【視点】

セルビアから見たウクライナ戦争

山崎 洋

 ◆ 1.露宇戦争か米露戦争か
 予想が当たって喜べるのは競馬か宝くじだけで、国際政治の場では、悲しむべき結果になることが多い。私は本誌2020年6月20日号(https://bit.ly/3yhiF2)に『コロナの春』という一文を寄せ、そのなかで、当時予定されていたアメリカ合衆国の大統領選挙に触れ、「選挙の結果次第では、任期中、新しい戦争を一度も起こさず、軍事介入を徹底して避けようとした『風変わりな』米国大統領が姿を消す。戦争を『日常』とする『いつもの』大統領が登場する」危険を指摘しておいた。
 その戦争がウクライナで、ロシアの軍事侵攻の形で起こるとは思ってもみなかった。アメリカの目標は冷戦終結後も残った共産主義体制の打倒であり、中国をめぐる情勢に注目すべきだと思っていたので、「日本の近くでも大事に至るかもしれない」と記したのである。

 だが、考えてみれば、中国を包囲するにはシベリアを抑えるのが有効であり、そのためにはまず、ロシアを自立した超大国として蘇生させたプーチン体制を崩壊させ、エリツィンのような弱体の傀儡政権を立てる必要がある。ロシアと異なり、中国は、かつての大日本帝国と同じで、資源と食糧を輸入に頼るという弱点があるから、包囲体制に弱い。
 同時に、「自由と民主主義」という価値を共有する欧州の同盟国をすべて星条旗のもとに結束させなければならない。EU(欧州連合)をNATO(北大西洋条約機構)に服属させる。トランプ大統領は、ロシアとの関係正常化を考え、NATOはもう古いと言い、同盟国間の結束にひびを入れた。その排除は、避けて通れない一歩だった。

 そこから、ウクライナ戦争は表面に現れた事象であり、実質的には米露による第三次世界大戦だという結論が出てくる。これは私の発見ではなく、私の住むセルビアでは多くの人が似たような考えをもっている。それを証明する数合わせまで流布している。すなわち、第一次大戦の開始日1914年7月28日の数字の合計は19+14+7+28=68。第二次大戦は1939年9月1日で、合計は19+39+9+1=68。ロシアによる軍事侵攻は2022年2月24日で、20+22+2+24=68。三つの足し算の答えが奇しくも一致する。それがこの戦争の本質を示しているというのである。笑えない冗談。正確には、米中による大戦の序幕ということになろうか。幕が上がり切る前に戦争を止めなければならない。

 だが、大量の武器が戦場に送られ、事態は明らかに反対の方向に向かっている。NATOのストルテンベルグ事務総長は、NHKのインタビューで、NATO加盟国が長年、装備、訓練、指揮に関してウクライナを支援してきたことを認め、さらなる支援を約束している(2022年4月7日)。さらに4月25日、キエフを訪問中のオースティン米国防長官は、アメリカの目標はロシアの弱体化にあると述べ、「プーチンの解任」を求めたバイデン大統領の主張がいつもの失言ではなかったことを証明した。ベオグラードの報道では、オースティン談話は、アメリカが実質的に交戦国であることを認めたものと解釈されている。

 米国やNATOは、直接の軍事介入はしないと言っている。米国民は、自国の兵士の死に敏感なのだそうだ。アフガニスタンからの不名誉な撤退のあと、バイデン大統領には米兵を犠牲にする贅沢は許されない。では、祖国を護って勇敢に戦うウクライナ兵は何なのか。アメリカの代理なのか。セルビアでは、「米国は最後のウクライナ兵まで戦う」と言われている。これほど不条理な悲劇はない。

 朝日新聞のインタビューに答えて東欧史の権威である南塚信吾氏は、東欧諸国のような、大国のはざまにある小国にとって「史実から得られる教訓は、①自国の命運を左右する大国の狙いを的確に把握し、安易に大国を頼って付け込まれる隙を見せない、②自国の選択が何をもたらすかを冷静に見極め、ナショナリズムの熱に過度に踊らされない、という2点だ」と述べている(2022年4月26日)。
 ウクライナは人口や領土からすれば小国ではないが、経済発展度や地政学的な位置からみれば、国の指導部は上記の二原則を理解し、考慮に入れるべき立場にあったといえよう。だが、教訓とは失敗によって得られるもので、しばしば手遅れなのだ。「大国の狙い」は「聞いて極楽見て地獄」であり、「自国の選択」は「進むも地獄退くも地獄」であることがあまりにも多い。

