海外論潮短評(83)

ナッシング・レフト
—アメリカ・リベラル派の凋落—

初岡 昌一郎


 リベラル派の週刊誌として長い歴史と伝統を持つ『ハーパース・マガジン』3月号に掲載された論文が、アメリカ・リベラル派(左派)の近年の不振と凋落を論じている。日本における状況とも相似するものがあり、興味深い考察がなされている。長文なので要点のみを掻い摘んで紹介する。筆者のアドルフ・リード・ジュニアは、ペンシルバニア大学政治学教授。

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20世紀後半までは健在で、影響力のあったリベラル左派
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 20世紀のアメリカでは、ほとんどの期間を通じてダイナミックな左派が存在していた。規制されない資本主義は容認できない社会的コストを生み出す、と彼らは確信していた。左派勢力のピークは1935−45年で、当時は労働運動、特に産業別組合会議(CIO)を中核とする組織的連携に支えられていた。

 当時、民主党内において左派は強い発言力を持っていた。連邦レベルではルーズベルト大統領が“第二次権利章典”と呼ばれる宣言を発表した1944年、その影響力は頂点に達した。これらの権利には、妥当な報酬と適切な医療ケアを得る権利、高齢・傷病・事故・失業の恐怖からの保護などが含まれていた。

 1960年代までは、労働運動とリベラル左派の連携がアメリカ政治において注目すべき役割を演じた。市民権運動、ベトナム反戦、女性の権利運動などの社会運動には左派が深く関与していた。これらの運動は旧左翼から組織能力と活動家などの資源を受け入れ、立法とイデオロギー闘争の両面で勝利をおさめた。

 しかし、1980年代と90年代には共和党による反動旋風が絶え間なく吹きまくり、中道左派は受け身に立たされた。右傾化の逆風を食い止めるために、民主党議員を選出するという目先の課題に追われるようになった。財界は共和党右派と手を組むと同時に、並行して民主党内におけるネオリベラル派の登場を後押しした。こうして、左派の勝利によって獲得していた社会的保護と規制が巻き返しの波に呑まれていった。

 受け身の姿勢が左派の諸グループ、組織、オピニオン・リーダーの間で広がり、ジャーナリズムにおける論評や批判が抑制される様になった。アメリカの左派は全体としてますます中道に移行した。

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社会・労働運動の後退と民主党右傾化への追随
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 今日、労働運動は全般的に下火になり、社会活動家はネオリベラリズムに調子を合わせようとしている。女性運動は80年代における賃金と処遇の平等や普遍的なチャイルドケアといった普遍的な目標を横に置き、公職への女性代表の任命や企業内での役職比率の拡大など女性エリートの進出を後援する方向に傾斜している。反戦運動の指導的人物すらも、アメリカの軍事介入の枠組みをかなり前から容認している。人種差別反対運動は「不平等」の克服から「不均等」の是正に軸足を移し、不平等を生む構造に対する批判を曖昧にしている。

 このような社会的政治的視野狭窄の原因は複合的である。しかし全般的に見れば、レーガン政権以後着実に右に移動した民主党主流派に対する追従であることは明白だ。理論的には、政治的構想力の退化である。実践的には、統合的ヘルスケア制度、高等教育と公共交通の無料化、住宅と所得を保障する連邦制度などの息の長い組織的な努力を必要とする、抜本的な改革目標の棚上げとなっている。

 政治行動の時間枠設定は選挙のサイクルに従属するようになった。次の選挙に間に合わない中長期的課題や、民主党のマニュフェストに合致しない政策は“非現実的”として退けられている。民主党左派を自認する人たちも、この選挙至上主義に巻き込まれている。現在のあらゆる選挙では、民主党の勝利が緊急かつ死活的重要性を持つとされ、異議申し立てや反乱が抑えられている。

 成果が上がっていないことが明白なのに、中道右派化した民主党に追随を何時までも続けるのだろうか。いつも聞かされる言い訳は、共和党によるホワイトハウス支配の恐怖である。今日共和党は下院をコントロールしており、ほとんどの民主党政策を効果的にブロックできる。

 民主党政権と共和党政権の相違を誇張することは、最近の民主党を美化し、過去の行動に免罪符を与えるものだ。共和党政権下では民主党の勝利が変化をもたらすと主張し、民主党政権になると要求の抑制を訴えるのでは、政治的出口が全くない。

 民主党のネオリベラリズムの中に左派が溶解してしまったことを考察すれば、個人、団体、機関などの自称リベラル派が、真正左派の週刊誌『ネーション』を含め、雪崩をうってバラク・オバマの大統領選キャンペーンに加わり、派手な言動で法外な期待を盛り上げた状況が理解できる。

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オバマは最初の黒人大統領だが、リベラル派ではなかった
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 オバマと彼の選挙キャンペーンは急進派に同調したわけでも、彼らと協力したのでもなかった。オバマは決して左派ではない。それどころか、彼はそのキャリアを通じて、ラジカルな政治とは一貫して距離を置いてきた。彼は著書や演説でステレオタイプ化した左翼批判や、ラジカルな主張に対する揶揄をしばしば繰り返してきた。

 彼はアメリカの政治経済制度の優越性を持ち上げ、左右対立とイデオロギー的分裂を越えて国民を結集する「現実的な進歩派」を名乗った。まず右派に配慮するというオバマの作戦は、おおむね政治的に必要なことだと左派までもが理解を示した。なかには、賢明なプラグマティズムと褒めそやすものさえいた。

