■ 【玲子さんの映画批評】「ソーシャルネットワーク」     川西 玲子

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 エジプトの革命が世界の耳目を集めた。私も片目でネットでアルジャジーラの
映像を観つつ、片目でスカパー!のCNNとBBCを一日中観ていた。何しろ日本のマ
スコミが意図的にか、小沢問題ばかり取り上げているのである。これでは、ネッ
トを利用せずに地上波のテレビしか観ない中高年の多くは、小沢問題が世界で一
番重要な問題だと思うだろう。

 情勢がいよいよ緊迫してきた時には、なぜか大相撲の八百長問題が突然出てき
てトップニュースになった。なぜこのタイミングに?と疑問に思ったのは私だけ
だろうか。エジプトはアメリカの同盟国だ。ムバラク政権の崩壊は必然的に、ア
ジアにおける最大の「同盟国」日本に、アメリカとの関係を問い直す必要を迫る。
  体制の一角を担うマスコミ上層部はそれだけは避けたいと考えているのではな
いかと、私は勝手に推測している。
 
  で、エジプトの革命でがぜん注目されたのがFacebook(フェイスブック)である。
昨年がTwitter (ツィッター) 元年だとしたら、今年はFacebook元年だ。エジ
プトの革命以後、Facebookの名前が聞こえない日はないというぐらいである。
 
  ネット上でコミュニティーをつくるSNS(ソーシャルネットワークサービス)と
しては、日本ではmixi(ミクシィ)が先行している。それに、昨年あたりから
Twitterが加わった。140字以内でちょこっとつぶやくTwitterは世界中で使われ
ており、昨年イランのデモで活用されて一躍有名になった。中国でもごく僅かだ
が検閲を突破しているTwitterユーザーがいて、一般のネットユーザーに情報を提
供している。

 そして今度はFacebookだ。Facebookがmixiやtwitterと違うのは、実名制をと
っていることである。ニックネームや匿名では使えない。そのため、独特の匿名
文化がある日本では普及していない。「普及が遅れている」という言い方がされ
ている。「だから日本はだめなんだ」「またもやガラパゴスか」という具合に。

 しかし、Facebookが普及したからと言って、日本で革命が起こるわけじゃなし。
せいぜいビジネスに使われるだけだ。国境を超えた人脈を使いたい国際派には
いいだろうけれど。かく言う私もアカウントを持ってはいるが、個人情報を晒し
てまで使いたいとは思わないので、休眠状態である。

 前置きが長くなったが、そういうわけで、上映中の映画「ソーシャルネットワ
ーク」には絶好の追い風が吹いた形だ。Facebookの創業者であるマーク・ザッカ
ーバーグが、ハッキングから始めたFacebookを拡大し、ビジネスとして軌道に乗
せるまでの物語である。

 だがこれはサクセスストーリーではない。マークはアイディアを盗用したとし
て訴えられ、更に共同経営者からも訴えられる。どうしてそういう事態になった
のか。映画はその理由を解説するかのように過去に遡り、Facebookが誕生して拡
大していく過程を見せる。
 
  ハーバード大学のエリート意識や閉鎖的なクラブ、旧態依然の上下関係は、見
ていて愉快なものではない。そこからからはじき出されたオタクのマークは、自
分の居場所をつくるかのごとくFacebookを構築していく。ビル・ゲイツやスティ
ーブ・ジョブスもそうだが、体制に適応できない人間が新しい仕組みをつくって
いく様子は興味深い。これがアメリカの強みということもできるだろう。

 そういう仕組みが各国で旧体制を壊していくのは痛快だ。だが今や、人々はパ
ソコンやスマートフォンを手放せない。世界中どこでも同じような光景が広がっ
ている。瞬時に情報が拡散し、リアクションが全ての世界になりつつある。もは
や思想や思考は成り立たなくなった。ゆっくり考えている暇がない。ブログさえ
衰退してきた。

 世界は一つ。これは平和運動の理想だった。そういう世界が現実になりつつあ
る。これは喜ばしい現象であるはずだ。だが私の心は晴れない。なぜなら、それ
がグローバル経済とセットになっているからだ。こういうはずではなかった・・
・。映画「ソーシャルネットワーク」の苦い結末を観ながら、私の心は重くなっ
た。今、全国各地で上映中。

                 (筆者はメデイア批評家)

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