【「労働映画」のリアル】

第32回 労働映画のスターたち・邦画編(32) 市原悦子

清水 浩之


 《「あら、いやだわ・・・」 人の世を俯瞰で眺める、おおらかな生き方》

 日本人が「家政婦」と聞いて真っ先に連想するこの人。1983年、松本清張の短編小説をドラマ化したテレビ朝日・土曜ワイド劇場『熱い空気』で、派遣された家庭の不幸を見るのが大好きな「いやな女」として大ブレイク。翌年からは柴英三郎のオリジナル脚本による『家政婦は見た!』としてシリーズ化され、2008年までの25年間に長編26作が放送された。その後も缶コーヒー・BOSSのCMで、地球に潜入調査中の宇宙人「カセーフ(火星婦?)」として登場したり、LINEのスタンプになったりと、今も多くの人に親しまれている。

 家政婦・石崎秋子は、エリート家庭の「お高くとまった」日常の裏にある欺瞞を覗き見ては「あら、いやだわ…」と呟き、遂には見聞した事実を洗いざらいぶちまけ、偽りの家族団欒を粉砕する。いわば潜入・破壊活動のプロだが、そこに多くの女性たちが共感を寄せた。家事労働の現場で右往左往しながらも、自分のいる場所を俯瞰から眺め、どこか達観している秋子は、テレビに向かってあれこれと文句をこぼす「わたし」の鏡像だ。こうした役は、他の(好感度の高い)女優ではなく、どこにでもいそうな「おばさん」、すなわち存在感を「消せる」市原さんだから成立したキャラクターだったと思う。

 『家政婦』のヒット以降、フジテレビの刑事もの『おばさんデカ 桜乙女の事件帖』(1994~2017)、TBSの『弁護士 高見沢響子』(1998~2014)、テレビ東京の『犯罪交渉人ゆり子』(2001~13)、日本テレビでは小学校の給食調理師が主人公の『うさぎと亀』(2003~06)・・・と、様々な職業の「おばさん」がこの世の人間模様を俯瞰する「市原悦子劇場」が生まれた。いずれも神の視点というより、約20年続いたテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』(1975~94、MBS)で常田富士男との二人きりで演じきった、森羅万象の視点と言うべきか。大地のようなおおらかさが刻まれた数々の出演作を、労働映画の見方から辿ってみよう。

 1935年、千葉市生まれ。中学で演劇に熱中し始め、高校卒業後に俳優座研究所へ。当時の人気男優・森雅之には「千葉の顔だね」と評され、乙女心が傷ついたという。千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎といった俳優座の重鎮たちに鍛えられ、また、映画『雪国』(1957)で陽気な芸者役に抜擢した豊田四郎をはじめ、川島雄三の『貸間あり』(1959)、山本薩夫『にっぽん泥棒物語』(1965)、勅使河原宏の『燃えつきた地図』(1968)など、若い頃から巨匠や鬼才の作品に相次いで起用された。

 ラジオドラマや吹替にも数多く出演。高畑勲が初監督した長編アニメーション映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)ではヒロインのヒルダ役。村の団結を破壊しに現れた《悪魔の妹》は、個人のエゴを巧みに利用して村人たちの絆を分断していくが、やがて自身の心の中に芽生えた「慈愛」の感情に苦しむ。長編アニメーションの集団製作から生まれた団結と、テレビアニメブームがもたらした合理化や人材流出(様々な裏切りも含む)を経験してきた高畑たち若きスタッフの作品世界に、彼女の深みのある声が見事にマッチした。

 1971年、俳優座を退団。当時は自分の演技も共演者の出方も読めてしまう「マンネリ」に陥っていたが、稽古漬けの新劇の世界から出て、人間国宝・十三代目片岡仁左衛門と共演した時、セリフを覚えぬまま舞台に上がっても観客を魅了してしまう姿にびっくり。それからは「新人であろうと、赤ん坊であろうと、犬であろうと、猫であろうと」相手の存在そのものを信じて向き合うことを心がけ、演技が自由になったという。

 40代に入り、長谷川和彦監督のデビュー作『青春の殺人者』(1976)での母親役が絶賛される。父親を刺し殺した直後の息子(水谷豊)と二人きりになった母は、夫の亡骸の処分方法や逃亡計画などを目まぐるしく算段し、息子が従わないと悟ると、直ちに刃を向けてくる。約20分の間に「母」と「女」、「正」と「邪」、「人」と「獣」の間を往還するような演技は、自然現象のような迫真性を帯びていて、まことにおそろしかった。

 市原流の俯瞰と達観、その一つの到達点が、映画『蕨野行 わらびのこう』(2003、監督・恩地日出夫)。江戸時代、農村の口減らしで山に入る老婆の視点から、里に残る子や孫の行く末を思いやる物語。老人たちは互いに支え合いながら自然に「帰って」いく。あの世からの「お迎え」と、この世への「門出」がつながっていく壮大な世界観は、彼女が主役だからこそ表現できた気がする。

