■ 中国との教育交流 山中 正和
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◇渭水小学校にて
私たち日本中国国際教育交流協会は、2007年7月、中国宋慶齢基金会の紹介で
河北省易県(いけん)の湖塘鎮(ことうちん)にある小学校を訪れた。北京から
高速道路を経由して約3時間あまり。近くに明の十三陵や秦の兵馬俑と並び称せ
られる清陵がある。中型車も通りにくいぬかるんだ細い道を抜けて、中庭に真っ
赤な花が咲いている小学校に着いた。あたり一面にトウモロコシ畑が広がってい
る。渭水(いすい)小学校という。残念ながら昨日から夏休みということで、子
どもの学習の様子は見ることができなかったが、教室に一歩足を踏み入れて息を
呑んだ。剥離した石壁の中に、古い机だけが並んでいる。椅子は置かれていない
。机は50年前の机だという。中国建国からまもなく作った学校なのだろうか。そ
れから机は変わることがなかったのだろうか。この地域にとって、激動の50年の
歴史とは何だったのだろう。椅子がない理由を尋ねると、夏休みなので、皆自宅
に持って帰ったとの事だった。コンピュータールームがあるというので、見学す
る。
十数台のパソコンが、埃っぽいビニールカバーをかけられて並んでいる。しか
しあまり使われた様子はない。教える教師はいるのだろうか。話し合いに出席し
た教員の何人かは、あどけなさが残る高校生の年齢の女性だった。中国映画「あ
の子探して」や「初恋の来た道」を思い出すような素朴な先生を思い出した。も
っと見たいですか、というのでもう一校とお願いして、銀河小学校を訪ねる。こ
の学校には、電子ピアノは無理かもしれない、教室にコンセントがない、と同行
のヤマハの青年がつぶやく。電気なら何とかします、と教育委員会局長。隣で、
何とかなるなら今までなぜ電気がなかったのか、と問いたげな顔の校長がこちら
を見る。協議の結果、この湖塘鎮地域に、椅子と机870セット、電子ピアノ71台
など総額220万円の教育支援を行うことにした。中国には、3億の生徒がいて、80
万の学校がある。
◇中国の教育戦略
現在の中国の教育課程は、2001年に発表された「基礎教育課程改革綱要」に基
づき、2005年から全国で実施に移されているといわれている。この改革の目的は
、かつての知育・徳育・体育の総合的発展といった抽象的な教育目標から脱却し、
実践と結びついた新学力観、道徳教育の系統化、学校は個性に応じた適切な学習
の場とするなど、きわめて戦略的な内容へと変貌している。この改革では新しい
教科が追加された。大きな特徴は小学校3年生からの英語と芸術科の導入、それ
と総合実践活動科の設置である。総合実践活動科は日本の総合学習をモデルには
しているが、中国的特徴を備えている。同時に授業時間数の4%削減と道徳教育
の強化が進められている。また、グループ学習や自主研究などの学習方法の改革
、週一日の学校開放、学校協議会制度の導入など、日本に近似した施策も多い。
総合実践活動の中では、現在政府の「調和(和諧)社会」の呼びかけに応えて
、「調和教育」がカリキュラムの前面に出ている。中国では古来より、天、地、
人三者の融合が最大の調和であると考えられてきた。これを、教育分野では、自
然、社会、人の3つの調和を謳っている。人と人との調和教育は「道徳あるいは
人間関係、コミニュケーション」、人と自然との調和教育は「環境」、人と社会
との調和教育は「公益性」を意味しているように受け止められる。協会の教育研
究集会での山東省青島の教育局責任者の報告によれば、この総合実践活動は生徒
の最も人気があるカリキュラムであるという。私たちの訪問した、北京市内や周
辺の名門校ではこのカリキュラムに沿って改革が進められている。しかし全体に
は深い困難が横たわっている。
中国中央教育科学研究所の田輝研究員は率直に現状を指摘する。「直面してい
る課題は、改革を迎えるのに準備が不足していることだ。新しい出発であるが、
時間が短く、推進のスピードが速くついていけない。教育施設が不十分で、教師
の負担が重く、多くの学校では校内研修のシステムも形成されておらず、理想と
