【海峡両岸論】

中国は香港に武力行使しない
~依然必要な『国際金融センター』

岡田 充


 中国が建国70周年を迎えた10月1日、大規模デモが続く香港で、警察官が高校生に実弾を発射し情勢は緊迫化した(写真~YouTube から)。香港政府は5日、「緊急状況規則条例」を発動し、デモ参加者が顔をマスクで覆うのを禁じる「覆面禁止法」を導入した。しかしデモは収まらず、クーデターまがいの「香港臨時政府」まで飛び出し、米中対立とシンクロしながら出口のない混迷が続いている。

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 北京は「外部勢力が介入した香港版カラー革命」と非難の度を強めるが、武力制圧に出る可能性は極めて低い。大陸への波及もなく香港政府で十分対応可能と判断していること。さらに政治・経済要因では、①武力制圧は中国の持続的発展を阻害するリスクが高い ②「国際金融センター」としての香港の地位は、中国の発展にも不可欠 ③台湾統一にマイナス―を挙げたい。

◆◆ 余裕ある大陸と対照的

 まず、かくも長期化するワケは何か。大陸と香港の関係変化から探ってみよう。
 最近中国を歩くたびに、目に見える変化が出てきたのを実感する。かつて街を覆っていたギスギスとした空気が薄れ、落ち着きが出てきた。北京や上海はもちろん、内陸部や地方都市でもそうだ。人々の態度も角が取れてきた。入国管理官や税関職員が向こうから「ニーハオ」とあいさつし、対応は丁寧になった。豊かになり社会が安定し、「ゆとり」がでてきたのだろう。

 それと対照的なのが香港。香港政府と北京への不信と怒りを爆発させ、デモの先頭に立つ「勇武派」(武闘派)と警察の衝突が繰り返される。香港島中心部「セントラル」のオフィス街にも催涙ガスが充満し、欧米ブランドショップはシャッターを下ろし開店休業。市民の足である地下鉄も一時運行を全面停止した。
 デモの発端は、刑事事件の容疑者を中国や台湾に引き渡すのを可能にする「逃亡犯条例」の改正案だった。条例に反対する6月9日の100万人デモ(主催者発表)から4か月目に入った経過をざっとおさらいする。

◆◆ 議会突入から一変

 平和的だったデモに変化が起きるのは7月1日の香港返還22周年記念日。デモ参加者の一部が香港立法会(議会)に突入してから、様相は一変した。バリケードを築くなど過激化するデモに、警察側は催涙弾やゴム弾を発射、参加者を殴打する様子がTVやSNSで拡散すると、「暴力的取り締まり」への市民の怒りを煽った。
 世界有数の「ハブ空港」が占拠され、地下鉄の運行も妨害に遭う。道路のバリケード封鎖、投石に火炎瓶など「勇武派」による暴力も日常化していく。林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は9月4日、「逃亡犯条例」改正案を正式に撤回した。しかし彼女を「北京の操り人形」と見做すデモ側は、もはや聞く耳を持たない。
 「司令部がない」とされる今回のデモの要求は、①条例改正案の撤回 ②デモの「暴動」認定の取り消し ③警察の暴力に関する独立調査委の設置 ④拘束したデモ参加者の釈放 ⑤行政長官辞任と普通選挙の実現―の「5大要求」に収れんする。

◆◆ 30年で主客逆転

 筆者は1980年代後半、特派員として3年間香港で生活した。ちょうど鄧小平の開放・改革路線が軌道に乗り、香港を「窓口」に深圳・広東省が一体となって発展した時期である。そのエネルギーは、中国を世界第二位の経済大国へと飛躍させる最大の源でもあった。当時、香港や広東で流行したフレーズがある。一つは「グレーター・チャイナ」(大中華経済圏)であり、もう一つは「中国の香港化」だった。
 中国の経済改革が軌道に乗れば、社会主義の中国も、資本主義の香港や台湾と共に「グレーター・チャイナ」を形成する。そして中国が豊かになれば、大陸もいずれ香港や台湾のように、豊かで自由な社会が実現する(中国の香港化)という期待だった。

