【コラム】海外論潮短評(113)

リベラルな国際システムの危機
― 20世紀ドリームの終焉 ―

初岡 昌一郎


 代表的な国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』1/2月号は「国際システムの将来」を特集している。その中の主論文の一つが、トランプ現象に代表される一国主義的なポピュリズムによって、現行国際秩序が危機にさらされていることを考察している。筆者のネビン・ニブレットは英王立国際問題研究所(通称:チャタム・ハウス)所長で、国際問題に関する著名な論客の一人である。アングロサクソン的リベラル派の現今の国際関係に対する代表的な見解とみることができる。

 英国のEU離脱、トランプ大統領の就任、欧州全域での右翼の登場によって生じている国際的動向を、リベラリズムの後退という観点から分析、今後の憂慮すべき事態に警告している。同論文の趣旨を要約的に紹介する。

◆◆ 第二次世界大戦後の国際秩序は「進歩思想」に依拠

 1945年以後、西欧の政策立案者は、開放的な自由市場、民主主義、人権の確立が漸進的に地球全体へ広がると信じてきた。今日、こうした希望はナイーブに見える。

 アジアでは、中国がフィリピンやタイなどの伝統的なアメリカの同盟国を自らの政治的軌道に引き寄せようとしているので、その興隆はアメリカの軍事的経済的ヘゲモニーに挑戦する脅威となっている。中東ではアメリカとその西欧同盟国が、アラブの春という覚醒をその地域のリベラルかつ平和的な安定に導くのに失敗し、またシリア紛争を停止させるのに無力であった。ロシアが周辺地域でリベラル勢力を巻き返しているので、その地政学的な影響力は冷戦後かつてないほどの高みに達している。

 しかしながら、国際秩序に対するもっと重大な脅威は先進民主主義国内部から生じている。この50年間にわたり、EUは新しいリベラリズムの旗手であると見られてきた。EUは加盟国の主権をプールして、かつてないほど相互間の絆を強めてきた。しかし今日、相次いで難問に逢着し、EUは拡大を停止した。昨年6月の英国離脱をきめた国民投票以後、その歴史上はじめて縮小に向かっている。

 よかれあしかれ、国際秩序をこれまで持続させてきたアメリカのグローバルな指導力は、第二次世界大戦以後最も弱まっているようにみえる。次期アメリカ大統領は明確な「アメリカ・ファースト」の公約で選挙を戦い、アメリカの貿易協定を再交渉することを公約しており、プーチン大統領を賛美しながら、NATOに対するアメリカのコミットメントに疑問を投げかけている。

 過去半世紀以上にわたり、他の政治システムが崩壊するにつれ、リベラルな国際秩序は新しい挑戦に立ち向かってきた。しかしながら、その主要国の経済が脆弱で、政治制度に亀裂が続く限り、それらの諸国が唱道してきた民主主義を世界に広げる政治的力量を再獲得するとは思えない。むしろ、リベラルな国際経済秩序は、多様な国内政治システムを持つ諸国を包含する、より野心的でない方向に退化してゆくであろう。短期的には、民主主義国は非民主主義的な相手国と共存する道を見いだすことになりそうだ。リベラルな民主主義がそれに対応しうれば、長期的に見て優越性を回復できるえだろう。

 第二次世界大戦直後、アメリカとイギリスの政策立案者たちは、両次大戦間の国際協力の破滅的な失敗を繰り返さないために、新たなグローバル・システムの構築を図った。このシステム設計者は、単に経済発展だけではなく、世界平和の促進を追求した。その最上の希望が、自由市場、人権の確立、法の支配、民主主義的に選ばれた政府の確立にあると考えた。これを監督するのが、報道の自由、司法の独立、活発な市民社会である。

 国際秩序の中心がブレトン・ウッズの諸機関、すなわち国際通貨機関(IMF)、世界銀行、貿易一般協定(GATT、1995年にWTOに改編)であった。これら諸制度を基調として、政府介入を最小化する、オープンで透明な市場が経済発展を実現すると信じていた。これがワシントン・コンセンサスである。