 オバマ・ブランドのこの特徴は、過去の言動を背後に捨て去ろうとしていた、左派を自称する人たちにとって好都合であった。オバマは名目上だけで進歩派を名乗ることによって、これまでジェシー・ジャクソンやラルフ・ネーダーが乗り越えられなかった障壁を越え、実際に大統領の座を射止めた。陳腐な保守派的言辞を繰り返すことで左派から距離を置く選挙戦術をとる政治家を、なぜ進歩派と呼べるのであろうか。

 オバマ版「党派を超える」用語法の誇示を容易に「自称左派」に売り込めたのは、クリントンがすでにリベラリズムの境界を遥か右に移動させていたからであった。クリントンの「ニュー・デモクラット」の「新しい約束」が「大きな政府」を批判し、民主党リベラリズムが公共部門にコミットしてきた伝統を断ち切った。クリントンによる地均しがあったからこそ、オバマはスムースな路線切り替えができた。

 クリントンは貧困層を「ルールを守ってプレイする人」と「そうでない人に」に分け、前者に「機会と希望」を与えると鼓舞しながら、低所得者向け住宅から貧困者を追いだした。ほとんどの福祉改革政策の破綻が「怠け者の生活態度の矯正」を反貧困政策の根本に据えることをリベラル左派にも受け入れさせた。

 クリントン政権以後の左派が民主党の選挙戦略に縛られ、右派の社会的ビジョンを受容することで選挙に勝利しようとする限り、政治的左派の存在意義はなくなる。「左派」や「進歩派」は単に文化的な意味を持つだけで、現実に存在する社会秩序の理性的批判者ではなくなってしまう。右派だけが明確な主張を持っている。それに反して、「左派」とは「右派」でないという呼称にすぎなくなりつつある。

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労働運動の再建こそが左派復権のカギ
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 アメリカ社会における人種主義を重視する人々の中には、オバマ勝利のもたらすものが確定的でもないのに、それに酔ってしまうものが現れた。人種不平等、不公正、紛争の超越をオバマ大統領が拙速に宣言したことを、反人種政治の主張者たちは憂慮している。オバマの選出は今日のアメリカにおける左派の限界と、その衰退、モラルの低下、崩壊の表現である。

 政治状況の一部として定着した「ティー・パーティ」傾向と同じような危険は、不均等と多様性を不毛な言葉で論ずるだけで、ほかに批判的政治主張のない左派の士気阻喪である。現状を解説するだけの言葉をまき散らすことは、左派のネオリベラリズム版にすぎない。

 今日のラジカリズムとは、民主党リベラリズムがまだ後退していない反差別の原則的立場を強力に前面に押し出すことである。それが、経済的不公正の是正という公約から後退している民主党を引き戻す道である。

 アメリカの左翼にとっての厳しい任務は、効果的な政治勢力が存在していないことを認識し、その創出に向けて努力を始めることである。これは長期的な任務であり、労働運動の活性化に基盤を置かなければならない。現在の労働運動は弱体化し、後退しているが、その再建を支援することがアメリカの左翼にとって最も重要な任務である。

 これよりほかに選択肢はなく、マジックによる解決法はありえない。大衆を動かすために、言葉に頼って「人の心に火をつける」という幻想を拒否すべきだ。ブログや『ニューヨーク・タイムス』に依拠して、左翼再建の仕事ができるはずがない。居心地の良い左派的サークルの外に出て、働く人々との関係を構築し、組織を作るのに汗を流すべきだ。

 政治的無能力をまず認めることがわれわれ自身を解放する。選挙で選ばれる、そして選ばれたもの達たちにたいして、また公職に就いている者たちにたいして、われわれが影響力を持っていないことを率直に認め、2年や3年の短期的スパンの政治的競争にたいする幻想的期待とは決別すべきだ。

 政治的社会的に何が根本的な優先事項であるかという判断に基づいて、左翼的な批判と戦略にたいするアプローチを再考すべき時がとっくに到来している。ビジョンを実現する力量を持つ大衆運動を構築することに、議論と努力の焦点を当てなければならない。

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■ コメント ■
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 この論文におけるアメリカの左派に対する批判はそっくり日本の左派、特に中道左派にも当てはまるのではないだろうか。また、ヨーロッパの左派、社会民主主義派の現状にたいしても妥当な批判でありうる。

 組織的系統的な中長期的な努力を必要とする課題や政策を軽視、無視し、選挙中心のマニフェスト政治にのめりこんだ結果が、民主党に対する過大な期待とその無残な失敗に対する幻滅を生んだ。これは、特に日米に共通する政治状況である。伝統的中道左派の壊滅的な士気阻喪が、政治の軸を大きく右に移行させ、極端な右派の跳梁を許している。

 選挙と政党の意義とその決定的な重要性を否定するものではない。しかし経験と現状から判断して、選挙と政党に依存しては根本的な長期的目的が達成されないことをはっきり認識すべきであろう。

 自立、独立した社会運動、特に労働運動の再構築が日米に共通する課題だ。われわれも言論だけによって「人の心に火をつける」幻想から自らを開放し、左派、特に民主主義の徹底を目指す中道左派の再建を目指すネットワークの手助けをすべきだ。

 いかなる政府、政党、企業からも独立した労働組合、市民運動、NGOが、民主主義的市民社会の基盤を形成する。民主主議的左派と社会民主主義派の主張の核心である、社会的公正、機会と権利の平等、結社の自由、決定プロセスと統治の透明性、人間の尊厳、環境の擁護のための政策を実現させるためには、力量のある労働運動と市民社会が政治を後押しすることが不可欠であると確信する。

 残り時間が少なくなっている私個人としても、政治家の離合集散と直近の選挙結果に一喜一憂することをやめ、根本的に重要な課題と理想に真摯に向き合い、人生の結末をつけたいと願っている。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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