【コラム】中国単信(125)

中国茶文化紀行(62)

「茶代酒」と「酒代茶」                                 
趙 慶春
 
 「代茶」、「代茶飲」、「代用茶」については、前に触れたことがあるが、このような「代」を使う単語は中国語では少なくない。例えば、最近メディアに頻出する「代購」は本来は遠方の知人の依頼を受けて人気商品を購入し、知人に郵送する行為を指すのだが、今はソーシャルバイヤーを指すようになっている。そのほか「代駕」(飲酒などの理由で代わりに運転する)、「代筆」(代わりに書く)、「代収」(代わりに受け取る)、「代理」(代わりに処理する、担当する)、「代売」(代わりに売りさばく)、「代言人」(代わりに発表する人)等々がある。また、「代我向你的家人問好」(私に代わってご家族によろしくお伝えてください)という常用の挨拶語にも使われている。
 このように「代」とは、誰かあるいは何かの代わりに行うという意味であるが、これに倣えば、「以茶代酒」(茶代酒)という言い方がある。「茶を以て酒の代わりにもてなす」という意味で現在、幅広く使われているが、この場合、酒を用意してもっと丁重にもてなすべきなのだが……というニュアンスが含まれている。
 そこで今回は「茶代酒」と、その反対の「酒代茶」の歴史的変遷を見てみたい。
 
 中国で最初の「茶代酒」の記述は三国時代に現われている。
孫皓は饗宴を一日中、費やして開くのが常だった。宴会に出た者は、誰もが酒を七升飲まなければならず、飲み切れない者は無理やり口に注がれた。韋曜は二升以上は飲めなかったが、孫皓の寵愛を受けていた時期、少量で許され、あるいは密かに茶を賜って酒に代えたとの記録がある。この場合の「茶代酒」は「酒が飲めない」という大きな理由があった。
 唐代に入ると、日常生活での「茶代酒」が増えてきている。
 孟浩然「清明即事」
  ……
  空堂坐相憶, 誰もいない堂に座り追憶し、
  酌茗聊代醉。 茶を酌して聊か酒に代える。
 
 白居易「宿藍溪対月(一作宿藍橋題月)」
  昨夜鳳池頭, 昨夜鳳池のほとりにいた。
  今夜藍溪口。 今夜藍溪口にいる。
  明月本無心, 明月はもともと無心。
  行人自回首。 行人は自ら顧みる。
  新秋松影下, 初秋の季節、松の影の下、
  半夜鐘声後。 夜中の鐘音の後で。
  清影不宜昏, 清影は昏酔に宜しからず、
  聊将茶代酒。 聊か茶を以て酒に代える。
 
 柳宗元「同劉二十八院長述旧言懐感時書事奉寄澧州張員外使君五十二韻之作因其韻增至八  十通贈二君子」
  ……
  勧策扶危杖, 勧められた杖によろよろ頼り、
  邀持当酒茶。 さそわれて酒代わりの茶を持つ。
  ……
柳宗元「巽上人以竹間自采新茶見贈酬之以詩」
  ……
  咄此蓬瀛侶, この蓬瀛の連れ(茶の例え)に驚き、
  無乃貴流霞。 もう酒を貴ぶことがない。
 
 陸亀蒙「襲美留振文宴亀蒙抱病不赴猥示倡和因次韻酬謝」
  綺席風開照露晴, 綺席が風とともに開き、露を照らし晴れ、
  只将茶荈代云觥。 ただ茶を以て酒に代える。
  ……
 
 唐代の「茶代酒」が登場する茶詩はこれですべてである。少ないと思う向きもあるかと思うが、唐代には「酒代茶」の茶詩は皆無で、その出現は宋代まで待たなければならない。
 宋代になると「茶代酒」の茶詩も「茶と酒が並んで謳われている」茶詩もある一方、「酒代茶」類の作品も現れている。
 邵雍の「飲酒吟」には
時時醇酒飲些些, 時々醇酒を少々飲み、
頤养天和以代茶。 天和を養い、以て茶に代える。
とあり、同じく邵雍の「坐右吟」には
 ……酒少如茶飲,  酒が少ないので、喫茶の如く(ちびちび)飲む。
 詩多似史吟。……  詩が多く、史書を読むように吟じる。
 酒が少なければ、確かに惜しみながらちびちび飲むに違いない。これはまさに喫茶でも同様で、当時の喫茶場面が鮮明に浮かんでくるし、茶の貴重さも伺える。
 
 梅堯臣《與正仲屯田遊広教寺》
 ……酒杯参茗具, 酒杯を茶具の中に混ぜて、
 山蕨間盘蔬。…… 山蕨を野菜皿に入れる。
お寺では通常はお茶を飲むのだが、酒杯を持っていき、杯を傾けるという話であろう。そもそも「茶代酒」と「酒代茶」は同じレベルの話ではない。社会受容性の高い「格上」の酒と同じレベルになろうとする茶が「酒の代わりに茶を飲む」とするのには違和感はない。しかし、「酒代茶」となると、酒は茶のように誰でも飲めるわけではない。さらに茶はその場で飲むのが一般的であることを忘れてならない。そうでなければ、酒が茶の代替品として登場する話は成り立たない。つまり、茶が「定番」なのにそれに代わって酒という構図になるわけである。
同じく、「酒は茶に勝る」詩も「茶」「酒」の逆転現象を語っている。「酒勝茶」(「酒は茶に勝る」)の作品は数多くあるが、一首だけ例として見てみよう。
 洪適《答小隐聞野処開尊》:
  ……糸声自是不如肉, 糸竹の音は言うまでもなく肉に及ばず、
  酒薄須知大勝茶。…… 酒は薄くても大いに茶に勝つと知るべし。
 中国の文化論者はよく唐代文化は豪快で「酒文化」のようであり、宋代文化は繊細で「茶文化」のようだと言う。上記の史料からは「茶」の「地位」が宋代で「酒」に追いつき、あるいは追い越したように見える。
しかし、「茶と酒」のこの構図は元代になると、また新しい展開を見せてくるのである。

大学教員

(2024.3.20)
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