ロシアはどこへ行くのか?

                   石郷岡 建


初めに

 先月中旬、モスクワを訪問し、約1週間にわたり、各界の関係者と面会し、現在、ロシアが置かれている状況を聞いた。ちょうど、ロシアが、シリアの化学兵器問題に関し、シリアと米国の間を仲介する形で、「シリアの化学兵器の全面廃棄」と「米軍の軍事攻撃中止」の合意を達成し、「プーチン外交の勝利」と盛り上がっていた時期でもあった。モスクワの町は、いよいよきらびやかになり、欧米モードを売る高級ブティックや高級レストランが立ち並び、「パリの華やかさを抜いた」と豪語する人も現れるまでになっていた。

 しかし、表向きの笑顔とは、対照的に、人々の間には険しい表情が見え隠れしていた。新しい動きへのダイナミズムはなく、将来への夢や希望が情熱的に語られることもほとんどなかった。ある意味では、プーチン政権の安定・安泰状況を示していたが、その一方で、将来への見通しのない停滞感や「もういい加減にしてくれ」という鬱屈した気分が同居し、行き場のない不満が漂っていた。

長期低落傾向のプーチン支持率

 いま、ロシア国民はプーチン政権をどう見ているのか? その状況を端的に示しているのは世論調査のプーチン政権の支持率の下降である(図1)。

■図1
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 独立系の世論調査機関「レヴァダ・センター」が、毎月、調査しているもので、プーチン、メドヴェージェフ、政府の三つに対し、その活動状況を支持するかどうかを聞いている。図1は、08年から13年9月までの調査機関の結果を表している。

 図に現れる08年は、プーチン氏が大統領の座をメドヴェージェフ氏(当時首相)に明け渡し、自らは首相に下り、ポストを入れ替えした、いわゆるタンデム(二人乗り)体制が確立した時期にあたる。そして、4年後の12年、プーチン氏は首相から再び大統領の座に復帰し、メドヴェージェフ氏は大統領から首相の座へ戻った。プーチン氏は2000年の第一期大統領から三回目の大統領に就任したことになる。実態としては、プーチン、メドヴェージェフ両氏による政権のたらいまわしであり、事実上、13年間にわたるプーチン体制の継続である。

 しかも、憲法改正により、大統領に任期は4年から6年へと延長され、プーチン氏は今後2018年まで大統領の座にとどまる可能性が強い。さらに、憲法に許される連続二期の大統領の座を目指すとなると、2024年まで大統領を続けることになる。2000年に、当時のエリツィン大統領から大統領の座を明け渡されてから、実に24年も権力周辺に座り続けることになる。「いい加減にしてくれ」という声も当然な状況である。

 そのプーチン大統領に飽き飽きしたという雰囲気は図1の世論調査にはっきり表れている。世論調査を見ると、プーチン、メドヴェージェフ、政府の三つの支持率はほぼ連動するように動いており、基本的には、プーチンの支持率から約10%の下にメドヴェージェフの支持率があり、さらに、10%下に政府の支持率が表れる形になっている。

 そして、支持率は08年秋(グルジア戦争時)に向けて、三者とも上昇した後、一貫して低落傾向にある。2011年冬には、政府支持率が50%以下になり、今年(13年)9月にはメドヴェージェフ氏の支持率が50%へと落ち込んだ。プーチンの支持率だけは第三期目の大統領に就任した12年春から、支持率60%と70%の間で揺れ動いており、今のところ、落ち込みは免れている。世論調査専門家は、この状況を“支持率の停滞”と呼んでいる。

 9月のシリア仲介外交の成功で、今後、一時的に、プーチンの支持率が反転上昇することは十分あり得る。それでも、ここ数年間続いてきた長期低落傾向が大きく変化することはないように思える。

プーチンの支持率の背景

 プーチン支持率の長期低落傾向の背景にあるのは、ロシア経済の停滞である。
図2はソ連崩以後の国内総生産(GDP)の伸び率の推移を示している。ソ連崩壊直後のGDP伸び率はマイナス15%で、経済のひどい落ち込みだった。その後数年マイナス成長が続き、97年にやっとゼロ成長へと戻った。翌98年のロシア経済危機で、再びマイナス成長へと舞い戻った。これがエリツィン政権の崩壊へとつながり、2000年プーチンへの大統領権力の委譲となる。

