【オルタの視点】

ベトナムの「神話」と現実

                          中野 亜里


◆◆ 日本人の中のベトナム「神話」

 ベトナム人の若者は、驚くほど自国の歴史に無関心だ。大学入試では、試験会場によっては、歴史の科目で受験する生徒がゼロという場合もある。筆者のゼミの学生は、卒業論文のため、ベトナム人学生に抗米戦争(ベトナム戦争)について意見を求めたところ、「なぜそんなことを聞くの?」と怪訝な顔をされた。

 ベトナム戦争への思い入れは、ベトナム人自身よりも、あの戦争に一種のノスタルジアをもつ日本人の方が強いのではないだろうか。そして、そのような日本人には、ベトナムが民族解放と社会主義を実現したという、固定的な歴史観が根強く見られる。つまり、北ベトナムと南ベトナム民族解放戦線が、アメリカ帝国主義とその傀儡である南ベトナム政府から民族を解放し、南北を統一して社会主義国家をつくったという「神話」である。
 そのため、統一後の南ベトナムから流出した難民についても、アメリカの手先になって人民を弾圧した者が苦労するのは自業自得だ、という偏見をもつ日本人にいまだに出会うことがある。「ベトナムは社会主義なのに、なぜWTO(世界貿易機構)に加盟しているのか」と質問されることもある。日本では今でも、ベトナム戦争関連の写真展や、ドキュメンタリーフィルムの放映が行なわれることがあるが、もっぱら日本人が日本人のためにやっていて、生身のベトナム人は置き去りにされているという感が拭えない。

 しかし、ベトナムの現代史には、まだ明らかにされておらず、日本人が知らないことが多くある。いくつか挙げてみると、第一に、ベトナム戦争では北ベトナムと解放戦線側が勝利したことになっているが、実際の戦いはどうだったのかという問題がある。ハノイ政府は、総合的な死傷者数や損害の統計を公表していない。勝ったと言えるのは、国民と諸外国から反米闘争への広範な支持を獲得したこと、つまり政治闘争と外交闘争の面である。武装闘争の詳細については、共産党政府の公的史観を検証できるような史料の公開は制限されている。
 第二に、日本人が多くの共感を寄せた南ベトナム民族解放戦線と、同戦線による南ベトナム中立化の構想はどこに消えたのかという問題がある。南北統一は北の共産党政府主導で進められ、解放戦線は共産党によって解散させられた。以後、解放戦線などあたかも最初から存在しなかったかのような歴史認識が定着している。
 第三に、南ベトナム(ベトナム共和国)とは、いったいどのような国家だったのかという問題。その指導者や施策についても、ベトナム国内では調べること自体がタブーになっている。南ベトナムでは「共産主義者」に対する厳しい弾圧があったが、政治権力に対して自律的な市民社会が存在していた。それらが戦後どうなったか、一部のベトナム人有識者の手による文献もあるが、ベトナム国内では公表できない。
 第四に、ベトナムの統一後、ドイモイ路線が採択されるまでに何があったのかという問題。民族解放を謳いながら、戦後はなぜ共産党一党制でなければならなかったのか、同じ共産主義国の中国やカンボジアとなぜ戦争に至ったのか、なぜ数十万人もの人々が祖国から脱出しなければならなかったのか、といった問題もこれに関連している。日本ではドイモイ下の経済発展には関心が注がれるが、そもそもなぜドイモイに至ったのかは、あまり問われることがない。しかし、1975年からドイモイまでは、ベトナム現代史の中でも最も謎に包まれた時期であり、ハノイ指導部はこの時期に起こったことが詳らかにされることを好まない。

