【オルタの視点】

ベトナムへの原発輸出の顛末

伊藤 正子

 2016年11月22日、ベトナム国会で、ロシアと日本が相次いで計画していた原発建設中止が議決された。3ヵ月前までは想像すらできない出来事であった。議員500人中(一院制)496人が出席、382人(77%)が中止に賛成票を投じた。
 本稿では、2010年10月に民主党政権下で、菅直人首相(当時)がベトナムを訪問し、グエン・タン・ズン首相とのトップ会談で東南部ニントゥアン省の第2サイトに原発2基を建設することが正式に決まってから撤回されるまでの過程を紹介し、ベトナム共産党の決断の背景を明らかにする。

 ベトナムでは言論の自由に制限があり、国民が国策に反対することは基本的には許されない。また情報統制により国民の知る権利は制限されている。そのため原発反対運動は起こりようがない。そうした状況を利用して原発を輸出しようとしたのが日本政府・企業である。福島原発事故を起こし、汚染水処理や廃炉などの技術面、故郷を追われた住民の生活面などでも多くの問題が未解決にもかかわらず、「世界最高水準の安全性を確保した」と称して原発を売り込む姿は欺瞞に満ちている。
 また原発輸出は、日越両政府のたてまえであるベトナムの電力不足の解消ではなく、日米同盟の下、中国包囲をにらんで日本政府が謳う日越「友好」の政策の延長上にある。ベトナムへの輸出が失敗しても別の国への輸出をあきらめない日本だが、輸出推進派はどのような論理でこれを正当化し、導入する予定だったベトナム側は当初どのような反応を示していたのかについてまずはふれておきたい。

◆◆ ベトナム人が日本政府に送った原発輸出反対署名

 東日本大震災後、菅首相が脱原発に転じたので原発輸出は止まるのではないかと期待したが、2011年8月に野田政権になると輸出計画は動き出す。そうしたなか2012年5月15日夜、ベトナム語の人気ブログを読んでいた筆者の目に飛び込んできたのは、日本の原発輸出に抗議し反対署名を呼びかける文章であった。
 ベトナムでは政府公認の新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどには検閲がある(民間資本の報道機関は存在が認められていない)ので、本当の情報は個人や有志によるブログやフェイスブックを通じて得られる、と都市知識人の間では考えられている。同ブログは、そのなかでも「ベトナムの社会状況を知るための面白い情報が載っている」とベトナム人の友人から勧められたため、しばしば読んでいた。ブログ筆者は、ハノイ在住でカーチューというベトナム北部の伝統音楽についての研究で博士号を取得し、著作にもまとめている研究者グエン・スアン・ジエン(1970年生)である。ブログ上には、本名と住所入りで次々と署名が集まっていた。
 しかし、署名集めが始まって3日後の5月18日、ジエンの勤め先の研究所に「抗米戦争で国家に尽くした傷病兵」と称する暴漢数人が押し入って威嚇し、文書の削除を要求した。ジエンたちは、ブログからの削除は強いられたが、集まった626名(合計数は資料により多少の相違がある。海外在住ベトナム人や数名の外国人も含む)の署名入り請願書をハノイの日本大使館と日本政府(首相・外相・駐越日本大使宛)へ21日に送付した。ベトナムの知識人たちは、日本による原発建設支援を、「無責任」「非人道的」「不道徳」と批判していた。日本政府からの返答はなかったが、国策に反対すると逮捕・拘禁の恐れもある政治状況の下、実名で多数の署名があったことの意味は非常に重い。この請願書は、社民党の国会議員によって衆議院外務委員会でも取り上げられた。

 この話には続きがある。ハノイ市情報メディア局はジエンを呼び出し、25日朝から夜9時ごろまで取り調べた。日本でもこのニュースを聞いて、FoE Japan やメコン・ウォッチなどのNGOが署名を集め、6月4日にジエンたちが日本政府宛抗議文によって不利益を被らないよう両政府に要請した。結局、8月16日に出た行政処分は個人のホームページを利用して情報を提供し、社会の秩序と安全を乱したという理由による罰金750万ドン(日本円で3万円ほど)であった。政治犯あつかいでなかったことに関係者は胸をなでおろした。
 翌2013年3月にインタビューをしたが、ジエンはこの罰金は「絶対払わない、払うと何か悪いことをしたと認めてしまうことになるから。私は国家のためにやっているのだ」と答えた。同時に「ベトナムの技術・管理レベル、政府の行政能力、汚職や腐敗の蔓延状況などからして、日本は原発建設に援助すべきでない。日本では依然原発を廃止すべきだという意見が多数派と聞いているが、自分たちが廃止を希望しながら他国に輸出するのは筋が通らない」と述べた。喫茶店で話を聞いたが、黒いサングラスをかけたいかにも公安らしい人物がジエンの後から入ってきて真後ろに座り、しきりとこちらをのぞいていた。ジエンは、反中国デモに先頭を切って参加したり、さまざまな社会問題についての意見をブログに載せたりしていることもあり、政府から敵視されている。民主化勢力に対抗する前グエン・タン・ズン首相のホームページでは、名指しで攻撃されることもあった。