 日本を含め西側資本は、香港と華南の発展のエネルギーに引き寄せられた。「大中華経済圏」は実現したが、「中国の香港化」はどうか。
 二つのフレーズの「主体」は香港であり、大陸中国は「客体」だった(写真)。当時、広東語を話す香港ビジネスマンは肩で風を切り、大陸中国を「田舎者」とばかりに見下していた。それから30年、「華為技術」(ファーウェイ)や「騰訊控股」(テンセント)をはじめ、世界的ハイテク企業本社が集まる深圳の域内総生産(GDP)は2018年、初めて香港のそれを上回った。「主客逆転」したのである。

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  香港島から九龍半島を望む~香港貿易発展局HPから

 香港の1人当たりGDPは既に日本を超えているが、その原因の一つは、大陸中国の富裕層による不動産投機が香港の不動産や賃金を世界一に押し上げたからだ。米国・カナダの大学で修士号、博士号をとって香港で就職しても、シェアマンションで10平方メートルほどの部屋にしか住めない。共産党と結びついた特権階層による政治経済の独占への不満と怒りは、香港政府と北京に向く。
 中国が豊かになって実現したのは「中国の香港化」ではなく、「香港の中国化」だった。大陸中国に比べると社会・経済コストが高い香港。しかも99年に及んだ英植民地時代にはあった「自由」も一歩一歩と浸食される―。香港の若者が抱く出口のない「閉塞感」。

◆◆ 「経済動物」から「政治動物」へ

 香港にいたころ、香港人とは典型的な「経済動物」ではないかと見ていた。英植民地時代の香港には、民主はもちろん政治も存在しなかった。その代わり自由放任主義(レッセフェール政策)の下で、自由な経済活動が保証され、世界有数の国際金融センターへと発展する。
 戦乱と革命の歴史を繰り返してきた中国では、「国家」や「政治」と距離を置く人々が多い。「国家」への帰属意識が薄ければ、何が頼りになるだろう。経済利益と経済合理性によってのみ動く「経済動物」の典型を、香港人の姿に見たのだった。
 だが、そんな見立ては見事に外れた。

 香港返還(1997年)から22年。国家と政治がなかった世界に、次々と政治が持ち込まれ始めた。2003年、国家分裂行為を禁じる「国家安全条例」に反対する50万人デモが起き、香港政府は白紙撤回。11年には「愛国教育」に反対する生徒の大規模デモで、香港政府はまた撤回に追い込まれた。それが14年の「雨傘運動」と今回のデモへとつながる。中国共産党を批判する本を販売していた「銅鑼湾書店」の店長ら5人が15年、中国当局に相次いで拘束される事件は、共産党統治への不信を一層高めた。

 これが「経済動物」の香港人が、政治に目覚め「政治動物」へと変身する背景である。デモが暴力化し香港経済が落ち込めば、多くの市民は過激なデモに反対し、やがて沈静化するという展望は裏切られた。「経済合理性」のモノサシだけからデモを判断すると誤る。ここが今回のデモの一つのポイントだと思う。

◆◆ 「死なばもろとも」の捨て身

 デモは逃亡犯条例の撤回要求から、「反体制運動」へと変質している。「5大要求」の最後は「行政長官の普通選挙」だが、選挙システムを変えるには中国全国人民代表大会(全人代=国会)が承認しなければならない。その可能性は、少なくとも現在はゼロに等しい。
 香港デモを現地取材しているルポライターの安田峰俊[注1]は「閉塞感が爆発した運動ゆえに、最近は『攬炒(やけくそ、死なばもろとも)』という言葉も流行りはじめた」と書く(写真)。そして「原動力は、すでに条例案の撤回ではなく、過剰な暴力を行使した香港政府・警察への復讐心と、若者層の生活の不満をぶつけるものに変わっている」とみる。

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  燃上する火炎瓶と「勇武派」の若者~ Facebook から

 「勇武派」が戦術を過激化させても、デモが収まらない理由を安田は「他者の行動を批判しない」というデモの不文律が、強硬路線の容認につながっているとみる。香港問題が専門の倉田徹・立教大教授[注2]も、デモ側は「国際金融センター」としての香港の地位を破壊することで、香港の親中派既得層や北京政府へ打撃を与えることを狙い、それは「死なばもろとも」の捨て身の戦術になっているとみる。
 「自傷行為」とすらいえる戦術。香港の景気が後退しようが、不動産価格が暴落しようが構わない。むしろ米国をはじめ国際的な支持を巻き込み、米中貿易戦によって景気減速が目立つ中国経済に打撃を与えても構わない。