 ドイモイ路線が採択されたのは、1986年末の共産党第6回大会だったが、1991年のソ連崩壊前に開かれた第7回党大会は、さらに重要な転機だった。この大会で、ハノイ指導部は「社会主義志向市場経済路線」を明確にした。つまり、まだ社会主義ではないと自ら認めたことになる。さらに、党の指導理念として「マルクスス・レーニン主義」に「ホー・チ・ミン思想」を追加し、社会主義に対して民族主義を相対的に強調するようになった。対外的にも、社会主義国家よりも東南アジア地域国家としての立場を鮮明に示すようになる。こうして、社会主義という建前に一方の足を、市場の現実にもう一方の足を置き、両足が開いた体勢でかろうじて立っているのが現在のベトナムなのある。

◆◆ 知られざる人権問題の現実

 それではベトナムの社会主義はどこに残っているのか、と聞かれることもよくあるが、中国と同じように共産党一党支配が続いていること、と答えるしかない。南シナ海問題に関して、ベトナムと中国の対立を伝える報道も多いが、共産党体制の維持という点では、ハノイと北京の指導部の利益は一致している。それゆえに、ベトナム国内でも、共産党政府に批判的な意見の人々は厳しい弾圧を受けている。劉暁波のケースをはじめ、中国の人権問題は日本で報道されることもあるが、ベトナムの人権状況はあまり知られることがない。ここでは、最近の事例をいくつか紹介しておきたい。

 今年6月29日、ベトナム中南部カインホア省の人民裁判所で、人権活動家の女性が1日だけの裁判で禁固10年の判決を受けた。「ナム母さん」のニックネームで知られる彼女は、本名グエン・ゴック・ニュー・クイン(38歳)。10歳と4歳の子供の母親である。
 クインはインターネット上で自由な言論活動を行なう市民グループ「ブロガー・ネットワーク」の創立者の1人で、共産党政府に対して人権や市民的自由の尊重を訴え、開発にともなう土地収用や環境破壊、警察による市民への暴力などを批判していた。政治囚の釈放を求める活動にも携わり、南シナ海の領土問題や、中国企業のベトナム進出について、中国を批判するデモにも参加している(中国に対する批判は、ベトナム政府の中国政策への批判にもつながるため、治安当局から警戒されている)。
 2016年春に外資系企業による大規模な海洋汚染(フォルモサ事件)が発生してからは、クインらブロガーは、政府・企業側に事件についての情報公開を要求していた。カインホア省の公安当局は、2009年からしばしばクインを拘束し、移動の自由も制限。2016年10月に逮捕、起訴に至った。クイン本人と家族は、恒常的に公安当局による嫌がらせや暴力的行為を受けていたという。

 クインの逮捕の根拠となったのは、刑法第88条が規定する「反国家宣伝」容疑である。この条項は「政府に対する事実の歪曲、批判」や、「デマを流布し人民の間に混乱を起こす」こと、「反国家的内容の文書を作成・所持・流通させる」ことなどを禁じ、3年から12年の禁固を定めている。また、捜査期間中は、外界との連絡を絶って被拘禁者を隔離することを認めている。クインの逮捕後、家族や弁護士は本人との面会を許可されなかった。

 クインの裁判から約1ヵ月後の7月25日、北部のハナム省の裁判所で、女性活動家チャン・ティ・ガー(40歳)が、やはり反国家宣伝で禁固9年と保護観察5年の判決を受けた。彼女は今年1月に逮捕、起訴されたが、クインの場合と同様、わずか1日だけの裁判だった。
 国内の公認メディアは、彼女が「反国家的な内容」の画像や文書をインターネット上で流布したと報道した。7歳と5歳の子供をもつガーは、やはり上記のような政治・社会問題について政府や治安当局を批判し、中国への抗議行動にも参加していた。ブロガーや人権活動家の裁判を傍聴し、政治囚の家を訪問するなどの活動にも携わっていた。2013年11月に設立された「人権を求めるベトナム女性の会」の執行委員を務めたこともある。

