【コラム】中国単信(20)

モンスター化人間の出現に思うこと

趙 慶春


 「モンスター社員」、「モンスターペアレント」、「モンスターペイシェント」というように「モンスター」を冠した言葉をよく耳にする。「モンスター」とは「怪物」の意味だから、当然良い意味で使われていないことは言うまでもない。今のところ明確な定義があるわけではないが、なかなか巧い言い方だと思う。

 「モンスター社員」とは、相手の立場など無視し、社会的通念や常識からはずれた言動で周囲を振り回し、企業、上司、同僚などが対応に頭を悩まされる社員を指している。
 たとえば、あるIT関連企業の社員は、給与の手取り額を多くしたいからと、会社での身分を「社員」から「自営業」扱いに頼み込んだ。ところがそれから1年ほどすると、有給休暇もなければ、社員用健康診断も受診できないと会社にクレームをつけ始めた。そして会社側のどのような説明も受けつけないため、会社はトラブルを避ける意味から要求を呑まざるを得なかった。会社にとって予想外のコスト増になったことは言うまでもない。
 要するに処遇に少しでも不満を抱くと、時には本人だけでなく、親や配偶者まで巻き込んで会社に文句を並べ立て、あくまでも自分の権利を主張する、こういった類の社員が「モンスター社員」である。もっとも「モンスター社員」は平社員だけとは限らない。れっきとした管理職にも存在し、多くはハラスメント行為によって部下を悩ませることになる。

 また「モンスターペアレント」とは、きわめて自己中心的で、常識を超えた要求やクレームを教師、校長、教育委員会などに申し立てる保護者のことを言う。
 さらに「モンスターペイシェント」とは、病院や医院などの医療業務従事者に常識外のクレームや、あまりにも自分勝手な要求をつきつけたり、時には暴力を振るったりする患者のことを指す。
 最近では、コンビニやボーリング場で従業員に土下座をさせる客が話題になったが、駅などで駅員に暴言を吐いたり、暴力を振るう乗客が増えているとも聞く。

 こうした「モンスター化」する人間の増加傾向には
(1)もともとそうした資質を持った性格
(2)社会への不満があったり、個人的な挫折感を抱えている
(3)他人や社会に不信感が強い一方、自分に自信が持てない
(4)制度上、消費者や被雇用者保護に重きが置かれている
といった要因が考えられる。
 もっともごく常識的な人間と見られていた者が突如としてモンスター化することもあり得るわけで、人間の心の奥底に潜む暗闇は、自分自身でも気がつかずに口をパックリとあけているのかもしれないのだが。

 ところで、現在の日本のモンスター化増加現象について、筆者は上記の(1)(2)(3)いずれかと(4)が組み合わされた複合的な要因がいちばん大きいのではないかと見ている。
 ここで(4)について少し考えてみよう。

 たとえば教師と保護者の関係でいえば、かつて教師は一段上の人間と見られていて、その点は中国でも同様であり、現在もそうだと言える。しかし日本では高等教育を受けた親が増えるにしたがって、教師への接し方が、教師も勤め人で、自分たちと対等だと捉え始めてきていると言える。つまり先生への余計な遠慮や気の遣い方は不要であり、言うべきことはきちんと言うという姿勢にほかならない。そこまでならさして問題にはならないはずなのだが、事は我が子のことだけに、こうした傾向に拍車がかかり、暴走が始まるというわけである。
 しかも困ったことに、少子化が止まらない日本の親に見られる一つの傾向がある。それは過干渉、過保護、子離れ不能状況で、それとも重なってモンスター化が始まってしまうとも言える。

