これらは、本来、メディアがやるべき仕事ではなかったか。天下りも独立行政法
人も予算の無駄遣いも、米軍に対する「思いやり予算」も、メディアの「調査報
道」にとって格好のテーマになるはずだ。外務省や防衛省ならいざ知らず、国民
の税金が使われている「思いやり予算」をメディアが検証対象から外す理由はな
い。
 
  日本政府は在沖海兵隊のグアム移転に対する支援金という名目で、実際には米
国のグアム統合基地建設計画に6千億円の大金をつぎ込む。私は、暮れから正月
にかけて、在沖海兵隊のグアム移転を中心にこの統合基地建設計画の全貌を調べ
て一冊の本にまとめた。しかし、計画が公表されてから数か月たっても、米国政
府の資料を調べた、あるいは米国当局者にインタビューしたというメディアはな
い。「皆様のNHK」も同じだ。在沖海兵隊の「抑止力」を云々するメディアが
グアム基地における受け入れ準備態勢を現地取材して報道したという話も聞かな
い。
 
  良心的な一部の新聞や記者を除いて、民の側に立って「真実を追究」し、「権
力を監視」するというジャーナリズムはもはや日本に存在しない。仲間同士で情
報を交換・共有しつつ、自ら探り出したのではなく(官僚や米国などから)与え
られた情報を検証することもなく提供するだけの閉鎖社会の住人に過ぎない。公
的役割を、自ら放棄したのである。一方では、ブログのようなニューメディアが
普及しつつあるが、匿名性が高いこともあって内容的にも「私語」の段階に留ま
っている場合が多く、従来のマスメディアに取って代わるまでには至っていない。


■世論調査「報道」の怪


  メディアは毎月のように「世論調査」を実施して結果を「報道」しているが、
調査方法も目的もはっきりしない。調査結果は上記のような偏見報道(社説・解
説)と一致することが多い。これはメディアが世論を「反映」しているというこ
とではない。電話(普及している携帯電話ではなく、固定電話!)による世論調
査は、設問や集計方法によって容易に操作できる。「数字はウソをつかない」、
つまり客観的である、という人々の思い込みを利用するのである。これを「報道
」と呼べるだろうか。

 実際に設問や回答の「解説」を見ると、世論誘導のためにやっているとしか思
えない。あるいは、単に紙面(放送の場合は時間)を埋めるためなのか。多くの
調査で、意見を求められた人々の多くが関心事として「景気」など生活に密接し
た問題を挙げ、「日米同盟」を含むと思われる「外交」に関心を示す人はきわめ
て少ないにもかかわらず、例えば4月22日付「朝日新聞」の世論調査結果が示す
ように、鳩山首相は5月末までに普天間基地移設を決着できなければ辞任すべき
だというのが国民世論だ、とメディアはもっともらしく「解説」する。

 とくに「日米同盟」や「普天間移設」に関する世論調査は、都道府県別に「日
米同盟」への賛否とともに「米軍基地受け入れ」についての意見を求めるべきだ
ろうが、どこのメディアもそれをしない。このような調査では、日米同盟には賛
成だが、それを支える米軍基地は沖縄へという「総論賛成、各論反対」の結果し
かでてこない。全人口の1%弱しかいない沖縄にとって「数の暴力」にさえなる。

 中央メディアの現況は、とりわけ沖縄にとって深刻だ。かつては、大手メディ
アは沖縄に記者や通信員をおき、彼・彼女らが沖縄の実情を伝えていた。しかし
、NHK沖縄支局を除いて沖縄駐在員は去り、メディアは「東京目線」で沖縄報道
をするようになった。何かコトが起こると記者やカメラマンが特派されるが、大
半の記者や論説委員はメディアの報道でしか沖縄の実体を知らない。

沖縄の女子中学生が米兵にレイプされたときは、被害者の中学生を批判するメ
ディアもあった。日本が沖縄に「日米同盟」を押し付けていることには目をつ
ぶって、米国政府の顔色ばかりうかがう大手メディア。本土住民と沖縄住民の
「温度差」は、ますます開くばかりである。

 いや、メディアの自閉症が続けば国民の大手メディア離れは加速し、「日米同
盟」をめぐる国民とメディアの「温度差」も広がる一方だろう。日本の民主主義
が崩壊しかねない、危機的状況だ。当分は、信頼できる市民型ネット・メディア
の成長と、これらのメディアに参加しつつ情報を取捨選択する国民の「読む力」
「考える力」「判断する力」、NHKを含む大手メディアの報道に「惑わされない
力」の成長を待つほかないだろう。その間に、主要メディアの記者・編集委員・
論説委員たちには、彼らの役割を示す"Social Justice Journalism"という言葉
の意味をよく考えてもらいたい。

               (筆者は元AP・元ニューズウイーク記者)

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