 国際人権団体ヒューマンライツ・ウォッチによれば、治安当局は長年にわたり、ガーに対して威嚇や嫌がらせ、身体的暴力を加え続けてきたという。2014年5月には、私服の男性5人がハノイの路上で彼女を襲撃し、鉄棒で腕や足の骨を折る重傷を負わせた。警察は襲撃の証拠があるにもかかわらず、この事件の捜査を拒否した。2015年3月には、ハノイの治安要員がガーを拘束したが、その際には彼女は首をねじられ、猿ぐつわをされた状態で護送され、手足を押さえつけられて殴られたと報告されている。

 さらに今年7月30日には、ハノイで拘禁されていたグエン・ヴァン・ダイ弁護士(48歳)らが、刑法第79条が定める「人民政権の転覆を謀る活動」により起訴された。人権派弁護士として知られるグエン・ヴァン・ダイは、反国家宣伝により2007年から4年間投獄されたことがある。民主化を主張し、人権侵害への制裁としてベトナム製品のボイコットを海外に訴え、ベトナムのWTO加盟にも反対していたとされる。

 ダイ弁護士らの起訴と同時に、全国各地で4名の活動家が逮捕された。いずれも2013年に設立された市民グループ「民主主義をめざす兄弟」のメンバーで、かつて政治囚として服役した経験がある。
 タインホア省のグエン・チュン・トン牧師(46歳)は同グループの代表者で、反国家宣伝で2011年から2年間投獄されていた。今年2月には治安当局に拘束され、暴行を受けて足を骨折する重傷を負っている。保護観察処分が解かれて2年後、また今回の逮捕に至った。ハノイ在住のファム・ヴァン・チョイ技師(45歳)は、2008年に反国家宣伝で禁固4年と保護観察4年の刑に処されている。昨年9月に保護観察が解除されたばかりだった。
 ホーチミン市のチュオン・ミン・ドゥック記者(57歳)は、2007年に刑法第258条が規定する「自由・民主的権利を利用して国益を侵害」した罪で5年間獄中にいた。釈放後も常に治安当局の嫌がらせや暴力を受け続けたという。同じくホーチミン市のグエン・バック・チュエン弁護士(49歳)は、反国家宣伝で2008年から4年の禁固刑に処されている。今回は4名とも「人民政権の転覆を謀った」として起訴され、再び実刑判決を受けることはほぼ間違いない。

 このように、ベトナムの刑法では、「反国家宣伝」「人民政権転覆の陰謀」「自由・民主的権利の利用」、さらに「団結政策の破壊」など、治安当局が恣意的に解釈できる罪が定められている。これらの条項を適用し、共産党政府にとって都合の悪い人物を逮捕・投獄することが可能なのである。ヒューマンライツ・ウォッチによれば、表現・結社・集会・信仰の自由などを主張したために、これらの条項に違反したとして投獄されている人々は、現在100名以上に及ぶという。

◆◆ 「敵」を必要とする体制

 欧米諸国では、NGOのみならず政府や議会でも、ベトナムの人権状況は認知され、民主主義・人権のために活動するベトナム市民の活動は評価されている。前述のグエン・ゴック・ニュー・クインは、2010年にヒューマンライツ・ウォッチから、表現の自由を擁護する執筆家としてヘルマン・ハメット賞を授与されており、スウェーデンの人権団体シビルライツ・ディフェンダーズからも、2015年の「市民権擁護者」賞をアジア人として初めて授与されている。米外務省は今年3月、クインに2017年の「世界の勇気ある女性」賞を授与した。

 クインやチャン・ティ・ガーの逮捕や裁判に対しては、国内の市民と海外在住ベトナム人から抗議の声が上がり、弁護士、ジャーナリスト、学者、作家、技師、宗教者、芸術家、ブロガーなど、多様な人々が即時釈放を求める声明に署名した。内外のベトナム人で組織されている「良心の囚人を救う会」も抗議の声明を発表した。クイン逮捕の際には、国連人権理事会の専門家やEU代表が批判を表明したほか、ドイツ政府の人権委員会も抗議の声明を発表した。アメリカの議員も、ベトナム首相宛に公式な抗議文を送っている。ガーの裁判に対しては、ベトナム駐在アメリカ大使が、反国家宣伝の解釈は曖昧であるとして、彼女の釈放を呼びかけた。

