【オルタ広場の視点】

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        ドクター中村は、アフガン国民の翼になった

ドクター中村の死を悼み、遠因を考える

A. Muhtat/元在日アフガニスタン大使(1978-1986)

 ドクター中村の悲劇的な殺害は、世界中の誰もにも大きな衝撃を与えた。
 今日に至るまで、われわれの社会のあらゆるところで、政府内でも、ドクター中村の悲惨で凄惨な虐殺を語り、誰が何の理由で虐殺したのかの議論が尽きない。

・なぜ彼が殺されたか?
・誰の手が、虐殺の背後にあるのか?
・殺人者達の目的は何であったか?
・外国の謀略はあったのか?
・そして尽きない様々な疑問。

 ドクター中村は、唯一の不屈で疲れを知らぬ人であった。彼はおよそ30年もの長い間、人生の最も素晴らしい年月を、人々の為、苦難のアフガニスタン国民のために費やし、しかも決してあきらめることをしなかった。彼は謙虚な人柄であり、永久に記憶される人物である。

 Jalallabad 市の警察によると、7-8人の襲撃者がおり、内3人は自動ライフルで、他は拳銃で武装し、至近距離から弾丸5発を中村さんに撃ち込み、死にいたらしめた。アフガンニスタン内務警察では、これらの弾丸はアフガニスタンでは見かけない特殊なものと言明し、内務大臣は、少なくとも1-2年準備された襲撃だとの見解を述べた。

 事件以来、アフガ二スタンの人々の心を震わせ悩ませ、数々の疑問は尽きない。
 ドクター中村はまったく政治的な人ではなく、どんな武装集団にも無縁な人であり、長年の彼の慈善活動、人道主義にのっとったサービスは、アフガニスタンの人々の偉大な尊敬と愛情を得ていた。
 実際、国内でただ一人の敵もみあたらず、敵対者はあり得なかった。

 私は個人的には、下記に記すように、彼の殺害は、違う側面から探さなければならないと確信している。
 我々は、京都宣言から今日まで、人的要因による地球の温暖化を懸念しており、炭素排出レベルの低減のための数百の会合や会議が持たれてきたが、残念ながら、会議も宣言も本質的な結果を生み出していない。
 今日われわれは、われわれの汚染された地球の周りで起こっている数々のカタストロフィック(破滅的)な事象―海面上昇、北極の解氷、相次ぐ山火事、森林破壊と飲料水資源枯渇などを目の当たりにしている。
 この点に関し、アフガニスタン、イラン、パキスタン地域で、気候変動が引き起こしている要因について、簡単に述べて見ようと思う。

 アフガニスタンは山岳国であり、山々の頂きは雪で覆われていて、雪解けが始まると川になって西方にも、東方にも、また南方にも流れていく。アフガニスタンの山々から西方に向かう川は、イランの国内に入り、Harirood 川、Farahroaood 川、Helmand 川になる。
 過去、いろいろな理由で、アフガニスタン政府は河川水を管理できなかったが、その結果、我々の隣国であるイランとパキスタンは、川の流れの恩恵を受けた。この河川水問題は、過去半世紀にわたるアフガニスタンとイランの間の唯一の未解決の問題であった。

 イラン側は、安定した水量の保証を求めた。1971年には、アフガニスタンとイランは、Helmand 川からイランへの毎秒22立方メートルの水流を保証する暫定協定合意に至ったが、アフガニスタン君主制崩壊により協定は実施されなかった。
 一方、アフガニスタンはインド政府の財政支援を得て、Harirood 川にサルマ・ダムの建設を始めた。イラン側は、色々な方法でダム建設の妨害・遅延を試みたが、幸いにもこのダムは完成し、数万ヘクタールの Herat 州の土地を潤すことになった。これによりイランは、国内での水量が減少したことに不満で残った。
 また、自然のキャタクリズム(大異変)の結果、イランでは過去10年で吃水が下がり、イランの河川・湖沼は枯渇しかけており、土地の砂漠化は拡大している。イラン政府は、この問題に必死に取り組んでいる最中である。

 アフガニスタンと広範囲に渡り国境を接する東方の隣人パキスタンとの問題はさらに複雑だ。パキスタンは半世紀以上にわたりアフガン内政に干渉し、アフガニスタン政府を傭兵化し、傀儡化しようとしている。1974年以来、パキスタンはテロリストを放置し、また彼らを近隣国にも送って来た。パキスタンは、イスラム戦士、タリバン、アルカイダ、ISILなどという名の反乱者やテロリストグループを創造し、育てはぐくみ、地域内での覇権を確立する目的で、アフガニスタンの経済発展を阻害してきた。
 パキスタンは、強力で、発展したアフガニスタンには反対で、平和や安全で安定した政府の登場をあらゆる機会を通じて阻止して来た。

 世界食糧機関FAOの統計によれば、おおよそ215億立方メーターの水が、 Kunar 川と Kabu l川から Turkhham を経由してパキスタンに流れている。アフガニスタンは、この水の70%をコントロール出来ておらず、420億立方メーターの水が国外に流出している。
 ドクター中村は、Kunar 川から Nangahar 州の Gamberi 砂漠を灌漑するための27kmに及ぶ灌漑水路、すなわち Murvarid(真珠の水)と呼ばれた、水路の修復プロジェクトを推進していた。このプロジェクトの完成の暁には、3,000ヘクタールの土地が肥沃な楽園となる筈だった。

 ドクター中村の殺害は、この視点からのみ考えられる筈だと思われる。私は、ドクター中村が16,000ヘクタールの土地を灌漑し、果樹園や畑を耕し、60万人以上もの人々に恩恵を与える事がなかったなら、決して殺される事はなかったと思っている。この、ドクター中村を襲撃し殺した輩達は、ドクター中村はパキスタンにとって脅威だと考えたに違いない。
 アフガニスタン政府をあげて行われている捜査活動により、このテロの本当の黒幕が誰であるか明らかになると確信している。

 幸いなことに、ドクター中村の偉業を引き継ぐことになった村上優氏は、ドクター中村の事業を最後まで責任を持って完成させると言っている。

 ドクター中村の暗殺は、アフガニスタンの国民の心を揺さぶり、すべての個々人の心の内に中村氏の場所が設けらることになり、何十もの道路や公園や学校にはドクター中村の名前が刻まれた。

 中村さんは、高貴なヒューマンであった、歴史は彼を決して忘れないだろう。
 神の祝福と御加護のあらんことを、
 御魂が安らぎを得んことを。
    2019年12月17日

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