■【北から南から】
仏国・パリ便り(3)

ユーロの危機に関して    鈴木 宏昌

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 6月から7月にかけて、フランスは南北2つに分断されている。政治の話では
なく、天気である。

 北部にあるパリ地方は実に雨がよく降り、寒い。7月中旬というのに、最高気
温が20度を下回る日が多く、セーターが欠かせない。もっとも、日本のように、
一日中雨が降るのではなく、1、2時間降っては日がさし、また冷たい雨となる。
それでも、傘を持って歩く人は少ない。とくに若い人は雨にぬれながら歩くのを
格好良いと思っているらしい。その一方、地中海地方などは毎日30度まで気温
が上がり、海水浴に楽しむ人がテレビによく写される。どうも、リヨンあたりが
気候面での南北境界線のようだ。

 さて、去る6月の国民議会選挙では、新大統領 オランド氏の与党である社会
党が圧勝し、エロー内閣が成立した。女性が閣僚の半数を占めるが、主要ポスト
はベテラン政治家(男性)が就いている。新大統領は、ドイツ、ベルギー、アメ
リカ、メキシコなどの外交日程に追われ、エリゼ宮の席を暖める余裕もなさそう
だ。

 国内的には、財政赤字の削減という課題の上に、最近、プジョー社のリストラ
計画が公表され、雇用問題がこの秋の焦点になりそうな気配である。プジョー社
は、言うまでもなくルノーと並ぶフランスの自動車メーカーだが、欧州における
プジョー・シトローエン車の販売不振が続き、大規模な再建案が練られていると
早くから噂されていた。しかし、今回のリストラ計画は全部で1万人に近い人員
削減で、パリ郊外のオルネ工場(3000人規模)の閉鎖が盛られ、各方面にシ
ョックを与えている。

 早くから海外生産に熱心だったルノー社(ルノー・日産グループ)とは異なり、
保守的なプジョー社(プジョー家が大株主)は、従来からフランスおよび近隣諸
国の市場をターゲットにしていた。その戦略が裏目に出た形で、現在では既存の
生産設備が過剰状態にあり、古くなったオルネ工場を閉鎖、また、主力向上のひ
とつであるレンヌ工場を大幅に縮小し、残りの工場へ生産を集中化させるという。

 労働者の党を自負する社会党政権にとって、実に難しい問題を抱えることにな
る。わが国と同様に、自動車産業は裾野が広い産業なので、今後、この問題は政
治化し、長引くことは避けられないだろう。

 しかし、新大統領にとって、最大の経済・社会問題はユーロである。ここ2年
ほど、EU諸国はギリシャの財政危機問題に振り回されてきたが、まだ視界が利
かない状態が続いている。経済規模が小さなギリシャ(ドイツのGDPの10分
の1程度、人口1100万人)の救済は可能かもしれないが、次の市場の標的と
言われるスペインやイタリアに危機が飛び火した場合、ユーロ圏の崩壊は避けら
れず、EUの存続そのものも危なくなる可能性がある。

 EECの発足以来、50年余りの歴史を持つEUにとって、かなり危機的な局
面にあることは間違いない。その危機意識はユーロ圏の首脳や欧州中央銀行は共
有していると思われるが、具体的な解決策となると各国の足並みはまったく揃わ
ない。
 今回は、フランスおよび欧州経済にとって最大の問題であるユーロについて考
えて見たい。私は金融問題は専門ではないので、最近読んで感心したA.オルレ
アン教授の論文(「De l' euphorie a la panique」 P.Ashkenazy/D.Cohen 編
18 nouvelles questions d' economies politiques, Pluriel, 2010.)などを参
考にし
ながら、この問題を私なりの整理をしてみたい。とくに、ユーロ問題の影の主役
である「市場」とは何を意味しているのだろうか? また、金融市場のグローバル
化とユーロ問題の関係は?


 ユーロの誕生


 その昔、ヨーロッパを旅行した経験のある人は覚えていると思うが、国境を越
えるたびにパスポート・チェックがあり、それが済むと、すぐに近くの銀行や両
替店に駆け込み、その国の通貨を買う必要があった。夜中に飛行機や電車が着く
と、駅や飛行場の両替のレートが悪く、何回も損した記憶がある。また、数カ国
を旅行すると必ず使い道のない小銭(ベルギーフランやオランダのギルダーなど)
がポケットに一杯となり、不便な思いをした。

 私のような旅行者には、共通通貨ユーロは実に便利である(もっとも、ユーロ
のお札は小さく、いかにも価値が低そう)。また、商業界や産業界は、それまで
必ず銀行を介してレートを設定し、取引をしていたものが、直接ユーロで決済で
きることになる。

