【コラム】中国単信(95)

中国茶文化紀行(32)茶と花のコラボ――歴史も長く種類も豊富

趙 慶春

 花茶の発明は中国の南宋時代(1127~1279年)にまで遡れることはすでに紹介した。しかし、現代の花茶の概念や「窨花」などの製造方法にとらわれず、「茶と花のコラボ」だけで見れば、その歴史は北宋(960~1127年)や唐代(618~907年)にまで遡ることができる。しかもそのコラボの様式も極めて多彩だった。そこで唐代、宋代の茶詩を中心に千年以上前の「茶と花のコラボ世界」を紹介することにする。

 唐代に著名な『茶山貢焙歌』を残した李郢には、もう一首『酬友人春暮寄枳花茶』という茶詩がある。詩のタイトルから分かるように友人が「枳花(ダイダイの花)茶」を贈ってきた返礼として書いた作品である。この「枳花茶」の詳細は不詳だが、「金餅拍成和雨露」(雨露で調和し、たたいて金餅茶となる)という詩句から花を入れた固形の餅茶の可能性が高い。

 また、同じ唐代の徐夤は茶詩『輦下贈屯田何員外』に「菊待重陽拟泛茶」(菊は重陽を待って茶湯に浮かばせようとする)と詠んでいる。重陽の節句(9月9日)で菊の花を茶湯に入れて飲む習慣があったようである。
 宋代になると、「茶と花のコラボ」に関する茶詩が一気に増え、筆者の調査では42首に及ぶ。この42種の茶詩は次のように5種類に分類できる。

一、製茶の段階で花類を入れる
 陸游の『題徐渊子環碧亭亭有茶山曾先生詩』に
  「速宜力置竹葉酒,不用更瀹桃花茶」(すばやく竹葉酒を準備しておいてよく、更に桃花茶を淹れる必要はない)とある。
 周南の『山家』詩には
  「枳花茶似雪,留客共湘瓷」(枳花茶は雪に似ていて、客を留めてともに湘瓷の茶器で茶を淹れよう)とある。
 また、張栻の『芭蕉茶送伯承伯承賦詩三章次韻』詩と曾几の『張耆年教授置酒官舍環碧散步上園煎桃花茶』詩もこの類に属する。
 詩の体裁に制限され、製茶法はわからないが「桃花茶」「枳花茶」「芭蕉茶」など花の名前を冠しており、製茶段階で花を何らかの形で茶に入れたという可能性が高い。

二、花の香や香料を入れる。
 陳克の『観銭徳嘗書画』詩に
  「老子眼寒俱不識,労君煎点入香茶」(私は眼識がなく知識もないので、君にすまないが香入りの茶を点ててください)とある。
 葛立方の『衛卿叔自青晹寄詩一卷以飲酒果核殽味烹茶斎戒清修傷時等為題皆紀一時之事凡十七首為報』詩に
  「識取真腴那得忙,不是沙溪不入香」(茶の真の味を鑑別するのに忙しく、北苑沙溪産の茶ではないと香を入れない)とある。
 また、釈居簡の『贈製香蝋茶者』詩には「香蝋茶」の文字がある。「香蝋茶」も「入香茶」も恐らく前述の蔡襄『茶録』に記された「龍脳香」入りの固形団餅茶であろう。

 趙蕃の『曾秀才送茶』詩に
  「曾郎惠我尽清供,椀把春風香并蘭」(曾郎から贈られたものはどれも清供で、茶碗に春風とともに蘭の香が漂う)とある。
 趙汝域の『詩二首』に
  「調琴独奏猗蘭操,啜茗清飄茉莉香」(琴を調整し猗蘭操を独奏して、茶を啜ると清らかな茉莉香が漂う)とある。
 また、周麟之と李洪にそれぞれ『以珠子香建茶寄皖公山馬先生』と『飲桂香茶簡翁及甫』茶詩がある。詩題にある「珠子香」は珠蘭(チャランの花)の香であり、「桂香」(キンモクセイ)の香である。この「珠子香建茶」と「桂香茶」が現代の「窨花」や「提花」技術で花は入らず香だけの花茶なのか明確ではないが、可能性としてこの種類に入れた。

