【ポスト・コロナの時代にむけて】
フランスにおける新型コロナウィルスの流行と全面的ロックダウン;私の体験と感想
フランスは、イタリア、スペイン、ベルギー、イギリスと並んで、欧州において新型コロナウィルスの被害がもっとも深刻だった国の一つで、死者の数は、6月11日現在約3万人に及ぶ。厳しい罰則付きの外出禁止(ロックダウン、都市封鎖)は実に2か月を超え、ようやく経済活動が緩やかに回復し始めたばかりである。いまだに新型コロナウィルスへの恐怖があり、街で見かけるバスには乗客がほとんどいない。いつもは人でにぎわうレストランやカフェはほとんど閉まったままである。
今後、普段の生活が戻るにつれて、ロックダウンの経済・社会的な影響が出てくる思われるが、今のところフランスは、外出制限の緩和にほっとしているというのが正直なところだろう。本当に長いロックダウンと外出禁止だった。私の体験をもとに、ここ3カ月の新型コロナウィルスの感染状況と息苦しかった生活を振り返ってみたい。
◆ 私の体験記
私たちは、パリの近郊にある小さな町で年金生活者(兼パートタイム研究者)として毎日を送っている。普段の私の生活は、週に1回、2回パリの南郊外にある研究所に行き、本を読んだり、書き物をしたりし、若い研究者と交流したりしている。そんな私の生活の中で、今年の3月には2つの大きなイベントンが予定されていた;1つには、私の姪が春休みを利用し、10歳の子供と一緒にわが家に1週間(3月3日から9日まで)滞在し、パリ観光をするものだった。2つ目は、3月中旬に、旧知の日本の労働関係研究者数人が、パリで、1週間(3月17日から22日まで)、フランスの労使関係者や研究者をインタビュするというもので、私もオブザーバーとして参加する予定だった。
ところで、フランスで最初に新型コロナウィルス感染者が出たのは1月24日だったが、このケースは入国直前に中国に滞在した人で、そのときは、隔離措置が取られ、感染は広がらなかった。ところが、2月の中旬あたりから、新聞に新型コロナウィルスに関する記事が増え、伝染病を専門とする研究者のインタビュがテレビのニュース流されるようになる。ワクチンも有効な治療法もないこと、とくに高齢者や慢性的な持病を持つ人の致死率が高いこと、毎日何回も手を洗うことが唯一の予防法などを繰り返し述べていた。
2月28日には、国の伝染病の警戒レベルが、単なる警戒水準から感染の大流行を避けるレベル2に引き上げられる。当時、フランスでの感染者は100人ほどで、死者は2人でしかなかった。ただし、隣のイタリアは、もうすでに、感染者が1,000人を超え、爆発的に増え始めていた。私は、それほど新型コロナウィルスに恐怖心はなかったが、知らぬうちに感染し、我が家にウィルスを持ち込むのが嫌だったので、2月以降は外出や買い物はできるだけ避けていた。このころになると、多くの人は、外出を自粛し、街から人が少なくなる。
私の姪は、こちらに来る前、少々躊躇したようだが、結局、大丈夫だろうと判断し、予定通り3月3日にパリ・ドゴール空港に到着した。空港に迎えに行ったが、空港内は人が極端に少ないことを除けば、いつもと変わりはなかった。姪の話では、飛行機は空席が多く、旅は楽だったが、入国の際にはなんの検査もなく、拍子抜けしたとのことだった。
姪たちは、実に元気で、毎日朝からパリに行き、予定した観光地を見た後、疲れて帰ってきた。姪の話では、ルーブル美術館もエッフェル塔も観光客が少なく、いつもは混んでいるはずのモナリザの部屋はほとんど人がいなくてとてもラッキーだったと喜んでいた。もっとも、姪たちが行った翌日には、ルーブル美術館の受付や監視の労働者が新型コロナウィルスへの安全対策が十分でないとして職場放棄したとテレビニュースが伝えていた。私は、感染を懸念し、自宅にこもっていた。姪たちは元気に3月9日 帰途についた。
事態が急転するのは、日本からの研究者が来仏する直前だった。3月になると、新型コロナウィルス感染者は爆発的に増えはじめ、3月12日には、政府は学校・大学の閉鎖と100人以上の集会の禁止を定めた。この情報を入手した私の友達の研究者からは、ミッションは大丈夫かというメイルをもらったが、大学は閉鎖されても、個人面接は大丈夫だろうと私は楽観的な返事を書いた。ところが、3月14日には、伝染病の警戒レベルを最大のレベル3に引き上げ、生活必需品を除くすべての公共施設、商店・レストランなどの閉鎖を宣告した。この日には、累計感染者数4,500人、72時間で感染者が倍増していた(死者 92人)。
