【横丁茶話】

マルクスとおならの話             西村 徹

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●「資本論」はしんどい

 須磨がえりという言葉がある。「源氏物語」五十四帖を読破しようと志して十
二帖「須磨」のあたりで大抵は挫折することをいう。

 マルクスの「資本論」を投げ出すのはどのあたりだろうか。私は第一巻・第一
篇・第一章・第三節のあたりで早くもダウンした。ほとんどスタートで棄権した
に等しい。リンネル20ヤールはコート1着に等しいとか、5つのベッドは1軒の家
に等しいとか、逆の場合もおなじだとか。苦手だった算数の文章題みたいで急速
に興味が失せた。とにかく退屈で、とてもこんなしんどいものを読み通す根気は
ない。そう思ってきた。

 ところがいまどきになってナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読
んだ延長上に David Harvey という人が YouTubeで「資本論」講義をしているの
を見る機会があった。
(http://davidharvey.org/2008/06/marxs-capital-class-01/)
 聴いて解るわけではないが、見るからにおもしろそうだ。ちょっと覗いてみよ
うかと思ったので本になっている A Companion to Marx’s Capital を買った。
表紙にナオミ・クラインの賛辞がある。なにしろニューヨーク貧民大学(the
University of the Poor)でおこなった講義のテープ起こしから出来あがった本
だそうだ。全編無料でヴィデオを見ることができる上にテキストもPDFを無料
でダウンロードできる。

 そういうありがたい本の30ページに、私が挫折した第一巻・第一篇・第一章・
第三節は、「私見」としつつも「議論の意味などまったく見えなくなってしまう
ほど退屈な素材がいっぱい詰まっている」と書いてある。「マルクスはときどき
accountant hat を被る」とも書いている。つまり財政金融ネタや取るに足らぬ
些事にこだわりすぎるというのだ。

 さらに続けよう。「その結果、極度に退屈な展覧会同然になる。コレはアレに
等しくアレはコレに等しく、コレの費用は3ペンスで、コレは15ペンスで、ある
ものは他のあるものに等価であってどうのこうのと、これでもかこれでもかと数
字をあげての実例が羅列される。木を見て森を見ざるの恐れありだ。マルクスの
書くものにしばしばあることだが、この篇がその最悪のケースだ。だからこれに
対処する策を打ち出しておく今がちょうどよい潮時だ。私のやり方は二段階にな
る。よくある単純でテクニカルな議論はパスする。そしてそのさらに深いところ
にさぐりを入れる」。

 成心なくマルクスの真のメッセージを奮励努力して読み取れという、その人が
そう言うのである。いったん脱落した人間には慰めとなるコメントだが、なおか
つ、講義の前にはテキストの予習をしろとも書いてある。夜道に日の暮れる心配
はない。賽の河原に石を積むような気分で、日本語ではダメだったしドイツ語は
からっきしだから、いっそ英語版を読むことにした。すると今度は、英語は日本
語よりは一寸だけ分かる気がするだけで中身はやっぱりわからない。それでも提
灯ぶらさげて夜道を行けばときどき道端で面白いものに出会う。

 岩波文庫だと88ページになるが、ドイツ語版第4版の第一巻・第一篇・第一章・
第二節末尾にはエンゲルスが書いた注釈があって、「英語は、労働のこの二つの
側面に対して、二つの異なった言葉をもっているという長所がある。使用価値を
作り出し、質的に規定される労働を work といい、labour に相対する。価値を
作り出し、ただ量的にのみ測定される労働を labour といって、work に相対す
る」と書いている。

 英語は、ひと口にいえばドイツ語とフランス語の雑種である。1066年のノルマ
ンコンクェストでフランス語を話すノルマンにドイツ語を話すアングロサクソン
は征服された。支配階級はフランス語を、被支配階級はドイツ語を話すという二
重言語の時代になった。それが混じって英語が出来上がった。だから下層の農民
が労働して育てる豚はドイツ語の swine で、支配階級が食卓で食らう豚はフラ
ンス語の pork だ。大まかに言って同義語を区別する物差しのひとつになってい
る。

 「自由」はフランス語には liberte しかなくドイツ語には Freiheit しかな
い。英語には liberty と freedom と両方ある。だからサルトルは freedom の
意を liberty に担わせるのに七転八倒したのを、ハーバート・リードは英語な
らそんな苦労はないよと自慢した。Liberty は法的に保障された権利だから支配
階級の持ちもので、それだからフランス語で、Freedom は法的自由権のない被支
配階級でも持っている内面の自由だからドイツ語だ。ちゃんと帳尻が合っている。