三、喫茶の時、直接茶湯の中に花を入れる。
 徐積の『和蒋龍図』詩に
  「先看陶家栁、次看陶家菊。茶中許投花、坐上呼燃燭」(まず陶家の柳を見、次は陶家の菊を見る。そのあと茶に花を入れ、座席に人を呼んで蝋燭を灯す)とある。
 郭祥正の『陳安止遷居三首』詩に
  「石坐襯枯蒲,茶甌泛新菊」(石に座る時枯れた蒲でできた座布団を敷き、茶甌に新菊が浮かぶ)とある。
 徐照の『菊』詩に
  「蕊浮茶鼎沸,色染道衣黄」(菊蕊が沸いた茶鼎に浮かび、道衣を黄色く染める)とある。
 茶湯に入れる花は例示した茶詩でわかるように、菊の花が特に多く、梅の花を茶湯に入れることもある。

四、茶と花の重きを置く薬膳茶。
 陸游の『冬夜与溥庵主説川食戯作』に
  「何時一飽与子同,更煎土茗浮甘菊」(いつか君と同じく腹一杯食べた後、更に土茗を煎じてその上に甘菊を浮かばせる)とある。
 甘菊が中国伝統の漢方薬であり、この詩は四川地域の独特の飲食物を謳いながら茶と甘菊の薬効性にも目を向けている。

五、花を浸した水で茶を点てる。
 釈居簡『早課』詩に
  「井花嫩煮熨梅花,先酌芳甘注佛茶」(軽く乾燥させた梅の花を井戸の水で煮て、その芳しく甘い煮出し汁を汲んでまず仏様に供える茶をいれる)とある。
 仏様に茶を供えるのは早課(朝の日課)だが、作者の釈居簡には「花を煮た湯で茶をいれて仏様に供えることこそ早課」であり、風流を兼ねた信仰心と言えそうである。

 戴昺の『賞茶』詩に
  「自汲香泉带落花,漫焼石鼎試新茶」(自分で香泉を汲んでくると、その水に落花あり、そのまま石鼎の水を沸かし、新茶を試す)とある。いつの間にか花が入っている水で茶を淹れたというのである。
 李龏の『梅花集句』詩に
  「花落煎茶水,疏叢蝶未過」(花が煎茶用の水に落ち、疎い梅樹の叢を蝶々が通過しない)とある。
 黄庚の『贈通玄観道士竹郷』詩に
  「雲屋苔封焼薬竈,風林花落煮茶鐺」(雲に隠れた屋で苔は薬を煮る竈を覆い、風林で花は茶を煮る茶鐺に落ちる)とある。

 偶然、花が落ちてきた水をそのまま茶に使うとは、自然を愛した古代茶人にとって、無意識な行為で、あり溢れた風情かもしれない。
 古代茶人にとって、茶はただの日常の飲み物ではなく、優雅、風流のシンボルでもあった。「茶と花のコラボ」は優雅、風流追求の表れに違いない。

 最後にもう一首の茶詩を見ておく。徐一山の『偶成』詩に
  「枯腸不受春風膩,莫汲花辺水煮茶」(枯腸は春風のしつこさに耐えられず、花辺の水を汲んで茶を煮てはいけない)とある。
 「枯腸」は「飢えてひからびた腹」と「詩情の乏しいこと」の意味がある。しかし、「枯腸」と茶が並ぶと、否応なしに盧仝の『走筆謝孟諌議寄新茶』詩の次の描写を思い浮かぶ。
 「一碗喉吻潤。     一碗は喉吻潤い。
  两碗破孤悶。     両碗は孤悶を破る。
  三碗搜枯腸、     三碗は枯腸を捜せば、
  唯有文字五千卷。   唯だ文字五千巻有り。
  ・・・・・・
  七碗喫不得也、    七碗は喫して得ざるなり、
  唯覚两腋習習清風生。 唯だ覚ゆ両脇習習として清風の生ずるを。」とある。

 つまり、茶は「枯腸」を癒し、詩情を引き出す効果がある。「莫汲花辺水煮茶」という戒めの理由は花の香は茶の味や効果を害するからにほかならない。こうした主張は他に例がないが、宋代にすでに「花茶反対派が存在していた」のは紛れもない事実である。

 唐代、宋代、特に北宋時代の「茶と花のコラボ」の実態となると、史料不足のため、まだ不明な部分が多い。しかし、上記の例だけでも茶人たちが「茶と花のコラボ」を積極的に試みていたことがわかる。代々茶人たちのこのような試みの積み重ねこそ、現代花茶の集大成をもたらしたことはまちがいない。

 (大学教員)

(2021.09.20)
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