現実のギャップは広がるばかりだ。」
理想と現実のギャップが広がるとは、学校間格差、地域間格差、都市と農村の格
差が広がっているということに他ならない。中でも教育改革で一番の要は教員の
養成、教師の指導力の向上である。この点も日本との共通点があるようだ。
しかし、中国の教育改革で日本よりはっきりと打ち出している点がある。それ
はグローバル社会において競争力のある国と人間を育てるということだ。競争力
のある教育というと、現代のハイテクを担える人材の養成という風に捉えられが
ちだ。そのため、日本とは比較にならぬ熾烈な受験競争が進んでいる。事実その
とおりだ。しかし、中国ではこれは大都市あるいは経済先進地区での現象である
ことに注意しなければならない。膨大な地方・農村地区の子どもに対しては、中
等職業技術教育に力を入れた教育を中心にすえることが政策の中心だ。青年の大
半は技術を身につけ、就職するのが現実的というのが、国家の人材育成の方針だ
。
中国という国が世界市場で生き抜くために、産業を担う職業人の構成を再編成
することが中国の教育改革の最大目標ではないか。このいわば、二段ロケット的
教育改革は、世界の教育改革の中でも、一極集中的人材育成のイギリスを中心と
した教育改革、そしてより職業教育を中心に置くドイツやEUの教育改革を統合
した大戦略に思える。
◇立体的にものを見る教育
この競争力という点について別の視点から、「経済グローバル化の時代、情報
化社会にあっては、教育と文化はもはや一国だけの範囲ではなくなり、国際的な
新しい考えと対策が問われる時代になっている」と協会の中国側パートナーであ
る中国教育国際交流協会常務理事の林佐平氏は述べている。そのためには、「総
合的判断能力の養成、社会の一員としての意識の養成、人間と人間の良好な関係
を育てる能力の養成など」が必要との認識を示している。
林佐平氏は、続けて「教職員間の国際交流、子ども同士の国際交流、異文化との
接触と体験、青少年のホームスティと交流を通じて、多くの方面において大きな
差異が現存していること、また、同じ課題に対して、どのような差異によって、
自分と全然違った考えや判断を、よその国の子どもが持っていることも当たり前
だということを理解することも重要です」と、述べている。けだし卓見である。
このような意見に基づく外交が政治の世界でも実現されたらと切に思う。
『何てたって高三』-僕らの中国受験戦争(許極文著・日本僑報社刊)は現代
の中国の高校生の生活と考え方を生き生きと描いた小説だ。
復職した勤勉な老教師、張報国が教室に入った途端、子どもたちから浴びせか
けられた野次は、「報国するにも道がない」の一言だった。50代の教師は、昔こ
の学校で教師だった。彼は地主の息子だったために、文化大革命で紅衛兵に「革
命」されたのだ。そのときの後遺症で病気になっていた。「いつ国に報いる時間
があったんだ」こうして高三の生徒と老教師の物語は始まる。この本から、自分
と全然違った考えや判断を持っていることも当たり前だという、中国の国家観、
世界観を垣間見ることができる。
中国は、グローバル化の時代に成長している国の特徴を備えている。競争で勝
ち抜いた富裕層と置き去りにされた貧困層、都市と農村など成長に伴う格差が、
全世界の縮図のように激しく現れている。もっとも『先進国』顔してきた日本も
格差の兆候ははっきりしてきているのだが。
今年2008年10月、協会に参加している教職員たちが湖塘鎮中心校を訪れる。学
校では、昨年贈った電子ピアノで日本の教師が授業をしたいと考えている。中国
では電子ピアノが人気で、全国大会も活発だという。これからは、日本と中国の
授業の交換なども進めてみたい。現地の音楽教室やリタイヤした先生方のパワー
を引き出して、格差や利益の衝突を超えて、人と人との友情を育むことができた
ら、なんと素晴らしいことだろう。
一台の電子ピアノを通して、国際交流のハーモニーが響けばいいと思う。
(筆者は 財団法人 日本中国国際教育交流協会常務理事)
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