 こうした親たちの多くが本来は家庭で教えたり、教育すべき事を放棄して、すべて学校や、教師に求めることが多くなってきているように見える。つまり当事者として親が親として解決すべき問題があるという自覚に欠け、子どものことはすべて学校、あるいは教師が解決すべきだと思い違いをしているらしいのである。
 ここには(4)に挙げた消費者感覚、つまり「お客様感覚」も潜んでいて、教師はお客にサービスする「店員」としか見られていない可能性がある。
 要するに保護者(親)と教師は対等の関係どころか、消費者として親の方が上位に立ち、どのようなクレームも教員に突きつけて構わないと思いこんでいる節がある。
 一方、教員は親への対応如何では校長や教育委員会からの指導が入ったり、ハラスメント行為として訴えられかねない。また一般企業では消費者保護法や企業が定めた内規、さらには企業モラルといった面からさまざまな制約がみずからにかかり、忍従を強いられることにもなる。

 中国の場合も親が子どもの教育に異常なほどの関心を示すのは同じである。ただ一般的な傾向として、親は学校や教師の具体的な教育方法にはあまり口出しをしない。むしろ経過よりも結果の方に関心が集まっているようである。
 そのため親は我が子が教師から無視されるのを恐れて、何かと教師の歓心を買うことに一所懸命になる。こうして「新年」、「中秋」、「教師の日(9月10日)」などには、教師への付け届けが半端でなくなるのである。付け届けとしては現金がもっとも多く、ギフトカードも上位を占めている。しかも最近は年々、高額になってきている。
 日本ではあり得ないことで、関係部署は「教師の日」などにかこつけて贈られる、親からの金品、有価証券などの受け取りを禁止し、発覚した場合は処罰するとの通達を出している。
 積極的に教師に付け届けをすべきだと考える親は少数にもかかわらず、実際にはほとんどの親が付け届けをするのは、しなかったために我が子が不利な扱いをされるのを恐れるからである。

 中国では教師と親とでは教師の方が上位に立っていて、親は常に教師にお願いをする立場にあることがわかる。そのため結果が出せない教師がいれば、その教師や学校の教育方法に不満を持つ親も現れるが、日本の「モンスターペアレント」のような事態にはならない。
 ここには日本の親に比べて中国の親自身の教育経験が少ない人が多いという要因も考えられる。したがって個別面談や保護者会などでも教師、あるいは学校側からの一方通行による情報伝達となる場合が多く、親たちも学校教育という面で学習しているとも言えるだろう。
 ただこの一方通行という点で見るなら、中国という国そのものが一方通行体制と言えるだろう。中国共産党による事実上の一党独裁体制であり、常に上から下への命令、指示による社会の仕組みに教育現場も例外ではないのである。

 中国の教師は常に「上」に立って子どもや親を指導する立場にあるわけで、「モンスターペアレント」が出現する素地は今のところない。
 企業での雇用関係でも、日本のように「労働法は弱い立場にある被雇用者を保護するためのもの」という基本姿勢は中国にはない。それだけに企業側が一方的な決定をおこなうことも珍しくなく、中国の被雇用者の立場は日本とは比べようもないほど弱いと言える。

 ところが昨今の日本の「モンスター化」を見ると、日本の消費者保護、被雇用者保護の姿勢が裏目に出ている面もなきにしもあらずだと思う。
 つまり「弱者」保護の名目で被雇用者の主張や発言力が増したことはまちがいない。そのことが「モンスター人間」を生み出す直接の要因とはなり得ないだろう。問題は相手の立場を無視したり、組織の一員であることを忘れて、ひたすら自己主張を繰り返す人間も許容される「弱者保護」の土壌が生まれやすくなっているのではないだろうか。

 「モンスター人間」出現を阻止する完璧な手だてなどあるとは思えないが、常に意思疎通をはかり、お互いに信頼関係を深め、悩みや不満を気軽に相談できる環境が整っていれば、モンスター化現象はかなり防げるように思える。
 言い換えれば、現在、日本の社会からは余裕が失われ、孤独な群衆同士は言葉を交わすこともなく、互いに他人への思いやりを忘れ、社会の一員として自分を相対化してみることができなくなっているのである。こうした状況への強い危機感こそが、現在、何よりも求められているのではないだろうか。

 (筆者は女子大学・教員)


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