 ◆ 2.真実は「羅生門」

 ウクライナ戦争はロシア軍の侵攻によって引き起こされたのは事実であって、疑う余地がないようにみえる。だが、「どうして」と問うと、「プーチン病気説」から「ディープステイト陰謀論」や「ウクライナ=ネオナチ説」まで、無数の答えがあり、正解を見出すのは難しい。
 「事実」は因果関係の連鎖のなかにあり、本年2月24日のロシア軍の銃声一発か、2014年の親露派大統領の追放とウクライナ過激派によるオデッサのロシア系住民焼殺事件か、その反応としてのクリミア半島の「祖国復帰」を求める住民投票か、2004年のオレンジ革命といわれる不正選挙による親欧米派大統領の登場か、さらに遡って1991年のソ連邦の崩壊とウクライナ共和国の独立か、どこを起点として見るかによって違ってくる。
 AがBを殴ったとしても、金銭目当てなら重罪だが、正当防衛なら無罪なのである。暴行は悪だが、法律的には暴行に至る経過を明らかにしなくては罪状は定められない。

 さらに、黒澤明の映画『羅生門』が示しているように、事実は一つでも、「真実」は多面的で、立場によって見える面が異なる。だから、真実への道も多面的でなくてはならない。
 ユーゴスラビア内戦のとき、すべての責任がセルビアにあるようなキャンペーンが欧米のメディアによってなされ、それに合致しない事実はすべて体制側の宣伝とされ無視された。憤慨したセルビアの知人が「真実はダイヤモンドのように地中深く眠っているが、いつかは掘り出されて輝きを顕すだろう」と言うので、「ダイヤモンドの原石から宝石までのカット工程はオランダの職人が握っていて、君の思うような輝きにはならないだろう」と答えたことがある。それは私の「真実」であるが、現在の戦争報道も、その時と同じようにユニゾンの響きをもつ。きわめて危険なことだ。

 侵攻に先立ち、ロシアは、ウクライナ政府にではなく、アメリカ政府に対し、「NATOの東方拡大の停止」を文書の形で定めた安全保障を繰り返し求めた。ワシントンの答えは常に「ノー」であった。バイデン大統領が「イエス」と言えば、戦争はなかった。
 「イエス」と言ってもバイデンにとってはなんの問題もなかったであろう。プーチンに対し弱腰だとの批判は受けるかもしれない。だが、明日がだめなら明後日には、ウクライナを事実上のNATOの一員として取り込むことはできた。アメリカはいつでも文書による協定を反故にできる超大国である。国連決議でさえ、なんの拘束力もない。

 だが、問題はそれだけではない。2014年のいわゆるマイダン革命でロシアとの関係を重視する大統領が追放された事件のあと、ウクライナでは民族主義の高揚と反露感情の爆発が起こる。ナチスドイツ占領時代に使われたスローガンや記章が公然と現れるようになった。ロシア語は公用語の地位を奪われ、人口の2割を占めるロシア人は無権利状態におかれたと感じ、東部ドンバス地方のロシア系住民の反乱が起こった。
 問題の平和的解決のため、彼らの安全と自治を定めたミンスク議定書が2015年、フランス、ドイツ、ロシアの仲介で成立したが、その取り決めは、今はウクライナ軍の一部になっている過激派の準軍事組織の妨害と、交渉から除け者にされて憤慨したアメリカの反対によって、実現しなかった。ゼレンスキー大統領は和平を公約として立候補し、ロシア系住民の票も集めて当選したといわれる。事実、就任後すぐドンバス視察に赴いたが、過激派の武装集団に追い返され、対話は実現できなかったという。この問題についても、アメリカの「イエス」が鍵なのだ。

