【視点】

フランスから見たロシアのウクライナ侵略

鈴木 宏昌

 2月24日にロシア軍の戦車が全面的にウクライナに侵略して以降 フランスのメディア(新聞、雑誌、テレビ)はウクライナ情勢でほぼ独占され、5年に一度の大統領選挙も影が薄くなっている。日本でウクライナ戦争がどのように報道されているかわからないが、かなりフランスでの報道と違うのではないかと思っている。そこで、私が見た範囲で、現在までのフランスのメディアに見られたウクライナ戦争のありさまを簡単に伝えたい。

 ◆ 誰も想像しなかった全面的なロシアのウクライナ侵略

 ロシア軍がウクライナとの国境付近に10万人を超える兵士と戦車を集結しているニュースは、2月の中旬には新聞でもかなり詳しく報道されていた。そして、アメリカがその諜報機関からの情報を分析し、ウクライナ侵略の危険が迫っていることを知らせる報道もあった。ただ、フランスの多くの専門家の意見では、プーチン大統領の常套手段である単なる脅かしであって、もし侵略を企てても、すでに一部ロシア影響下にある黒海に面したドンバス地方くらいだろうというのが大半の予測だった。

 私の記憶に残るのは、ドイツ・東欧問題に詳しい新聞記者が、週刊誌のコラムで、たとえロシアがウクライナに侵略したとしても、「西洋人でウクライナのために死ぬ覚悟の人がいるだろうか? 答えは否である」と見出しに書いた記事だった(Express誌、1月20-26日付)。この評論の内容は、力関係しか信じないプーチン大統領に対し、EUは軍備を全く持たず、独力では対抗する手段を持たないことを指摘したものだった。私はその時なるほどと思ったことを憶えている。
 私の中でのウクライナは、昔のソヴィエト連邦の知識にとどまっていたので、キエフやドニエプルがロシアの一部ではないことを知り、少し驚いたくらいだったので、遠いウクライナでの戦争にはフランスやEU諸国はそれほど介入することはないだろうと想像していた。

 ところが、2月末からロシア軍のウクライナへの全面的侵入と爆撃が始まると、この予想外の事態にフランスの政治家・報道関係者は唖然とし、まるで時間軸が大きく20世紀に逆転したような報道になった。その後、ウクライナからの現地情報や映像が毎日のように放映されると、国民の感情は犠牲者であるウクライナへの同情と共感に急展開する。
 一つには、プーチン大統領が、国際法やこれまでの常識を破り、民主主義を目指す独立国家への道理のない武力による侵略に対する反発があった。また、西欧の民主主義を徹底的に蔑視するプーチン大統領個人への強い反発があり、ウクライナへの同情から、すぐに西洋の民主主義への挑戦へと転換し、フランスの庭先で戦争が起こっていることとしてウクライナ戦争が受け止められることになる。新聞に雑誌にプーチン大統領の似顔絵や分析があふれ出す。

 このような報道と同時に、政治面では、マクロン大統領(6ヶ月間、EUの代表の地位にある)、バイデン・アメリカ大統領を中心として、アメリカやEUはロシアに対する経済制裁を強化する。金融取引の国際的なネットワ―クであるSWIFTでのロシアの銀行の活動停止(ただし、最大の二つの銀行は、石油や天然ガスの取引を扱っているので、除外される)、ロシア銀行の海外資産(ドル建ての外貨準備)の凍結、プーチンに近い富豪、いわゆるオリガルヒの海外資産の凍結などの経済制裁措置を行う。
 同時に、EUはウクライナへ防衛用の軍事機材の援助を行うと発表する。これまで、EUは加盟国全部の全会一致の原則が足かせとなり、対外的には全く無力であったものが、ロシアのウクライナ侵略を契機に、一つにまとまり、厳しい経済制裁となった。旧ソ連圏の実質的な支配下にあったポーランド、バルト3国、ルーマニアなどがプーチン大統領の存在を国家的な脅威と感じ、ウクライナへの積極的な武器、難民援助へとEU委員会を動かしたと言える。