 ところが work と labour はこの物差しからするとちょっと具合が悪い。
Work は「作品」とか「労作」とか、支配層のする高等な「しごと」の意味で、
labour は「労苦」「辛労」、ときに「出産の苦しみ」、極め付きは「奴隷労働」
のような下層のする労働を意味する。だから階級を前面に出して労働党は
Labour Party というが、世間では労働階級のことを偽善的に Working Class と
いう。ところで上等の work がドイツ語で、下等の labour がフランス語である。
そしてドイツ語には work にあたる Werk があり labour にあたる Arbeit があ
る。どうもエンゲルスの言うことにはチグハグなところがあるような気がする。

 はたせるかな。「不幸なことには」と英語版「資本論」にはエンゲルスのドイ
ツ語版注釈にさらにオマケの注釈がつく。「英語の慣用は、かならずしもエンゲ
ルスの区別立てに照応しない」(ペンギン版138ページ)と。言葉というのはそ
んなにあてになるものではない。勘ちがい読み違いはいくらでも生じる。ここで
マルクスをまるきり離れるが、言葉のたよりなさについての話は続く。

●勘違い読み違い

 椅子が壊れて大怪我をしたことを報せる新聞記事に「腰骨折ってうつ」という
見出し。「腰骨を折ってウツ病にかかった」ということのようだが「腰コッセツ
って、ウツ(病)?」なんて、綾瀬はるか級テンネンなら読むかもしれない。
「腰骨を折って討つ」はないとしても。こういうことになると私自身、負けず劣
らずテンネンである。たえず新聞のヘッドラインは、特に外字新聞の場合はハテ
ナである。新聞見出しは省略があって難しい。新聞でなくても俳句などでも同様
のことがある。

 「朝日新聞」には毎週月曜日に歌壇・俳壇のページがある。「朝寝して放つと
かるるもまた寂し」という句が選ばれていた。選者は稲畑汀子。「朝寝」は春の
季語ということか。「放つとかるる」はどこで切るのかわからない。ひょっとし
て「かるる」は「離るる」か?なんて頭の中はキンチョーの渦巻きになる。俳句
を多少たしなむ友人に電話した。即座に「女房に死なれたのよ」と言う。「放つ
解かるる」! はたと膝を打つ。

 その友人は先年老妻を失くした。俳句の経験よりも一身の経験によって即座に
その句の意味を解した。そういえば新聞記者をしていた別な友人はずいぶん早く
妻を失くした。そして周囲の強い勧めを斥け、ガンに若妻を奪われた不幸を二度
と味わいたくない、味あわせたくもないと決意して独居をとおした。

 あるとき長い独居の心境を尋ねると「起きてよし寝てよし蚊帳の広さかな」と、
加賀千代女の「起きて見つ寝て見つ・・」から、その「寂し」をあえて切り捨て
て磊落に笑った。間抜けな私は、なるほど独居の開放感はさもあろうかと額面ど
おりに聞いたが、「朝寝」の句について即答した件の友は、「あれはあいつの痩
せ我慢」と注釈して、わが不明を戒めるともなく戒めた。

 経験というのはたいしたものだ。そして人の想像力というのは貧弱なものだ。
身につまされたことでなければ細胞膜に遮られて(あるいは護られて)、容易に
他人の苦を苦とすることができない。よく出来ているともいえる。いちいち他人
の苦を本当に苦にしていたら一日も生きてはいけないだろう。人は、好むと好ま
ざるにかかわらず、人を含む他の生命を殺しまくって生きている。それが後ろめ
たくもあるからこそ人はキリストだの聖母マリアだの、観音だの地蔵だのを発明
せずにいられないのだろう。必要(欠乏)は発明の母である。

 これは少し余談だが、この話、すなわち経験によって即答した友人の明敏を
「たいしたものだ」と感心して、それを話題にしようとしたその相手は、「朝寝
して放つ」くらいのところで性急に応じた。「オナラしたの?」と。ひとまずは
笑ったが、前後関係なしにこの句をいきなり聞いたならば、そういうイメージも
十分成り立つ。さばさばと乾いた、端倪すべからざる散文精神であるといえる。

 そこでこの話を、また別な人にした。するとその人もまた、朝寝坊してるから
布団の中だろう、そこで「放つ」だから「放屁」だろうと思ったと言う。両人と
も女性である。生活者感覚というのか第一生命感覚とでもいうのか、女性は生物
として本質そのものであって「できそこないの男」とは根本が違う。朝日歌壇に
「二十五年単身赴任をして逝きし かげろうのようなあなたの写真」という歌が
あった。じつに男は現象にすぎない。 (2013/04/12)

 (筆者は大阪女子大学名誉教授・堺市在住)
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