◆◆ 原発建設予定地の状況 ― 相対的貧困と伝えられない情報

 建設予定地だったニントゥアン省タイアン村は、ヌイチュア国立公園に隣接、一部含まれており、その海岸は絶滅危惧種のアオウミガメの産卵地で、タイアン村沖合には美しいサンゴ礁があり、船底からサンゴをのぞけるようになったエコツーリズム用の船が隣村から出ている。一方、タイアン村近辺には過去に約8メートルの津波が来たといわれ、同じニントゥアン省内にチャンパ時代に襲来した津波で亡くなった人の墓があり、ロシアの原発建設予定地をはじめ、何ヶ所かチャム人が「波の神様」を祀っている場所がある。
 現在はベトナムの少数民族の一つになっているチャム人は、ニントゥアン省の原住民である。チャム人の祖先たちは、古くから中部ベトナムにチャンパという国家をもち、次第に「インド化」し、ヒンドゥー寺院や彫刻など多くの文化遺産を残した。15世紀以降は衰退し、19世紀半ばにベトナムの阮朝に完全に滅ぼされた。ニントゥアン省の現人口60万人弱のうち12%をチャム人が占めている。町には主要民族のキン人、辺鄙な村にはチャム人が相対的に多く、ベトナムにおける原発建設の問題はベトナム国内における少数民族問題という側面もあった。

 なぜニントゥアン省は建設予定地として目をつけられたのだろうか。同省は海に面していて原発に必要な水が得やすい省のなかでも、周辺省と比べて開発がかなり遅れている。現金収人の面からだけ見ると非常に貧しい省の一つである。たとえば、2010年の一人あたり月収で100万ドン(約5,000円)を切っているのは、ほとんど北部山間部の少数民族地域の省であるが、ニントゥアン省も94万7,400ドンである。ニントゥアンの海に面した周辺省は、フランス植民地時代から有名な観光地ニャチャンをもつ北側のカインホア省が125万7,900ドン、同じくリゾート地でヌオックマム(魚醤)の産地としても有名なファンティエットがある南側のビントゥアン省が115万9,900ドンなどであるのに、ニントゥアン省は目立って低く周辺省に埋没したかたちである。
 周辺省は海浜リゾート開発とチャムの塔など歴史的遺跡の観光でも利益をあげているが、ニントゥアン省にも町の郊外に遺跡がいくつかあるにもかかわらず観光開発に失敗しており、省都ファンラン・タップチャム市を訪問する外国人観光客は非常に少ない。このため、原発マネーをぶらさげられた省が話に乗ってしまったのではないかと推測される。
 また、タイアン村周辺は白砂の小さなビーチが点在しているが、ある程度の広さをもった空いた土地は海岸沿いにはない。日本では原発は人が住んでいない土地に建てられてきたが、ニントゥアン省ではそのような土地がすでに海岸沿いにないため、人が住んでいるタイアン村が目をつけられたと思われ、村人は2キロ足らずしか離れていない土地へ移転することになっていた。漁業と細々とした農業以外に生業はなく、人口密度も低いので、省から見ても原発の犠牲にしても影響が大きくないところに映ったのだろう。しかし、現金収入の面では相対的に貧しいものの、タイアン村は、漁業のほか、ブドウやニンニク、ねぎなどを生産し、生活は安定している。