 去年は映画『しゃぼん玉』(2017、監督・東伸児)で、山奥でひとり暮らすおばあさんをチャーミングに演じたように、80代に入ってからは、周囲の風景に見事に溶けこんだ人物像を見せてくれている。このおおらかさを、私たちも見習って生きていきたいものだと思う。

<参考文献>
『ひとりごと』市原悦子(春秋社 2000年)
『やまんば 女優市原悦子43人と語る』(春秋社 2013年)

(しみず ひろゆき、映像ディレクター・映画祭コーディネーター)
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●労働映画短信

◎働く文化ネット 「労働映画鑑賞会」
 働く文化ネットでは、毎月第2木曜日に労働映画鑑賞会を開催しています。お気軽にご参加ください。※次回は7月21日(土)の「労働映画祭2018」、8月の第2木曜はお休みとなります。

◇次回のご案内
労働映画祭2018/第50回 労働映画鑑賞会 ~働くものの困難と福祉社会の現状をめぐって~
 働く文化ネットでは、ワークルール啓発事業、労働資料保存展示とならぶ基本事業として、労働映画の保存・上映・研究に取り組んでいます。第50回の労働映画鑑賞会は、毎年夏の「労働映画祭」も兼ねて、より広い視点から考えてみる特別企画を組みました。多くの方のご来場をお待ちしています。

・2018年7月21日(土)13:30~(参加費無料・事前申込不要)
・会場:連合会館 2階大会議室(地下鉄 新御茶ノ水駅 B3出口すぐ)
・上映作品:『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年、100分、イギリス=フランス=ベルギー合作)
 監督:ケン・ローチ 出演:デイヴ・ジョーンズ ヘイリー・スクワイアーズ ほか
 2016年のカンヌ国際映画祭で最高賞(パルムドール)を受賞した、社会派の巨匠ケン・ローチ最新作。イギリス北東部・ニューカッスル。病気により大工の仕事を失ったダニエルは、職人気質の正義漢。国からの援助を受けられないシングルマザー・ケイティと幼い姉弟に出会ったことから、厳しい現実に立ち向かうため、共に歩んでいくことになる…。

・プログラム:
 13:30~13:40 主催者代表あいさつ ご来賓あいさつ
 13:40~13:50 作品解説
 13:50~15:30 作品上映 (上映終了後、10分間休憩)
 15:40~17:00 働くものの困難と福祉社会の現状をめぐる対話
         福祉研究の視点から:宮本太郎(中央大学教授)
         映画研究の視点から:井坂能行(岩波映像顧問)
           司会:鈴木不二一(働く文化ネット理事)
 詳しくは、働く文化ネット公式ブログをご確認ください。 http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/

◎【上映情報】労働映画列島! 6~7月
※《労働映画列島》で検索! http://d.hatena.ne.jp/shimizu4310/00180703

◇新作ロードショー
『焼肉ドラゴン』《6月22日(金)から 東京 TOHOシネマズ日比谷ほかで公開》
 劇作家の鄭義信が、自作の舞台劇を大泉洋らのキャストで映画化。昭和44年、関西で小さな焼肉店を営む在日コリアン一家の人々を描く。(2018年 日本 監督:鄭義信) http://yakinikudragon.com/
『ガザの美容室』《6月23日(土)から 東京 新宿シネマカリテほかで公開》
 パレスチナ自治区にある美容室を舞台にした女性ドラマ。近所で発砲騒ぎが起きたことから、美容師や客など13人の女性が店内に孤立してしまう。(2015年 パレスチナほか 監督:タルザン&アラブ・ナサール) http://www.uplink.co.jp/gaza/
『セラヴィ!』《7月6日(金)から 東京 渋谷シネクイントほかで公開》
 ウエディングプランナーを主人公に、結婚式の一日をユーモラスに描く。30年のキャリアを持つマックスは古城での挙式を手掛けるが、様々なトラブルに見舞われることに。(2017年 フランス 監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ) http://cestlavie-movie.jp/

◇名画座・特集上映
◎全国
【東京 京橋 国立映画アーカイブ、京都文化博物館、広島市映像文化ライブラリー】 5/26~7/13「EUフィルムデーズ2018」…キッツ先生の子供たち(オランダ)/裏面(ポーランド)/スワッガー(フランス)/鉱夫(スロヴェニア)/ふたりの旅路(ラトビア)/他
【東京 ヒューマントラストシネマ有楽町、名古屋 名演小劇場、大阪 シネ・リーブル梅田】 6/23~ 「Viva! イタリア vol.4」…結婚演出家/あのバスを止めろ/いつだってやめられる

