【コラム】
中国単信(63)
中国人の思考方法――日中の現状を分析すると
現代社会は日本も中国も、社会学、家政学領域での専門用語を借りれば、「職住分離」が進み、多くの人びとが仕事場所と住居とが完全に分離されて生活している。またグローバル化はいつの間にか異文化を私たちの社会に入り込ませ、仕事のスタイル、生活様式に影響を与えつつある。
そのため日本では封建的な思考は殆ど姿を消し、主従関係さえ脆弱なものに変容してきてしまっている。
中国も同じような状況である。宗族はすでに存在せず、血縁重視を示す「族譜」も半分以上の家庭が持たなくなっている。血縁関係のある親族が同じ地域に定住する慣習も薄くなり、祖先祭祀も各家庭単位になってきているばかりか、祭祀をしない家庭も増えている。四十年近く実施された「一人っ子政策」の結果として、家系を守るための長嫡子重視さえも都市部では薄れてしまい、血縁関係に依存した社会基盤もかなり崩壊してしまった。
こんな状況で、日本は「会社型」、中国は「家族型」だと言える特質は、今なお残っているのだろうか。それだけでなく、今後もそれぞれの文化は受け継がれていくのだろうか。
日本の現状はどうであろうか。
日本人の「自殺」はマスコミなどでも伝えられているように、自殺率は近年ずっと高止まり傾向にある。この数値を下げるには、家庭や社会との関連性からもっと研究を進めていく必要があると思われる。
「自殺聖地」などというありがたくない名称をもらったある自治体は、自殺者の事後対応で財政難に陥ったほどだった。打開策として、監視員を配置し、定期巡回チームを組織したが目立った効果がなかった。そこで「聖地」への道のりに「もう一度、家に帰ってみてください」といった類の言葉を書いた立て札を出した。これは意外にも効果があり自殺者数が半減したそうである。
悩みを家族にも相談できなかったのだろうか。絶望に陥った者の異様さに家族はまったく気づかなかったのだろうか。現代の日本に生きる我々は気づかないうちに組織、社会に呑み込まれ、自分を見失い、孤独となり家族をも排除してしまっているのではないだろうか。
また「いじめ」で自殺した子どもの正確な数字は把握していないが、大きな社会問題となっていることは間違いなく、個別の問題として見る時期はとうに通り過ぎているだろう。子どもたちの心に大きな闇が広がっていることを「社会」が認識し、家族の在り方、子どもとの繋がり方を日本はもう一度考え直す時期に来ているようである。
また「社会」ということで言えば、成人した子どもの犯罪に対して「公人」であるがために、親まで謝罪し、あるいは仕事の「自粛」や「離職」にまでつながってしまうのはよく理解できない。これが芸能人、タレントともなれば、たとえば「不倫」などは格好のネタとなって、引退にまで追い込まれる場合もあるのだが、「社会」の「一般常識」「一般良識」が個別の家庭に過剰干渉しているように思えて仕方ない。
一方、「夫婦独立収支制」「離婚時財産配分策定」「家事分担制」「定額小遣い」「住宅購入時出資金負担及び不動産持ち分策定」「帰省順番と回数及び担当家事」等々、極端な例では「月のセックス回数」まで決めている家庭もあるとも聞く。このように日本の一家族内での契約件数が増えつつあるという。またある四十代の共働きの夫婦は、二人のことはほぼすべて事前に協議決定し、日常会話ほぼなし、メモで連絡、セックスなしの夫婦生活だそうだが「うまく」続いているという。
これはもはや情愛や血縁で結ばれている家族ではなく、契約で結ばれた共同生活者ではないだろうか?
このように今現在の日本を眺めると、人間の生活は十人十色とはいえ、鮮明に浮かんでくるのは、日本が会社型社会である特質は薄くなるどころか、ますますその色を濃くしてきているということだろう。
では中国はどうだろうか。
中国人はマナーが悪い、民度が低い、これは海外からの「批判」だけではなく、中国人もすっかり認めている「反省」でもある。
筆者は「民度が低い」要因、そして「マナーが悪い」を認識しながら中国人は改められない要因を探るため、何度も中国へ調査に出かけ、聞き取り調査なども行ってきた。その要因は「学校、特に小学校の徳育(道徳)教育」にあるのか。「親による家庭教育」にあるのか。それとも社会環境ないし伝統文化にあるのか。
調査結果を以下のようにまとめてみた。
①「民度が低い」ことに政府も危機感を募らせ、「観光客非モラルブラックリスト」を実名公表し、中国人観光客のマナー改善から着手した。同時に次世代のマナー向上のために子どもの徳育向上教育国家プロジェクトを始動させた。
②小学校では方法や方針は異なるが、ほぼ全学校に専門教員を配備し、徳育教育に力を入れ始めている。
③徳育教育を点数化し、筆記テストも取り入れて「改革」を実行する学校もある。
④ほぼすべての情報提供者は中国人の民度の向上について、異口同音に「十数年内の急激な改善は難しい」と断言し、以下のような理由を挙げていた。
・学校の徳育教育が形式的。
・親は子供の勉強や技能など出世に直結することを異常に重視し、徳育教育には無関心。
・親の素養が低いため、子どもに優れた薫陶を与えられない。
・利益至上、拝金主義の風潮の中で、子どもにばかり「品徳」「道徳」を求めても説得力に欠ける。
どれも一理あるだろう。なかでも一人の小学生の話は筆者に強い衝撃を与えた。
「先生が教えてくれるマナーや、マナーを守らなければならないという話は全部正しいと思います。私も最初は先生の教えられた通りにしました。でもね、そうすると、自分はよく損をしました。
・友だちと一緒に映画を見に行ったとき、列にきちんと並んでいたら、私の前で売り切れになってしまった。でも列に割り込みした友だちはちゃんとチケットを手に入れた。
・雑誌の綴じ袋に入っている人気カードを揃えたくて、自分のお小遣いを全部使っても揃えられなかった。でも買う前に隠れて綴じ袋を開けて覗いていた友だちは揃えられた。
・大雪でタクシーを奪い合っているとき、私が一歩下がってしまったために、乗り遅れてしまい親に叱られたこともありました。」
筆者は、いかに中国人が長年にわたって育んできた「損得勘定」という思考方法が根強く、いかに伝承しやすいのかが痛いほど理解できたのだった。そしてこの「損得勘定」がしっかりと伝承されていく限り、中国社会が「家族型社会」を変えることはないだろうということも理解できたのだった。
(女子大学教員)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ/掲載号トップ/直前のページへ戻る/ページのトップ/バックナンバー/ 執筆者一覧