 砲撃の応酬による破壊と流血は8年に及び、ドンバスの現地を視察したセルビアの軍事専門家は、民放テレビの特集で、自分の目にしたおぞましい光景の数々を語り(確認できないのでここでは再録しない)、情況は限界にきていたと述べ、この悲惨さをロシア側がこれまで積極的に報道してこなかったことに疑問を呈している。もっとも、ロシア側が報道したとしても、住民の動揺を引き起こすだけで、西側では宣伝として片づけられたであろう。悲劇には報道される悲劇と、報道されない悲劇とがある。欧米で報道されないからといって、悲劇がないわけではないことを、私たちは知らねばならない。

 ◆ 3.ユーゴ紛争の経験

 セルビア人のなかにも、欧米のシンクタンクや国際政治の専門家の見解、ワシントンやロンドンの政府報道官による機密情報の発表などを、唯一、権威ある情報として繰り返す評論家がいないわけではない。メディアにも外資系があり、「報道の自由」を盾に、西側の情報をそのまま流している。だが、市民の多くはそうした情報には慎重な態度をとる。それは、ユーゴ紛争期の体験があり、欧米の報道を鵜呑みにできないからである。

 ユーゴ紛争とは1991年のスロベニア、クロアチアの独立宣言に始まる一連の内戦で、1999年のNATOによるセルビア空爆とコソボ・メトヒア自治州の占領まで続いた。多民族国家ユーゴスラビアは消滅する。その間、セルビアはアメリカ主導の国連制裁を受けて経済的に破綻し、侵略、戦争犯罪、民族浄化、ジェノサイドの汚名を着せられ、ミロシェビッチ大統領は「バルカンの屠殺人」と呼ばれた。オランダのハーグの旧ユーゴ戦犯裁判では、被告の大半がセルビア人で、実行犯だけでなく大統領から軍司令官までを含み、クロアチア人やムスリム人の最高責任者はいっさい訴追されなかった。

 ポンペオCIA長官は2018年1月、かつてはユーゴスラビアのような国民国家がアメリカへの脅威だったが、今日ではアルカイダやウィキリークスのような国連に旗のない集団が脅威になり、われわれはそのどちらにも適切に対応したと述べた。この発言は、セルビアのメディアで大きく取り上げられ、自問する人が多かった。われわれはアメリカに何をしたのか、と。

 社会主義経済の研究者でユーゴ内戦を分析した岩田昌征氏は、アメリカのブレジンスキー国家安全保障問題補佐官が1978年に、チトー以後のユーゴに対する戦略について述べたスピーチを引用している(『二〇世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争』、2010年)。そのなかでブレジンスキーは、ユーゴの「軟化」に向けて取るべき方策として、①分離主義的・民族主義的勢力への支援、②報道・文化領域への浸透、③消費者メンタリティーの刺激、④対外債務の増大、⑤反体制知識人の支持、などを挙げ、「民族間関係が主要ファクター」だとしている。これがポンペオの「適切な対応」の中身であろう。民族間の緊張と不和の例として、「ソ連におけるロシア人とウクライナ人、ユーゴスラヴィアにおけるセルビア人とクロアチア人、チェコスロヴァキアにおけるチェコ人とスロヴァキア人」を挙げているが、この三国はいずれも解体することになる。

 ここではまだ「軟化」、すなわち共産主義から資本主義への移行が問題だった。多民族社会では、体制のいかんを問わず、内的要因として、民族間の対立や矛盾が存在する。カナダのケベック州、スペインのバスクやカタルーニャ、英国の北アイルランドやスコットランドなど、いわゆる民主主義体制でも変わりがない。外部から強い力が働くと、亀裂が広がる可能性も大きくなる。

 ユーゴの場合は、東西ドイツ統一による力の均衡の変化のなかで、ドイツの「ヴェルサイユ体制の清算」(ベオグラード駐在某ドイツ外交官の言葉)への執念とアメリカの戦略が結び付き、「解体」へ、それも再統合を不可能にするための「武力による解体」へと進む。第一次大戦に勝利してユーゴスラビア成立の原動力となり、第二次大戦でもナチスドイツの侵略への抵抗運動の主力だったセルビア人が「ターゲット」とされたのは、そのせいである。それはまた、内戦への軍事介入の口実となり、アメリカにとっても、冷戦の終結とともに浮上したNATO不要論への対策として好都合であった。