3月15日 日本の研究者からメイルが入った:研究者チームは、羽田空港まで行ったが、協議した結果、フランスに着いたとしても、レストランやカフェが閉まり、食事すら確保することが難しい上に、日本外務省からフランス渡航を控えるようにとの情報があったので、今回の出張をキャンセルしたとのことだった。ぎりぎりのところではあったが、研究者チームは妥当な選択をしてくれて本当によかった。
翌日の夜、2回目のマクロン大統領のテレビ演説があり、ここで全面的なロックダウンと外出禁止が発表された。この演説では、新型コロナウィルスとの闘いを戦争であるとし、ロックダウンに伴う一時的失業者の賃金は、国が支出し、失業を阻止するとした。ロックダウンは、最初は、最低2週間とされ、状況を見て、その延長を決めるとした。
3月17日から私たちの生活は一転した。外出が許されるのは、家の近くでの生活必需品の買い物と1日1時間の散歩(自宅より1キロ以内)のみで、しかも自己申告の外出証明書、身分証明書の携帯が義務付けられた。それとともに、公園、マルヌ河沿いの散歩道は閉鎖された。この外出禁止は、罰則付き(罰金 15,000円相当)で、私は2回ほど家の近くで証明書の提示を求められた。初期の2週間という拘束期間は、新型コロナウィルスの感染者が増え続けたこともあり、実に2か月も続いた。皮肉なことに、普段は不安定であるパリの今年の春は暖かい晴天の日が続き、外出制限が実に恨めしかった。散歩道路が歩行禁止になったので、毎日1時間、小さな町のいろいろな通りをひたすらに歩いた。町の商店街は死んだようで、パン屋と薬局のみが開いていた。
私たちの生活は実に単調なものになった。昼と夜 食事をしながらテレビを見ること、ネットで新聞を読むくらいしかすることがなくなった。本を読むといっても、手元に読みたい本は少なく、第一、本格的な読書をする気にはならなかった。新聞・テレビは新型コロナウィルス関係のみで、シリア、リビアの問題や移民の問題もまったく視野から消えっていった。テレビは、毎日の死者や重症患者の数をトップに伝え、病院の人工呼吸設備の不足、マスクなどの防備服の不足などを伝え、私に言わせれば、国民の恐怖心を煽っていた。
毎日毎日が同じことの繰り返しで、生活のリズムがなくなり、私は、4月半ばくらいから、不眠症に悩まされる日が多くなった。1、2度、一般医の診断を頼んだが、もちろん、オンラインの診察だった。このころ、新型コロナウィルスを扱う病院以外、一般医は診察に来る患者がいなくなり、開店休業の様子だったという。
長く続く外出禁止の影響は、それぞれの人の生活、住宅環境による違いが大きい。庭を持つ人や田舎に住む人には、外出制限の影響はほとんどないが、パリの小さなマンションに住む人たちや子供の多い家庭では大変である。Le Monde 紙の報道によると、裕福なパリ市民の多くは、外出禁止の直前に別荘に疎開したという(パリの人口の約15%と推計された)。
パリ地域のいくつかの郊外は、外国出身の貧しい人が多いことで知られているが、彼らの住居は劣悪で、子供の数も多い。そのような家庭での外出禁止は苦しい。ロックダウンの最中に、学校は遠隔授業を行っていたが、約1割弱の子供は、家にパソコンがなかったりして、まったく音信不通の状態になったと言われる。ロックダウンは貧富の格差の拡大鏡でもあった。
こんな状態が2か月続いた後、新規の感染者や重症患者数が減ってきたことから、5月11日から外出制限は緩和され、ようやく行動の一定の自由が認められることになった。ただ、安全衛生上の制限として、マスクの着用と他人との距離を1.5メートルほどとることが定められ、スーパーやパン屋の入口に長蛇の列ができることになった。厳しい安全衛生基準が職場で適用されるので、多くの会社や建設現場は閉まったままのものが多かった。