 予定地の住民が原発建設をどう受け止めていたかといえば、多くの村人は官製情報しか知ることができず、「国家が決定したのだから仕方がない」とあきらめる、あるいは情報が少ないので「原発は安全!」と信じる、のどちらかであった。ジャーナリストの中井信介氏の取材で、原発事故以前の2010年7月から8月にかけて、ニントゥアン省のロシアと日本の原発予定地の住民12人が、日本の関連企業に招待されて福島原発などを見学し、地元に帰ったのち「安全だ」と宣伝していることもわかった。筆者は、タイアン村沖を航行する観光船の舵手の男性と観光船を出している観光会社の社長に原発の話をふってみたが、舵手の男性は「国家が決定したのだから、耐えるしかない」と言い、社長は「原発ができても関係ない。10年この仕事をやってきたのだから同じように続けるだけだ。何も変わらない」と答え、深く考えていない様子だった。

◆◆ 日本の推進派の意見と動向 ―「国際戦略」しか考えない人たち

 さて、日本の原発推進派がどのような論理で輸出を正当化していたのか見ておく。推進派の主張する主な理由はベトナムの電力不足に対応する、というものであった。一方で、中国への対抗上(軍事脅威、経済的競合相手)、必要だとの本音が漏れ聞こえる。

 民主党時代から政権と組んでベトナムヘの原発輸出を推進した人物に、ベトナム政治が専門でマスコミヘの露出も多い坪井善明・早稲田大学教授がいる。坪井は以下のような「中国への対抗」理論により原発輸出を正当化する(以下の坪井の発言は、[小口彦太ほか、2012]による)。
 「中国との現在までの緊張関係を考えると、ベトナムは、信頼関係の面でも技術の面でも資金の面でも、福島第一原発事故の後でも、やはり日本に頼みたい。安全で、お金の面も考慮してくれて、技術的にもしっかりした日本に頼んで、安定供給ができる原子力発電所がほしいというのが本音だと思います」。
 「ベトナムについて言えば、中国が原発を持ち、プルトニウムで核を持つのであれば、小さな国ベトナムも原発を持ち、核をつくって、軍事的に中国が攻撃をしてきた時に備えるという意識があります。原子力発電にせよ、核にせよ、中国がベトナムに向けて核攻撃するのであれば、負けるかもしれないけれども、一発、二発は返したい。少なくともその技術は持っておきたい。その文脈で原子力発電所を考えているということは明確に口には出しませんが、少なくとも意識はしていると思います」。
 「ただ、彼らにとって一番問題なのは、中国がこれから60基以上の原発を作るという計画です。特に中越国境に原子力発電所を作るという現実の中で、『やはり我々自身もその原子力発電所の技術や知識を持っていない限り、原子力発電や核技術を隣の巨大な中国がアグレッシブな形で開発を進める時、国家の安全保障上、ベトナムを守るためにも対抗できなくなる。それで原発は絶対に作らなくてはいけない』と言っています」。

 坪井が述べるのは、ベトナム高官の「核兵器技術」への密かな欲望である。そして坪井は「脱原発や反原発か(原文ママ)を主張するのは簡単だけれど、福島第一原発の事故が起こった以上、具体的な、目の前の除染を含めた脱原発に向かうプロセスは思っている以上に時間がかかるわけです。『それに責任を持って取り組む体制を作ることをしっかり考えていくことが必要なのだ』と考え直したのです」と、廃炉作業に人材が必要だから原発は継続する必要があると間題をすり替え、結局推進派に与している。シンポジウム司会者、松谷基和から「日本は今回の事故の体験を踏まえた上で、仮にベトナムが原発をほしいといっても、原発の持つ様々な問題を明確に教えてあげた上で、輸出を断る方が、責任のある行動の取り方と言えるのではないでしょうか? 今の先生の発言は、とりあえずベトナムに原発を売った上で、『お前たちも俺たちと同じ苦労を共にして行こうじゃないか』と言っているように聞こえてしまうのです」と批判を受けている。