 単一通貨ユーロは1999年創設が正式に決まり、2001年から使用され始
めた。最初は11カ国で始まり、現在では17カ国がユーロ圏に参加し、3億人
を超えるユーロ圏が成立している。EU主要国の中で、ユーロ圏に参加していな
いのは、イギリス、スウェーデン、デンマークに過ぎない。

 ところで、1960年から始まるEU建設の過程で、通貨あるいは交換レート
は絶えずEU首脳の頭を悩まし続けた問題だった。EU創設のひとつの目的が単
一経済市場の実現にあるので、商品の交換手段である基軸通貨を何にし、各国通
貨の交換レートをいかに調整するかは基本的な問題であった。

 ただ、同時に、通貨は各国の主権とも微妙に関係する。単なる紙切れでしかな
い紙幣にその価値を担保するのは、国あるいは中央銀行が通貨価値の保証を行う
ことから来る。通貨発行の権限は国家主権に属し、経済政策の面では、財政政策
と並び、通貨政策(為替レートの設定、公定歩合と通貨総量)が国の主要な手段
でもある。

 事実、1960-1980年代まで、多くの加盟国は、もっとも物価が安定し
競争力の強いドイツのマルクに対し、競争力の回復手段として平価切下げを何回
も行っていた(例、イタリア、フランス)。しかし、無秩序な平価切下げはEU
域内の交易の障害になることは明らかなので、交換レートの安定化は、EU(当
時はEC)内で様々な工夫がなされてきた。

 1974年に始まる通貨の交換・レート幅の設定(通貨のスネーク)、欧州通
貨システム(1979年より)などにより、各国通貨の交換レートの調整がなさ
れた後、1992年のマーストリヒト条約(EUへの移行を決めた条約)の中で、
ようやく共通通貨の目標が掲げられた。

 そして1999年に、当時EU建設に熱心だったミテラン大統領とドイツのコ
ール首相の提携により、ようやく通貨および経済連合の協定が実現し、11カ国
により調印されたものだった。なお、イギリス、スウェーデン、デンマークはこ
の協定に参加しなかった。

 その後、ギリシャは2001年に通貨連合に参加が認められた。この通貨連合
への参加条件として、財政赤字はGDPの3%以内であること、公的債務はGD
Pの60%以下であること、物価安定を図ることなどが定められた。

 そして、共通通貨発行の権限を持つ欧州中央銀行の創設が決定されたが、各国
の財政赤字などをEUレベルで審査する監視機構の設立は盛り込まれていない。
つまり、国家主権に関する困難な問題を先送りして、政治決着を図ったものと思
われる(東西ドイツの統一問題やミッテランの病気なども政治決着を急がせた模
様)。

 共通通貨ユーロは2002年から使用され、欧州全体の景気回復の中で順調に
ユーロ圏は成長しているように見えた。これが、一転するのは、2008年の世
界金融危機で、アメリカの金融危機は欧州の銀行を追い込み、いくつかの国が銀
行の一部国有化などを行った。

 金融情勢の悪化とともに、スペインなどでは不動産バブルが破綻し、スペイン
の銀行のみならず多くの欧州の銀行は巨額の不良債権を抱え込むことになった。
その上、2010年にギリシャ政府の財政赤字の粉飾が表面化し、ギリシャの国
債はジャンクボンド化し、危機が到来することになる。

 ユーロ圏にとって、ギリシャ以上に深刻なのはスペインと見られている。潤沢
なユーロ資金をつぎ込んだスペインの不動産バブルは2006年に破綻するが、
1990年代の日本の金融機関と同様に、多くのスペインの銀行は落下し続ける
債権の資産価値に独自では対応できなくなっている。最近、第4番目の銀行の国
有化が決まったが、スペイン政府そのものが赤字に悩んでいるので深刻である。

 では、なぜ日本の例があるのに、スペインや他の欧州銀行は莫大な不良債権を
持つことになったのだろうか?


