【コラム】中国単信(131)

中国茶文化紀行(68)

茶の性格(中)
趙 慶春
 
 「茶の性格」は命名者や定義者がいるわけではなく、歴史の積み重ねと、その蓄積、発展がもたらした結果である。ここでは前回に引き続き、宋代の要素について触れることにする。なお以下の番号は前回からの続きである。
 
(6)頓悟禅の方便品になる。
 「臨済の喝・徳山の棒・雲門胡餅・趙州茶」――禅宗四大公案の一角を「茶」が占めている。
 実は茶が禅に通じる指摘は唐代にすでにあった。
 皎然の「対陸迅飲天目山茶因寄元居士晟」には
 投鐺涌作沫、 茶の末を茶鐺に投ずれば湧いて沫ができ、
 着碗聚生花。 碗に入れれば凝聚して花が生じる。
 稍与禅経近、 いささか禅経に似ており、
 聊将睡網賒。 しばらく眠りを除いてくれる。
  
 宋代になると、「趙州茶」はこの概念をより一歩前進させた。
 仏教が目指している「悟り」の境地は宗教の域を超え、哲学の範囲をも遥かに超えている。この境地に関して、中国には「跳出三界外、不在五行中」という俗語がある。「三界」が「欲界」、「色界」、「無色界」を指し、人間は「欲界」に属しているが、「色界」、「無色界」はより「上」の天人、神、さらにその上の世界である。「五行」は宇宙構成基本要素の「金、木、水、火、土」のことで、「宇宙世界」を指す。つまり、仏教が目指しているのはこの「三界」の、「五行」の束縛から脱出し、「三界」も「五行」も超越している境地である。この境地は「悟り」とも、「如来蔵」とも、「本体」とも言われ、「永久不滅」で、仏の境地というより仏そのものである。これこそ「仏の教え」の核心であり、この「教えの核心」を目指して実践するのが僧侶であり、民衆の「生の迷い」を断ち、「信仰」を提供して生活をより「豊か」にするのは、この「教え」の応用であり、信仰提供の具体的な形は「仏教」であり、その具現化の代表は寺院である。仏教と寺院は民衆信仰のために必要であり、僧侶・僧団維持のためにも必要であった。

 しかし、数知れぬ僧侶の中で「悟り」の境地に達した大徳は何人いるのだろうか?凡人の智慧で大徳の境地を知るのは不可能だが、達成者は非常に少なく、極めて「まれ」ではないかと思われる。なぜなら「悟り」の教えは抽象的で、知識の積み重ねも、体験を基にしても、論理的な分析に従っても到底到達できる境地ではないからである。厳しい修業の上、智慧のひらめき(場合によって両者結合のタイミングも)が必要である。したがって禅宗は「不立文字、直指人心」として、文字や言葉、知識や論理、経験や心得に頼らず、ストレートで心(意識)に求めようとした。人間離れ(元々目指しているのが「人間を離れる」ことだ)の難しさなので、歴代大徳は弟子たちには相手の修業段階、智慧と受容性、素質、タイミングなどを勘案し、臨機応変に個別的に教えた。言い換えれば、教え方は千差万別で「悟る」のに同じ方法は通用しない。勿論、決まった方法もなく、教科書も不動の言葉もない。この臨機応変の手法が生まれたのは歴代の公案(禅宗における問答、あるいは問題)である。

 四大公案のうち、「臨済の喝」と「徳山の棒」は合わせて「棒喝」とも言い、既存の思考回路を打ち砕くほど激しい刺激を与え、智慧のひらめきを期待する方法である。「雲門胡餅」は身近で目立たないものにも「仏性」があると教える。そして、「趙州茶」は日常生活の毎日の営みに仏法があり、その営み自体が修業だと教える。「趙州茶」は下記の二重意味を持っている。

 その一、「仏の教え、如来蔵」は寺の大殿の仏像にあらず、西方極楽世界にもあらず、毎日の木魚、読経でもなく、日常生活の中に、毎日の「行、走、座、臥」、「一挙手一投足」にある。「喫茶去」はまさにこういう意味を集約している代表的な言葉である。
 その二、我々俗人はよく「悟った後は?」「悟った結果は?」「悟りの後は何をする?人間社会に留まる?」などと聞きたがるが、その答えも「喫茶去」であり、相変わらず日常の生活を送る。

 繰り返すが「茶が禅に通じる」ことは、唐代にすでに指摘されていた。

 白居易の「早服雲母散」には
 暁服雲英漱井華, 朝、井戸の優れる水で雲母散を服用し、
 寥然身若在烟霞。 (心)広々としていて、その身は山にいるようだ。
 薬銷日晏三匙飯, 薬(の影響)が消えておそい三匙のご飯を取り、
 酒渴春深一碗茶。 酒で渇き、春も深くなるところ一碗の茶を飲む。
 每夜坐禅観水月、 毎晩座禅して水の中の月を見、
 有時行酔玩風花。 時に酔って風花と遊ぶ。
 淨名事理人難解、 仏教の理論は人には難解である、
 身不出家心出家。 身は出家しないが心は出家する。
 とある。

 中国古代の文人は「人生の意義」「死の真相」を追求しているうちに、「仏の教え」としての永久不滅の「如来蔵」に対して憧れを持つようになった。しかし、文人として儒家の身分もあり、・出家したくても出家できない ・憧れても、厳しい修業をしたくない ・厳密なロジックで智慧を極めるより感性的な自由の議論を求めたい。これは中国文人の特徴であり、宿命だと言っても過言ではない。
 その結果、「喫茶」を一つの着地点、いや妥協点として中国文人は選んだ。換言すれば、「喫茶」は「仏の教え」の修業に通じ、「仏の境地」の疑似体験ともなる。しかも僧侶にならず、寺院での厳しい生活もせず、誰もが気軽に体験できる。また、僧侶のような厳しい修業は必要なく、芸術性もあり、友人と自由に語り合えて、美味であるため「喫茶」はたちまち文人に愛される存在になった。
 この捉え方が宋代で「喫茶去」「趙州茶」などの名詞に集約され、「概念化」された。これが「茶が禅に通じる」とされ、一般的、かつ普遍的に受け入れられていったのである。

 趙州禅師が語った「喫茶去」はまぎれもない公案だが、優しく、安易な部分だけを享受しがちな俗人は次第に「目指している境地」を忘れて、「頓悟」という智慧の「ひらめき」は厳しい修業を経なければできないことも忘れてしまった。その結果、「方便品」の「方便」の部分だけを楽しむことになってしまった。このような錯誤を正そうと提起された概念が「茶禅一味」である。

大学教員

(2024.9.20)
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