 ロシア経済は。ロシア経済危機の翌年の99年から、ソ連崩壊後のどん底から抜け出し、急速に回復へと向かう。プーチンが大統領に就任した2000年にはプラス10%へと達した。以後、プーチン大統領時代の8年間、ロシア経済は5%から10%の間の急成長を続けた。これが「ロシア経済の奇跡の回復」であり、「プーチンの経済成長」である。ロシア国民が圧倒的にプーチンを支持してきた理由ともなっている。 

■図2 
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 しかし、図2で分かるように、リーマン・ブラザーズの破たんに始まる世界危機が始まると、ロシア経済は大きな影響を受け、最大7%のマイナス成長を記録し、四苦八苦の困難な経済運営を再び強いられることになる。この時期がメドヴェージェフ大統領時代(08年〜12年)と重なる。これがメドヴェージェフの支持率の弱さの背景にあり、プーチン大統領の再来を望む声にもつながっていく。

 ただし、メドヴェージェフ後のプーチン第三期大統領政権(12年〜)は、それほど高い成長率は示していない。13年度の経済成長の伸び予想はわずか1・5%である。

 図3は、国内総生産(GDP)の伸び率(折れ線グラフ)と一人当たりの国内総生産(棒グラフ)を表しており、経済成長の伸びと人々の所得の推移を比較したものである。一見してわかることは、プーチンが登場した2000年頃から高い経済成長を示し、一人当たりの国内総生産(GDP)も、ぐんぐん伸びていることが分かる。世界経済危機の到来で一時落ち込むが、所得の伸びは現在も続いている。

 数字的にいえば、ソ連崩壊直後、ロシアの一人当たりの国内総生産は約1000ドルだったが、第二期プーチン政権の終わりの12年には1万2000ドルを突破し、現在の13年は1万6000ドルに達しようとしている。単純計算でも10数倍であり、それだけ人々の収入は増えたということにもなる。「プーチンはロシア経済を立て直し、ロシア国家を立て直し、人々を救った」ということにもなる。根強いプーチン支持もむべなるかなという結論になる。

■図3
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「ロシアの奇跡」の背景

 では、なぜ「プーチン時代の奇跡」は起きたのか? 図4はロシア政治の変動と原油価格の推移を比較してみたものである。

■図4
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 図を見てすぐわかるのは、2003年から8年のプーチン政権時代に異常な石油価格の高騰である。ロシア経済危機が起き、エリツィン政権の崩壊へとつながった98年頃の石油価格は1バーレル当たり10ドル前後だが、それが08年の第二期プーチン政権末期には100ドルに近くに達している。単純計算でも10倍である。そして、その石油価格は世界危機で落ち込んだものの、現在は回復し、100ドル前後を維持している。急速の伸びはないが、輸出代金は着実に入ってきている。経済成長の伸びはないが、人々の所得は確実に積み重なっている。

 もうひとつの図がある。国際石油価格と国際情勢の推移を示したもので、1970年代から2011年までの比較である(図5)。

■図5
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 これを見ると、第4次中東戦争をきっかけに始まった第一次石油ショックの70年代の石油価格は1バーレル当たり10ドル以下だったが、イラン革命に端を発する第二次石油ショックでは1バーレル当たり30ドルへと高騰する。その後、まもなく10ドル台へ戻り、これがソ連崩壊へとつながる。

 プーチン時代に入った03年頃からは、石油価格の10倍以上の爆発的な高騰に移り、歴史的にみても、非類のない石油高価格時代が現れたことが分かる。この石油価格の高騰の影響を受けて、プーチン政権およびロシア国家は大いに潤ったというのが実態のように思える。

 勿論、プーチン大統領は強権を使って、反対勢力を抑え、国内分裂を抑え、中央集権国家体制を再生し、政治的安定をもたらしたことは、是非は別として、経済の回復に寄与したといえると思う。それでも「プーチンの奇跡」の背景には、石油価格の高騰という「棚からボタ餅」的な「幸運」があったことには疑いがない。プーチンは非常にラッキーな人物だったのである。

 逆にいうと、第三期目のプーチン大統領は、この幸運をもはや期待できない。03年から08年に起きた石油価格の10倍増というような時代がくることは、ほぼあり得ない。もし、そんな“幸運”が繰り返されるとすると、国際石油価格は1バーレル当たり1000ドルを超えるという計算になる。どう考えてもありえない。つまり、プーチン第三期目政権は石油高騰の幸運の風が吹くことは期待できないし、2回目の「プーチンの奇跡」はあり得ないという結論になる。

