【コラム】中国単信(16)

教師・船長・自営業者

                          趙 慶春


 教師:「範美忠」。北京大学歴史学部出身で、元四川都江堰亜学校教師だった。
 2008年5月、四川省で発生した肭川大地震の際、授業中の生徒を教室に置き去りにして、真っ先に逃げ出す。しかもその「逃げ出し」についての釈明文章を速やかに発表。
 中国全土から非難の声が上がり、「範跑跑」(逃げ出し範、一目散の範)という渾名をつけられる。

 船長:韓国のセウォル号船長。今年4月に起きたセウォル号沈没事故の際、船長としての救助義務を放棄し、300人近い乗客を死に至らしめた。

 自営業者:山小屋「二ノ池本館」支配人小寺祐介。今年9月27日に噴火した御嶽山山頂付近の山小屋に避難してきた登山者を屋根が二重になった場所に集め、ヘルメットを配る。さらに全員を9合目の「石室避難小屋」まで誘導。自分は山小屋に留まり、下山は当日夕方だった。

 3つの事例は、責任ある者が取る行動とはどうあるべきかをみごとなまでに教えてくれている。
 韓国のネット上には日本の小寺祐介氏の行動を、セウォル号の船長との比較で「これこそ韓国と日本との現実の差」という声があがっていたが、「中国と日本との現実の差」でもある。
 ただこの「現実の差」、あるいはこの三人の瞬時に取った行動の差によって、日中韓の国民性を論ずるのはあまりにも性急すぎるだろう。
 なぜなら2013年9月の台風18号で増水した大阪市の淀川に飛び込み、濁流にのまれた小学生を助けたのは中国人留学生だったし、2001年1月、線路に転落した日本人を救助しようとして、日本人カメラマンと共に命を落としたのは韓国人留学生だったからである。
 したがって冒頭の三人をその国の代表として、一国の国民性や民族性を語るわけにはいかない。ただしこの三人の行動に対する各国のとらえ方にはそれぞれのお国柄がかいま見えるような気がする。

 中国の「範跑跑」は事件後、全国のメディアから完膚無きまでに叩かれたのは当然だろう。ただこの事件に関連して、復旦大学歴史学部教授銭文忠がなぜ中国国民が「範跑跑」を強く批判したのか述べたことがあって、なかなか興味深い。それを要約すると、「地震発生で教室から逃げ出した先生は範跑跑のみだった。たとえ逃げ出しても弁解は許されない。なぜなら、それは羞恥心欠如と言えるからである。しかも範跑跑が北京大学出身だったこともその一因」というものだった。この銭文忠教授の言わんとすることは、高学歴の者ほど犯してしまった行為より、そのあとの「態度」こそが重んじられるというもので、極言になるが「懺悔」さえすれば「罪」は許されると言っているのである。

 しかし現実には、多くの高級役人たちはその地位を利用して不正を行い、発覚したときには、お決まりの「言い訳して、責任を逃れる」のである。こうした事例は枚挙にいとまがない。銭教授のような発言が生まれるゆえんだろう。

 話を戻すと、「範跑跑」はその後、「道徳欠如」を理由に解雇され、再就職もままならなかったのだが、ここには中国人の不寛容さ、偏狭さが見え隠れしている。確かに「範跑跑」には一つの理もないのだが、中国人は自分に少しでも理があれば、相手を徹底的に叩こうとする傾向がある。日中関係においても然り。つまり相手の立場に立って発想したり、真理は何かを探ろうとする視点を忘れがちとなる。

 さらに「範跑跑」事件はもう一つ、中国人の政府に対する根強い不信感を噴き出させ、校舎建設に関わる手抜き工事や政府の教師育成と指導などに批判が加えられていった。

 ところで韓国のセウォル号船長に懲役36年の判決が下されたことは記憶に新しい。事実上の死刑廃止国だけに、懲役36年は死刑を望む者には不満だろうが、仕方ないのかもしれない。
 ただ筆者の関心はこの事故が起きて間もなく、アメリカ在住の韓国人たちから朴大統領辞任要求の声があがったことである。しかしその一方で、在日韓国人のなかには、鄭烘原総理の引責辞任を疑問視する声があったと聞く。
 これほど大惨事になった船長の責任はいちばん大きい。しかし、船会社の過積載と隠蔽、役所の検査及び監督の不徹底、救急指揮センターや海洋警察のずさんな対応など大惨事に繋がる要因はいくつもあり、それらは明らかに国の責任である。だとすると、すべての管理、監督、指導を行うのが行政府であり、そのトップが総理であるかぎり、その地位にある人間が最終的な責任を負うのは当然だろう。
し たがって総理辞任不要論が韓国内にあったということが筆者には理解できない。それとも韓国人は政府の責任に対してはよほど寛容なのだろうか?

 2014年9月にフジテレビがセウォル号沈没の特集番組を放映していた。そのなかで生存者の女子高生が「韓国政府は真相を真剣に知ろうとしない。だから私は日本のテレビのインタービューに応じた。ぜひ外国の世論が韓国政府を動かして真相を追究してほしい」と話していた。
 韓国政府が総理の辞任、船長たちの刑期確定でこの事故に幕を下ろしてしまうつもりなら、この女子高校生の悲痛とも言える願いはあまりにもむなしく悲しいし、再び大惨事が起きうる可能性大と言わざるを得ない。

 この中国、韓国と際立った対照を見せたのが、日本の御嶽山噴火時での小寺さんの救助活動だった。中、韓のネットユーザーからは日本を毛嫌いしながら、さすがに賞賛の声が上がっていた。
 しかし日本国内では、中国、韓国ほどの驚きと称賛の声は大きくなかったように思う。小寺氏のような行動は賞賛に値するが、その一方で責任あるものとしては当然と見る日本人も少なくないからだろうか。

 ただ筆者から見ると、あの激しい噴火時に冷静に救助に当たった小寺氏の行動はやはり賞賛と尊敬に値すると思える。日本人はこうした出来事をあまりにもあっさりと記憶の彼方に追いやりすぎるきらいがある。

 それは、落ち度のある人間には反論の余地なく、一度「罪」の烙印を押された者は、たとえそれが冤罪であろうと簡単には許されない中国を見てきただけに、なおさら小寺氏への身びいきが起きるのかもしれない。

 小寺氏はもっと顕彰されていいように思う。その意味では日本の新聞テレビなどのマスメディアにも責任があるように思う。たとえば在特会と橋下市長との品のない喧嘩を興味本位で取り上げるより、ヘイトスピーチそのものの実態を息長く取り上げて深くえぐり出し、日本社会が抱える問題点を指摘し、日本人の良心に強いインパクトを与える働きをしてほしいと思う。その意味では原発問題も同様だろう。まだ仮設住宅に住み、地元の産業が復興せず苦しんでいる人びとがたくさんいるのだ。さらに言えば、日本人は3年前の苦しみを忘れ、原発推進でいいというのだろうか。

 「小寺さん、日本の総理大臣になって」という書き込みがネット上にあったと聞く。これなどは単なるジョークと片づけるわけにはいかないのではないか。
政治屋ばかりがはびこり、本物の政治家がいないことを見抜いているからこそ、小寺氏を見倣えとの思いがこうしたジョークとなったにちがいないのだ。

 みずからの危険もかえりみず、死に直面し苦しむ他者を守ろうとした彼の行為から見ると、現在、さまざまな悪状況に置かれて、あえいでいる弱者への現政権の政策が真剣さ、誠実さから遥かに遠いと映るからにほかならない。
                 (筆者は大妻女子大学教員)


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