金融のグローバル化


 ヨーロッパの金融機関は、日本と同様に、長い間、国の厳しい管理下にあり、
保守的な経営手法で知られていた。たとえば、フランスでは、貯蓄銀行と投資銀
行の区分があり、とくに貯蓄銀行は資金運用などでいくつもの規制があった。ま
た、証券会社や保険産業もそれぞれに規制の対象となっていた。

 この構図が大きく崩れるのは、やはり1980年代のサッチャー・リーガン時
代の規制緩和の動きが契機になったと考えられる。アメリカやイギリスで金融規
制が大きく緩和されるのは1990年代だが、すでに1980年代から証券、保
険、年金基金(アメリカ)などで、規制緩和が着実に進んでいた。これと呼応す
るように、コンピューターや通信網の発達のお陰で、世界の金融機関がネットワ
ーク化された(銀行間の決済に使われるSWIFTは1970年代から始まる)。

 また、金融の自由化論者として有名なグリーンスパン氏がアメリカの連邦銀行
総裁になったのは1987年である。この1980-1990年代にアメリカ、
イギリスの金融機関は大きく変貌する。投資銀行、証券会社あるいは銀行などが
垣根を越えて利益を追求するマネーゲームが盛んになる。もともとおカネは色も
空間の制限もないので、利潤のにおいがすれば、どこへでも移動できる。

 それまで、銀行など金融機関は、自己資本の比率で投資額が規制されていたも
のが、その規制がなくなると、レバレッジと呼ばれる借入金による資金調達によ
り、ほぼ無限大の投資が可能となる。また、リスク管理に関しても、リスクの多
い債権などをヘッジファンドなどに売り払い、金融機関の本体のリスクを転嫁す
る手法が開発された。

 また、デリバティブと呼ばれる金融派生商品も開発され、JPモルガン、ゴー
ルドマン・サックス、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズなどが金融市場を牛
耳り、巨額の利益を溜め込むことになる。

 サブプライムの破綻(2006年)で明らかになるように、金融業者は様々な
リスクを混合した金融商品を開発・販売し、年率30%などというとてつもない
利益を獲得する。このように、アメリカの金融機関が繁栄を享受すれば、他の先
進国の金融機関も追随せざるを得ない。1990年代後半には、ヨーロッパの大
銀行は、次々と投資用の子会社を設立し、ニューヨーク、ロンドンのマネーゲー
ムに参加することになる。

 マネーゲームの特徴は短期の収益率を高めることで、そのためには、どんなも
のも投資の対象になる;様々な金融商品、デリバティブ商品、通貨、先物取引、
不動産、各国の国債など際限ない。

 サブプライムの破綻で明らかになる金融業者の手法は、次のようなものだった。
 普通では返済能力のない階層に、不動産が値上がりするこことを見込んで、返
済計画を立てさせ、強引に不動産を買わせる。金融業者は、返済不履行に絡むリ
スク(抵当権など)は政府出資の不動産銀行に渡してしまい、リスクなしに利益
を得る仕組みである。

 不動産が値上がりしている間は問題ないが、一度不動産の価格が下落傾向にな
ると、返済不能者が続出する。これが、2008年の金融危機のひとつの引き金
となった、2006年サブプライム問題であった。

 こうして見ると、金融経済と実体経済の乖離が見えてくる。企業、家計の長期
投資のために活動すべき金融機関は、実体経済とはまったく異なる人為的な空間
で、投機まがいの行動により巨大な利益を生む。製造業やサービス業でわずかに
数パーセントの利益率を確保するのに経営者・従業員が懸命に努力するのに対し、
金融機関は新商品の開発で1桁異なる莫大な利益を毎年のように獲得した。

 残念ながら、金融危機が訪れると、資金不足の状態となり、実体経済にも大き
な影響をもたらす。2008年以降の経済危機はユーロ圏を直撃し、いくつも国
は国家財政の危機に陥っている(アイルランド、ギリシャ、スペイン、ポルトガ
ル、キプロス)。これらの国は、国家予算を遂行するにも、自力では金融市場か
ら資金調達の道が塞がれている。

 放漫な過去の政治、マネーゲームに走った銀行など自業自得の部分もあるが、
何といっても罪作りなのは先進国の金融機関のように思われる。一部の人は、今
後、金融の規制は必要と考えるが、誰が実際に金融市場の規制を行えるのかは見
えてこない。

 アメリカのオバマ大統領は規制賛成派と思われるが、保守色の強いアメリカ経
済界は絶対反対の立場を崩さないだろう。イギリスのカメロン首相が金融規制に
賛成する可能性は少ない。また、EUを始め国際機関はこの問題に関してはまっ
たく無力である。

 長い間、労働経済学の授業を受け持ち、希少な財の売買のために、市場で財の
価格が成立すると教えてきたが、金融商品に関しては疑問符しか思いつかない。
私は、経済的な財とは人や社会にとって有益な財であると信じているが、様々な
金融商品が社会的に有益な財とはとても思われない。
                (2012年7月15日、パリ郊外にて)
            (筆者は早稲田大学名誉教授)