 プーチンの支持率の長期的低落傾向の背景にあるのか、この「プーチンの奇跡」神話の崩壊であり、幻想が消えるプロセスといってもいい。「プーチンは何かやってくれるだろう」との期待と、「そんなことは、もはや、あり得ない」という悲観的な考えと二つの思いが交差しながら、プーチンへの幻滅が増大していくというプロセスかもしれない。

揺れ動くロシアの人々の思い

 そんな揺れ動くロシアの人々の思いを見せつけるのが、図6の「ロシアは正しい方向に向かっていますか?」という問いに対するレヴァダ・センターの世論調査結果である。調査は毎月行われており、図には、2008年にメドヴェージェフ大統領が就任してから現在までの変化を表している。

■図6
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 図を見ると、メドヴェージェフがプーチンから大統領権力を受け取り、タンデム(二人乗り)体制を始めた頃は、「ロシアは正しい方向に向かっている」と答えた人が60%近くおり、「向かっていない」と否定的な答えた人は30%以下だった。しかし、08年の秋ごろから急速に減り、「正しい方向へ向かっている」と答えた人は40%台に落ち、逆に「正しい方向ではない」と答えた人が増えていく。背景にはグルジア戦争と世界的な経済危機の襲来がある。個人的には、グルジア戦争の影響よりも、世界的な経済危機の影響の方が強かったと思っている。プーチン時代に謳歌した石油代金の流入による生活水準の向上および将来への展望に影が差して、ロシア社会の中に不安が増大していったと思われる。

 その後、石油代金の備蓄などを動員した金融政策の発動などで、経済が回復していくと、再び、「ロシアは正しい方向に向かっていく」という声が強まっていく。
 しかし、2010年末頃から、再び「正しい方向に向かっている」と考える人の数は減っていき、40%台に落ちていく。11年初めに、ついに「正しい方向に向かっていない」と答える人の数が上回ることになる。ちょうど、政府支持率が50%を下回った時期にあたる。
 ロシアの人々の間で、00年から08年のような経済成長および生活水準の向上がないとの不満が強まっていく。そして、その理由はメドヴェージェフ大統領の経済運営に問題があると多くの人が考えた。メドヴェージェフ大統領解任の土壌が培われていくことになり、その年の秋、プーチン氏の大統領選出馬声明が出され、メドヴェージェフ氏は首相の座に戻ると発表された。タンデム政権の継続と説明されたが、事実上のメドヴェージェフ大統領の解任だった。

 このプーチンの大統領選出馬・メドヴェージェフ解任発表直後から「ロシアは正しい方向へ向かっている」との期待が再び増大していく。12年末の下院選挙では、プーチン支持の不正選挙批判が高まり、一時、都市部を中心に政権批判が爆発し、「正しい方向」と答える人も、一時、落ち込んだ。
 しかし、翌12年春の大統領選挙が始まると、「正しい方向に向かっている」という声が増え続け、大統領勝利、大統領就任などを経て、「正しい方向へ向かっている」との声は50%に達する。国民の半数は再び「ロシアは正しい方向に向かっている」と考えたことになる。
 しかし、このプーチン支持の声は長く続かず、12年夏には、「正しい方向に向かっている」との声は40%台に落ち込み、「正しい方向には向かっていない」と答える人とほぼ同数になる。その後、現在までは、「正しい」派と、「正しくない」派が均衡しており、激しく競っている。最近の情勢は、わずかながらも、「正しくない」派が「正しい」派を上回っているという状況にある。

プーチンをどう考えるか?

 では、現在、ロシアの人々は、プーチンのことを、どう考えているのか?
 これは答える人によって異なり、平均値を出すのは難しい。そして、問題により、その答えは違ってくるし、世論調査の数字だけでは、うかがい知れないものがある。とりあえず、世論調査の結果だけを見てみたい。図7、図8、図9である。

■図7
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■図8
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 図7は、プーチンの考え方はいいかどうか、ストレートに聞いたもので、08年4月と現在の09年8月の結果を比較している。「良い」と考えていた人は80%から50%以下へ急落し、逆に、「悪い」、「良く知らない」と答えた人が増えている。一般的に、プーチンの考え方に疑問を持つ人が増えていることを示す。