 このような原則に立って、アメリカの経済、軍事、外交政策はドイツなどの西欧諸国と日本が第二次大戦の破壊から復興するのを援助した。西欧の政策立案者は、開放的な市場への移行が民主主義の拡大に必ずつながると確信していた。彼らはおおむね正しく、自由な民主主義はヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカ、アフリカに徐々に広まった。特に冷戦後、このことが顕著であった。1997年に44ヵ国であった民主的な政府は、2015年には86ヵ国に増え、世界の人口40%とGDP68%を代表するようになった。

◆◆ 今世紀に入って後退、崩壊し始めたリベラルな秩序

 この10年間、金融財政危機に誘発されて、ポピュリスト的反乱と権力主義的な政権が再登場し、リベラルな国際秩序が躓いた。ある政治学者はこれを2006年以後の「民主主義のリセッション(一時的な景気後退)」と呼んでいる。個人の自由と民主主義は、後退していないところでも停滞している。

 最大の危険は内部から生れている。この25年以上にわたり、アメリカと欧州各国の平均的賃金は停滞しており、指導層とグローバリゼーションに対する信頼が損なわれた。開放経済の深化は富の総量を増大させたが、大部分の社会層はその恩恵に浴さなかった。近年の金融自由化とその結果である金融危機における銀行救済が政府に対する信頼性を失わせ、開放的な資本市場は一部のエリートの利益にかなうのみと見られている。

 トランプの勝利、イギリスのEU離脱、豊かな北欧と貧しい南欧の両方におけるポピュリスト政党の躍進は、グローバリゼーションに対する不満を示す顕著な兆候である。欧州全土で政治統合に対する抵抗が増大している。過去60年間、超国家的統治機関に国家主権をプールしようとするEU加盟諸国の意欲は、他の諸国が地域的な協力を密接化しようとする上でベンチマークを提供していた。
 今やこのプロセスは中断し、逆転の恐れが出ている。

 過去70年間、リベラルな国際秩序はアメリカの安全保障という傘の下で繁栄した。しかし、今日のアメリカは第二次世界大戦後のいかなる時よりも内向きになっている。アフガニスタンとイラクにおける浪費的な戦争とリビア介入に続く混乱以後、オバマはアメリカの国際的な役割に苦慮し、西欧や中東の同盟国に対して安全保障にもっと責任を負うように求めてきた。

 大統領選中に、金を払う国のみを保護する傭兵的超大国になるべきで、これによってアメリカが偉大になると、トランプはこの議論の方向を捻じ曲げた。この論理よって、同盟国の安全を保障することがアメリカの安全と経済的な利益を守る最上の方法であるという、苦労して学んだ教訓を放棄したのである。だが、トランプが実際にどのような道をとるのかはまだ不明である。

 良くも悪くも、超大国アメリカがもはや信頼しうるパートナーとしてコミットしなくなったことが、ヨーロッパからアジアにいたる同盟諸国を懸念させている。制度的経済的弱さで揺れるヨーロッパは、ロシアが繰り出す様々な圧力に傷つき易くなっている。その圧力には、西欧ポピュリスト政党に対する財政的支援やNATO東部国境における軍事演習なども含まれる。ロシアの経済的な弱さにもかかわらず、文化的民族的主権に基づく新欧州秩序というプーチンの主張は、イギリス独立党からフランス国民戦線やハンガリー・フィデス党にいたる右翼政党にアッピールしている。

 他の地域でも多くのアメリカの同盟国が後退している。日本と韓国は、高齢化と貿易への過度の依存という二重の挑戦と苦闘している。歴史的な対立がこの地域における共通の立場を阻害している。ブラジル、インド、ナイジェリア、南アフリカなどの新興経済大国は、持続的な成長と社会的な結束力に対する根深い障害を克服するのに成功していない。

◆◆ リベラルな国際秩序を維持するために

 ナショナリズムと保護主義は、リベラルな世界を復活させるのに資するものではない。しかし、これまでのところ、非西欧の新興勢力、特に中国においてもこの傾向が顕著である。アメリカと中国の両経済大国は今後の世界秩序を左右すると思われる。両国が国内統治と国家安全保障上の中心的諸原則で妥協を拒否することは十分に考えられるものの、リベラルな国際経済秩序内で共存共栄を図ることは可能だ。中国がスムースな経済発展を続けることは、アメリカと西欧の利益と合致する。