 このように外国に対して競争心・敵対心をあおる理由づけ、とくに中国を持ち出して日本人の危機感に訴える主張は、反中国感情が高揚し、ナショナリズムの行き過ぎが目立つ今日の日本では、世論に受け入れられやすい側面をもつ。しかし、これら「中国」要因を強調する理由づけは、アメリカの核をめぐる世界戦略の一端に乗ったものであり、アメリカの日本への要求に忠実に従ったものでもあることに留意したい。
 坂本恵は、「日本によるベトナムヘの原発輸出計画は日越二国間の問題ではなく、その背景には、日本を有効な戦略上のパートナーとしてベトナムヘの原発輸出を利用する形で、アジアにおけるプレゼンス維持を確固としたものにしようとするアメリカのアジア安全保障戦略がある」[坂本2013:59]と述べている。坂本は2012年8月に出された「第一次アーミテージ報告」“The US-Japan Alliance, Anchoring Stability in Asia”(米日同盟 アジアにおける安定性の確保)を、以下のように紹介・分析している。
 アーミテージ報告は、「原子力エネルギーの利用の継続拡大を前提としたエネルギー安全保障を前面に押し出した点に最大の特徴がある。(中略)加えて、『報告』が重視するのは、海外への商業用原子炉の売り込みであり、開発途上国が原子炉の建設を続ける中で目本の原発が永久停止することになれば、『責任ある国際的な原子力開発が頓挫する』と指摘。中国が将来的に国際市場の売り手に台頭するとの見方を示した上で、日本は商業用原子炉推進に『政治的、経済的に共通の利益をもっている』としている」[坂本2013:60]。坂本は日本の原発輸出が「中国の地域的プレゼンスに対抗し、アジアにおける優位性を維持・拡大するために、日本の原発輸出を利用するというアメリカのアジア経済戦略の枠組みの中で展開されている問題であることはあらためて銘記されなくてはならない」[坂本2013:61]と、日本の原発輸出政策がアメリカの意向に沿ったものであることを喝破している。

 ベトナムへの輸出はベトナム側の英断により中止となったが、日本政府は、インドを始めまだまだ世界中に原発を売る気でいる。日米安保により「属国」化した日本では、沖縄の基地問題と同様、原発の問題も片付かないのかもしれない。

◆◆ 懸念された問題点 ― 立地と情報公開

 ベトナムヘの原発輸出の何が問題だったのだろうか。まず、日本でも解決できていない放射性廃棄物の処理の問題や、どこに建設するときもリスクとしてついてまわる津波や地震、水害など自然災害があることがあげられる。
 日本かフランスが受注するのではないかといわれていたベトナムの第一原発は、潜水艦と抱き合わせたロシアに突如もっていかれた。そのため、日本が二番目に受注できたのも原発に加えて何か「プレゼント」があったのではないかと、NGO関係者は疑念をもっている。その最たるものが、核廃棄物の処理についてである。ベトナム政府から日本に対して出されている六項目の条件(①先進的で実証済みの安全性の高い原子炉の提供、②ファイナンスヘの協力、③燃料の安定的な供給、④人材育成への協力、⑤放射性廃棄物の処理・処分方策への支援、⑥ベトナムの産業育成への協力)のうち、とくに五番目が疑念の目で見られている。それは、「継続的システム」の適用例となるのではないかという疑念である。

 モンゴルに使用済み核燃料などの貯蔵・処分場をつくるという計画が考えられているのではないかと言うニュースは、毎日新聞が福島の事故から2か月後の2011年5月にスクープした。報道によってこの計画は頓挫したと考えられていたが、モンゴル研究の今岡良子氏(大阪大)によれば、計画は終わったわけではないのではないかと言う。モンゴルにはウラン鉱山がいくつかあり、ソ連時代に開発され現在はさびれているが、坑道が地下深く何キロも続いており、そこが処分場として使えると考えられているのではないかという疑念である。そして、ウラン燃料の調達から使用済み核燃料の引き取りまでセットで提供する「包括的燃料サービス」を継続的システムにしようとしているのではないかというのだ。(朝日新聞2014年2月「プロメテウスの罠・原発のごみ」)

 継続的システムとは、日本がA国に原発を輸出し、そのA国にモンゴルがウラン燃料を輸出し、使用済み核燃料は再びモンゴルに戻すというものである。最初のA国がベトナムではないかと、ノーニュークス・アジアフォーラムなど脱原発NGOは懸念していた。
 これらどこの国に輸出する場合にも解決できない問題に加え、ベトナムの一党独裁に起因する問題も大きかった。つまり情報を統制しているため、国民が知る権利を十分行使できておらず、最初にふれたように、原発反対の行動をとるとすぐに圧力がかかるなど、国策への反対が基本的に許されない状況がある。台湾では2014年3-4月にかけて、原発に反対する大規模デモと国会占拠が起き、政府は第四原発の工事停止を決めたが、このようなことはベトナムでは起こり得ない。
 さらに、20億円もの税金を使った実施可能性調査(F/S)の報告書は、非政府組織(NGO)などの度重なる要求に反して最後まで公開されなかった。東日本大震災の復興資金から流用した5億円で日本原電に随意契約された追加調査の報告書は黒塗りで、第三者が中身を判断できないものだった。報告書を目にしたベトナム側関係者によれば、内容はF/S報告書と呼ぶに値しないもので、しかもその場で回収されてしまい、手元には残せなかったという。建設中止になったので、報告書は永遠に葬られることになるのであろう。