 事実、NATOの役割はその間、少しずつ変化する。スロベニアでは、武器の密輸を黙認する程度だった。クロアチアでは、旧東欧圏の武器の供給、国連保護部隊への参加と情報提供などで、クロアチア側を支援した。ボスニアでは、国連保護軍の主力となり、初めは文官の指揮に服したが、やがて文官支配の原則を破り、軍司令官の許可だけでセルビア人勢力に対する空爆などができるようになった。その時にはすでに、司令官はNATO加盟国の将軍であった。1999年のセルビア・モンテネグロ空爆に際しては、国連の許可を求めることさえしなかった。NATOは、国連を超える存在となった。

 ◆ 4.ユーゴ紛争とウクライナ危機の類似点

 ユーゴ紛争とウクライナ危機の間には偶然とはいえない類似点が多くみられる。例えば、あらかじめ「白」と「黒」を定め、「黒」とされた側に集中攻撃を加えるという、ハリウッド映画を想わせる手法が用いられている。指導者を「独裁者」「屠殺人」と呼び、国に厳しい制裁を科し、民族全体に「ジェノサイド民族」の烙印を捺す。これに疑義を呈する者は、同じく「黒」とされ、村八分に遭う。制裁を科す側の一般国民は、制裁が厳しいほど、その正当性を信じるようである。例えば、難破した北朝鮮の漁民の遺体が海岸に打ち上げられても、涙する日本人は少ない。ましてや制裁の意味を問う人は皆無であろう。

 また、「黒」をより黒く見せるため、戦争犯罪を自作自演で演出することも少なくない。虚偽の報道は枚挙にいとまがない。怪しまれないように、記者にピューリッツァー賞を授与して、権威付けをすることもあった。ユーゴ内戦時と違って、今回はソーシャルネットワークの普及で、市民が自分で撮影したとする映像が瞬く間に世界に広まり、真偽を論じる余裕はない。「黒」とされた側の反論はすべて「宣伝」として、さらなる攻撃の標的となる。

 さらに恐ろしいのは、ネオナチと呼ばれる過激な民族主義集団の登場である。多くは第二次大戦中、ナチスドイツの占領下にあって、さまざまな理由からナチスに協力し、戦後、「反共の戦士」として西ドイツやアメリカに亡命した人たちとその子孫、またはその影響を受けた若者たちで、社会主義体制の崩壊とともに帰国する。自民族の文化や歴史に誇りをもつのは結構だが、多くの場合、ナチズムからは優生学的思想と劣等民族観を、アメリカ社会からは人種差別を学び、他民族を蔑視し排斥する傾向が著しい。こうした思想に基づく運動の参加者をネオナチと呼ぶのだが、運動の暴力的な性格から、数に比して社会に与える影響が大きい。

 クロアチアとボスニアでは大戦中、ナチス占領下に傀儡政権「クロアチア独立国」が成立し、ウスタシャというファシストの一団が政権を握り、数十万のセルビア人、ユダヤ人、ロマ人(ジプシー)を虐殺した。クロアチア内戦に先立ちトゥジマン大統領がこの「独立国」を「クロアチア民族千年の夢の実現者」と述べたため、これを崇める風潮が生まれた。クロアチアでは現在でもウスタシャを表す「U」や「セルビア人を柳に吊るせ」といったスローガンの落書きがしばしば見られる。
 先日、ポーランドにおけるアイスホッケーの試合でセルビアとウクライナが対戦した際、結果はもちろんウクライナの圧勝だったが、観客席のウクライナ国旗の脇にクロアチア語で「セルビア人を柳に吊るせ」と書かれた紙が掲げられ、ネオナチの交流が存在することが分かった。

 ウクライナでナチス時代の記章やスローガンが見られるようになるのは2014年の「マイダン革命」と呼ばれるクーデターの時からだという。「アゾフ大隊」などの軍事組織が編成され、今では正規軍の一部として扱われている。プーチンが「特殊軍事作戦」の目標のひとつとしてネオナチの撲滅を掲げたため、欧米では逆に、ネオナチの存在は無視されるか矮小化されるかしている。
 こうしてみると、ユーゴ紛争は今回のウクライナ戦争のための演習場だったのではないかと思えてくる。私たちは今、同じ脚本家がシナリオを書き、同じ演出家が指導し、役者だけが異なる舞台を観ているのではないのか。多くのセルビア人がそういう印象をもっている。