 一見無謀のように見えるが、反体制運動には固有の論理でもある。民衆が飢えれば、革命に立ち上がるという「窮乏革命論」にも通底する。体制側が、鎮圧のために暴力的対応に出れば出るほど、民衆が覚醒するという論理であり、私も片足を突っ込んだ1960年代後半の「新左翼運動」にもあった。
 「天安門事件」と同様、北京が武力行使するのを期待するSNSの書き込みもあった。主流民意とは言えないものの、「他者の行動を批判しない」という暗黙の了解もあり、暴力化するデモを非難する声は増えていない。
 香港紙「明報」(9月14日)の民意調査によると、「警察が過剰な暴力を用いている」との回答が7割強に対し、「デモ隊が過剰な暴力を用いている」は4割弱にとどまる。「平和的デモはベターだが、暴力化するデモの批判もしない」のだ。

◆◆ 「香港臨時政府」という怪文書

 10月4日、「覆面禁止条例」に対抗し「香港臨時政府」樹立[注3]を呼びかける文書がSNSにアップされ、新界のショッピングモール(写真)への「結集」が呼びかけられた。

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  宣言を読み上げるデモ参加者~ Facebook から

 全文900字の宣言は、「香港政府は、中国と共産党の管理下に置かれ、人民の要求を無視し人民の権利をはく奪し、さらに人民の自由を奪っている」と批判し、行政長官ら幹部の辞職と、政府部門を「臨時政府」の管理下に置くと要求。立法会を解散し3か月以内に選挙を行うなど、7項目要求を掲げる内容。
 「権力奪取」と「香港独立」を呼びかけるクーデターまがいの主張である。香港の民主派は14年の雨傘運動を契機に、「民主派」の要求は生ぬるいとして香港独立を求める「本土派」が生まれた。司令部のない今回の運動で、どんなグループが「宣言」を出したのかは分からない。
 民意を探るためのアドバルーンの可能性もあるかもしれない。大陸側が武力制圧の口実として利用するために出した「陰謀」との見方もある。確かにこれが主流民意になり、香港政府が転覆させられる事態になれば、北京は「分離独立」として、武力介入しても論理的には不思議ではない。
 「宣言」をみて「いよいよ武力制圧が近づいた」と、SNSに書き込んだ著名な日本の中国研究者もいた。しかし「宣言」支持が広がる動きは伝えられておらず、「怪文書」の域を出ていない。

 香港政府の「緊急状況規則条例」は、英植民地時代の1922年に制定された。行政長官とその諮問機関が「緊急事態もしくは公共の安全に危害が及ぶ状況にある」と判断した場合に、通信や交通の制限、拘束者の勾留延長などさまざまな規則を設けることができる。
 文化大革命直後の1967年7月、香港で始まった「反英闘争」に対し香港政庁が発動して以来52年ぶり。混乱が長期化すれば、香港政府はSNSへの発信禁止や、夜間外出禁止令など市民の移動制限も検討するかもしれない。しかしキャリー・ラム長官(写真~Wikipedia)は、当面「覆面禁止」以外の規制をするつもりはないとしている。

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◆◆ 「カラー革命」と断定

 次いで反体制化する運動への北京の認識である。中国の国務院香港マカオ事務弁公室の楊光・報道官は4日、緊急条例について「騒ぎはいまや完全に変質し、まさに外部勢力の介入、関与の下、『香港版カラー革命』に変わった」と断定した。
 「カラー革命(顔色革命)」とは何か。中国のWEB百科「百度百科」によると、「21世紀初頭から、旧ソ連諸国と中東諸国で起きた平和的非暴力方式で政権交代を求める運動」とし、Wikipediaは「2000年ごろから、中・東欧や中央アジアの旧共産圏諸国で起こった一連のアメリカ(CIA)主導の政権交代を総体的に指す」と定義している。

 中国政府や中国系メディアは、大規模デモの中心メンバーが、米諜報機関「米民主主義基金(NED)」から資金援助を受けていると非難している。8月には香港の米総領事館員が、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)を含む、「香港衆志(Demosisto)」メンバーらと面会したと写真付きで伝え、米国の内政干渉を批判した。
 NEDが、反米的な国の政権交代や体制転覆を支援するため反対派に資金援助し、カラー革命でも重要な役割を果たしてきたのは事実だ。それは、今回の運動の「外在要因」のひとつかもしれない。だがそれだけから、多くの市民のデモ参加を説明するのは無理があろう。