 図8では、プーチンを信用するか、どうかを聞いている。2000年から2012年まで6回の調査をしており、結果は「完全に信用している」「どちらというと信用している」は、いずれも、現在の13年が最低値となっている。「完全に信用している」と答えた人は08年をピークに急落しており、また「どちらかというと、信用している」という答も2000年をピークに毎回減っている。逆に、「どちらかというと信用していない」「全く信用しない」との答は少しずつ増えている。
 世論調査に現れた結果は、ロシア社会の人々のプーチンへの信用度は急速に落ちているが、全否定をするには躊躇しているという微妙な状況を映し出している。「プーチン離れ」が進みながらも、なお、プーチン氏に反対するのではなく、距離をとって、慎重に見ているという雰囲気でもある。背景にはプーチンの第一期、第二期の大統領時代の華々しい経済躍進が忘れられず、簡単には、プーチンを否定できないという構図でもある。

 そんなロシア社会のどっちつかずの状況を示した調査(図9)がある。
 ロシアの成功は誰のおかげかという設問で、圧倒的な数の人々がプーチンと答えている。「ロシアの成功」という意味が、日本人には良く分からないが、経済成長、国家安定、さらにはソ連崩壊後の混乱に終止符を打ったなど様々な内容が含まれていると思われる。ともかく、プーチンはソ連崩壊以後の国家分裂の危機を止め、普通の生活状態に戻したという考えに、ロシアの多くの人々があるように見える。

■図9
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 図9を見ると、2008年になると、「プーチンのおかげ」と答える人の数が急減し、60%から40%台に落ち込む。メドヴェージェフ氏に大統領権力が移行した結果を受けたもので、大統領という現実の権力を尊重するというロシア社会の考え方が表れていると思う。それでも、「プーチンのおかげ」と考えている人が「メドヴェージェフのおかげ」という人の数を上回っている。さらに、プーチンが大統領に復帰する13年になると、再び「ロシアの成功はプーチンのおかげだ」と答える人が急増し、60%を超えることになる。プーチン大統領への圧倒的な人気であり、プーチン大統領の評価は、それでも非常に高いと言わざるを得ない。

いつまでプーチン大統領政治は続くのか?

 では、ロシア国民はプーチン大統領が第三期の大統領任期が終了する2018年以降も、大統領職を続けることを求めているのか? プーチン体制は本人の体力が続く限り、永遠に続くのか?

■図10
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 図10は、昨年の12月の1年前の世論調査だが、プーチン大統領が第三期に次いで、2018年以降の第四期も、大統領の座につくことを望むかどうかを調べたものである。40%が「望まない」、34%が「望む」と答えている。つまり、プーチン大統領政治の継続を望むのは全体の約3分の1で、もはや、プーチン政治は今期で終わって欲しいと思っている人の方が多数派という結果だった。

 図11は、次の大統領選挙では誰を望むかと聞いたもので、プーチン以外の別の人物と答えた人が40%から50%に達している。プーチンの再登場を求めるのは、20%前後に過ぎない。図を見る限り、ロシア社会では、「もうプーチンはいい」という声があふれている。ただし、昨年12年に3回行われた世論調査で、プーチンを望むと言う声がじわじわ増えている傾向も示しており、プーチンに対する微妙な関係がうかがわれる。プーチン以外に、メドヴェージェフ元首相を名前に挙げた人は10%以下で、現状ではメドヴェージェフをプーチンの後継者と望んでいる人はあまりいないことがわかる。

 ロシアの指導者の現状を見る限り、プーチンに代わる強力な人物が出ておらず、深刻な次期後継者問題が浮上しつつあるともいえる。もし、次期指導者をめぐって複数の人物の対立が起きると、ロシア社会は思いもかけない政争に巻き込まれる可能性を秘める。ソ連崩壊後に新しく独立した中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンなどの権威主義的政権国家では、いずれも独裁的指導者が権力の座に居座り、深刻な後継者問題が起きている。ロシアのプーチン政権も同じ「権威体制の罠」に入り込みつつある。社会の安定を求めるために権威主義的政権を維持すると、それが後継者問題という政治的危機もしくは潜在的政治不安定を招くことになるというジレンマである。
 そして、ロシアの人々は、政治混乱や政治不安定がやってくるのならば、まだプーチンの方がいいと考えている可能性が強い。「いざというときは、やはり、プーチン」という声は根強いのである。

