■【北から南から】

仏国・パリ フランス便り(2)               鈴木 宏

   フランス大統領選挙
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  5月6日に大統領選挙の決選投票行われ、オランド氏(社会党)が51.6%
を獲得し、勝利した。ミテラン大統領についで、2人目の左翼の大統領が選ばれ
たことになる。マスコミの事前の予測では、もっと差が開くとみられていたが、
蓋を開けてみれば接戦だった。さすがに選挙上手のサルコジー候補だけに、最後
に猛烈に追い上げたが、形勢を覆すまでには至らなかった。

 選挙戦の終盤では、サルコジー候補は、新規の移民総数の制限や国境でのパス
ポートコントロールを廃止したシェンゲン協定の見直しなど、右翼候補だったマ
リーン・ルペン氏に近い提案まで行い、形成挽回を図ったが、逆転までは行かな
かった。2008年以降の経済危機のために、多くの経済・社会指標が大統領就
任時の2007年に比べて悪化した責任を取らされた形である。

 ユーロ危機に直面するEUでは、イタリア、スペイン、ギリシャなど相次いで
政権交代が続いているので、その流れに飲み込まれた感はある。オランド氏は、
5月15日に正式に大統領に就任すると、すぐに、首相の任命、ドイツのメルケ
ル首相との会談、そしてアメリカに飛び、オバマ大統領の会見と、重要な日程が
控えていて、休む間はなさそうである。

 オランド氏は、前任者との対比で、自分を「普通の大統領」と称しているが、
氏はフランス独特のエリート教育の産物である。パリ政治経済学院、HEC(フ
ランスでトップのビジネス・スクール)を卒業後、超エリート養成で知られるE
NA(高等行政学院)を7番目の成績で1980年に卒業している。

 同期のENA卒業生には、シラク大統領の腹心で外相および首相を務めたド・
ビルパン氏や、長いことオランド氏と同棲していたセゴレーヌ・ロワイヤル氏
(2007年の社会党の大統領候補)などを輩出している。卒業後、すぐにミテ
ラン大統領に認められ、社会党の幹部となり、書記長を10年も務めた苦労人で
もある。オランド政権の第1の難関は6月に行われる国会選挙で、そこで社会党
が絶対多数を確保できるかどうかにより、オランド政権が実質的に機能するかど
うかが決まる。

 大統領選挙の結果が接戦だったので、多分、独立で過半数を抑えることは難し
いだろうとみられている。外交にせよ、国内の政治にせよ、オランド大統領の独
自色が出るまで、まだ相当時間がかかりそうである。


  フランスの生活実感 


 さて、これまで政治や選挙という堅い話ばかりだったので、最近の私の生活実
感を雑然と書きとめてみたい。現在、私たちが住んでいるのは、パリの東の郊外、
Nogent-sur-Marne という小さな町(人口約3万人)である。パリの東の端にあ
るヴァンセンヌの森を通りぬけたところにある。私たちの小さなマンションは、
セーヌ川の大きな支流であるマルヌ河沿いにあり、緑も多く、比較的環境が良い
(テニスクラブが目の前にある!)。

 そこから、週に2、3回ほどパリの南の郊外にある研究所に通っている。この
研究所は ENS‐Cachan という高等師範学校のキャンパス内にあり、パリの中心
部を地下鉄で通過している。こうした生活もすこしづつ慣れてきたので、少し私
のフランスでの生活実感をまとめて見たい。

(1)お金の話

 ひんしゅくを買うかもしれないが、まず、一番肝心のお金のことからはじめよ
う。正直なところ、お金の話になると、まだあまりお札や小銭の顔をじっくり観
察したことがない。通常、私の財布の中にあるのは30-40ユーロ(3-4千
円程度)で、あとは小銭のみである。私の出費は、学生食堂の支払い、新聞代そ
してパンを買うくらいなので、1日10ユーロあれば十分。その他の買い物はす
べてカードで支払う。

 下手に、50ユーロ札で払おうとすると偽札ではないかと疑われたり、あるい
はおつりがないなどと文句を言われるのが常なので、20ユーロ札以上は持った
ことがない。電車の切符を買うときもカードである。駅にある切符自動販売機は
つり銭が出てこないことがしばしばあるので、現金で切符を買うのは、こちらが
たくさん小銭をもっているときのみである。

 つまり、フランスはもうアメリカ並みのカード社会になっている。カードは銀
行が仲介し、信用を保証するので、安心なのだろう。銀行のカードには必ずチッ
プが付いていて、有効期限がある。また、支払いの際には、必ず暗号番号を入力
しなければならない。このカード1枚が私の日常生活の生命線である。

 日本では、私は25年前にもらった某銀行のカード(CD)を愛用している。
銀行の名前も支店の番号もすっかり変わっているが、それでもCDの機械が認識
してくれる。このカードは私の貴重品でもある。留学生相手の講義で、1990
年代の日本の銀行危機の一例として何回となく、古いカード(1980年代の銀
行名である)を示し、好評を得た記憶がある。

 今でも、その銀行の窓口で、時々私の愛用のカードを見せ、若い行員さんに講
釈することもある。古いカードが教えてくれるのは、まず日本が平和な国である
こと。チップも付いていないカードでも、あまり悪用されることが少ないからだ
ろう。フランス(あるいは他の先進国)では、カードに有効期限を持たせ、チェ
ックしなければ、簡単に偽造される。

