【コラム】
中国単信(83)

中国茶文化紀行(20) 宋代点茶の「色、香、味」

趙 慶春

 点茶法が主流の宋代(960年~1279年)の茶の香はどのようなものであったのだろうか。「茶色尚白」(茶の色は白を尊ぶ)と記した史料は山ほどあるが、その実体は?
 しかし、中国喫茶文化の最高峰と言われる宋代茶の「色、香、味」を知りたいという「歴史の謎」を解く望みがかなえられ可能性はほぼゼロに近い。その理由は以下の4点である。

 1、宋代の製品茶が残されていない。
 宋代の製茶が残されていたら、その茶を粉にして点てれば、宋代茶の「色、香、味」を知ることができるかもしれない。しかし、現存している最古の茶は清代(1644年~1911年)末期の「金瓜貢茶」と言われていて、この「金瓜貢茶」でさえ保護文物となり、飲むことができない。また今後、宋代の製茶が出土しても、千年ほどの年月によって宋代茶の風味を保っている保証がない。

 2、製茶の復元に技術の壁。
 製茶が残されていないなら、復元を考えるのは当然だろう。しかし、宋代茶、特に最上級の北苑貢茶院産の竜団鳳餅などは製造工程が複雑で、多大な労力と時間がかかる。その結果、同じサイズの金よりも高額になり、入手困難とも言われてきた。あまりにも精製加工に拘り過ぎて、コストが高騰したため、明の太祖皇帝・朱元彰などは北苑貢茶の復元を諦めたほどだった。現在でも宋代の製茶は最も難しく、最も高度な技術を要する。
 宋代の茶書に製茶方法が記載されているが、現在のような生産マニュアルほど詳細ではなく、不明瞭部分がいくつもあって、竜団鳳餅など宋代茶の完全復元は遂げられていない。

 3、茶木の変容。
 宋代の製茶技術が完全に復元されても、宋代茶の復元は難しい。茶の木、つまり茶の生葉が変わっているからである。史料によると、宋代、最も著名な貢茶院だった北苑の茶は高い喬木だった。しかし、北苑貢茶院所在地だった現在の福建省建甌市及びその周辺の茶木はすべて灌木になってしまっている。茶木の品種が変われば、製茶の「色、香、味」も異なる。
 かりに宋代製茶の再現に別の地域、たとえば、雲南などの喬木茶の葉を使えば、風土が異なるため茶の風味も変わり、完全なる再現、検証はできない。

 4、茶の「色、香、味」に影響する水質の変容。
 それでも筆者は宋代茶の「色、香、味」を再現する試みとして、「茶の色」に着目した。確かに、宋代製茶を完全に再現しない限り、その味と香を知ることはできないが、「色」は現代茶で宋代の文献史料に記されている「色」が再現できれば、宋代茶の製造方法と点茶方法の研究及び再現に有効であろうし、色から味と香を推理することも可能になるのではないか。文献の解読、分析だけでなく、実際に茶筅で茶を点ててみると、文献だけでは掴めない「事実」が究明できるのではないか、と考えた次第である。そこで、点茶実験の結果を数回、報告していくことにする。

 ここで、点茶実験の目的を整理しておきたい。
・主な目的:
 (1)宋代喫茶の美意識として、「白い泡を好む」と言われているが、「茶」で白い泡が得られるか検証したい。
 (2)「点茶、茶百戯、闘茶、分茶」という宋代喫茶の四大キーワードの実態に迫りたい。

・付随の目的:
 (1)宋代茶の香りと味。
 (2)喫茶道具と美意識の関係。
 (3)日中喫茶文化の差。

 ところで「点茶」と言えば、日本抹茶道は世界中「唯一無二」の存在だと言える。中国やモンゴル、チベットの茶の飲み方には、日本抹茶道のような本格的に茶碗に茶筅で茶の湯を点てる習慣はない。それだけではなく、そもそも「古代茶復古」以外に抹茶(茶の粉)を使用する例も見当たらない。
 そこで、まず日本抹茶道用の「抹茶」を使い、日本の茶筅で茶を点ててみた。その結果は、以下の二点であった。
 (1)白い泡は得られなかった。
 (2)「沫餑」の状態が確認できた。

 日本茶道の関係者なら常識だが、抹茶を点てると緑色の泡になる。写真1は、静岡県の株式会社銘葉が生産した「抹茶」8gを200㏄の湯で点てたものである。これは一般的な「薄茶」とほぼ同じ抹茶量である。「濃茶」ならもう少し色が濃くなるが、抹茶量を減らしても、泡の立つレベルならば、基本的に同じ色である。福寿園の伊右衛門などほかの銘柄の抹茶で点てても同じ色で、「白」にはならなかった。
 筆者が行ったテストで一つだけ写真2は、やや白っぽくなっている。これは金子園の「楽々抹茶」4gを100㏄の湯で点てたものである。

画像の説明
  (写真1)

画像の説明
  (写真2)

 宋代・徽宗の『大観茶論』「色」の項に「点茶之色、以純白為上真、青白為次、灰白次之、黄白又次之。(点てる茶の色は純白を上等とし本当の色とする。青白を次とし、灰白はこれに次ぎ、黄白はまたこれに次ぐ)」とあるように、宋代では茶湯の泡では「純白」を最上とし、「青白」を次点とする。この写真2の「楽々抹茶」の色を「青白」とするか微妙で、「白」を帯びた薄い緑色と判定する方が正確かもしれない。
 しかし、個人判断の難しさを別にして、この「楽々抹茶」は一般的な抹茶と違って、オリゴ糖が入っていて「粉末清涼飲料」に分類されている。オリゴ糖が茶の泡にどのような影響を与えるか不明だが、「宋代点茶の時一般的に砂糖は入れない」ため、これを論外とする。

 周知の通り、日本抹茶の植物天然緑色になったのは「覆下園」技術によって、光を遮断したためである。「覆下園」は日本の茶の湯が成立した後、日本人の美意識に合わせるように、日本が独自に開発した技術で、中国宋代にはなかった。したがって、日本の抹茶で「白」が得られなかったのは、むしろ想定内であった。ただ、抹茶の実験で一つの収穫があった。「沫餑」の状態が確認できたことである。
 「沫餑」とは宋代茶人が点てた「茶の泡」を指す専門用語である。そのため、今「餑」字の意味の一つとして、「茶の泡」が付けられている。しかし、「餑」はもともと蒸しパンのような食品を意味する。なぜ固体物を指す「餑」の字で茶の泡を指すようになったのか、最初はわからなかった。

 写真3は、辻利抹茶を点てたものである。抹茶量と湯量を調整しながら点てたので、正確な数字が記録できなかったが、茶沫と湯が完全に融合し、「茶湯の上に泡が浮く」ではなく、全体的にドロドロの状態になっている。この状態で「茶を点てる行為」を止め、ドロドロ融合状態を保つと、湯面上にきめ細かい「茶の泡」が覆うようになり、これこそ宋代茶人の言う「沫餑」だと思われる。つまり、泡がすぐにも破れて消えそうなものではなく、触れても形が崩れず、持久力もありそうで、しっかり「質感」のあるものが「沫餑」なのである。

画像の説明
  (写真3)

 実は日本の煎茶でも、中国の現代緑茶でも、一定の条件が揃えば、同じような「沫餑」が点てられる。これについては、次回紹介することにする。

 (大学教員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