 前出の安田は「香港のデモ隊と警官隊は、西側自由主義陣営と専制中国による21世紀型の代理戦争の兵士に変わっている」と評した。米中対立が国際政治の基軸となっているいま、香港という「混合統治システム」の舞台で、双方があらゆるメディアを動員して巧みな情報・宣伝戦を繰り広げているのを見ると、安田の見立ても肯ける。

◆◆ 譲歩せず武力制圧もしない

 では今後の中国の対応は。
 新華社通信は10月1日、「黒服の暴徒」は香港にとって「最大のテロの脅威」と断じ、「いまや狂乱に近づいた。このまま暴力を容認するなら、香港を必然的に零落に陥れる」とし、「警察の厳正な法執行を支持する」と書いた。
 国務院香港マカオ事務弁公室も「覆面禁止条例」の直後、「林鄭長官が導く特区政府に、香港の法治を守り、全香港市民の暴力による恐怖を受けない自由を守り、社会の正常な秩序を早期に回復する能力が必ずあると信じている」という談話を発表した。

 ここから見えるのは、香港政府がデモへの取り締まり強化を通じ事態収拾を図り、北京の中央政府はそれを「後景」から見守るという図式。香港デモに、大陸の民衆が呼応する動きはなく、香港政府で十分対応できると判断している。
 だから北京が武力制圧に出る可能性はまずない。傷ついたとはいえ「一国二制度」の基本は維持し、「港人治港」(香港人による香港統治)を守る上でも、香港当局による取り締まりに任せる。これが北京の中央の判断だと思う。

 そして香港の視線の先にあるのが、台湾統一である。習近平は今年初め発表した台湾政策(習5点)で「一国二制度」による平和統一を前面に出した。台湾行政院大陸委員会が8月初め発表した台湾人の意識調査によれば「一国二制度」反対は88.7%と、台湾人には全く人気はない。その上武力制圧に出れば、台湾側の反応はさらに厳しくなるだろう。
 しかし統一実現には「一国二制度」以外の選択肢はないのも事実。習近平は建国70周年演説で「平和的統一、一国二制度の方針を堅持し、香港、マカオの長期繁栄・安定を維持し、(台湾)海峡両岸関係の平和的発展を図り、引き続き祖国の完全な統一実現のため奮闘しなければならない」と述べた。来年1月の台湾総統選で蔡英文総統が再選されても、「一国二制度」の統一方針に何の変化もないはずだ。

◆◆ 深圳では代替できない

 これらに加え、北京が武力制圧しない大きい理由は、「国際金融センター」としての香港の地位にある。香港の経済規模は2018年、中国大陸の2.7%と、1997年の18.4%から低下している。しかし、「表現の自由」や「独立した司法」が保証する「国際金融センター」としての地位は、中国の発展にとって代替は効かない。
 それを示す要因を挙げる。
  1. 米国の「香港政策法」(1992年成立)は、中国製品に課している関税を香港には適用しない優遇措置であり、これを見直されると中国経済に打撃。
  2. 中国は香港の通貨、株式、債券市場を利用して外国資金を呼び込み、外国企業も香港を中国大陸に進出する足掛かりにしている。外国から中国への直接投資の大半は香港経由である。
  3. 中国の資金調達も香港を通じている。新規株式公開による資金調達の半分は、香港市場に上場した企業である。
  4. 大陸の学者・研究者の論文や文学・小説は、香港と台湾で出版するケースが多い。大陸で出版するには、政治的検閲というハードルが高いからである。

 では、深圳ではこれらの機能は代替できないだろうか。北京は「一帯一路」を推進する上で「広東・香港・マカオ大湾区」建設に力こぶを入れ、その中心に位置する深圳に、独自の法律と行政システムを導入しようとしている。確かに「ハイテクセンター」として急成長する深圳の重要度は増している。だが、資本取引は完全に自由化されていない。香港の代替は無理である。
 香港資本主義と一国二制度は、中国の発展に依然として重要なファクターなのだ。

◆◆ 米中対立にシンクロ

 香港デモは米中関係とシンクロしている。米議会の上下両院外交委員会は9月、中国が香港に保証する高度の自治を守っているかどうかを国務省に毎年検証するよう求める「香港人権民主法案」を可決、早ければ10月中にも成立の見通しである(写真)。

