【コラム】中国単信(108)

中国茶文化紀行(45)「元代の中国人はどんな茶を飲んでいたのか?」

趙 慶春

「点茶」と「龍団鳳餅」という中国歴史上の最高の喫茶法及び製茶を紹介してきたので、宋代や元代の中国人は専ら団餅茶(塊の固形茶)を飲んでいたとの誤解を与えたかもしれない。だが、中国では宋代から大規模な国営水磨茶場(水力を利用して茶を挽く)を稼働させ、「粉末茶」を生産していた。それは元代にも継承され、「粉末茶」が生産されていたのである。しかも、この「粉末茶」は一般人用だけでなく、「献上茶」としても用いられた。
 「龍団鳳餅」の代表と言える北苑茶ほど有名ではないが、元代の銘柄茶を紹介しよう。
 元代の忽思慧が著した『飲膳正要』は、中国初の栄養学、食育学の専門書だが、その中で当時の代表的な銘柄茶を取り上げている。著者の忽思慧は長い間、元代宮廷のお抱え医師として飲食栄養、養生療育を担当したので、『飲膳正要』に記された茶は「献上茶」であったと思われる。
「范殿帥茶」:「系江浙慶元路造進茶芽,味色絶勝諸茶」(江浙慶元路で製造し、宮廷に献上した芽茶で、味や色がこれに勝るものはない)
「紫笋雀舌茶」:「選新嫩芽蒸過,為紫笋。有先春、次春、探春,味皆不及紫笋雀舌」(若葉の新芽を選び、蒸して紫笋茶とする。先春、次春、探春などの銘柄もあるが、味は紫笋雀舌に及ばない)
「金字茶」:「系江南湖州造進末茶」(江南の湖州で製造し、宮廷に献上した粉末茶である)
「玉磨茶」:「上等紫笋五十斤,篩筒净,蘇門炒米五十斤,篩筒净,一同拌和匀,入玉磨内,磨之成茶」(上級紫笋茶五十斤、篩にかけて綺麗にしておく;蘇門の炒り米五十斤、篩にかけて綺麗にしておく;二つを混ぜて攪拌して、玉磨の中に入れて磨いて茶と成る)
  
「范殿帥茶」と「紫笋雀舌茶」は芽茶で、いわゆる今の散茶である。「金字茶」は粉末茶で、「玉磨茶」は炒り米も入っている添加粉末茶である。元代の茶の種類が豊富だったことが伺える。また、「金字茶」や「玉磨茶」を原料茶とする再加工茶もいくつかある。

「酥签」:「金字末茶两匙頭,入酥油同攪,沸湯点服」(金字末茶二匙に酥油を入れて混ぜて、湯を注いで飲む)
「蘭膏」:「玉磨末茶三匙頭,麺、酥油同攪成膏,沸湯点之」(玉磨末茶三匙に小麦粉と酥油を入れてドロっとするまで混ぜて、湯を注いで飲む)
「建湯」:「玉磨末茶一匙,入碗内研匀,百沸湯点之」(玉磨末茶一匙を茶碗に入れて細かく均等にすり潰し、沸騰している湯を注いで飲む)
 
「酥签」、「蘭膏」、「建湯」諸茶は宮廷で利用されたのみならず、民間でもよく飲まれていた。これに関する資料をいくつか見てみよう。

【酥签】
 元曲の李寿卿《月明和尚度柳翠》第二折:“〔正末云〕你也道的是。疾,兀的不是個茶房。茶博士。造個酥签来。”(〔正末のセリフ〕あなたの話も一理あるわ。あら、あそこに喫茶店があるじゃないか。茶博士(喫茶店のスタッフに対する呼び方)、酥签茶を一つください。)
【蘭膏】
李德載《贈茶肆》:
茶煙一縷軽軽颺。   一筋の茶煙が静かに立ち上り、
攪動蘭膏四座香。   蘭膏茶をかき混ぜれば満室の香り。
烹煎妙手賽維揚。   調理の腕前は維揚など大都市の達人にも勝る、
非是謊。下馬試来嘗。 うそではない。馬を降りて味わってみよ。
 ちなみに詩題の「茶肆」は喫茶店のことである。

【建湯】
関漢卿《銭大尹智勘绯衣夢》(《王閏香夜月四春園》)第三折:
〔做見科。三婆〕我道是誰,原来是司公哥哥、魔眼鬼哥哥。二位哥哥,喫個甚麽茶?(〔相手を見かけた仕草をする。三婆のセリフ〕誰かと思ったら、司公哥哥と魔眼鬼哥哥ではないか。二人の哥哥、茶は何にする?)
〔竇鑑云〕你説那茶名来我聴。(〔竇鑑のセリフ〕置いてある茶の名前を一通り教えてください。)
〔正旦云〕造两個建湯来。(〔正旦のセリフ〕建湯茶を二つください。)
 
 そのほか『飲膳正要』には記されていないが、元代には「鳳髓」というブランド茶がある。 楊允孚《濼京雑詠》(其二)
嘉魚貢自黒龍江,  よい魚が黒龍江から貢がれてきた、
西域蒲萄酒更良。  西域の蒲萄酒は更によい。
南土至奇誇鳳髓,  南土の至上の奇品は鳳髓茶であり、
北陲異品是黄羊。  北部の異品は黄羊である。
(元注:黒龍江,即哈八都魚也。鳳髓,茶名。黄羊,北方所産,御膳用。)(元注:「黒龍江」とは哈八都鱼である。「鳳髓」は茶名である。黄羊は北方の所産で、御膳に供する。)
 ちなみに「鳳髓茶」も「酥签」、「蘭膏」、「建湯」諸茶と同じく「酥油」など乳製品入りの添加茶である。
 
 上記諸資料から、少なくとも下記の三点が分かる。
(1)宮廷でも民間でもよく「酥油、炒り米、炒り小麦粉」を入れる。これは元王朝の統治者だったモンゴル族の飲食習慣と深く関係があり、元代喫茶の一大特徴だと言える。ちなみに、現代のモンゴル喫茶にも「酥油、炒り米、炒り小麦粉」などがよく使用されている。
(2)宮廷でも民間でもよく「粉末茶」を消費した。むしろ「酥油、炒り米、炒り小麦粉」を入れるために「粉末茶」をよく利用したとも考えられる。
(3)「酥油、炒り米、炒り小麦粉」などを入れると、かき混ぜることになる。ただし、これはあくまでよく溶かすためであり、「泡鑑賞」のための「点茶」と目的が大きく異なることは言うまでもない。
 そもそも、「酥油、炒り米、炒り小麦粉」などを入れると「泡鑑賞」は不可能になる。元代のこうした喫茶習慣が「点茶」及び「龍団鳳餅」凋落の大きな要因だったのだろう。

(大学教員)
(2022.10.20)
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