◆◆ ベトナムにおける知識人たちの動向

 このように、さまざまな問題が何も解決されず残ったままの原発輸出であった。ベトナム側では、正確な情報や知識を得て原発に反対しているのは、ネット環境のある都会の知識人のさらに一部にすぎなかった。また、都市に住んでいても、「原子力ムラ」に属していなくても、先進国としてもたなければならない技術の一つと思い込んでいる人や、“敵”である中国がもっているのだから対抗上もたないといけないと考える人も少なくない。ベトナムの大学で教員をしている日本人によれば、そのように刷り込まれている若者はかなりの割合にのぼる。
 「抗米戦争で国家に尽くした傷病兵」を名乗る暴漢がジエンの研究所に押し入ったことからもわかるように、国策に反対することは基本的に許されないうえ、タイアン村周辺の人々の発言からわかるように、とくに地方の農村では政治意識に目覚めている人は都市よりずっと少なく、「お上がやるのだから仕方がない」とはじめからあきらめてしまう人々が大半である。問題は、国家が情報操作をし、言論の自由を制限し、国民のなかに情報格差を生み出していることである。ニントゥアンの建設予定地の人々は恐怖政治におののいているのではなく、情報を与えられていないので、声をあげないという側面が非常に大きい。ベトナム国内で活動する民主活動家に、ある日本人研究者が「ニントゥアンの建設予定地の人々に、都市知識人から情報を伝えるようなネットワークをつくったらどうか」と提案したところ、「そんなことをしたら、捕まってしまう」という答えが返ってきたという。

 このような状況の下で、原発建設予定地や大衆を巻き込んで国策に対する反対運勣を組織することは、事実上、制度的にも無理である。具体的な被害がまだないため、原発への関心はかなり低かった。領土問題など“反中国”マターではナショナリズムを刺激されて国民的に盛り上がり、あるいは後述するように、2016年には、魚の大量死事件があり、全国でデモが展開されたが、反原発デモは最後まで起こらなかった。
 このような現状ではあるものの、知識人のなかには声をあげた人もいた。もっとも有名なのは、ベトナム随一の核エネルギーの専門家とされるファム・ズイ・ヒエンである。ヒエンはダラトにある原子力研究所の所長をしていた人物で、この研究所には1963年にアメリカの援助で設置された原子炉(研究教育用)がある。ヒエンは人材が育成できていないことをあげ、時期尚早であると警告し続けた。政府の電力需要予測も過多に見積もっていると批判した。ちなみに、ベトナム電力使用の非効率性は突出しており、ヒエンによれば、2013年のGDP成長率が5.3%にとどまるのに対し、電力消費量は12.5%も増えている。2008-09年の中国の統計によれば、GDP成長率は10%だったにもかかわらず、電力需要は6%増に抑えられているという。それほどベトナムでは節電が国民に浸透していない。
 彼は福島の事故3か月後の6月に当時の菅直人首相に手紙を書き、原発輸出より再生可能エネルギーにシフトするための技術者養成と節電事業にこそ日本から援助してほしいと訴えた。またヒエンは「原発の安全性」というタイトルの本を2015年に出版した。原発を技術的側面から淡々と解説した著作で、ベトナムでは初めての原発についての一般書となったが、部数が少なすぎて通常の書店に出回ることはなかった。

 以上のように、ベトナムの知識人のなかに5-6年前あたりから、政権に対しモノを言う人が複数出てきているのだが、これはネットの普及によるところが大きい。冒頭で述べたジエンのように自身でブログをもち、自由に意見を表明し、あるいはマスコミの扱わない(扱えない)ニュースを載せる(自分で取材することもあるし、当事者から持ち込まれることもある)ことで人気のあるブロガーが存在するが、ブログはしばしばハッキングされて破壊されることもある。
 ブロガーは比較的若い年齢層なのでまだ「小物」が多く、逮捕の危険がある一方、かれらのブログによく登場する60-70歳代の引退した研究者などは、公安の監視がついていても、もう逮捕・拘束される恐れはほぼない。そのため、言いたいことを言うようになる重鎮の体制内知識人が増加している。かれらのなかには、歴史家のズオン・チュン・クオックのように現役の国会議員もいる。
 2012年にはネット上に「市民社会フォーラム」というページも設けられ、さまざまな人がいろいろな意見を投書し討論する機会も生まれた(2014年5月初めに政府により強制閉鎖され、フェイスブックでのみ継続している)。ネットの普及により、都市住民を中心にした「市民社会」が形成されつつあると言える。

