【コラム】中国単信(114)

中国茶文化紀行(51)「宋代の添加茶③果実類、日常食品など」

趙 慶春

 前回に続き、宋代添加茶について紹介する。

四、果実類を添加する
「松の実」
 韓淲の茶詩『晴窓』に「泥爐擁瓦缶、熟此蟹眼湯。茶甘汎松實、舌本味亦長」(泥爐の上に瓦缶を据え、蟹眼の湯を熟させていく。茶の湯に松の実を浮かせると甘く感じ、舌の奥に長く残る)とある。
尹直卿の『寿侄』茶詩に「金瓮荼蘼香作酒、玉甌松子肉為茶」(金瓮で香っている荼蘼を以て酒を造り、玉甌にて松の実を以て茶と為す)とある。

「楊梅」(ヤマモモ)
 項安世の茶詩『楊梅』に「蔗糖煎実茗煎仁、枯臘猶堪詫児女」(蔗糖を以て楊梅の実を練り、喫茶の時、実を煎じる。万物が枯れる十二月でも子供をびっくりさせる)とある。

「塩梅」
 張孝祥の茶詩『枢密端明先生寵分新茶将以麗句穆然清風久矣不作感歎之余辄敢属和』に「伐山万鼓震春雷、春郷家山挽得回。定自君王思苦口、便同金鼎薦塩梅」(茶摘みのための山開きに数多くの太鼓が春雷のように響き渡り、故郷の春でも引き留められるようだ。きっと君主が茶を望むところ、すなわち金鼎で塩梅と一緒に煎じる。)とある。

「橄欖」(カンラン)
 陸游の茶詩『午坐戯詠』に「貯薬葫蘆二寸黄、煎茶橄欖一甌香」(薬を貯えるのが二寸の黄色い瓢箪であり、茶を煎じて橄欖と一つの茶甌で香る)とある。
劉過の茶詩『都中留随州李判官』に「茶添橄欖味、酒借蛤蜊香……倒囊煩厚載、帰遣北人嘗」(茶に橄欖の味を添えて、酒は蛤蜊の香を借りる……煩わしいがほかの荷物を割愛してこれらをいっぱい入れて、帰って北方の人間に味わってもらおう)とある。
 黎廷瑞の茶詩『花時留郡帰已初夏事』に「浮名未値蒲萄酒、晚味思参橄欖茶。」(浮名は葡萄酒に値しないが、夜の味として橄欖茶を味わいたい)とある。

「橘」
 葛立方の茶詩『次韻陳元述見寄謝茶』に「青縷宜嬰石穴神、姜塩藙橘豈容親。湯鳴鼎甗颼颼響、末下刀圭瑟瑟塵。」(ひとすじの青い煙が石穴の神にとりまき、姜・塩・藙・橘などは茶湯となじまない。茶鼎の中の湯がシュッシュっと鳴り、匙で入れる粉茶は触れ合う麹かびのようだ)とある。なお「藙」は「食茱萸」とも言い、カラスザンショウのことである。

五、原始的な添加物
 上記紹介したほか、「麝香」「葫荽」(パクチー)「菊脳」(野菜類)などを茶の湯に入れる場合もある。また、茶の湯に「樹芽」や「竹の葉」などを加える原始的な利用例も見られ、茶も樹木の葉であり数種類の木の葉を混合して飲むわけで、非常に興味深い。例えば、劉跂の『舍弟寄茶』詩には

 「吾弟餉人真不悪、  我が弟の贈り物は本当に悪くなく、
 建芽来自禁煙前。  送ってきた建州の芽茶は寒食前の早茶である。
 一杯未易陽侯厄、  一杯だけで水厄になる術もなく、
 四两応爲蒙頂仙。  四两を以て茶の名産地の蒙頂山の仙人になるべし。
 病子頭風如得薬、  片頭痛の私にとって薬を得た如き、
 酒家中聖殆忘眠。  酒屋の中の聖人たちもほとんど眠りを忘れてしまう。
 平頭奴子堪缾椀、  下僕が湯瓶や茶椀などの道具を任せられ、
 可帯樵青竹葉煎。」 女婢を連れて竹の葉と一緒に煎じてもよし」

とある。

 方一夔の『溪上』詩には「早麦熟随芹菜餉、晚茶香和樹芽蒸。」(早麦が炊き上がり芹をおかずにして食べる。晩茶が香り、樹芽と一緒に蒸す)とある。
 何の木の芽かわからないが、原始的な生活ぶりと田園風景が鮮やかに浮かんでくる。現在でも竹や笹の葉が代用茶として利用されるのは珍しくない。

六、日常食品との融合
 宋代添加茶の代表と言えば、「胡麻」「各種の乳製品」「肉類」だが、これらは日常食品と融合して、大きく発展し、後世に多大な影響を及ぼした。現在でも多くの人びとに愛されている添加茶三大銘柄–––「八宝茶」「擂茶」「モンゴル奶茶」のいずれも宋代に遡ることができる。興味深いのはこの三大銘柄に共通しているのが胡麻である。
 宋代茶に胡麻を添加する史料は多く、多用されていたことを示している。いくつか見てみよう。

 釈道寧『偈六十三首』
 「南北東西万万千、  南北東西に万万千の事相があり、
 趙州待客豈徒然。  趙州和上の客をもてなしも意味がある。
 莫嫌冷淡無滋味、  あっさりして味がないのを嫌わず、
 慣把脂麻一例煎。」 慣習として胡麻と一緒に煎じる」

 陳造の茶詩『呈趙帥』に「茅屋新成容寄宿、麻茶初熟仍見分。」(茅屋が新しく完成し、客の寄宿を認め、胡麻茶は出来上がったばかりで、また分けてくれる)とある。

 韓淲の『十五日斎素』詩に「清晨却葷茹、茗事煎胡麻。」(朝、においの強い野菜を食べず、胡麻を煎り喫茶にする)とある。
宋伯仁の『村市』詩に「苜蓿重沽酒,芝麻旋点茶。」(うまごやしがあるのでふたたび酒を買い、胡麻ですばやく茶を点てる)とある。

林希逸の『朔斎惠龍焙新茗用鉄壁堂韻賦謝一首』に
 「天公時放火前芽、    神様は時に寒食前の茶芽を放つ、
 勝似優曇一度花。……  月下美人の年に一度の花にも勝る……
 八椀能令風両脇、    八碗飲めば両脇に風が生じさせ、
 底須餐菊飯胡麻。」   やはり菊と胡麻を一緒にしなければ」
 とある。
 黄庭堅の茶詩『謝劉景文送団茶』に「個中渴羌飽湯餅、鶏蘇胡麻煮同吃。」(こう見れば羌などの民族は湯餅など麺類に飽き、鶏肉のでんぶと胡麻と一緒に煮て飲む)とある。
 
 上記のように、胡麻が幅広く使われていたことがわかる。胡麻はそのまま茶の湯に入れたり、煎り胡麻にして入れたりした。また、ほかの飲食物と一緒に茶の湯に入れて飲む場合もあった。胡麻と一緒に茶の湯に入れる物は次第に固定していき「八宝茶」「擂茶」「モンゴル奶茶」など少数民族あるいは一定地域の茶飲料となっていった。その詳細は次回からとする。

 大学教員

(2023.4.20)
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