 ◆ 5.セルビアの立場

 セルビアの主要テレビ局のニュースでは、「ウクライナ戦争」「ウクライナ危機」といった見出しが使われる。欧米や日本のメディアが好む「ロシアによるウクライナ侵攻」もクレムリンが用いる「特殊軍事作戦」も、見出しにはならない。ある民放局が「ロシア対ウクライナ」の見出しを使い、ウクライナの上に小さく黒字で「NATO」と書いたことがあったが、NATO諸国を刺激するのは得策でないと考えたのか、二度と目にすることがなかった。
 これを見ると、セルビア政府のおかれた微妙な立場がよく分かる。軍事的中立を謳い、NATOともロシアとも共同の軍事演習に参加し、西からも東からも戦闘機や軍用ヘリコプターを購入する。最大の貿易相手はEUで、ドイツなどからの直接投資も多く、したがってEU加盟を目標にするが、ロシアとはトルコ経由の天然ガスパイプラインで結ばれており、これが経済的な命綱になっている。

 だが、最大の問題はやはりコソボ問題であろう。NATOによる占領のあと、国連決議1244でコソボに対するセルビアの主権は辛うじて保証されるが、コソボのアルバニア人は2008年、一方的に独立を宣言し、欧米諸国は国連決議を無視してこれを承認した。ストルテンベルグは、先のインタビューで、ロシアによる「露骨な国際法違反、主権国家への侵攻」を非難しているが、同じことをNATOはセルビアに対して行ったのである。「コソボ共和国」の国連加盟を防ぐには、安保理事会の常任理事国ロシアと中国の拒否権は欠かせない。

 コソボ・メトヒアは中世セルビア王国発祥の地であり、UNESCOの世界遺産に指定されている中世教会建造物群がある。戦闘で同地のセルビア系住民数千人が殺され、二十万人が難民となったが、なお十万のセルビア人がいて、多数派のアルバニア人の日常的な迫害を受けている。いかに切実な問題であるか、人ひとり住まない竹島や尖閣でさえ手放さない覚悟の日本国民には、分っていただけると思う。

 そこで、セルビア政府はウクライナの主権・領土保全を支持し、国連総会ではロシア非難決議に賛成票を投じたが、EUの主導する制裁という「武器を用いない戦争」には加担しない立場をとった。日本の某紙が「EUかロシアか、揺れるセルビア」と表現したが、正確にはセルビアが揺れているのではなく、米国やEUが対露制裁への参加を求めて揺さぶりをかけているのである。

 圧力は露骨で、要人が頻繁にベオグラードを説得に訪れるだけでなく、エア・セルビアのモスクワ便に対する十度に及ぶ虚偽の爆破予告や、モスクワからの帰国便へのNATO軍用機の異常接近のような、心理戦の形もとる。ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人地域でも、NATOの戦闘機が上空に現れる。コソボの警察部隊をNATOの演習に参加させ、ウクライナの戦場で威力を発揮した対戦車砲を供与する。コソボでは、泥棒が戦車で押しかけるとでもいうのだろうか。ついには「第二のマイダン」、つまりウクライナのような、大衆デモによる政権交代の可能性まで示唆する。どこまで耐えられるのか、国民の間には不安と不満が広がっている。

 先般の共和国議会選挙では、ロシアに対する制裁を拒否する右翼3党が初めて議席を得て話題になった。欧米の圧力に態度を硬化させた与党支持者の一部の票が流れたといわれている。EU加盟は議会で多数を占める与党や親欧米派野党の公約だが、最近の世論調査では、賛否の比率が逆転し、加盟支持は35%に落ち、国民の二人に一人が反対だという。

 本稿が読者の目に触れるまでには、ウクライナ戦争は終結していないだろう。セルビアでも何が起こるか分からない。セルビア政府が対露制裁を受け入れれば、圧力は減ると考える人はほとんどいない。経済的には破綻する。欧米はさらに圧力を強め、コソボの独立承認を求めるにちがいない。十万人のコソボのセルビア人が新たに難民となる。世界のテレビ画面には映らない難民の流れ。そのような終結であってほしくない。「進むも地獄退くも地獄」の夏が待っている。

 (ベオグラード在住)

(2022.5.20)
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