【コラム】1960年に青春だった!(23)

ワン名ニャン名辞典が陽の目を見なかったわけ

鈴木 康之

 友人や知人に愛犬家、愛猫家がひじょうに多くて、フェースブックなどで拝見するその慈しみの深さは驚きを超えて尊敬の域にあります。
 今回ワケアリの拙稿を書きますが、ボクは総スカンを喰らい、いままで頂戴してきたご交誼がぷつりと絶えることになりはしないか危惧しています。

 ワン君、ニャンちゃんとはボクなりに長い縁があリます。
 娘の名前を考えたとき、書店に赤ちゃんの名づけ本が多いこと、そしてロングセラーも少なくないことを知りました。
 娘の名前が一段落すると、ボクの関心は犬や猫の名前のほうはどうなのか、そっちへ飛びました。半世紀以上前、書店の棚には見当たりませんでした。
 ボクの頭の中でいくつかパチパチパチと点滅するものがありました。

 ──友人夫妻が飼っていた猫はショウユ(醤油)という名前でした。都営団地ではペットの飼育は禁じられているので、窓を開けている季節はタマだのミケだのでは隣りに聞こえて具合が悪い、そこで知恵を絞った笑い話のような話。

 ──読んだミステリー小説には、素封家一族の侍女がひそかに双子の小型犬を買い、1匹は自室で、もう1匹は屋敷内の誰も行かない空き部屋で飼い、しかし呼び名は同じ。この仕掛けをアリバイに使う遺産強奪事件。

 ──ほかにも、八犬士の怪奇ロマン、南総里見八犬伝も面白い。
 武将、皇帝、文豪、総理らのペットには飼い主の身勝手な思いの名前が多い。
 フムフム、これはシニカルな臭い漂う逸話事典にもなりそうだワイ。

 新聞・雑誌のスクラップを始めました。買った文庫本。図書館でのコピー。テレビ・ラジオからの書き取り帳。その他パンフレット類など。
 収集は、中ぐらいのダンボール4箱もの大きな荷物になりました。
 大きなペットブームがくる市場予測は年を追うごとに確かになってきました。その潮流に日本人のネーミング好きを掛け算すると、涎が垂れそうになるではありませんか。のってきそうな既知の出版社も2、3ありました。
 ああ、それなのに、ボクにこまめに原稿を書いていく意欲が湧いてきません。

 先に書き上げなければならない約束済の本がいくつかありました。しかしそれも犬名猫名辞典というオイチイ企画を後まわしにする理由ではありません。
 ダンボール箱の中で陽の目を見る日を待っている、ワン君ニャンちゃんらへの愛情が不足していることが正直な理由でした。

 何年もぐずぐずしていたところ、コピー教室の生徒で、わたしにやらせてくださいというメンコイ女のコが現れました。下手に編集プロダクションの手などを借りるよりいいかもしれない。ダンボール4箱つきで仕事を譲りました。
 …もう5、6年、とんと音沙汰なし。彼女なりに悩んでいるのでしょう。

 中学生のころの話をひとつ。母がダックスフンドと何かとの雑種犬をどこかからもらってきました。放し飼いがふつうだった時代、雑種犬はよくいました。
 飼育係はなりゆきで末っ子のボク。小さいころは可愛くなくもなかったのですが、成犬になると個性派俳優の伊藤雄之助を思わせるような感じでした。
 老犬になったある日、姿を消しました。飼い犬は主人に隠れて死ぬと出入りの植木屋が話し、数角先の溝に見つけ、筵を被せリヤカーで連れ返してきました。庭に植木屋が穴を掘り、苦虫を噛み潰したような顔の末っ子が土を被せました。

 もうひとつ、娘が小学生のころの話。ミドリガメをもらってきました。なりゆきで餌遣り、水槽の洗浄は翌週からボクの仕事になりました。
 見る見る育ち、甲羅だけでもボクの手より大きくなりました。体を洗ってあげているのに首を曲げて噛みついてくる。何カ月経っても可愛く思えてこない。
 カメは千年。こやつらが誇るコピーです。川に放って千年先の空気を吸わせてせてやりたいが、飼い主が懲役3年か罰金300万円だとか。御免被る。
 飼育環境が自然ではなかったのでしょう。ある朝目を開けなくなりました。

 はてさて。
 左様なボクの前に2003年のある朝、厄介きわまりない新聞広告が現れました。新聞紙面では珍しいペットフードの広告で、犬猫名前辞典の参考になるかもと軽い気持ちで目を遣ったボクにとって、それは衝撃的なコピーでした。

