【コラム】中国単信(132)
中国茶文化紀行(69)
茶の性格(下)
趙 慶春
宋代には「茶の性格」として、もう一つのキーワードがある。
(7)清白
唐代の王敷の「茶酒論」は擬人化の手法で茶と墨とを比較しているが、宋代の蘇軾には「書墨」という一文がある。
余蓄墨数百挺, 私は墨を数百本、持っていて、
暇日輒出品試之, 暇があるとそれらを出してすってみるが、
終無黒者, 結局、純黒のものはなく、
其間不過一二可人意。 意にかなうのは一、二本に過ぎない。
以此知世間佳物自是難得。 世の中で佳い物は得難いものだ。
茶欲其白,墨欲其黒。 茶はその「白さ」を求め、墨はその「黒さ」を求める。
方求黒時嫌漆白, 黒を求める時は(真っ黒の)漆でも満足できず、
方求白時嫌雪黒。 白を求める時は(真っ白の)雪でも満足できない。
自是人不会事也。 これこそ人は物事がうまくできないことである。
宋代に茶の泡に「白」を良しとした美意識を踏まえて、正反対の「黒墨」と比較しているのだが、最後の一句からは「随順世縁無掛碍」(世のありのままにまかせ、特に意識執着をしない)という意味も読み取れる。また蘇軾は「葉嘉伝」(葉嘉は茶を指す)という擬人化文章で、茶について「風味恬淡、清白可愛」(風味は恬淡、清白は愛すべし)といい、「清白」という「茶の性格」を完成させた。
表面的には「恬淡」は茶の味、風味であり、「清白」は茶の色を言っている。しかし、その深意には、「恬淡」は世俗価値観に対して無欲、無執着であることを指し、「清白」は人格の本質的な内在の軸であり、「恬淡」と表裏をなしている。
(8)清絶
元代になると、茶の「清」の概念はそれまでより重視されるようになった。もっともそれは茶に限られたことではない。「四清」の確立はその典型だろう。「四清」とは「清」を極めた四人が並称されることである。「四清」を讃える作品が元代にはよくみられるが、その一つを見てみよう。
揭傒斯「題四清圖・三清曰玉川子」
忍窮吟月蝕, 困窮に耐えて月蝕詩を吟じ、
天高叫欲死。 天が高いため死を欲すると。
獨對烹茶婢, 独りで烹茶の婢女にむかい、
白頭赤脚老無齒。 白頭裸足で老いて歯がない。
于嗟乎玉川子。 ああ、玉川子よ。
ちなみに、「四清」の四人は順番に「一清」王右軍(書聖の王羲之)、「二清」軒轅彌明、「三清」玉川子(盧仝)、「四清」林和靖である。盧仝はいうまでもなく茶界の「亜細聖」であり、実は軒轅彌明も石鼎煎茶聯句で、林和靖も「烹茶鶴避煙」の名句でそれぞれ喫茶と縁が深い。
また、「清」は元代によく「清絶」とも表現される。「絶」とは、極みに達して寄り付かせない意味で、「清」の程度を最上級に引き上げた表現であろう。
楊士弘「梅谷井」:
茗飲貴山泉, 喫茶(の水)は山泉を貴び、
江流亦其亞。 川がその次である。
甘寒如此井, 甘くて冷たいのはこの井戸の水のようで、
清絶梅花舍。 清絶はこの梅花舎。
釋廷塤《題徐良夫耕漁軒》:
……
酒熟山瓢留客醉, 山瓢の酒がうまい具合にできて、客を引き留め酔ってもらう、
茶香石鼎共僧吟。 石鼎の茶が香って僧とともに吟じる。
也知風致多清絶, 風致と言えば清絶が多いと知っているが、
短棹何時一再尋。 短棹の船で再三に探す。
平顯「題畫(筆花軒)」
山鳥窺牕近筆花, 山鳥が窓を窺い筆に近い、
雪晴庭戸静無譁。 雪晴れの庭は静かだ。
苕溪處士真清絶, 苕溪處士は誠に清絶であり、
吟嗅寒香獨煮茶。 寒い中の香を嗅いで独りで茶をたてる。
「清」は遅くとも唐代から茶の性格として存在した。宋代に「清白」、元代に「清絶」とされた。唐代によく見らる「睡魔退治」、「文学創作促進」という表面的な「効果」の要素が薄れて、茶の「清白」も「清絶」も人間の品格、人格の柱を意味し、更に人間性そのものとして強調されている。ここには儒家の価値観が茶に反映されていると考えられる。
「清」の対義語は「濁」であり、「清」はそれと区別することで、意味が強調されている。異民族に支配された元代だったことから、異民族支配への反発が強調されたとも考えられる。
(9)茶禅一味
まず、元代の茶詩一首を見よう。
胡奎「寄震龍門和尚」(其一)
安平池子上, 安平池子を
不到十余年。 十余年訪れていない。
石老三生夢, 石老三生の夢、
茶枯一味禅。 茶の枯風味は禅に重なる。
澗泉通屋下, 涧泉が屋下に通じ、
山雨落尊前。 山雨が尊家の前に落ちる。
我亦除煩悩, 私もまた煩悩を取り除き、
還来了勝縁。 また勝縁を完結しに訪れるよ。
詩の中の「茶枯一味禅」は「茶禅一味」の語源ではないかと思われるが、「茶禅一味」の本質、あるいは「茶禅一味」に込められている茶の性格は、まだ解明されていない部分がある。ただし、「喫茶去」が「方便品」の要素が強いのと異なり、「茶禅一味」は「八還」、「徴心」、「勝義有」、「結使」など仏教の根本的な概念とつながっていて、特に「漸次修業」要素も含まれているのは確かである。
「茶禅一味」については、次回からとする。
(2024.10.20)
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