【コラム】中国単信(99)

中国茶文化紀行(36)茶の心身健全効果と薬効②

趙 慶春

 唐代以前の早期段階における喫茶効能についてすでに紹介したが、ここでは茶の薬用をめぐる唐宋時代の喫茶効能について、その継承、発展と変遷を紹介したい。
 唐宋時代になると、喫茶文化は庶民にまで普及、定着した。これに従い、喫茶効能の認識も次第に定着していった。すでに紹介した「体質改善」「精神促進」「病気治癒・改善」の三大類、十一小類はいずれも引き継がれていたが、「体質改善」と「精神促進」が定着するについては盧仝の「茶歌」が大きい役割を果たした。

 一、「体質改善」について

 盧仝の「茶歌」の『走筆謝孟諌議寄新茶』にある有名な「五碗肌骨清、六碗通仙霊、七碗喫不得也、惟覚两腋習習軽風生……蓬莱山、在何処、玉川子、乗此清風欲帰去。」(五碗飲めば、肌骨は清らかになる。六碗飲めば、仙霊に通じる。七碗を飲んではいけない、唯だ両脇に習習として清風の生ずるのを覚える……蓬莱山、何処に在りや、玉川子、この清風に乗りて帰り去らんと欲す。)」は「軽身換骨」と同じ意味である。
 「蓬莱山」は中国道教では、仙人が住む山であり、仙人になると清風に乗って飛昇すると言われている。これは「軽身」と呼応している。つまり「軽身換骨」は茶の効能ではあるが、茶と道教の接点でもある。

 盧仝はもう一首、『憶金鵝山沈山人二首(その一)』の中で「一片新茶破鼻香……歯下領取真長生……白日上昇応不悪……薬成且輒一丸薬……暫時上天少問天……」(新茶の香りが鼻を直撃するほど……歯のもとで真の長生を獲得しよう……白日でも昇天(意識上の得度)すればきっと悪くない……薬ができてもそのままにしておけばよい……  一時的にでも天に上れば、天に問うことをしないで済む……)と詠んでいる。

 道教では薬を練って不老長寿と仙人になることを追求する。茶はその薬の代わりになるし、茶で真の長寿や昇天が得られるとしている。これは後世の茶人に継承されていった。
 宋代の蘇軾の『游諸仏舍一日飲釅茶七盞戯書勤師壁』詩はその代表例である。

  示病維摩元不病、  病を示す維摩詰はもともと病でない、
  在家霊運已忘家。  家にいる謝霊運はすでに家を忘れている。
  何須魏帝一丸薬、  どうして魏帝の一丸薬を必要とするか、
  且尽盧仝七碗茶。  まず盧仝の七碗茶を尽くせ。

 「魏帝一丸薬」は魏文帝・曹丕の『折楊柳行』に依拠している。

  西山一何高、    西山はなんと高いことか、
  高高殊無極。    非常に高くて極まりがない。
  上有两仙僮、    上に二人の仙僮がおり、
  不飲亦不食。    飲むこともしないし、食べることもしない。
  与我一丸薬、    私に一丸薬を与え、
  光耀有五色。    五色に光る。
  服薬四五日、    この薬を飲んで四五日、
  身体生羽翼。    体に翼が生じるようになった。

 この詩から「魏帝一丸薬」は仙人になる仙薬、あるいは道家の長寿不老の仙薬を指すようになった。こうして茶は仙薬の代替物、いや茶は仙薬という捉え方が次第に定着した。
 ただ、茶に込められた「軽身換骨」「仙薬」の概念は喫茶効能で言えば、まだ抽象的な表現で、唐宋時代には茶の養生と美容効能がだんだん認識し始められた。

 李白の『答族侄僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序』の序文に「其水辺,処処有茗草羅生,枝葉如碧玉。惟玉泉真公常采而飲之,年八十余歳,顔色如桃花。而此茗清香滑熟異于他者,所以能還童振枯扶人寿也。」(その水辺の所々に茶は叢生し、枝葉が碧玉のようだ。ただ玉泉真公だけ常にこれを取って飲む。年が八十あまりにして、顔色が桃の花のようだ。この茶は清香を有し、他の茶と異なって滑らかで、人間の加齢を抑え、若返りさせることができるからである)とある。

 包佶の『抱疾謝李吏部贈訶黎勒葉』詩に「……茗飲暫調気,梧丸喜伐邪。幸蒙祛老疾,深愿駐韶華。」(茗飲は暫く気を調節し、梧丸薬は喜んで邪毒を伐ってくれた。これに頼って幸い老病を駆除してくれて、深く美しく輝かしさを保つのを願う)とある。

 ほかには、茶の「雑念を追い払う」「神経を和らげる」「憂いを払う」「鬱憤を解消」など「人間の神経意識」に関する効能や、肝臓脾臓機能向上など「肉体」に関する認識効能も記録されている。これらは養生とも言えるが、具体的な漢方医学療法との関連がより強いので、次の「病気治癒・改善」で紹介する。

二、「精神促進」について

 茶の精神促進効能については、すでに「眠気抑制」「創作力促進、記憶力増強」「脳の活発化」「頭の清澄化」と細分類して紹介した。眠気や酒酔いから喫茶で「頭をすっきりさせ」、平常状態で「脳が活発化」して、「創作力促進、記憶力増強」できる、というわけで、互いに関連性があるとも、応用での注視点が異なるとも言える。要するに、茶は脳神経を刺激し、精神向上、精神興奮といった効能があるということになる。

 唐宋時代になると、四細分類の中の二つはより重視され、よく言及されるようになる。一つは「眠気抑制」で、もう一つは「文学創作促進」である。前者は茶のもっとも広く、長く言われている効能である。後者は唐宋時代の茶人のもっとも重視する喫茶効能になっていたと言える。これはやはり盧仝の「茶歌」『走筆謝孟諌議寄新茶』によるところが大きい。

  「三碗搜枯腸、    三碗は枯腸を捜せば、
  唯有文字五千卷。   ただ文字五千巻有り。」

 これは茶詩の絶唱であり、「搜枯腸」「文字五千卷」を喫茶効能の代表格に押し上げた。古代において、喫茶文化を含む文化の創作、伝播、記録の担い手は基本的に文人(主に文系知識人)であり、また主な茶人も基本的に文人である(茶人には僧侶も多かったが、僧侶は基本的に知識僧で文人とも言える)。
 茶が脳のひらめきをもたらすと考えていた唐宋茶人が「文学創作促進」効能を何より重視したのは当然だろう。しかし、現代では茶のさまざまな効能が紹介されているが、この「文学創作促進」には意外にもあまり触れられなくなっている。理由として、茶人の多様化が考えられるが、少し寂しい気もする。

 (大学教員)

(2022.1.20)
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