 チップと暗号があってこそ銀行のカードは信用が発生する。その一方、多くの
フランス人が現金を持たないのは安全のためでもある。何百ユーロという大金を
現金で持っていると、パリ市内では何者かに狙われる可能性もある。パリの人た
ちは、知らない人を見れば、いつも泥棒かもしれないと警戒している。それに比
べると、東京は何と平和な国なのかと感心する。ときどき、1万円札が何枚かな
いとさびしい東京の生活を思い出し、自分の軽い財布に感慨を覚えることがある。

(2)食事・食材の話

 フランスは昔から美食の国として定評があるが、私は、通常まったく美食とは
縁のない生活をしている。私が机をもらっている研究所は街外れにあるので、昼
は学生食堂で食べている。その昔、ルーアン大学に留学していたときにも、3年
間近く学生食堂のみで生き延びた(当時の給費ではカフェでサンドイッチを食べ
ることもできなかった)が、食事の質は昔と変わらず、まずい。

 ただし、量は驚くほど多い。サラダにメイン・ディシュ(肉あるいは魚)それ
に簡単なデザートが付く。ビジター用の昼食は6.5ユーロ(約700円)なの
で、食事の質に文句の言える値段でないのも確かである(パリの街のレストラン
での昼食はメインディシュ+コーヒーで、15-20ユーロくらい)。感心して
いるのは、私の仲間の研究者および博士課程の学生たちの食欲である。

 プレートいっぱいの美味しくないパスタや煮込み野菜を、あっという間に平ら
げてしまう。もちろん、女性の研究者も同様である。昼は日本ではラーメンを食
べていた少食の私は、その半分も食べれば上出来である。やはり、あれだけ食べ
れるので、エネルギッシュに長い論文をたくさん書けるのだろう。たまに、女性
研究者が野菜ばかり食べているのを見かけるので、やはり体型を気にしていると
ころもあるのだろう。

 研究者はまず食事には無関心だが、フランスは食材が豊かで、安いことも確か
である。私の住んでいる町の最大の自慢は週に3回(午前中のみ)ほどマルシェ
(市)が立つことである。町の中心にマルシェ用の建物があり、そこにいろいろ
な店が集まる。

 人が多く集まる土曜日には、200軒以上の店舗が出て、壮観である。食料品
が主で、季節の新鮮な野菜、果物、肉、魚などが集まる。12時くらいになると、
品不足の店も出てくる。肉、野菜の店が多いが、あまり魚を食べないフランスに
は珍しく、魚屋が少なくとも6店も出ている。魚は1匹丸ごと氷の上に豪快に並
べてある。魚としては、ヒラメ、スズキ、カレイ、サケ、アンコウ、マグロあた
りで、高級魚が主体である。鯛やホウボウは比較的安い。えび、蟹、貝類はさす
がに高価だが、日本ほどではない。肉は本場だけあり、いくつもの専門に分化し
ている。

 代表的なものは、牛、子牛、羊などを扱う一般的な肉屋(boucherie)、鳥や
鴨、うさぎを扱う鳥の専門店(volailler)、馬肉の専門店(chevaline)、豚を
メインとし、ソーセージやハム類を扱う専門店(charcuterie)、そして臓物専
門店(triperie)、このほか料理したものを売る店(traiteur)などがある。肉
屋や鳥の専門店はそれぞれ5-6店も市場にある。常連客はそれぞれのひいきの
店があり、店の人との会話を楽しんでいる。

 一般的に、肉の値段は驚くほど安いが、子羊だけは例外で、日本と変わらない。
このほか、チーズの専門店が10くらいあり、野菜・果物の専門店はいたるとこ
ろにある印象がある。野菜は日本に比べ、すべてサイズが大きい。

 きゅうり、なす、ねぎ(リーク)、ピーマンなど日本のものの数倍の大きさだ
が、値段は非常に安い。サラダは7、8種類もあり、日本で見かけないものもあ
る。珍しいものとしては、きのこの専門店、ジャガイモの専門店がある。秋にな
ると、野生のきのこがたくさん並べられ、香りがすばらしい(セップ、ジロル、
プロロットなどが代表的)。

 このように繁盛しているマルシェだが、その反動もある。この町から食料品の
店がなくなった。肉屋は町外れに一軒だけ残っていると聞いたが。それ以外は壊
滅した。パン・お菓子屋を除くと、町の中には、小さなスーパーが3、4店ある
のにとどまる(生鮮品はほとんど扱わない)。

 多くの人は、車で週に1、2回近くの大きなスーパーに出向き、大量に買い込
むことをしている。土曜日に大きなスーパーに行くと、カートいっぱいに買い込
むお客が列をなし、レジーを通過するのに10分くらい待たされることになる。
法律で、商店(パン屋とカフェ・レストランは例外)の日曜日の営業が禁止され
ているので、共稼ぎの夫婦は金曜日の夕方か土曜日をショッピングの日と決めて
いる人が多い。

 日曜日および月曜日の午前中は商店が閉まっているので、消費者には不便だが、
あまり苦情は聞かれない。日曜日は家族でゆっくり過ごす日という生活が昔から
定着しているためだろう。(5月16日パリ郊外にて)

  (筆者は在フランス・パリ・早稲田大学名誉教授)

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