6月2日に外出制限がさらに緩和され、ようやく建設現場などに活気が戻る。学校も再開したが、安全衛生基準の関係で、わずかに3割程度の子供しか学校に戻っていない。実に3か月間 フランスの経済・社会活動は息を止め、休止した状態だった。
◆ フランスの新型コロナウィルスの流行
ここらで、少しだけフランスにおける新型コロナウィルスの展開を見ておきたい。2月の始めまで対岸の火事として、中国やアジアの状況を眺めていたフランス政府が、国内での新型コロナウィルスの伝染の危険が高いことを察知したのは2月下旬であったらしい。もうすでに、イタリアでの感染が爆発的に広がりはじめ、ミラノ地域のロックダウンが始まったのを知り、フランスは警戒態勢を強化したが、もうそのときには国内にいくつものクラスターが発生していた。
とくに2月下旬にアルザス地方のプロテスタント教会で、大きな集会が1週間続き、それに参加した2千人を超える人が各地に戻り、結果的に新型コロナウィルスを拡散させた。3月上旬になると、アルザス地方では感染者が病院に殺到し、受け入れ不能の状態になる。
そのころ、大統領諮問の専門家会議が、フランスの新型コロナウィルスの流行はイタリアに1週間から10日遅れで、同じような感染者のカーブを描いていることを指摘する。また、政府は、当時もっとも権威があるとされるロンドン・インペリアル・カレッジから、フランスのシミュレーション結果が知らされる。適当な措置を施さなければ、フランスにおいて、合計30万-50万人を超える死者が出るとの予測だった(3月20日付け Le monde)。この結果にショックを受け、マクロン大統領は、ロックダウンを行う以外に、犠牲者を最低限に抑え、医療制度の崩壊を避ける方法はないと決意したと言われる。
はじめは、1か月程度と踏んでいたロックダウンは、その希望的観測と逆に、新規感染者や死亡者数はウナギ登りで、4月初めには、病院での死亡者数が毎日500人を上回ることになる。累計の死亡者数は、4月2日に4,500人、4月14日には15,000人までになる。その後は、新規感染者、入院患者、死亡者のいずれの数字も減ってゆくが、5月初めでも、毎日100人を超える死亡者が記録された。なお、政府の発表する死亡者数は、4月に入ると、老人ホームでの数字が集計され、別個に発表されることになった。
政府発表の直近の数字(6月11日)によれば、感染者数、約15万人、死亡者数は合計29,000人、そのうち、病院での死亡者 19,000人、老人ホームでの死亡者が約1万人となる。実に恐ろしい数字だが、ヨーロッパの中では、イギリス、イタリア、スペインに次ぐ犠牲者を出したことになる。多くの専門家は、3カ月のロックダウンがなければ、この数倍の犠牲者が出ただろうとみている。
政府の言動をとかく批判することの好きなフランス人だが、ロックダウンに関しては、誰も表だって反対する者はいなかった。新型コロナウィルスの犠牲者数を最低限に抑えることが優先目標ということでは、国民は一致していた。
◆ 私の感想
今回の新型コロナウィルスは、これまでに経験のない、特異な危機だった(過去形を使って大丈夫?)。世論に押されて、政府はただひたすら国全体を隔離すること以外に選択肢がなかった。ただ。この危機が深刻だっただけにいくつものフランス社会の弱点や特徴がよく表面に現れたように思う。箇条書きで私が気付いたことを並べてみよう。
1.徹底的な中央主権国家の強みと弱み
フランスは伝統的に中央集権の国である。ルイ14世やナポレオンを引き合いに出すまでもなく、大統領が強い権限を持っている。今回、安全衛生上の緊急事態として、突然、大統領の一声で、全国のロックダウンが決定された。新型コロナウィルスによる犠牲者が3万人程度で収まったのは、このロックダウンのお陰と見る人が多い。
私は、少し別の見方をしている。なぜ、フランスは、地域格差を無視し、ロックダウンに強弱をつけなかったのだろうか? フランス国内の感染者は、ほとんどパリ地域とアルザス地域に集中していた。南部地方、すなわち、リヨン、マルセイユ、ボルドー、トウルーズ地方では、限られた数の感染者しか出ていない。にも拘わらず、ロックダウンは、画一的に適用され、経済活動は、食料品関係を除くと、すべてストップする状態が2、3カ月続いた。私の目には、中央集権の伝統が、安全衛生基準の地域あるいは自治体への分権を妨げたように感じられた。
