【コラム】あなたの近くの外国人(裏話)(77)
バングラデシュ暫定政権になってから発覚してきたこと①
0-1.右傾向を遅らせていた前首相と元大統領の訃報
日本の年末、インドのマンモハン・シン前首相とアメリカのジミー・カーター元大統領の訃報があった。どちらも自分の業績にならないが、今、世界的に右傾向になっているが、それを遅らせていたような印象がある。
ジミー・カーター元大統領は在職中の北朝鮮との対話、でも訪中歴ゼロ、退任後の人権活動。在職中、私はまだ高校生だった。それまで西部劇に出てきそうな裁判官とか役人のルックスの大統領しか見たことがなかったので、田舎臭い癒し感がある人が大統領になったんだと思った。その当時、私が若輩でイメージしていたアメリカってスタイリッシュな先進国・田舎ののほほんとしたした「カントリー」・もともと移民の国だった。その次は本当に西部劇に出ていた人が大統領になったが。
インドの前首相がカーター氏死去の3日前に亡くなっている。経済学者だったが政治家に転身し、経済成長だけでなく中国やパキスタンとの国境交渉など周辺諸国との安全保障悪化も食い止めていた。
マンモハン・シン氏は現パキスタン領で生まれ育った。パキスタン独立で、カシミールやパンジャブは分割され、ヒンドゥやムスリムがインド領に逃れ、ムスリムはパキスタンに逃れた。子どもの頃、逃れる経験をした双方の人たちの話しを伺うと、相手の国に対して「いい印象がない。悲しい思いばかりだ」と。祖父母に手を引かれて新たに作られた国境を泣きながら超えたのだ。今、日本に在留しているこの経験をしている人たちは難民在留資格ではなく、ほとんどが「身分・地位に基づく在留資格」なのである。マンモハン・シン氏がインド領に渡った苦労は友人たちの経験と被る。シーク教徒としての初の首相でもある。
彼の「動き」や、高度経済成長のためにベンチャー企業やシリコンバレーの言いなりになっているとして「ロボット首相」とあだ名された。特に歩き方は海外首脳との会談・会議では「緊張が伝わる」を超えてぎこちなかった。インド人で緊張に弱い人って少数派だとは思うが、マンモハン・シン氏は繊細だったのだろう。そして、日本との関係。野田元首相とマンモハン・シン元首相の会談は今の日本との経済協定に大きな貢献があった。だが当時の報道は扱いが小さかった。ドジョウ首相の後の安部氏とモディ現首相が「二匹目のドジョウ」をさらっていった。この経済協定を、だ。
0-2.災害
ロスアンジェルスの火災。ああ、映画関係の仕事をしている日本人友人の無事を知ったとき、全然他人事ではなくなった。この原稿が掲載される頃には鎮火しているよう祈る。
チベット自治区シガツェ市テングリ県で地震があった。ここは訪問したことがある場所である。1986-87-88年だ。食糧はチベット遊牧地の普通の干し肉や麦またはこがし、または軍事基地のために送られた缶詰だった時代だ。中継動画を観て、ここはどこかとか意外なくらい位置がわかったのが不思議なくらいだった。ある意味、東京よりも変化しているようだったが。
それと日本のメディア報道では、ネパールやインドでも揺れを感じた地域があり、家屋の倒壊は★ そして、湯たんぽなど暖を取れる支援物資を送れないかと思った。6月でも積雪がある地域だからだ。古着は UNIQLO であっても自前の民族衣装の下に着たからといっても意味があるかどうかはわからない。
1.日替わりで新しい話しが出てくる
今回は、主に反ハシナのほうから伺った。ハシナ支持派にとって不都合な真実とか寝耳に水とか情報が多すぎて、今までのほうが良かったとは言えなくなってきたからだと言えよう。また支持がどうというのでなく、支持なし派も含めてまだ様子見で、急にSNSなどでの情報が増えすぎてガセネタか嫌がらせか、言論統制から解放された(または暫定政権寄りすぎる情報が多くなった)ので、自分のメディアリテラシーの能力が高いとは言えないと思っているので慎重になっている人たちもいるのだ。突然の情報量増加にカオスを感じている人たちもいる。そしてインド領時代からパキスタンからの独立に遡って今の状況を考えている人たちもいるのだ。
2.旧英領インド領と歴史的宗教問題から現状
暫定政権の話しをする前に前置きのように話したいことがあったようだ。インド側のヒンドゥ至上主義だ。そしてパキスタンのイスラム至上主義だ。これは施政者に対して言いたいようだ。第二次世界大戦終戦で分離独立する前は、現パキスタンも現バングラデシュも現ミャンマーも、ヒンドゥ、仏教、シーク、共存していた。分離独立してから宗教が合わないから危険と国境を渡って逃げ出した大勢の人たちがいる。すでに75年が経過しているのだが、かなり根深いようだ。パキスタンでは2022年独立記念日にテレビCMで「多民族多文化」を強調していた。諸外国ではパキスタンはヒンドゥ、シーク、仏教、キリスト教を絶滅させたとイメージされているが、国内向けのCMでは逆である。
バングラデシュでもパキスタンはムスリムの国になったと思っている人が多い。インドに関してもコロナ・ロックダウンで金曜礼拝を行って集まっていたムスリムの人たちが捕まったり殺された、そしてこの時期に食糧が入らなかったので野良牛を捕まえて食べたムスリムたちを殺したり、暴行を加えたという話しがバングラデシュで広がっている。そういった事実はあったらしく、インド人ムスリムのシェフが怒っていた。
さらに、ミャンマーについてはインドが昨年国境に難民流出で柵を作り、難民のほとんどがムスリムであることをバングラデシュ人は懸念している。無宗教もしくは共産主義の中国とインドの国境問題もまた、バングラデシュ人たちはインドが陸の国境に面している国すべて(属国のブータンを除く)が関係が悪いのは、それぞれが単一宗教国家を頭に入れつつ、国内の他宗教も取り込み、さらに単一化を図っているのかもしれないのではと。そして、特にインド、モディ現首相になってからヒンドゥ至上主義が露骨になってきて、それはバングラデシュ人にも脅威を与えているようだ。バングラデシュ人は近隣イスラム他国よりも少数民族宗教に寛容な人が多いのであるが、自国のヒンドゥや仏教徒に対してである。インド人に対してはムスリムを差別・暴力・殺害の情報が流れてくるので、悪い印象しかない。
3.ハシナ氏とモディ首相への見解
「ハシナはモディにコントロールされている」インドに逃亡して何度か引き渡し交渉しているのだがインドはいっこうに引き渡す気配をみせていないという。ハシナ政権が独裁的になり、ハシナ氏のシェイク一族をはじめ、上級役人、陸軍トップが税金を自分の懐に入れ、外国にマネーロンダリングを横行するようになったのと、モディ氏が首相になって本性を現した時期が一致するのだとのことだ。
[予告]ここまで書いたら、もう少し様子をみて検証しなくてはならないと気づいた。
①ハシナ氏の父ラハマン「犯罪の百貨店」 ②陸軍ワッカル氏 ③ジア・カレダ氏ロンドン治療 ④1975年バングラデシュのクーデターの生き証人たち
聞き込み+メディア+SNS→再検証が必要だと感じた。
(2025.1.20)
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