【フランス便り】39
パリオリンピックが終わって
大会開催前、パリオリンピックはイスラムテロの標的になる、あるいは世界中から人が集まるのでパリの交通機関は混雑し、道路は渋滞する、ホテルやレストランの値段が高騰するなどの噂がマスコミやソーシャルメディアで流され、盛り上がらないオリンピックになることを予想した人が多かったが、実際にオリンピック(とパラリンピック)が始まってみると、フランス人は競技に熱狂し、大成功の大会となった。
大会の直前に、国民議会選挙で、議会が左翼、中道、極右に3分割され、辞職したアタル政権の後継者の見通しがつかないという政治的空白の中だったが。大きな混乱はなく、スポーツの祭典にふさわしい2週間だった。いつも辛口の記事の多いル・モンド紙はオリンピック直後の社説の中で、魅惑された2週間と表現した。
私は住んでいる町の一角を通った自転車のタイムトライアルは実際に見にいったが、それ以外はテレビで好きな競技を時々見ていた。何しろ、フランスの国営テレビ2局は朝から晩までオリンピックの実況で、ほかのプログラムはないに等しかった。
ただし、フランスのテレビが伝えたのは、フランス選手ばかりで、その他の国の選手は全く無視された。日本チームは金を含む多くメダルを獲得したようだが、私は一度も日本選手が優勝したところを見ることはできなかった。多分、日本のテレビが伝えるものとフランステレビが伝えるものはまったく別だったのではないかと推測する。善かれ悪しかれ、オリンピックというスポーツの祭典は愛国主義を示す機会となっている。
今稿では、オリンピック前に伝えられていたマスコミの悲観論をまず紹介し、その後、私が主にフランステレビで見たパリオリンピックを綴ってみたい。終りに、オリンピックについての個人的な記憶や感想を紹介する。
大会前の悲観論
フランス人は熱しやすく、冷めやすいラテン系の性質を有している。また、何事にも不平・不満を口にするフランス人の性格は有名で、我慢強く、社会的な規律を貴ぶ伝統を持つ北欧やドイツ人とは対照的である。この特徴に加えて、フランスのマスコミは、何事も批判することが報道の神髄と考えている節がある。
オリンピック開催前にマスコミで優勢だったのはオリンピック悲観論だった。もっとも、オリンピックの開催に批判的だったのは報道関係者のみではない。2023年秋のある世論調査では、競技会場が集中するパリ周辺の住民の半数近くが、オリンピック開催を冷淡あるいは否定的に見ていたし、大会直前の世論調査でも、オリンピック開催を積極的に評価したのは約6割にとどまった。大会期間中、観光客の増加によるメトロの混雑や交通渋滞を心配する、あるいはテロによる安全への懸念があるとする答えが非常に多かった。
テロの懸念は深刻だった。フランスはここ10年何回となくイスラムテロの標的になっている。しかも、パレスチナ戦争が続いているなか、ヨーロッパ最大のユダヤ系とイスラム系の人口を持つフランスなので、個別的なテロ事件はいつ起こっても不思議はなかった。
オリンピックの開会式は、競技場という限られた空間ではなく、セーヌ川を主役とする開かれた空間なので、警備問題は深刻だった。結局、警備の関係で、最後的には、セーヌ川に面した開会式の観客席は当初の計画の半分に減った。
その厳重な警備態勢(競技場の近くの閉鎖と身体検査)のために、開店休業となる会場近くのレストランの苦情などが頻繁にテレビで流された。また、トライアスロンの会場となるセーヌ川の水質も問題視された、上流の一部には、いまだに下水が完備していないところがあり、水質が水泳に適するかどうかが議論された。さらに、オリンピックの予算が、当初の予測を相当上回るのではないかという記事もみられた。
このような雰囲気の中、パリに住む人の中には、オリンピックの時期にパリを離れ、バカンスを取る人や地方の別荘に避難した人が相当にいた模様である。