◎北海道・東北
【札幌 シアターキノ】 「KINOフライデーシネマ」 6/22=苦い銭 6/29=かぞくへ
【本宮映画劇場】 6/24「104周年記念!昭和シネマ上映会」…閉館後も半世紀にわたり劇場設備と映写機を保存し続けた館主、田村修司氏の所蔵フィルムを無料上映。

◎関東・甲信越
【東京 ポレポレ東中野】 6/16~29「土本典昭と同時代を生きた仲間たち」…ある機関助士/路上/水俣/沖縄列島/養護学校はあかんねん!/三池/他
【東京 ラピュタ阿佐ヶ谷】 7/1~9/8「戦後独立プロ映画のあゆみ―力強く」…蜂の巣の子供たち/どっこい生きてる/蟹工船/ここに泉あり/浮草日記/こころの山脈/若者たち/日本春歌考/ドレイ工場/キューバの恋人/他
【東京 神保町シアター】 7/7~8/10「映画で愉しむ―石坂洋次郎の世界」…青い山脈/思春の泉/あじさいの歌/風と樹と空と/陽のあたる坂道/若い人/水で書かれた物語/他
【東京 京橋 国立映画アーカイブ】 7/10~8/5「ロシア・ソビエト映画祭」…マクシムの青春/最後の夜/政府委員/誓いの休暇/僕の村は戦場だった/他
【横浜みなとみらいホール】 6/21~24「フランス映画祭2018」…セラヴィ!/子どもが教えてくれたこと/グッバイ・ゴダール!/とてもいじわるなキツネと仲間たち/他

◎東海・北陸
【福井メトロ劇場】 6/16~8/3「第70回カンヌ国際映画祭 受賞作品特集」…BPM ビート・パー・ミニット/女は二度決断する/ザ・スクエア 思いやりの聖域/他
【金沢21世紀美術館】 7/14~16「カナザワ映画祭2018 期待の新人監督」…三つの朝/そろそろ音楽をやめようと思う/阿吽/東京の夜/老人ファーム/他

◎関西
【京都シネマ】「名画リレー」(週替り) 6/23~29 あなたの旅立ち、綴ります 6/30~7/6 ロープ 戦場の生命線 7/7~13 小説家を見つけたら 7/14~20 オケ老人!
【大阪 新世界日劇東映】 6/15~7/12「今こそ観たい!東映傑作大会」…仁義なき戦い 5部作/実録外伝 大阪電撃作戦/現代やくざ 血桜三兄弟/他(週替り2本立)
【吹田文化会館】 6/20~22「『地方の時代』映像祭フォーラム in メイシアター」…防衛フェリー 民間船と戦争/木魚とライフル 広がる自衛隊の民間人活用/他

◎中国・四国
【広島市映像文化ライブラリー】 6/20~28「アメリカ映画特集 the RKO collection」…トップ・ハット/有頂天時代/赤ちゃん教育/市民ケーン/第七天国/アパッチ砦/黄色いリボン
【山口情報芸術センター】 7/13~29「相米慎二と映画を生きる俳優たち」…セーラー服と機関銃/ラブホテル/お引越し/台風クラブ/魚影の群れ/光る女/他
【高知あたご劇場】 7/2~6「優秀映画鑑賞推進事業」…名もなく貧しく美しく/裸の島/この広い空のどこかに/煙突の見える場所

◎九州・沖縄
【本渡第一映劇】 6/16~30「天草名画座番外地2018」…日本侠客伝 斬り込み/小早川家の秋/乱れる/他(週替り2本立) ※7/1から休館
【小倉昭和館】 6/23~29 ゴーギャン タヒチ、楽園への旅/セザンヌと過ごした時間(2本立)
【福岡市総合図書館 シネラ】 7/4~29「渥美清特集」…拝啓天皇陛下様/ブワナ・トシの歌/喜劇 急行列車/男はつらいよ/あゝ声なき友/八つ墓村/他

◎日本の労働映画百選
 働く文化ネット労働映画百選選考委員会は、2014年10月以来、1年半をかけて、映画は日本の仕事と暮らし、働く人たちの悩みと希望、働くことの意義と喜びをどのように描いてきたのかについて検討を重ねてきました。その成果をふまえて、このたび働くことの今とこれからについて考えるために、一世紀余の映画史の中から百本の作品を選びました。

『日本の労働映画百選』記念シンポジウムと映画上映会
  http://hatarakubunka.net/symposium.html

・「日本の労働映画百選」公開記念のイベントを開催(働く文化ネット公式ブログ)
  http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20160614/1465888612

・「日本の労働映画の一世紀」パネルディスカッション(働く文化ネット公式ブログ)
  http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20160615/1465954077

・『日本の労働映画百選』報告書 (表紙・目次)PDF
  http://hatarakubunka.net/100sen_index.pdf

・日本の労働映画百選 (一覧・年代別作品概要)PDF
  http://hatarakubunka.net/100sen.pdf

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