【コラム】中国単信(104)

中国茶文化紀行(41)「元王朝時代の喫茶文化の特徴」

趙 慶春

 今回から元王朝時代の喫茶文化を紹介することにしよう。
 これまでに唐代以前、唐代(618~907年)、そして宋代(「北宋」(960~1127)、「南宋」(1127~1279)、907~960年は「五代十国」と呼ぶ)の喫茶文化を紹介してきた。
 唐代以前は中国というより世界喫茶文化の萌芽期であった。
 唐代は陸羽の『茶経』出版、煎茶法の確立、盧仝の喫茶における精神的境地の追及、喫茶習慣の全国への普及などで喫茶文化の確立期だった。
 そして、宋代は芸術性に富んだ点茶、分茶文化の発展、さらに精美、繊細な団餅茶(塊の固形茶)の製造技術の向上などで喫茶文化の最高峰時期と言われている。

 宋代の喫茶法がその後、日本に渡り、日本茶道の源流になったのはよく知られている。一方、中国では宋代の後に元代、明代、清代と王朝が続くが、明代には固形茶から「散茶」が主流となり、これに伴って茶の粉も一緒に飲む喫茶法から茶の浸出液を楽しむ喫茶法(中国では「撮泡法」という)が主流となった。「撮泡法」もまた日本に伝わり、煎茶道の源になった。「清代」以降は基本的に「明代」の「撮泡法」が継承され、現在では「緑茶、紅茶、ウーロン茶、黒茶、黄茶、白茶」の六種類の茶が生まれている。

 「唐、宋」と「明、清」の間に挟まれた「元代」の喫茶状況は喫茶文化の重要な転換期と言える。しかし、この元代の喫茶事情について今までほとんど研究されず、謎に包まれている。その理由は単純明瞭で、次の二点が挙げられる。

① 元代には専門茶書がない。陸羽の『茶経』、宋代の徽宗皇帝の『大観茶論』をはじめ、唐宋時代の専門茶書は56冊と豊富である(散逸も含む、以下同)。明清時代の専門茶書は83冊にも及ぶ。しかし、元代での専門茶書は皆無である。元代が短かったことに関係すると思われる。元王朝は1279年に建国されたが1368年に滅びたので、わずか89年間の短い王朝だった。宋代の319年間とは比べ物にならない。

② 元代はモンゴル族による政権で、「正統・主流」と自認する漢民族から見れば、異民族政権である。また喫茶文化は漢民族を「正統・主流」とする潮流によって、元代喫茶文化が軽視された可能性もあり、元代の喫茶史料整理があまり熱心に行なわれていなかったのは事実である。

 しかし、筆者は『全元詩』(14万首余)に目を通して、喫茶に関わる茶詩を収集したところ、〝意外〟にも3,003首を集められた。〝意外〟と言ったのはこの数字が筆者の予測を遥かに超えていたからである。319年間の茶詩が5,517首(筆者統計)だった宋代に対し、わずか89年間の元代に3,000首を超える茶詩が創作されていたのは、元代も豊かな喫茶文化があったことを物語っている。
 現在、元王朝の3,003首の茶詩を精査し、注釈作業を進めているが、ここでは元代茶の特徴とその全体像を少しずつ紹介していく。

 まず元代茶の特徴をいくつか列挙してみる。
(1)中国製茶技術の最高峰とも言われ、宋代に比類ないほど歓迎された北苑「龍団鳳餅」茶が元代では次第に下火となる。
(2)日本茶道の源流になる「点茶法」が次第に姿を消していった。
(3)茶湯に他の飲食物を入れる「添加茶」は、添加飲食物の種類は減少した(モンゴル族の飲食習慣の影響で乳製品、羊などの肉類に集約されたと思われる)が、「添加茶」の飲用習慣は一般民衆の間にさらに浸透、拡大した。

 「添加茶」の添加物から喫茶の世界伝播ルーツが究明できると筆者は考えていて、喫茶の世界伝播ルートは二つあると思われる。一つは陸上ルート。元王朝時代前後にモンゴル人の世界大進出に始まり、20世紀初頭まで続いた。その範囲は中央アジアから欧州東部など広範囲に及んだ。その特徴は茶の湯に各種の乳製品、肉、煎り米などを入れものであった。もう一つは海上からで、18、19世紀に中国、日本からヨーロッパやアメリカなどへの輸出ルートであった。その添加物はやがてヨーロッパで考案されるミルクと砂糖であった。
 このように各国の添加物の種類とその変遷を追究すると、喫茶の世界伝播ルーツが明らかにできるにちがいない。ただし、この調査には多大な時間と調査資金が必要だろう。

(4)「添加茶」とは真逆の茶湯に飲食物を何一つ入れない「清飲」の喫茶概念は元代に誕生した。
(5)唐、宋代と異なり「党進金帳羊羔酒・陶谷学士雪水茶」という典故はよく引用され、最も親しまれていた。ちなみに唐、宋代によく引用された典故は「酪奴」だった。
(6)唐、宋代に比べて茶の植物的特徴や製茶に関する詩が極めて少ない。飲茶と製茶の文化的な分離が起きていると思われる。
(7)抹茶のように、茶の粉を飲むのではなく茶の浸出液を飲む喫茶法が次第に増えた。
(8)「茶色」は茶の湯の色という意味ではなく、「色」の一種としてその用例が見られる。
(9)「茶禅一味」の概念は元代に初めて誕生した。しかも「頓悟禅」だけでなく、仏法の「実証修行」も喫茶と結びついた。
(10)上記「茶禅一味」の概念は中国の後世の喫茶文化に与えた影響は少ないが、日本の五山文化への影響が大きく、日本茶道の形成に役立ったと考えられる。これこそ日中茶道の分岐点になったと思われる。

 次回からは、元時代の茶詩に基づいて上記の特徴などについて分析し、元代の喫茶状況を紹介しながら、元代はどのような喫茶文化の過渡期を歩んだのか覗いてみたい。

 (大学教員)

(2022.6.20)
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