 9月中旬、国内外の専門家や識者を招いた行われたヴァルダイ会議で、プーチン大統領は、2018年以降の第四期大統領に就任するのかとの質問に、「例外としない」と短く答えている。連続二期大統領を続ける可能性に肯定的な見方を示したもので、多くのマスコミが「プーチン、連続二期の意向を示す」と伝えた。

 プーチン政権に批判的な論調を展開することで知られる独立系ラジオ放送「モスクワのこだま」のヴェネディクトフ編集長は「プーチンは二期連続の可能性を否定しなかった。健康状態も悪くない。18年以降も大統領を続ける可能性は十分にある」としながら、権力上層部の後継者争いを牽制するために、「まだ早い」と、側近集団への牽制を行った可能性もあると分析している。
 
 プーチン大統領は、ロシア社会に広がるうんざり感やあきあきした雰囲気、さらには、今期で辞めてほしいとの声が高まっていることを知っているはずである。これにどう対処すべきか、今、しきりに考えている可能性が強い。

ロシア社会は、どこへ向かうのか?

 プーチン政権体制へのうんざり感がある一方で、それでも、いざという時はプーチンに頼るロシア社会の動向を、もう少し分析してみたい。

 世論調査研究機関のレヴァダ・センターのグドコフ所長によると、ロシア社会は市場経済の仕組みに入り、市場経済マインドで生活をし始めた新市民層といまだにソ連社会主義制度の残滓の中に生きる旧市民層と二つに分かれ、その割合は2対8だという。前者は大都市を中心に広がる新中間階級で、後者が中小都市・農村層および年金生活者で、国家予算の支出に生活を依存している人々となる。

 前者は国家の意思とは別に、自らの生き方を決め、自らの糧を稼いでいる自由市民層で、後者は国家の支援・補助がないと生きていくことができない国家依存層となる。前者はプーチン政権への積極的批判を強めるリベラル自立市民で、後者は、ロシア政府の動向に敏感であり、無政府的な混乱を恐れ、プーチン支持を表明する人々となる。つまり、プーチン積極批判層は2割、プーチン消極的支持層は8割ということになる。

 レヴァダ・センターの2割対8割という数字が正しいかどうかは別として、ロシア社会が新市民層と旧市民層の二つに分裂している深刻な実態の指摘は正しいと思える。この二つの層は、ソ連崩壊後の市場経済導入による社会変革をスムーズに受け入れた層と、その動きに乗れなかった層との対立でもあり、基本的な国家観や経済政策に対して大きな差が出ている。さらに、前者は市場経済の恩恵を受けており、後者は市場経済の恩恵を受けず、市場経済に大きな反感を持っているといえる。

 西欧マスコミは、前者の積極的なプーチン批判層を自由・民主主義を求める新しい市民たちととらえ、多数派であるかのような伝え方をする。逆に、いまだにソ連社会主義的なシステムや考え方の後遺症に悩む旧市民層の動きを無視することが多い。欧米のマスコミ報道を見ていると、大多数の一般国民は自由・民主主義を求めているが、プーチン政権はそれを強圧で抑えており、異常な独裁国家もしくは権威主義国家体制が続いていると簡単に理解してしまう。

 それは間違いではないが、すべての真相を語っているわけでもない。欧米マスコミが報じる2割以外に、それでもプーチンにしがみつき、思いを捨てきれないでいる人々が8割近くいることは知っておいた方がいいと思う。そして、この新旧二つの層の亀裂は深く、国家的な対立にもなり、ロシア国家の行方に大きな黒い影を投げかけている。

 グドコフ所長の説明によると、現在のロシア社会の所得収入について、次のような数字を説明している。超富裕層4%、富裕層10〜15%、中間層50〜55%、貧困層30%で、底辺が絞り込まれ、中間が広がった糸巻きのような形になっている。そして、超富裕層は国家の富の45〜50%を牛耳っているという。

 ソ連崩壊直後は、超富裕層も富裕層もなく、中間層というよりは貧困層が圧倒的に多い社会だった。生活ができないほど困っているという人が4割近くもいたという。つまり、底辺の貧困層が大きく広がった台形型社会だったといえる。それがプーチン政権登場後(石油価格が高騰し、年7〜8%の所得拡大が始まり)、絶対貧困層は約40%から11〜12%へと削減した。「プーチンの奇跡」であり、中間から下の貧困層に根強く広がるプーチン支持の背景である。