 さて、2月末以降のフランスのテレビニュースは、ウクライナの各地(キエフ、マリオポリ)からの実況を取り上げ、ミサイル攻撃の被害、一般市民の地下での生活、そして4百万を超えるウクライナ避難民の様子を伝える。私が驚いたのは、国営放送の夜の8時のニュースを戦争が続くウクライナのリビウ(ポーランドとの国境に近い都市)に移し、そこから放送したことだった。それほど、フランス人の関心がウクライナに集中していたことを物語る。
 あるいは、フランスの地方の市民団体がバスや車を連ね、避難民受け入れのためにポーランドの国境まで行くルポもあった。シリアなどからの難民受け入れでは、冷淡な人が多かったフランスだが、このウクライナ避難民となると全く反対の声が聞かれない。NGOの中には、どうして出身国によりフランスの受け入れ態度に大きな違いがあるのかと疑問視する投稿も見受けられたが、圧倒的多数の意見は、民主主義を守るために勇敢に戦うウクライナ人に対する強い同情が支配していた。

 以上が私がパリで見たり、読んだりしたこの40日間のフランスの報道の流れである。丁度、この時期は大統領選挙運動(一次選挙)の真っ最中であったが、その選挙は全く盛り上がらないものとなった。そもそもマクロン候補・大統領はウクライナ問題で忙しく、ほとんど選挙活動はできなかった。
 さて、冒頭に引用した記者のことに触れると、その切り口は大きく転換する。ロシア軍に対するウクライナの戦いを「他人の戦いではない」として、キエフで起こっていることは、EUの戦いでもあるとし、プーチン氏が戦争を挑んだのは私たちの文化そのものだと書いている(Express誌、3月24-30日付)。

 ◆ プーチン大統領の性格

 もう少し細かくフランスの論調を紹介しよう。まず、プーチン氏の狙いに関しては、この20年間執念深く、少しずつ巨大なロシア国家の像を心の中に描き、それに向かって進んできたとする分析が多い。まず、ロシア軍の立て直しのために、2008年以降軍備に大量の予算をつけ、その装備の近代化を図る。そして、2014年にクリミアへの侵略を行う。その後、EUやアメリカが経済制裁に踏み切ると、国内産業を強化させ、自国経済の独立を狙う。このように、着々と昔のロシア帝国への回帰を進め、絶えず、EUやアメリカが分裂し、弱体化する時期を狙いウクライナへの侵略を行ったのだろうというのが専門家の意見であった。

 プーチン氏個人に関しても新聞・雑誌に多くの憶測が流れているが、ほぼ共通しているのは、ここ5、6年の間に、プーチン氏の周辺には、反対意見を言える人はいなくなり、プーチン氏はクレムリンの中で孤独で、全く現実の世界と異なる世界に閉じこもっている。この傾向は、新型コロナの2年間でより強くなり、パラノイアの傾向が加速したのではとする報道が多かった。
 彼自身の歳(70歳)のこともあり、歴史に足跡を残そうという気持ちが背景にあり、ウクライナ侵略に踏み切ったと指摘する人もいる。彼の歴史観では、ロシアの源はキエフから始まり、ロシアとウクライナはもともと同じ国であったものが、スターリンの時代に人工的にウクライナという国をつくり、ロシアから独立させた。したがって、ウクライナとロシアは一体であるべきと認識しているようだ。

 この歴史認識に関しては、多くの歴史家や専門家から誤認であるという指摘が多い。どうもウクライナの近世史は複雑なようで、ロシア支配下になるまでは、ポーランドやリトアニアの支配下の時代が長かったらしい。大きな転換期は、2014年のマイダンの革命で、ロシア寄りの政権が崩れ、国民の多くが西洋型の民主主義を望むことになり、プーチン大統領のロシアから大きく離れることになる。

 ◆ プーチン大統領の大誤算

 プーチン大統領のウクライナ侵略は、軍事面、経済面、地政学面で誤算の連続だったとする意見がフランスでは強い。これらの誤算を少し検討してみよう。

 軍事的誤算 これまでプーチン大統領の軍事介入は、2014年のクリミア侵略、チェチェン、シリアで行われたが、いずれも訓練された特殊部隊が短期に成果を上げたものだった。クリミア侵略の時には、ウクライナの軍隊は弱体で、短時日にクリミア半島などを征服することができた。そのため、プーチン氏はロシア軍の力を過信するとともにウクライナ軍を過小評価していたと思われる。とくに、諜報機関からくる情報はプーチン大統領が喜ぶ情報しかクレムリンに届かず、戦争は2、3日で終わり、ウクライナ人の多くからロシア軍は解放者として歓迎されると考えていたとされる。
 また、ウクライナへの侵略の決定は事前に数人にしか知らされず、すでにウクライナ国境に派遣された兵士には、目的地すら知らされていなかった。そのため、派遣された軍隊は準備不足で、指揮系統も混乱し、キエフに向かった巨大な戦車部隊はガソリンや食料不足という大失態を招いた。