 このような働きかけが、現実の外交関係でハノイ政府への大きな圧力になることは、あまり期待できない。しかし、上記のような諸外国の反応と比べると、日本では国家レベルでも市民レベルでも、ベトナムの大きな問題が看過されていると言わねばならない。ベトナムに駐在する日本の報道陣が、治安当局から制限を受けながら取材を行なっていることは、筆者も理解している。しかし、報道が限定的なのは、日本の読者・視聴者の多くがベトナムを固定的な視点からしか見ようとせず、同国の政治や社会問題に無関心なせいもあるだろう。日本人にとってのベトナムは、手頃な観光コースか、ノスタルジアの対象という以上にはなかなか発展しない。

 共産党一党体制という意味では、ベトナムの民主主義や人権をめぐる状況は、中国のそれと共通している。ベトナムに特殊な条件は、冷戦期に国土が分断され、一方が他方を武力で統一したという歴史的背景である。南ベトナム民族解放戦線は、米軍の撤退後は南ベトナムを中立化し、南北で連邦制の国家を形成し、両者の対話を通じて統一に進むことを構想していた。しかし、1975年4月30日、解放戦線を装った北ベトナム軍がサイゴン(現ホーチミン市)を占領して以来、ハノイの共産党政府は南部で一方的な社会主義改造政策を進めた。その政策の失敗の結果、数十万人に上る難民が流出し、民族和解の機会が失われてしまったのである。

 ドイモイ路線下で中国、アメリカ、日本、フランスなど、かつての敵国との関係改善は果たされたが、南北の正式な和解は行なわれなかった。戦争の勝利も、ドイモイによる経済発展も、すべて「党の常に正しい指導」の成果ということにされ、それについての議論や批判は許されない。ハノイ指導部の最大の利益は一党体制の維持であり、それゆえ党・政府と意見を異にする者は、「反動勢力」とみなされて排除される。社会主義の看板と市場の現実の乖離が進み、矛盾が拡大するほど、指導部は国民統合のために「体制転覆を謀る敵の陰謀」があると主張し、「敵」を排除して見せなければならない。

 ベトナム公安省は2016年10月、旧南ベトナム系の在外政党「ベトナム革新党」をテロ組織として扱うことを発表し、同党への参加・勧誘・融資、および広報などのあらゆる活動を「テロ支援」として厳格に処分すると決定した。上記のグエン・ヴァン・ダイ弁護士が最初に逮捕された時も、この革新党と連絡をもったことが理由の一つだった。筆者は革新党についても調査したことあるが、同党は共産主義に反対の立場をとりこそすれ、テロ組織と言えるようなものではない。しかし、かつての南北の敵対関係が清算されない限り、ハノイ政府に対して自由に意見を表明する人々は、すべてテロリストとみなされ、さまざまな圧力を受けるのが現実である。

 このような体制のため、ベトナムでは社会的な同調圧力が強く、個人は政治問題に関わらないよう自己規制することで、身の安全を守らなければならない。冒頭で述べた歴史への無関心も、党のイデオロギーに沿った公的史観を押しつけられ、それ以外の視点から歴史を解釈することが許されないせいもあるだろう。

 それでも、インターネットの普及で、ベトナムの人権問題をめぐる情報はリアルタイムで世界中に拡散されている。国内の市民と在外ベトナム人コミュニティーが連携して、自律的な市民社会が成長しつつあり、ハノイ指導部もそれを意識しながら軌道修正せざるを得なくなっている。ごく僅かずつではあるが、その政治状況は変わりつつある。日本人は観光客としての関心や、戦争への思い入れとは別な視点から、ベトナムの歴史と現在を見つめ直す必要があるのではないだろうか。(2017年8月12日 記)

 (大東文化大学国際関係学部教授)

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