ところで、オリンピックの国内組織委員会は面白いアイディアを出した。聖火はギリシャから帆船で1週間後にマルセイユに到着、その後、南から北に向けて1ヶ月をかけて、多くの町や都市をめぐりながらパリに向かった。聖火が通る街には多くの人が集まり、それをテレビが毎日のように伝え、オリンピックムードを高揚させようとしていた。開会式の2日前に、聖火は私の町を通ったが、沿道には相当な人が集まっていた。
フランスが魅惑された2週間
ひどい雨の中で行われた開会式は、合計3時間という長いものだったが、いろいろ工夫されていて率直に面白かった。とくに、舞台が閉鎖された競技場ではなく、パリの中心部とセーヌ川を使ったところが斬新だった。パリの顔であるエッフェル塔、レザンバリッドのドーム、ルーブル宮殿、チュイルリ公園、コンコルド広場をとらえた画像は印象的だった。
さらに、ルーブル宮殿からトロカデロ広場の会場に聖火を運ぶ金属製の馬がセーヌ川を走った映像は奇抜で、面白かった。最後のセリーヌ‣ディオンがエッフェル塔の上から有名なエディット・ピアフの愛の頌歌を熱唱したのが素晴らしかった。彼女はここ4年間、喉の病気のため、公演を停止していたとう。しかし、その透明な声はさすがだった。
さて、いよいよ競技が始まると、予想以上にフランス選手が活躍し、それをテレビが映し出す。第1週には、7人制ラグビー、柔道、水泳などでいくつもの金メダルを獲得する。とくに、水泳で4つの金メダルを獲得したレオン・マルシャンはあっという間に国民的英雄となった。その後も、国営テレビはフランス選手の一挙一動を映し出し、オリンピックムードを盛り上げた。結局、フランスは16個の金を含む64のメダルを獲得し、上々の成績でオリンピックの2週間を終えた。
オリンピックの期間、テロは起こらず、交通機関にも混雑はなかったようだ。少々、選手から不満の声が出されたのはオリンピック村の食事の問題とエアコンの欠如だった。パリオリンピックは環境に優しくをモットーとしたので、肉料理を最小限にし、野菜を重視したメニューを組んだ。ところが、エネルギーを必要とするアスリートから猛烈な抗議があり、担当の会社は慌てて肉と卵を増やしたという。とくに、イギリスの選手から朝食の卵が少ないという不平が多かったらしい。
また、環境への配慮から、オリンピック村にはエアコンは配備されなかったので、小型のエアコンを持ち込んだ選手団もあったらしい(数日は、30度に達する暑い日があった)。エコロジストが多いフランスとその他の世界との価値観の違いが浮き彫りになった。
オリンピックが開かれると同時に、フランス全体のムードががらりと変わった。テレビも新聞もオリンピックの記事ばかりで、日ごろ多い庶民の不平はまったく伝えられなくなる。2週間の間、政治の空白とかテロの脅威などを全く忘れ、フランス人はパリオリンピックに熱中し、楽しんでいた。
それにしても、悲観論が優勢だったオリンピック前とオリンピックの盛り上がりの違いは何だったんだろうか?マスコミの虚構だったのだろうか、それとも熱しやすいフランス人の性格のせいなのだろうか?実に不思議なオリンピックに魅惑された2週間のフランスだった。
変質したオリンピック
私が初めて接したオリンピックは1964年の東京オリンピックだった。当時、私は大学院の学生で、フランス留学を目指し、飯田橋の日仏学院で集中的にフランス語を勉強していた。その仲間の紹介で、オリンピックの期間、フランス選手団の通訳の一人として、自転車のチームを担当した。その関係で、フランス人選手団のために用意された一等席で、開会式を見ることができた。
その日、10月10日は快晴で、実にすがすがしい日だった。選手団の入場の一番終りに赤と白のユニフォームの日本選手団が整然と行進した時には私はやはり感動した。その頃、日本はまだ相対的に貧しく、発展途上国のグループからようやく先進国グループの端にたどり着きそうな頃だった。1ドルが360円の時代で、西欧からの輸入品はなんでも高級品の扱いを受けていた。そこに、世界中から選手やメディアが東京に集まる初めての世界的なイベントである。これで、日本の戦後が終わり、ようやく国際舞台に乗り出すことができ、明るい日本の未来があるのではと私は感じた。