 プーチン時代に、ロシア社会で起きたことは、中間層から富裕層が現れ、確実に富を増やし、さらに富裕層からしたたり落ちる富の恩恵を受ける中間層、貧困層がその生活を向上させ、全体として、底辺が縮小し、すべての人々が、平等ではないが、恩恵を受けたという構図である。
 この構図がおかしくなるのが、リーマン・ブラザーズ危機に始まる世界的経済危機であり、ロシアは、この世界危機の構造に巻き込まれる。経済成長率はマイナス7%に達し、突如、毎年所得は確実上がるという体制が崩れる。この経済危機に、プーチン政権体制(メドヴェージェフ大統領=プーチン首相)は、公的資金を導入し、基幹産業・金融機関を救済するとともに、石油代金を貯め込んでいた予備基金から政府関連機関への財政出動を行い、政府関連関係者の人々を救った。年金生活者、軍人、教員、医療社会福祉関係者、国営企業・組織関係者などである。グドコフ所長の説明の「ソ連社会主義制度の残滓に生きる人々」への救済となる。市場経済というよりは国家主導経済に生きる人々への支援であった。その限りでは、プーチンはそれなりに人々救ってくれたという感情は残っている。

 結局、08年〜09年の危機の打撃をもっともひどく受けたのは、苦しい生活から独自の力で抜け出し、市場経済の恩恵を受けながら中産階級の生活を楽しみ始めた新市民層であった。しかも、この新市民層は経済危機の中で二つに分かれた。国家支援を受け、危機を和らげ、何とか脱出した一部の少数派と、世界経済危機以降、ずるずると生活水準を下げた多数派である。

 中産階級の分極化でもあり、この現象はロシアだけでなく、世界経済危機以降、世界各地でみられた現象と思う。危機を乗り越えた層は超富裕層と国家企業などの国家支配機構・組織に宿る人々であり、賃金の上昇さえ経験している。政府省庁の高官が一般国民をはるかに上回る高給を取っている事態に発展し、いまや、ロシア社会の大きな問題になっている。気がつくと、中産階級には、市場経済関係者よりも、連邦・地方政府の関係者が大きな割合を示すようになっており、背後に巨大な腐敗構造が広がっているという話にもなっている。

 一方、危機を乗り越えられなかった中間層は、いわゆる中産階級から脱落するなかで、ひどい打撃を受けて、ロシアの社会の在り方に根本的な疑問を持つようになっている。これがプーチン積極批判層の実態である。プーチン権威主義体制下では、もはや市場主義経済の発展はあり得ない、根本的な変革が必要だと考えており、無理ならば、欧米諸国へ移民する覚悟があるとさえ考えている。

 そして、この層が2011年12月の下院選挙の不正に、怒りを爆発させた。欧米社会は、「ようやく、ロシアにも民主化運動が始まった」ともてはやし、「アラブの春」に摸した「モスクワの冬」とさえ呼んだ。しかし、その後の大統領選挙では、国民のプーチン支持は堅固で、この怒り層が拡大する傾向にはならなかった。都市住民を中心とする中間没落層は怒りを燻りさせながらも、無力感に襲われている。ロシア社会の親欧米・親市場主義者層は政治的には行き詰まり、代わって、民族主義および新左翼の新しい動きが始まっている。ソ連崩壊直後に現れたエリツィン政権下のリベラル自由主義は今や窒息寸前状況にある。

 その一方で、プーチンを支持してきた旧市民層の間でも、ロシア社会の実態や見通しへの疑問が出てきている。それがプーチン・メドヴェージェフ・政府活動の支持率の長期的な低落傾向へと結びついている。背景には、2008年のプーチン第二期政権の終わりで、「プーチン時代の奇跡」は終わったという感覚がある。

 プーチン時代の経済成長および所得拡大は、プーチンというよりは石油価格高騰という対外要因が大きく影響していた。リーマン・ブラザーズ以降の世界経済危機では、プーチンの「奇跡」は終わりで、もはや、大幅な所得拡大ということはないのではないかという不安感である。この層は、プーチン政権体制の世界経済危機対策により、大きな打撃は避けたものの、新しい政治・経済政策は必要ではないかというかすかな理解にあり、その予感は年ごとに大きくなっている。