 また、ウクライナ軍はアメリカやイギリスで軍事訓練を受けたり、軍事援助を受け、装備も相当に新鋭のものを持っていたようだ、とくに、イギリスやアメリカが供与した地対空ミサイル、対戦車用の持ち運び型のロケット砲、トルコ製のドローンが効果を発揮した模様である。

 そして何よりの誤算は、ゼレンスキー大統領を中心としたウクライナ人の徹底的な抗戦の姿勢だったろうと思われる。アメリカなどからの情報では、これまでのところ、ロシア軍は7,000-13,000の死者と7人の将官を失ったとみられている。しかし、プーチン大統領の執拗な性格から、誤算を認めず、頑としてウクライナ侵略を止めようとしていない。

 ◆ 経済制裁の誤算

 経済制裁は当然プーチン大統領の計算のうちにあったはずだが、いくつかの面で誤算があったと思われる。まず、EUとアメリカが共同し、ロシアの海外資産を凍結するとは考えていなかったと言われる。また、ロシア国内で活動している外国企業の大半が事業を停止したり、撤退をしたりしたのは想定外だったろう。さらに、ロシアの最大の輸出産業である石油や天然ガスの輸入をストップしたり、急速に減少させているのはロシア経済には大きな負担となる。とくに、天然ガスはパイプラインでEU諸国に輸出していたので、代わりの市場を短期に見つけるのは困難である。さらに、外国企業の投資がストップするので、新技術を得ることができなくなった。
 今後、戦争が長期化した場合、ロシア経済への影響は深刻となろう。ロシア経済のGDPは今年中に10-15%くらい減ると予想されている。

 ◆ 地政学上の誤算

 プーチン大統領の誤算の中で最大なものは、地政学的な変化であろう。まず、それまで瀕死の状態と揶揄されていたNATOはウクライナ侵略とともに再生し、アメリカがヨーロッパに復帰する。これまで、NATOへの加盟を拒んでいたスヱーデンやフィンランドはNATO加盟を本格的に考えだしている。ロシアのウクライナへの理屈の通らない侵略が、ヨーロッパ諸国に大きな不安を与え、アメリカのバックを求める結果となった。

 さらに、ロシアの脅威の前に、それまで意思決定が遅く、多くの問題で一致した行動をとれなかったEUがあっという間にまとまり、経済制裁に踏み切ることができた。中でも、ドイツの180度の政策転換が注目される。それまで、ドイツの基本的な政策は、通商関係を発達させることでロシアとの友好関係を維持できるとし、軍備などを縮小させてきた。ところが、ドイツの庭先で、武力の優位を背景に弱小国へ侵入するロシアがその本性を現したので、今後ドイツは自国を守る最低限の軍備を持たざるを得ない。そして、これまでロシアの石油やとくに天然ガス(全体の45%)に頼るエネルギー政策を根本的に変えることを迫られている。
 今後、どこまでEUが結束を続けることができ、将来 軍事・政治面で一定の抑止能力を持つことができるかは疑問だが、少なくともプーチン大統領は無防備なヨーロッパを「リアルポリティックス」の世界に引き込むことに成功した。

 ◆ 終りに

 フランスでは、悲惨なウクライナ戦争の映像が毎日のように流され、情緒的にウクライナへの同情とプーチン個人に対する反感が強い。ただ、このような情緒的な動きは短期的なので、今後、ウクライナ戦争が長期化する場合、どのような反応があるのだろうか? シリアの内戦の時、その反政府活動や避難民に対する同情や共感が一時盛り上がったが、すぐにフランス国民の関心は、地球の温暖化や黄色いベスト集団の抗議デモなどに移っていった。今回のウクライナでの戦闘もそうなのだろうか?  (2022年4月4月14日、パリ郊外にて)

 (早稲田大学名誉教授、パリ在住)

(2022.4.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