画像の説明
  死ぬのが怖いから
  飼わないなんて、
  言わないで欲しい。

 新聞紙面で告知するほどの画期的な製品情報があるわけではない。それどころか「死ぬ」などというネガディブな言葉で、ペットを飼わないでいるボクの平穏無事の、事なかれ主義の暮らし方を睨みつけるようではありませんか。

  おうちを汚すから飼わないというのなら、
  犬はお行儀を身につけることができる。
  留守がちだから飼わないというなら、
  犬はけなげにも、孤独と向きあおうと努力する
  かもしれない。貧乏だから飼わないというなら、
  犬はきっといっしょに貧乏と楽しんでくれる。

  だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、
  犬はもうお手上げだ。すべての犬は、永遠じゃない。
  いつかはいなくなる。でもそれまでは、
  すごく生きてくれる。すごく生きているよ。
  たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
  飼い主たちは、大変であつくるしくって、
  幸せな時間を共有してるはず。

  飼いたいけど飼わないという人がいたら、
  伝えて欲しい。犬たちは、
  あなたを悲しませるためにやっては来ない。
  あなたを微笑ませるためだけにやって来るのだと。
  どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を
  預かってみるのは、人に与えられた、
  素朴であって高尚な楽しみでありますよと。

 コピーライターは児島令子さん。活き活きとした発想をする才女です。ふたまわりほど後輩ですが、ボクのほうがファンです。この作品も、後生だから勘弁してよとボクが首を竦めたくなる、独特の魔力的児島コピーです。

 旧来の常識ではペットフード・メーカーのコピーで「死ぬ」はマイナスイメージの禁句です。しかし、本文コピーの中段のだいじな1節、

  すごく生きてくれる。すごく生きているよ。

 この、ちょっと高い声で聞こえる1節で犬の「生」を謳い上げ、感動と共感を得るために児島さんはあえて「死」からアプローチしたかったのでしょう。
 彼女がこの仕事を受けたときのことをボクは逆算して想像し、名作コピーを読解する本の中に書きました。

  ペット・ブームです。そのマーケットは大きい。でも「あなたの可愛いワ
 ンちゃんに、栄養満点の美味しいごちそうを食べさせてあげましょう」なん
 ていうコピーは絶対に書かないわよ、そんな平凡なコピーならだれでも書け
 る。私の仕事じゃないわ、と。

 約5ページに及んだ彼女の意図を解読した拙文が5年ほど前から、文科省検定高校国語教科書に今日風の自由な文章作法の文例として転載されています。

 もうひとつ、ペットの広告コピーにおつきあいください。

 2013年に掲出された神奈川県動物愛護協会のポスターです。コピーライターは吉田聡史さん。翌年、東京コピーライターズクラブの新人賞を取りました。
画像の説明
  捨てた日も、散歩と思って
  よろこんで出かけて行った。

 写真はシンプルですがシンプルゆえに犬の慄きがストレートに伝わってきます。そして間髪を入れない簡潔な2行。簡潔ゆえにふつうは、飼い犬と飼い主、主客を巧みに省略した仕掛けに気づかずに読んでしまうでしょう。正しくは、

(飼い主が)捨てた日も、(犬は)散歩と思って
よろこんで出かけて行った。

なのですね。省略法は文末にも使われている、とボクには思えます。

(飼い主が)捨てた日も、(犬は)散歩と思って
よろこんで出かけて行った(のに)。

と読める文脈ゆえに、いっそう憐憫の情が強まって神奈川県動物愛護協会のメッセージにつながる構成です。

  飼育放棄や不妊手術の
  不徹底などが原因で、
  神奈川県では
  年間2,892頭の
  犬や猫が処分されています。

 厄介なのは人間です。
 厄介は、ボクをはじめ人間どもが引き起こしている厄介だけで十分です。
 愛犬家、愛猫家の友人、知人たちの慈愛の風景を見ると、「ゴメンね。ボクができないぶん、可愛がってもらいなさいね」とこっそり謝ります。

 ところでカメが目を閉じた翌日、娘はネットで動物葬を営んでくれるところを探し出し、妻と電車で数時間かけて行ってきたと、ボクは帰宅後に聞きました。職場を半日休んだ娘は「忌引き」の思いだったのでしょう。

(元コピーライター)

(2021.08.20)
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