 そして、この層がプーチンへの不信感を爆発させたのが、2011年11月のモスクワ市内の格闘技試合で起きたプーチン・ブーイング事件だった。ロシアと米国の格闘技選手の戦いに、プーチン首相(当時)も観戦に来ており、ロシアの選手が勝利すると、リングの上に上がり、ロシアの選手をたたえようとした。小泉純一郎首相が2001年5月相撲場所で、右足の故障を抱えながら優勝戦で武蔵丸を倒した貴乃花に対して、「良く頑張った」と賞賛したシーンと酷似した状況だった。

 しかし、プーチンがリングの上でマイクを持つと、会場の一角からブーイングが起き、それがあっという間に体育館全体に広がり、「プーチン、出ていけ」という声が重なるようになった。その光景はユーチューブを経由して全国に流れた。

 なぜ、ブーイングが起きたのか、詳しい説明はない。しかし、プーチンは、その2ヵ月前に、次期大統領選への立候補を表明し、事実上、メドヴェージェフ大統領の解任を決めていた。私は、このプーチンの動きへの直接批判であり、「もういい加減にしてくれ」という声ではなかったかと思っている。プーチンにとって、大きな打撃となったのは、この格闘技の大会に来ていた多くの人々が、親欧米派やリベラルな知識人ではなく、どちらかというとマッチョなことが好きで、民族主義的な傾向が強い保守層を代表するプーチン支持の基盤の人たちだったことにある。モスクワの親欧米・リベラル層がどれだけ政府批判を叫んでも、プーチンにとっては大きな意味はない。しかし、格闘技に関心を持つ民族主義傾向の強い保守層が自然発生的にプーチン非難をしたことは大きな意味を持つ。

 プーチンは、明けて2012年に大統領選挙運動を開始して、必死になる。そして、「プーチンは出ていけ」といった人々の多くは、迷った末に、最後にはプーチンへ投票したと思っている。私は、それが、大統領選後の集会での「涙の勝利演説」につながることになったと思っている。選挙結果に表れたのは、プーチンを支持するかどうかで、迷う人々の姿である。とはいっても、これらプーチン支持層の「支持」は、「無条件支持」ではなく、「条件付き支持」であり、しかも、支持の割合は減り続け、内容も厳しくなっているのが真相である。

 今後、中小都市・農村地帯あるいは連邦政府に依拠する旧市民層へのプーチンへの幻滅が広がっていけば、ある時点で、「我慢の限界」が来る。そして、これらの層が急に別の方向へと動き出す可能性は十分にあると思う。プーチンにとっては、今後難しい政権運営を強いられる可能性が強いという予想にもなる。

 最後に、ロシア社会の経済格差に触れておきたい。すでに書いたように、世界経済危機以降、中間階級の分極化が進むにつれ、富裕層と貧困層の格差が広がっている。富裕層も貧困層も同時に生活水準を上げるという時代から富裕層だけが増すます豊かになるが、貧困層の生活水準の上昇は、それほど望めないという時代に入っている。この問題はロシア社会の今後を決める重大な要素になっていく可能性が強い。

最後に

 レヴァダ・センターのグドコフ所長は、ロシア社会の所得の高い層と低い層の収入格差は約16倍とされているが、実態はもっと大きく、27倍という数字を唱える人もいると説明する。ロシア経済紙『コメルサント』によれば、ロシア社会の平均月収は約800ドル(約8万円)とされるが、モスクワ市では1800ドル(約18万円)で、2倍以上。また、経営陣と一般労働者の給料の差は12・5倍で、欧米と比べると4倍以上も差が大きいという。

 さらに、米フォーブズ誌の世界の100億ドル(1兆円)長者の都市リストによると、モスクワは84人で、世界で最も金持ちが多い都市だという。モスクワの町がきらびやかになるのも当然の状況なのである。

 その一方で、モスクワから遠く離れた南のクラスノダール州の田舎の町の学校の先生の給料は300ドル(3万円)という。ひどい格差社会である。
 奢るモスクワ、怒りを貯えるロシアの田舎。ロシアはどこへ行くのか? プーチンは助けてくれるのか。誰かほかに救世主はいるのか?
 うんざりの感情と、無力感と。鬱屈したやり場のない気持ちはたまるばかりである。

 (筆者は元日本大学教授・元毎日新聞編集委員)
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