 中国の企業がセキュリティ、透明性、知的財産に関するアメリカと欧州のルールに従う限り、アメリカと欧州の市場は商品、サービス、直接投資に対する開放を続行すべきである。欧州諸国も、ロシアがEUルールを守る限り、同じアプローチをとるべきだ。

 欧州諸国とその企業は、北東アジアとヨーロッパを結ぶ交通インフラ建設などを目指す中国主導の努力に参加すべきである。非リベラルとリベラルの両世界で、欧州は新しい経済成長の機会を創出可能だ。環境と金融財政の持続性という原則を順守しながら、欧米主導の世界銀行やアジア開銀と中国主導のインフラ投資銀行やBRIC諸国が設立した新開発銀行の力を結集し、あらゆる諸国の経済的利益に資するプロジェクトを追求すべきだ。

 ロシアとの同様な協力を構築することはもっと困難である。より中央集権化され、政治的経済的統治の不透明性が高いロシアのシステムは、EUルールや統合深化とは両立しがたい。トランプが米ロ関係だけを改善しようとしても、EUとNATOの対ロ緊張は続くと思われる。ロシアとの関係を深化させるためにも、ユーラシア経済の結びつけようとする中国のイニシアティブを支持するほうがより好ましい方向である。

 リベラルな国際秩序を構築した諸国は30年前よりも弱まっているので、経済的政治的にリベラルなシステムの模範を示す力が最早なくなっている。したがって、国際法とルールよりも力によって代替的な政治秩序を確立しようとする、権力主義的な政権が強まる気配がある。

 しかしながら、こうした傾向に対抗するために、静観を決め込む、あるいは封じ込めを図るとことは誤りを犯すことになる。リベラルな国際秩序の支持者とそれに異議を唱える者の対立を全面的に拡大することは、両者の正面衝突を招くことになりかねない。よりましなアプローチは、時に応じて協力を、ある場合には競争を促進する、思慮深い共存政策を採ることである。国際政治がリベラル派と非リベラル派に分かれた世界は見通せる将来続くが、いずれもリベラルな国際経済秩序に依存しているので、どの政治形態がすぐれたものであるかは歴史が示すであろう。歴史を指針として読むならば、自由と民主主義が最上の賭けである。

◆ コメント ◆

 この論文は英米リベラル派知識人の良識を示すもので、現状にヒステリックに反応することを戒めている。筆者は、冷戦時代にソ連を中心とする「社会主義」陣営とアメリカと中心とる「資本主義」陣営がシャープに対立しながらも、平和共存を維持した教訓を下敷きにして、リベラルな政治経済システムをとる国と、非リベラルなシステムをとる国の共存を構想している。冷戦時代には、「核兵器」というマイナスの共通項が共存を担保していた。はたして現今のグローバル化した世界の開放的経済システムがこの共通項として作用しうるのだろうか。この点を自明のこととして、楽観できるのだろうか。

 筆者は、この点から、同じ権力主義的な政治システムをとる国でも、より閉鎖的で集権的な経済システムを持つロシアと、グローバルにより開放的な経済システムをとろうとしている中国の経済政策を区別し、世界システムにおける中国の役割を重視し、中国の採っている大陸間の経済的な結びつきを強める政策と欧米が協力することを主張している。これは、狭い経済的なナショナルインタレスト論に立つトランプや安倍などの超保守派の立場とはシャープに異なる。

 だが、現下の焦眉の問題は、筆者も指摘しているように、最大の危険が外からではなく、リベラルなシステムの内部から生まれていることだ。リベラルな民主主義の弱点は、そのルールを用いながらその原則を否定する勢力が生まれるのを回避できないところにある。歴史から教訓を学び、それに鼓舞されることは好ましいが、楽観的な見通しに安住することでは事態を打開できない。様々な立場のリベラル派がより能動的な行動に出なければ、ポピュリズムの嵐を乗り切れない。リベラル派の行動力欠如が今日の状態を招く要因の一つだ。

 (姫路獨協大学名誉教授・オルタ編集委員)


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