◆◆ 日越の「もたれあい」を超えた連携を

 原発輸出がまずベトナムをターゲットに推進された背景には、日越政府のもたれあいの関係、お互いの負の部分に目をつぶり、都合よく利用し合う関係がある。たとえば、ベトナムは中国や韓国のように日本の過去を非難することなく、いつも支持してくれる。日本が国連安全保障理事会の非常任理事国に立候補すると必ず支持し、2012年に話題となった東京オリンピックヘの立候補に対してもそうである。日本占領下で1944-1945年の冬に北部で大飢饉が起こり、「200万人餓死」とベトナムでは呼ばれるほどの犠牲者が出たのに、これまで外交の場でそれをもとに日本を批判したことは一度もない。日本のODAにも素直に感謝の意を表明してくれる。これまで、ODAなどの惜金もスムーズに返済し、ベトナムに対する日本政府の信頼は厚い。
 一方、ベトナムにとって、日本は金を出すが口は出さない、つまり長期にわたりODAの最多供与国でありながら、人権抑圧に対してまったく非難しない、やはりとても都合のよい国である。最近では領土紛争など、中国をめぐる問題でも日越は利害を共有しており、中国と同様の人権侵害がベトナムで行われていても、日本では非難どころか言及も報道もされない。そこには批判し合わない「もたれあい」の構造が出来上がっている。

 このような「良好」な日越関係のなかで、日本からの原発輸出の最初のターゲットとしてベトナムが選ばれた。端的にいえば、日本政府は、ベトナムの情報統制や言論・集会の自由の制限など非民主的状況に目をつむったまま、反対運動などが起こらないのをよいことに、自国内では見込めなくなった技術の維持を図り、一部企業のための経済的利益を目指し、アメリカの安全保障政策に追随して原発を輸出しようとしたのであった。
 2013年1月には、安倍首相が就任後最初の訪問国としてベトナムを訪れた。首相はASEAN外交の原則として「自由、民主主義、基本的人権など普遍的価値の定着と拡大に努力していく」と述べたが、ズン首相との会談では「戦略的パートナーシップ」を謳い、原発輸出を含むインフラ投資と、中国をにらんだ安全保障協力の話に終始した。
 ちょうどこの訪問の直後、ベトナムの国会議員団がイギリス国会を訪問した。もちろん経済や投資の話も出たが、イギリス人議員からはまず、宗教の自由の侵害、一党独裁の継統、ブロガーの相次ぐ逮捕など、ベトナムの言論の自由や人権侵害への言及があり、ベトナム側が回答に追われる一幕もあった。都合の悪いことには目をつむって経済的利益だけを追い求める日本と、言うべきことは言うというイギリスの、国家としての対ベトナムのスタンスの違いが浮き彫りになった。

◆◆ 日本は翻意求めず再生可能エネルギーの開発で協力を

 冒頭で述べたようにベトナム共産党政治局は2016年夏、原発建設の中止を決め、国会は11月22日中止を議決した。ベトナムでは最高権力機関は共産党であるが、様々な制約が依然としてあるものの、国民の「選挙」で選ばれた代表からなる国会の権威は、徐々に増してきており、形式上であれ、一度国会で建設を議決したものは、同じ国会が中止を議決する必要があった。そのため、党内ではすでに7月頃には中止が決定していたが、正式決定は国会開催まで持ち越された。
 2016年初め、原発推進派のグエン・タン・ズン首相が半ば失脚するように引退し、対照的に留任したライバルのグエン・フー・チョン共産党書記長が、原発の経済性や安全性に疑念を呈す元書記長や元国家主席など党重鎮の後押しも受け、中止を主導したという。高齢のチョン書記長はまもなく引退がうわさされており、ズン首相がいなくなり、自分が引退するまでのタイミングを見計らったものかもしれない。
 チョン書記長を始め、共産党の重鎮たちに対しては、日本の知識人・研究者たちが、原発の危険性や、放射性廃棄物の処理や廃炉費用を加味すると原発は経済面でも劣るなどの問題点を解説したり、代替エネルギーを紹介したりする論考などをベトナム語に訳して届けた。またベトナム共産党に伝統的な独自ルートをもつ日本共産党は機会あるごとにやめるように働きかけを行った。日本政府や大企業との結びつきの強いベトナム政府は、ズン首相を先頭にしてあくまで積極的であったのだが、ベトナムでは政府よりも権力をもつ共産党の最高幹部たちに、真の、また最新の情報を直接届けることができたことが、事態を動かしたと思われる。ベトナムが共産党一党独裁の国家であり、党の決定は絶対であることが、今回は皮肉にも、原発建設中止という英断を生み出した。