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  TEHRAN TIMES「U.S.-China relations worsens」October 13, 2018 から

 人権や民主は重視しないトランプだが、大統領選が近づく中で香港・台湾カードを切り始めている。米CNNは10月4日、トランプが6月18日、習近平との電話会談で、「米中貿易交渉が進展すれば香港問題については黙り続ける」と伝えていたと報じた[注4]。
 一方の中国も、トランプ再選のカギを握るかもしれない北朝鮮の核・ミサイル問題で、平壌への関与を強める可能性がある。香港も台湾もそして北朝鮮問題も、国際政治の基調になる「米中対立の大枠」から飛び出せない。

 習近平は建国70周年演説で「いかなる勢力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民の前進を妨げることはできない」と述べた。米国向けの発言だ。
 北京は香港問題という中国内政へ干渉は容認しない。同時に、米中関係を安定させなければ、経済発展に悪影響が出る。香港への武力制圧が流血の事態を招けば、天安門事件と同様、欧米を中心に強い非難が巻き起こり、経済制裁も覚悟しなければならない。資本の海外逃避も予想され、「時限爆弾」の債務問題にも飛び火するだろう。習政権が命運をかける「一帯一路」にもブレーキがかかる。
 一党専制の正当性は、経済成長による国民生活向上と富裕化によって保証されている。経済落ち込みが、国民生活のしわ寄せを招けば、経済・社会の安定は失われ、政治の不安定へと連動する。

 前出の倉田は「香港デモの行く末が、世界的な経済危機の発端となる可能性」とまで言及し「香港に示されているのは国際秩序の変化の深刻さである」と結んだ。香港デモが米中対立とシンクロしたいま、その行方は中国だけでなく日本を含む各国の経済と内政にも連動しかねない「破壊力」を持ってしまった。
 香港問題が投げかけているのは、経済的に充足した社会が実現した後の社会の在りようである。「経済動物」の「政治動物」への変身 ——それは香港人だけの話ではない。北京に突き付ける「啓示」でもある。

[注1]安田峰俊「逃亡犯条例撤回『こいつら暴徒だわ』香港デモ隊の“醜い真実”をあえて書く(2019年9月5日 文春オンライン)
https://bunshun.jp/articles/-/13886
[注2]倉田徹「香港デモ 暴力の論理」(「外交」Vol57 Sep./Oct.2019)
[注3]台湾中央社「抗議禁蒙面法 香港部分示威者宣布成立臨時政府」(2019/10/05)
https://www.cna.com.tw/news/firstnews/201910050005.aspx
[注4]CNN「Trump promised Xi US silence on Hong Kong democracy protests as trade talks stalled」(October 4, 2019)
https://edition.cnn.com/2019/10/04/politics/trump-xi-hong-kong-protests/index.html
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<追記> 香港返還約10年後、共同通信が出稿したリポートを付ける。既に香港と大陸の力関係が逆転していることに気付くと思う。

◆ 国際通年企画「新たな自画像を求めて」(12)「中国返還」(香港)
  優劣の意識、10年で逆転 「アチャン」変えた大国化 自由願う2人のエリート (2007年03月28日)

 張徳発がタオルで汗をぬぐいながら戻ってきた。春節(旧正月)直前の二月夕、香港・九竜にある室内体育館でバドミントンの試合を終えたところだ。三十九歳の会計士。週二、三回、仕事帰りに気心の知れた友人と試合を楽しむ。素早いスイングで羽根をとらえる腕前はなかなかのものだ。
 名門、香港中文大を卒業後、一九九二年から妻とともにオーストラリアに二年留学し、オーストラリア国籍をとった。月収は五万香港ドル(約七十五万円)で、一歳年上の妻は二人の子育てに追われる専業主婦。共働きが当たり前の香港では珍しい。

