【コラム】
あなたの近くの外国人(裏話)(16)
中国ムスリム(回族)鍼灸師姉妹(1)
新年のお慶びを申し上げます。拙稿のご高覧まことにありがとうございます。みなさまにとって素晴らしい一年であることを願います。
パキスタン人生徒から「先生、お正月、何をしていた、どこかに行った??」と質問されました。「私は日本人。おかあさん。正月はごちそうの準備でいそがしい。あなたのおかあさんがラマダンやイードの準備でいそがしいのと同じ」
「おいしいご飯、そうじ、家族のきれいな服の入れ替え、古い電気の取り換え…同じ…??」
「同じ!!」
「日本のおかあさん、正月、いそがしい…わかる」
この子、日本語が乏しいのですが、とてもとても頭がいい子です。続きは英語とヒンディ語(ウルドゥ語)をまぜて日本の家庭での元旦の説明をしました。
さて、今回は、共産国のイメージが強い…中国人イスラム教徒の姉妹の話しです。
◆ 飛び込みで診療に行った夏
寝違えが原因で、背中が痛すぎた…自転車で通ったら、目の前に「張鍼灸院」…たまらずベルを押しました。
日本語が堪能…と言ってもあきらか中国人とわかる日本語の同年代の女性が出てきました。
診察の説明を受けた後…診療を受け…なぜか「私、イスラムだから」という言葉が出てきました。
「回族(ホイズー)??」
「日本人、ホイズー知っている(人)、少ない、珍しいねぇ」と。
チベットと四川省にいたことがある…甘粛省・青海省にも行ったことがある…彼女たち納得しました。
「チベット、いいねぇ、仏教の土地と人たち…行ってみたいとずっと思っていた」
「チベットにも清眞の人たちがいる。カシミールから来たムスリムも…」
私がここで「ムスリム」という言葉を使ったことで、彼女たちと私はまるで古くからの友人のような関係になりました。ですが、まだまだお互いを知りません。
◆ 来日
お姉さんは1981年来日、妹さんは1985年来日です。中国通のかたは、この年代を見て、ああ文革前、相当なインテリ、すぐにご理解いただけたと思います。
当然、今のように簡単に日本留学ができる時代ではありませんでしたし、私費留学なんて存在したのかどうかわからない時期です。おふたりとも、もともと漢方医でした。麗澤大学の日本語の留学生として来日しました。彼女たちは天津出身です。
◆ 日本の「資格」(1)
彼女たちは現地では医師(漢方医)でしたが、日本では無資格となります。医師資格を取得するのに莫大な金額と長い時間がかかります。鍼灸師であれば、時間もお金も半分なのでそのまま仕事に就くことができます。自分の診療院を開業するまでの間、彼女たちは、日本人の医院(整形外科)で鍼灸治療スタッフとして働き、また中国語指導の仕事もしていました。
なんだかもったいないような…ですが、彼女たちがこういった仕事をしていたからこそ、日本と中国の文化を友好的に結び付けていくことができたのではないかと思います。
これは、私にとって複雑な思いでもあります。日本の資格が厳しいことで彼女たちの副次的な能力も日本のためになったからです。私の中国武術の師匠もまた、日本の大学院で博士論文を書く合間に拳法を教えていましたから。
文革前後に来日した中国人の「留学生」のほとんどが「ただもの」ではなかった…。
…切れが悪いので、今回はここまで。
次回も、張姉妹。
(高校日本語講師&専門学校時間講師)
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