 国内的な権力構造からは以上のような解説が可能だが、外部要因として指摘できるのは、ベトナムを取り巻く国際関係の変化である。ロシアと第一原発の建設について合意した2009年頃には、中ロ関係は現在ほど良好ではなく、逆に中越関係は現在ほど悪化してはいなかった。しかしその後、南シナ海で領土や資源をめぐり中国との緊張が高まる中、ベトナムでは、中国を支持する発言をするロシアへの不信感が高まっていった。南シナ海を巡るオランダ・ハーグの仲裁裁判所の判断の受け入れを中国が拒否した際、「中国の立場を支持する」と述べたロシアのプーチン大統領はもはや信用ならず、ロシアに原発建設を任せることに安全保障上の懸念を抱くようになっている。当面の対応が、日本からの導入も含めて原発計画そのものを白紙に戻すことであった。
 さらに先に述べたように市民社会が成長し、環境破壊への関心を高めていることも、共産党指導部へのプレッシャーになったと思われる。台湾企業が出資する製鉄所の排水に重金属が含まれており、2016年4月に北中部沿岸で魚が大量死した。企業や政府に対して、全国規模でおきた大規模抗議デモはなかなか鎮静化せず、漁民たちは集団訴訟を起こした。衝撃を受けた指導層に、もし原発で放射能汚染が起きたら、間違いなくこれ以上の事態を引き起こし、環境回復の面でも市民の抗議を抑えるという面でも、対応は不可能になるのではないかという危機感が広まった。

 しかしながら、共産党一党支配の下、党政治局の独断による中止決定であることに不安は残る。ドイツや台湾のように反対世論の高まりを背景にしている訳ではない。情報統制のせいで国民の多くは最初から最後まで原発に関心を抱くことなく終わってしまった。しかし推進論は原発関係省庁を中心に根強く、共産党指導者の交代で覆る可能性がないとは言えない。国民が原発の負の側面をあまり実感していない現況では、その時に原発計画を再びストップさせることは難しいだろう。

 安倍政権の成長戦略では「最先端のインフラシステム輸出」の代表例として、原発輸出は重要な柱であった。ベトナムへの原発輸出は事前調査を終え、日本の大学でベトナム人技術者が養成されるなど計画が進んでいただけに、日本政府には大きな打撃となった。ベトナム側関係者によると、中止決定後、日本からはずいぶんと「お叱り」を受けたらしい。しかし、同国では環境面の配慮もあり、新しいビジネスとして太陽光や風力発電など再生可能エネルギーへの関心が高まっている。過酷な原発事故を経験した日本だからこそ、この分野で地道に支援していく責務があるだろう。また、広く国民に原発についての公平な情報を伝えて行かねばならない。日本へやってくるベトナム人は、研修生、留学生、旅行者とも激増し、今までになくベトナム人と交流する機会は増加している。2016年のベトナム人入国者数は24万6,484人で、前年比24.9%の増加という。2012年時点では6万4,728人というから、激増ぶりがわかる。今後は、草の根の交流を通じて、原発の情報を伝達することも、より意味あることとなるだろう。

<参考文献>
・伊藤正子・吉井美知子共編(2015)『原発輸出の欺瞞―日本とベトナム、「友好」関係の舞台裏』明石書店
・小口彦太ほか編(2012)『3・11後の日本とアジア―震災から見えてきたもの』めこん
・坂本恵(2013)「福島原発事故の教訓からみた,ベトナムへの原発輸出の課題」『福島大学地域創造』第25巻第1号、44-62頁。
・吉本康子(2012)「波の神を祀る人々」『月刊みんぱく』国立民族学博物館、5月号、pp.22-23

 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授)


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