 「中国といえば貧しいイメージ。親近感は全くなかった」。子供のころの彼の印象だ。穏やかな口調が、安定した生活を感じさせる。高層ビルとまばゆいネオンの香港からみれば、中国は共産主義が支配する外国だった。張が中国へ旅行したのも北京語を覚えたのも、大学に入ってからだ。
 中英両国が返還で合意した八四年から、香港では返還後への不安が高まり外国への移民ブームが始まった。香港を脱出し外国国籍をとれば、香港に戻っても「保険」になるからだ。特に八九年の天安門事件は、共産党独裁への反発に拍車をかけた。張が留学した九二年は移民ブームのピーク。留学の目的は「外国籍取得ではない」と強調するが「香港で自由な生活ができなくなれば移住も」と答える。やはり外国籍は保険なのだ。

▼ 国家意識は希薄
 多くの中国人にとって香港は繁栄と自由の象徴だった。国民党との内戦や文化大革命…。中国が混乱に陥るたび、自由と豊かさを求めて大量の中国人が「難民」として香港に押し寄せた。
 文化大革命を経た七〇年代、中国人ではなく「香港人」意識が、社会に根付く。香港生まれが数で中国生まれを上回り、市民の生活レベルが向上し始めた時期である。張は香港人意識を「国家への帰属意識が薄い」と説明する。

 英植民地下ではぐくまれた香港人意識は、国境の向こう側の中国人を見下す優越感と結び付いていた。「阿燦(アチャン)」は七九年に放送された人気テレビドラマの登場人物。中国から移民したばかりのせっかちで間抜けな男の愛称だが、中国移民の代名詞として八〇年代の香港に広まった。
 張が香港を脱出した九二年、北京から香港に移住した女の子がいた。陳悦だ。当時八歳の「アチャン」は英語が全く分からず、「泣きながら」勉強する毎日だった。中国で約三十年暮らした母、呉輝の出生記録が香港の病院に残っていたため、香港居住権を回復できた。いまは最難関の香港大で建築学を学ぶ大学生。

 香港が中国に返還された九七年、アジアを通貨危機が覆った。それから十年、北京語をしゃべり一目で中国からと分かる観光客が、高級ブランド店の買い物袋を手に街を闊歩(かっぽ)する。上海発の世界同時株安が象徴するように、世界の目は大国化する中国に集まる。
 貧困の象徴だった中国が豊かになり、香港人のプライドは傷ついている。最近は自嘲(じちょう)気味に自分を「港燦(ゴンチャン)」(香港人のアチャン)と呼ぶ新語が生まれた。中国の成長から取り残されることへの焦りがじわりと広がる。

▼ 中国との緊張関係
 「ゴンチャン」の一人、張の中国への視線は十年でどのように変わったのか。彼は香港政治にほとんど関心がない。親中派に有利な香港の選挙制度の下では「投票しても意味ない」と考える。一方、中国の将来については「腐敗や貧困は次第に改善されるだろう。中国政府の改革の方向性は正しいと思う」と楽観的だ。香港社会の主流を占める期待感でもある。
 「香港の自由は変わらない」とみる張は、住み慣れた香港での生活をこのまま続けるつもりだ。ただ彼には変わらぬものがある。中国人でもオーストラリア人でもない「香港人意識」である。

 少女時代を泣いて過ごした陳悦はもはや「アチャン」ではない。香港島の繁華街にある書店の喫茶店で会った彼女は、中国では発禁扱いの政治書籍が並ぶ書架を指さし「中国では買えない本を目当てに来る中国観光客も多いのよ」。苦手な英語もすっかり身に付き、香港の「自由」を誇らしげに語る。
 卒業後は中国で、伝統を生かした建物の設計に携わりたいという彼女だが、香港人の身分は手放すつもりはない。理由はやはり「自由」。楽観的過ぎないかと尋ねると「香港のことは香港人一人一人が決めるんです」とムキになった。

 香港では中国で禁じられている天安門事件の犠牲者追悼集会や宗教活動が認められている。その一方、報道の自己規制やジャーナリストの中国での拘束など、「自由」をめぐる緊張関係が続く。
 二人のエリートは九二年、香港で偶然すれちがった。自由と繁栄を求める二人の一方はこの年海外に、そして他方は中国から香港に来た。二人がいま香港の空の下で生活しているのは偶然ではない。繁栄と自由が保証される限り住み続けたいという、共通の意思がそうさせている。(敬称略、文・鈴木雄士)【編注】筆者は共同通信前香港支局長

 (共同通信客員論説委員)

※この記事は著者の許諾を得て「海峡両岸論」107号(2019/10/12発行)から転載したものですが文責は『オルタ広場』編集部にあります。

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