このころの国際オリンピック委員会の会長はブランテージ氏で、オリンピックの商業化を警戒し、プロ選手を排除していた。そのため、勝つこと以上にオリンピックに参加することに意義があることが当時強調されていたように思う。
それから60年、オリンピックの性格は大きく変わった。まず、アマチュアの条項が国際オリンピック委員会の憲章からから削除〈1974年〉され、オリンピックの商業化が進む。商業化はスポーツのプロ化を伴い、テレビの視聴率と大口スポンサー探しがオリンピックの成功のカギとなる。そして、オリンピックの予算や規模は回を重ねるごとに拡大し、現在では、大国のバックがなければオリンピックを組織することは不可能とまでなっている。
今回のパリオリンピックは公式の予算だけで90億ユーロだが、メトロなどの交通機関の整備やセーヌ川の汚染対策などは別の予算となるので、そうした付随的な出費や投資を含めると膨大な数字となる。まさしくフランスの一大国家プロジェクトであった。
オリンピックの予算の拡大に伴い、参加選手の数、競技の種目も猛烈に増えている。東京オリンピックの時の種目が20だったものがパリオリンピックでは47種目となった。参加選手数も、東京オリンピックの約5000人がパリでは2倍となり、とくに女性選手の増加には目を見張る(東京オリンピックでは680人、パリは約5000人)。そして、オリンピックを統括する国際オリンピック委員会はテレビの放送権、オリンピックマークの独占、そしてスポンサ‐からの収入で、裕福なイベント屋となっている。
競技種目で目を引くのは、目新しいスポーツが多いことだ。パリオリンピックでは、7人制ラグビー、自転車BMXフリ‐スタイル、スポーツクライミング、スケートボード、ブレイキン、体操のトランポリン、アーチュリー、トライアスロン、サーフィン、カヌースプリントおよびスラロームなどが公式種目として採用されていた。どれだけの人が上記のスポーツを楽しみ、そのルールを知っているのだろうか?このまま末広がりに拡大してゆけば、そのうちに、フランスのバカンスの風物詩ペタンクや日本が得意としているゲートボールがオリンピックの種目になる日が来るのでは?
商業化のもう一つの例として、金メダル獲得者に与えられる報奨金がある。日本は500万円とあるが、フランスはその倍以上の8万ユーロが国から与えられた。さて、この額を高いとみるのか低いとみるのか?テニスのフランス大会の優勝賞金が200万ユーロ(3億円)を超えるので、安いような気もするが、人によっては8万ユーロは高いと感じるかもしれない。東京オリンピックの時は、金メダルを獲得しても報奨金はなく、社会的栄誉のみだった。
近年、オリンピックは国威を示す絶好の機会となっている。アトランタオリンピックや北京オリンピックもそうだったが、今回も、フランス人が熱狂したのは、フランス人が勝利し、国歌が流される瞬間だったように感じる。各国の選手は、まるで国威発揚のために金メダルを目指しているような不思議な気持ちになる。近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵は、お墓の中でこんなはずではなかったと苦笑しているのではなかろうか?
東京オリンピックから60年経て、オリンピックは変質した。これを嘆いてみても、昔のようなオリンピックにはならないだろう。ただ、私たちのように昔のオリンピックを知っていたものには、最近のオリンピックは、スポーツの祭典ではなく、スポーツを口実にした商業的イベントになったと考える人が多いのではなかろうか?次のオリンピック開催地はハリウッドの本場ロスアンジェルスなので、質素な大会になるとは考えにくい。
2024年 9月13日、パリ近郊にて、鈴木宏昌(早稲田大学名誉教授)
(2024.9.20)
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