隣のドイツは、コロナウィルスの流行が少なかった幸運もあったが、連邦国家であることから、全面的なロックダウンではなく、州ごとの基準のロックダウンで危機を乗り切った。OECDの直近の2020年の経済成長の予測では、フランス経済の縮小は、マイナス11.4%または14.1%なのに対し、ドイツは、マイナス6.6%または8.8%となっている。
2.財政赤字の拡大とユーロ
政府は、2か月以上のロックダウンを定める代わりに、企業・労働者への大胆な救済措置を取った。まず。企業・サラリーマンに対してテレワーク実施を強く求め、それが不可能な場合には、一時失業制度を大幅に拡大し、失業を阻止しようとした。多分、政府は、当初、1カ月くらいでロックダウンは終わるとみていたのだろう。
ところが、2カ月、あるいはかなりの産業では9月までこの措置を延長せざるを得なくなった。結果的に、民間企業の約2人に1人がこの制度の恩恵にあずかることになった。言い換えれば、国が企業に代わり、失業中の労働者の賃金を払い続けている。このほか、深刻な危機に陥った航空機産業、自動車産業、観光産業への大型の支援などを決めている。このように、国はすさまじい経済支援をしているので、財政赤字は大きく拡大するのは間違いない。
現在の政府の予測では、財政赤字は今のGDPの約100%から一挙に120%になると予想されている。政府は、金利が現在低いことを利用し、市場からの借り入れでしのぐことを考えている模様である。ユーロが健在である場合には、金利は上がらずに済むかもしれないが、中期的には、金利の問題、そしてさらにユーロが維持できるのかという疑問が残る。
今回の新型コロナウィルスは、財政基盤のもともと弱かったイタリア、スペイン、フランスで深刻だったのに反し、財政事情が健全なドイツ、オランダ、北欧諸国は、比較的軽微な影響で済んでいる。EU内部で、南北の格差が増えるに従い、ユーロのベースがもろくなる。その点、これまで、イタリアなどより比較的健全とされていたフランスの財政が地中海グループに入ることで、EU内部の南北格差が拡大し、ユーロひいてはEUの基盤が弱体化する危険性がある。
3.悲観的なフランス人と漠然とした不安
多くの国際的な意識調査で、フランス人は自分の将来や国の未来に悲観的であることが知られている。そのため、政治的には批判精神が旺盛だが、自分の家族や既得権に関しては、徹底的に保守的となる。所得の不平等には敏感だが、税や社会負担の増加には絶対反対の人が多い。また、未来に対する不安から、アングロサクソン流の自己責任という考え方がなく、何か問題があると国の責任と考える傾向が強い。
マスク不足に対する集団ヒステリーはここらの事情を象徴している。政府(医療当局)は、早い段階で医療用のマスクと一般用のマスクが不足することを知っていたようだ。そこで、マスクを医療関係者にのみ販売するように薬局に指示し、一般の人には、マスクの効用は少ないと説明していた。これを信じない人たちは、様々な方法で、マスクを調達しようとした。
そのうち、政府もマスクの着用が感染防止に一定の効果を持つと説明をかえる。このような政府の矛盾に満ちた説明に反感が広がり、国のマスク準備不足が政治問題化した。そして、一時期には、マスク不足が新聞・テレビの大見出しになるまでとなった。政府は、ついに特別機を中国まで飛ばし、マスクの確保をつとめた。しかし、マスクが一般に出回るようになると、新型コロナウィルスの感染者の数は下火となり、今では、売れ残ったマスクの処理に困っているまでになる。
マスクの最大の生産地中国が生産と輸出をストップさせたことで、多くの国がマスク不足に悩んだが、ほかの国では大きな政治問題化することはなかった。このマスク騒動では、何事も国の責任にしたがる国民性が強く出たように思われる。これも、多分に、フランス人が悲観主義に陥りやすいことが根底にあるのだろう。
2020年6月11日、パリ近郊にて
(早稲田大学名誉教授、パリ在住)
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